ねっとりとした風がうっとうしい。今年の夏は天気もなにもかもぱっとしないようだ。
「よくない。まったくよくない」
ダイアゴン横丁の大通りで、相棒が酒臭い息を吐いた。ジョージは頷いた。例のなんとか卿が戻ってきてからというもの、横丁は墓場のように静かな場所と、妙に浮き足立った場所が混ざっている。漏れ鍋は静かな方だ。バーテンのトムじいさんはいまにも泣きそうな顔をしていた。そろそろ完全なるツルッパゲになる恐怖と日々戦っているからか、ジョージと相棒ことフレッドが飲みまくったからか。なんとなく飲みたい気分だったのだ。
ジョージは前を見た。あれはフォーテスキューのおっさん。そして、ちゃらちゃらじゃらじゃらしたネックレスやら、これみよがしな刺青を入れてわめいている地球外生命体――マグルオタクの父親がきらきらした眼をして読んでいた「科学誌」とやらに書いてあった。地球外生命体。異文化コミュニケーション。
「てめえいかさま■■■」
「ふざけ■■■」
唾を飛ばしてわめいている。フォーテスキューは壁に押しつけられている格好だ。家々からわずかに漏れる明かりが、負けとゴロツキを睨みつけているフォーテスキューを照らしていた。
あーあ、おっさんってばとフレッドが動き出す。ジョージもほとんど同時に動いた。フローリアン・フォーテスキューは気のいいおっさんである。賭事も「たしなむ」。というか強い。
しっかしあいつらバカじゃないのか。フォーテスキューに勝てると思っているのか。名うてのギャンブラーだというのに。どうせ財布の中身をすっからかんにされたのだろう。そもそも裏路地にフォーテスキューを連れ込むどころか、よりにもよってフォーテスキューの店の前でやるか。
「おい」
フレッドが声を上げる。ジョージは周囲を警戒した。深夜で、皆寝静まっている。騒ぎに気づいて起き出すまでに時間がかかるだろう。ゴロツキに仲間がいて応援でも駆けつけたらたまらない。
「近所迷惑だろうが」
元悪戯仕掛け人とは思えない、良識的な発言に噴き出しそうになる。横丁に店を構えたからには共同体の一員なのだ。つまり、軒を連ねる店の商売の邪魔になるような連中はお断り。ジョージたちとフォーテスキューで三人。相手も三人。面倒だと思って逃げてくれれば楽だ。ジョージたちは他愛もない悪戯が大好きだし、人が慌てふためく様を見るのも大好物だが、いちいち争うのは好きではない。
つり上がった三対の眼が、ジョージたちを見る。ノクターンにいるほうが似合いだ。ただし酒場という名のぼったくり助平な店で身ぐるみ剥がされる類だろう。
「うるせえ、俺たちは死喰い人だぞ」
「こんなのがあれだったらマルフォイあたりが泣くよな」
フレッドが容赦なく批評した。ぼそりとした呟きにジョージは腹筋に力を込めた。流行りのファッション死喰い人か、それとも末端も末端の死喰い人か。父親の敵であるルシウス・マルフォイあたりは「あんな屑と一緒にするな」と吐き捨てそうだ。
「奴さんはアズカバンだから確かめようがないな」
ぼそりと返す。そして言った。
「相手が死喰い人だって言ってるんだから遠慮はいらないなフレッド?」
答えはウィンクである。そういうのはアンジェリーナにやれよと思いながら、ジョージはにやりと笑った。
◆
なんちゃって死喰い人だと思って甘く見ていたら、なかなか強敵だった。フォーテスキューと協力し、防衛呪文やら笑わせ呪文やらその他諸々を放ったり、飛んでくる呪文を避けたりと忙しい。
――こういう場合
高い位置からの不意打ちが効きそうなんだけど。ステップを踏んで失神呪文を避ける。セクタムセンプラまで飛んできたものだから物騒極まりない。
箒に飛び乗ってブラッジャーでもぶちかましたい。しかしこの塲に箒はない。呼び寄せている暇もない。呪文が頬をかすめる。じわりと熱を持った。
ああ、酒を飲むんじゃなかった。かなり回ってきている。
「
妙な呪文まで聞こえてきた。なんだよ薔薇のなんとかって。
「どうするよジョージ」
俺、幻覚を見ているのか? フレッドの呼びかけに、ジョージは答えられなかった。たいてい阿吽の呼吸で通じるのだけど、目の前の光景があんまりにも馬鹿げていて、口をぽかんと開くしかできなかった。
だってそうだろう。
ピンク色の風が渦を巻く。濃厚な薔薇の匂いと花びらをまき散らし、なんちゃって死喰い人をとらえ、きりきり舞いさせ、宙へさらう。あとは重力にとらえられ、真っ逆さまだった。あれだけ暴れていた死喰い人はあわれうつ伏せ。どこか折っているのかもしれない。
フォーテスキューが倒れている死喰い人を見て、屋根の上を――フォーテスキューのアイスクリームパーラーの屋根を見た。ジョージたちも見た。
シャツにズボン、赤いエプロンを身につけたマッチョがいた。
「助かったよロバート」
屋根の上にすっくと立つマッチョは笑顔であった。どこか肉食獣を思わせる笑みだ。
「いやだ、私のことはローズと呼んでって言ってるのに」
ロバートことローズはひょいと屋根の上から降りた。ジョージたちは半分放心状態だった。身体はマッチョ、心は乙女。彼――彼女のつくるお菓子は大人気である。
普段は黙々と菓子をつくっている腕のいい職人。店を構えていて、そこはお洒落できらきらしていて、可愛いもの好きの女の子たちの夢が詰まっている。
「……ロバ……ローズ。あの呪文は」
フレッドがこらえきれずに訊いた。なんだよ薔薇の旋風ってと思っていたジョージも頷いた。
くすんだ金髪に茶色の眼をしたパティシエはにっこりした。死喰い人を蹴り倒し、縛り上げながら。ジョージは某リアイスの少年や、某リアイスの兄ちゃんを思い出した。
「乙女には必殺技が必要だからね☆」
月に代わってなんとかかんとかとローズは言った。日本の漫画らしい。美少女だの戦士だの勝手に盛り上がっている。盛り上がりながら死喰い人に忘却呪文をかけている。
この一族濃いわあ……とフレッドは呻いた。ジョージはなにも言わなかった。リアイスは濃いのだ。特にロバート……いや本人はローズと呼ばれたがっているからローズでいいか……リアイスも大概である。
「どうするんだローズ? こいつらを山に捨てるか海に沈めるか」
フォーテスキューが物騒な発言をした。マフィアかよ。
「あんたはさっさと逃げたほうがいいわよフローリアン。一応こいつら死喰い人だものね。記憶は消したけど、念のため身を隠しなさいよ」
塲の主導権は完全にローズが握っていた。馬鹿げた呪文を放ち、三人を伸した乙女とは思えない、冷静な口調だ。
「ヴォルデモートは逆らう者を許さない。平和でハッピーな世界の敵だもの」
ほんと嫌な時代だわ。
ジョージは眼を開けた。カーテンの隙間から薄い陽が射している。軽くうめき、眼を瞑った。瞼の裏にフレッドの姿が過ぎる。もういない相棒の姿が。
眼を開ける。そっと身を起こす。隣に眠るアンジェリーナを起こさないようにした。
――なんであんな夢を見たんだか
へんてこ呪文に笑い転げたのはずいぶんと昔だ。世界は平和になった。ヴォルデモートはいなくなった。ジョージは結婚した。フレッドの恋人だった魔女と。なにも知らない周りはアンジェリーナに陰口を叩いた。片方がだめならもう片方って? 最低、と。
足音を忍ばせる。階段を一段ずつ降りていく。勝手な人間の勝手な中傷にアンジェリーナはずいぶんと傷ついた。そんなこともあったと言えるだけの年月が経ったのだ。
ジョージは階下の――悪戯専門店の壁を撫でる。夢だった店だ。本当は相棒も一緒にいればよかったのだが。どこかぽっかりと欠けたような違和感はずっとつきまとうのだろう。ジョージとフレッドは双子で、相棒だった。あの戦いで死んでしまったのだ……。
笑みを浮かべて死ねただけ、即死だっただけマシだったのだろうか。そんなことを思いながら杖を振る。ぽっと灯りがつき、ところ狭しと並べられた悪戯グッズを照らす。隅にあるのは闇の魔術に対する防衛術のコーナーだ。平和になって多少縮小しても撤去まではしないことにしていた。ジョージは商売人だけれども、ガリオンだけを求めているわけじゃない。
もう一度杖を振る。はたきがふわりと踊り、ちりを払っていく。ぱたぱたと窓が開き、風を通す。夏のさわやかな風だ。店の入り口まで寄って見てみれば、綺麗な青空が広がっていた。いつかの暗い時代の空ではない。
ああ、なんだか身体が重い。だけれども、ジョージは店を休むつもりはない。
これください、あれください、とカウンターに並べられるとりどりの商品。いたずら専門店は今日も大忙しだ。夏休みの子どもたちがきらきらした眼をして……それともどうやってくすねようか考えている眼で、商品を見ている。
さすがアンジェリーナ。商品をくすねようとした小僧の耳を引っ張って外へ連れ出している。
子どもたちをさばきながら、ジョージは内心で拍手した。そうしてしばらくして、子どもたちの群のなかに覚えのある顔を見つけた。
「ねえジョージ小父さん」
人混みを猫のようにすり抜け、ジョージの手が空いた隙を見計らってやってきたのは、黒髪に群青の眼の少年だった。
――ほんっと
父親の若い頃にそっくりだ。ブラック家の遺伝子が強すぎるのだ。
「なんだいレグ」
ジョージは頬杖を突いて少年ことレグルス・ブラック=リアイスを見る。容姿も眼の色も父親譲りだ。父親はどこか陰があったけれど、息子のレグルスは明るい少年だった。
レグルスが身を乗り出す。ジョージにそっと囁いた。
「ちょっとあれなコーナーにさあ……昔、愛の妙薬が置いてたって聞いたんだけど」
「お前自分で調合できるだろ」
「動物とかに飲ませたらどうなるのかなって」
好奇心の固まりだった。
昔々にプチ・愛の妙薬をつくるにあたって実験したものだ。何回目かの実験の時、兎が発情してなんてこともあった。あくまで人間用のちょっとした悪戯として売り出すつもりだったので、苦労して調整したのだ。懐かしい。
「むかーし、むかし、お前の親父に俺たち怒られてね」
販売してないんだよと返す。泣き真似もした。かわいそうな小父さんたち、とレグルスも乗ってきて、ジョージの頭を撫でてきた。いい子である。
息子はこうなのに、その父親ときたら大層冷たいつめたーーい眼でジョージたちを見てきたものだ。あれは潔癖なのである。
レグルスは少し残念そうにしながら、あれやこれやと悪戯グッズを買って帰って行った。お金持ちのボンなのに、買い占めするなんてこともせず、しかし気持ちのいい買いっぷりだった。インスタント煙幕あたりは補充がいりそうだ。
その後も忙しくしているジョージは、珍しい客を見つけた。鮮やかなターコイズブルーの髪、灰色の眼のテディ・ルーピンだった。黒髪の男の子を連れている。
いつの間につくった? あれテディに特定の相手がいたっけと首をひねるジョージをよそに、テディは片手を上げた。そこそこ混んでいる店内を、猫のように音もなく、するりと抜ける。
「やあジョージ」
「どうしたよその子?」
ジョージは「その子」を見た。黒髪に灰色の眼。少しやせている。服はまあ綺麗だが、なんだか暗い雰囲気だ。
顔立ち自体はさほど似ていないが……いやこれは……?
「ジョンって言うんだ。愛すべき義兄から預かってさ。今日は付き添いだよ」
「あいつまた拾ったの?」
テディは肩をすくめた。ジョージは小さく笑う。英雄殿は相変わらず走り回っているらしい。悠々自適の生活もできるだろうに、あの戦いからこっちずっと動き回っているのだ。
挙げ句にヴォルデモートの娘と名乗る魔女を討ち取ったとかで、伝説を更新している。
「ウィスタに頼りにされてよかったじゃないか?」
「あの人は人使いが荒いんだよ」
「ふーん」
仕事を任せられて喜んでいるようにしか見えないのだけど。おそらく「義兄」のせいで多少はひねくれた若いのは放っておこう。ジョージはカウンターの向こうにいる、小さな男の子を見た。暗かった灰色の眼を好奇心に輝かせている。
悪くないなと小さく呟く。
稼いでいっぱしに身を立てたい。それなら店をやりたい。俺たちの得意なものは? 悪戯だ……だったら専門店をつくろうとフレッドと話し合った。
『でも稼ぐだけは粋じゃあないぜジョージ』
ハリーからもらった一千ガリオンが入った袋をちゃらちゃら鳴らし、フレッドはにやりとした。
『やるんなら誰かを笑顔にして』
そう、
『泣きべそかきそうなガキんちょも』
ちょっと明るい気分にするような。
そんな店にしよう。名前はそうだな。
「ここは夢と希望と悪戯心がいっぱいの店」
悪戯専門店ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ