自分のこと善人だと思ったことも、真面目だと思ったこともない。少なくとも悪人ではないだろう、くらいは思っている。誰だってそんなものじゃないか? 善いともいいきれなくて、悪とも言い難くて。善人ではないイコール悪人なんて乱暴な分け方だ。天秤は常に揺れ動いている。ぴたりと釣り合うことなんてめったにないだろう。それこそ、よほど意思が堅くて、確かな何かを持っている人間でないと。
ロジャーの秤は揺れっぱなしだ。しかも少し狂ったらしい。
――僕らしくもない
まったくない。女性を助けに入って返り討ちにあうなんててんで馬鹿だ。ロジャー・デイビースはレイブンクローの出身だというのに。
そういうのはグリフィンドールに任せておけばよいのだ。例えば、隣を歩く彼女のような。
「僕は大丈夫だって」
「頭を打ったでしょう」
昼間のダイアゴン横丁の大通りを引きずられるように歩く。ああ女の子に拉致される僕、と言っても無視された。
エリュテイア・リエーフを女の子と言っていいものか。そこらの女の子にはない落ち着きがあるというか、妙に世慣れているというか。彼女はかっこいい騎士様である。なにせ八人も伸して颯爽と女性を救ったのだ。すごいねと言えば妙な顔をされた。ちょっとだけ、泣きたいのか笑いたいのかわからないような、そんな顔。
――親切だし
私は治療師じゃないですし、頭の怪我は怖いですからとわざわざロジャーを引っ張っていってるのだ。診療所に。治療師とはまた古風な言葉だ。
近寄りがたいと言われていたものだ。あのリアイスの――ウィスタ・リアイスの従者は。召使いではない。メイドでもない。従者。従う者。彼女がホグワーツに転入してきたとき、一部では「そういうこと」なのだと囁かれていた。従者という名目でウィスタの側に送り込まれてきた、将来の妻候補。それか愛人候補。ロジャーはなんの気なしに聞き流していた。デイビース家はそこそこの家でしかない。たぶんどこかの名家から枝分かれしたか、マグルの富裕層にルーツがあるのだろう家。たいして気にすることもなかった。
名家は大変だなと思ったことは覚えている。そして転入生の話題は日常にまぎれていった。
そうこうしているうちにまた話題になった。
あれはただの「愛人」ではないぞと。寮の談話室でなにを生々しい話をしてるのか、と思いつつロジャーは箒を磨いていた。なんとなしに耳をそば立てれば、やれ女の子の落とし物を探してあげただの、女の子に無体を――おいおい無体かよ――働こうとしたスリザリンのボケをしばきあげただの、その他諸々出るわ出るわ。下手をすれば「主」であるウィスタ・リアイスより女の子にモテている疑惑。
「あれは騎士だ。間違っても愛人じゃない」
誰かが言い、別の誰かが付け加えた。
「フラー・デラクールと姉妹らしいぞ」
――妙なことになった
リードを引っ張られている犬よろしく、それか追い立てられる羊よろしくダイアゴン横丁を行きながら、彼女の横顔を見る。派手な美人というわけではないが、整っているほうだと思う。氷の女、と誰かが言っていた。にこりともしない、人形じみた女。
あのフラーの「姉妹」なのだ。氷でてきているわけでも、石の心を持っているわけではないだろう……と思っていたけれどあえて言いはしなかった。フラーと付き合っていた時期、エリュテイアってばね、エリュテイアはね、ほんとに素敵なの騎士様なのとのろけを聞かされた。ロジャーは考えたものだ。もしかして、フラーが自分と付き合ってるのは隠れ蓑ではないか。実はフラーとエリュテイアは「親密」なのではないか……。
「なにを百面相しているんですか」
「頭を打ったからね」
ついでに君にべしべしされたし、と情けなさそうに言ってみる。強がっても仕方がないし、この騎士ならロジャーのことを顔だけだなんて言わないだろう。
頭の上に軽い重みがかかる。さっと撫でられ口を開ける。ロジャー・デイビースは女の子といちゃいちゃしたこともあれば、付き合ったこともあれば……順序がおかしいな? 別れたこともあるわけだが、頭を撫でたことはない。撫でられたこともない。
「僕はペットか?」
「痛がる子どもには、こうするのがいいらしいですが」
きょとんとされる。珍しい表情だ。氷の麗人だとか呼ばれていた魔女なのに。佇まいからなにからロジャーとは違った。これが育ちの差かと思ったものだ。フラーと彼女はよく話していたし、必然的にロジャーは彼女のことを見かける機会も多かった。
どこまでも淡々としているように見えて、フラー相手だと少しは気を緩めているようだった。漠然とほっとしたのを覚えている。ひとりぼっちではないのだなと。馬鹿らしい話だしお節介も甚だしい。彼女はとびきり優秀で、たいていのことはこなせるのだという噂も流れていた。
「子どもが痛いよーって言ったら」
ぎゅっと抱きしめるものだよ。
「そんなものですか」
「そんなものだろ」
それか唾つけとば治るわよ、か。母親というものは、男の子のやんちゃに慣れるものだ。ロジャーの母親のように。
「そうなのですね」
ぽつ、と彼女がこぼす。
――たぶん
彼女は「そんなもの」を知らないのだ。孤児だという話は聞いていない。エリュテイア・リエーフは謎に包まれている。
謎めいているから、フラーと別れたあとになんとなしに眼で追ってしまったのだろうか。それとも、フラーに「あなたと私だったら、それこそ美男美女さもありなんでつまらないでしょ」となかなかの暴論を吐かれて別れたせいか。
さもありなんじゃないのは確かだな。
気づけばこう言っていた。
「ねえ、診療所に行ったあとにつきあってよ」
「それはお友達なのかそうでないのか?」
「お友達から進むかはわからないね」
でも僕はお気楽な身の上だからお買い得だよ。
「……最近忙しくしてると思ったら」
ため息がこぼれる。古い邸の階段を、妻を抱えて上がる。
「案件は片付きましたから」
相当くたびれたのだろう。彼女は眼を閉じていた。リアイス関連の厄介事に走りまわり、主に従って過去に跳んだどうこうを聞いて目眩がした。過去って。事故ったらまずい案件上位である。時間が関わるものは危険なのだ。
「ヴォルデモートの娘を片付けました」
肩が揺れる。なんとかこらえて寝室までたどり着き、寝台に妻を転がした。
「娘かあ。僕に言ってよかったわけ」
寝間着を妻に放る。氷の女こと白百合の騎士だって疲れる時はあるのだ。生きている人間なのだから。
「言う言わないは選別してますよ?」
そうでないと、あなたを殺さないといけませんからね。
物騒なことを言う妻が寝間着に手を伸ばす。できた夫らしく壁のほうを向いた。今更着替えくらいでとは思うのだけど。
――妻ねえ
妙な気分だ。なんとなしに付き合って、着地した。ちなみに「もう結婚しよ」とロジャーがぽろっと言った。彼女の仕事に付き合って出向いた先――とある小競り合いの現場で。得体の知れない肉塊が転がり、悲鳴をあげていた。変身呪文――変形呪文の一種。飛び交った呪詛は現場の人間を生きている肉塊に変えてしまった。
解除は不可能で、楽にしてやるしかなかった。あまりのことに青ざめるロジャーをよそに、彼女はすべきことをしたのだ。緑の閃光が何度も放たれ、生きているのは彼女とロジャーだけになった。
彼女は昏い眼でロジャーを見た。
「私と付き合うということは、こういうことです」
ろくなものではない。あなたはただの魔法使いです。フラーみたいな美しく華やかな女性がお似合いですよ。
「もしかすると、私はあなたを殺さなければならない」
私の忠誠は主に捧げられている。
彼女はロジャーを突き放したいかのようだった。遠ざけたかったのだろう。だが、ロジャーは首を縦に振らなかった。
すべきことをして、常に秤がぶれないように思える彼女。こうしてロジャーを突き放すのは、彼女と優しさと……揺らがない秤が動いている証。
「服従の呪文でも使ったら?」
軽く言う。
「人の道に反します」
たぶんけっこう裏で人の道に反してそうな女が言った。死の呪文を使い慣れてるだろう。慣れていいのかあんなもの。
ああだこうだと理屈をこねて、自分は冷たい人間だ、心がないのだと思いこんで生きていくのだろうかこの女。
そう思ったら言っていたのだ。
「もう結婚しよ」
……絶句した妻は見ものだった。頭のネジがとんだのではと疑われた。
「若い娘の悲鳴は嫌なものです」
過去から現在へと、壁から妻のほうへと、ロジャーは振り向いた。妻は着替え終わり布団にもぐりこんでいる。
「僕は君が……あと周りが無事ならそれでいいんだ。人の心がないから」
「あなたはまともですよ」
「君は化け物じゃあないんだよテイア」
妻の唇が弧を描く。
「あなたのような普通のひとが言うならそうなんでしょうね……少し眠ります」
一時間経ったら起こしてくださいな。私の夫。
囁かれ、任せておいてと頷いた。
頼られるのも悪くない。