【完結】ヤヌスの柩   作:扇架

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呪いの子世界でなにがあったのか、な話。ネタバレあり。闇しかない。


ヤヌス√
愛をねだる獣


 抱えた包みは驚くほど重く――そして軽かった。人間の頭部は重い。しかも瑞々しく、肉もしっかりついている。滲んだ鉄錆が腕を濡らす。じわりじわりと名残のようにまとわりつく。

 あっけないものだ。長い年月を共に過ごした。終わる時は一瞬だった。忠実なる従者、エリュテイア・リアイス・リエーフの首はなんて軽いのか。確か従者はウィスタの一部だった。形に添う影のように傍にあった。友人でも伴侶でも恋人でもない関係性。従者が永遠にいなくなったのは奇妙な心地だった。殺したって死なないと思っていた。

――いや

 誰だっていつかは死ぬ。殺し殺される。

 何年もそんな世界で生きて、生きるしかなくて、わかっていたはずだった。

 どれほど失ったろう。リーマス、ネビルと……ハリー。そして妻……。

 どれほど手をかけたろう。セドリックに、フェンリールに、ベラトリックスに。忌々しいリアイスどもに……。

 従者に。

 あっさりと命を、すべてを捧げたのだ。

 エリュテイア・リアイス・リエーフは。

 

 黄昏は濁り、くすんだ輝きで室を満たしている。伸びる影は歪に長く、ゆうらりと揺れていた。

 ウィスタは剣を引き抜いた。剣身の紅は、瞬く間に消え失せる。

 ああ、こいつには血と肉があったのかと今更ながらに思った。

「……な、」

 なぜ、と言いたいのだろうか。青白い顔をした「それ」は喘ぐ。見開かれた紅眼は、ひたすらにウィスタを見ている。

「うらぎ……」

 それを蹴り倒す。死を逃れんとし、永遠を願ったその身はひどく軽かった。あっさりと吹っ飛び壁に激突する。声も出せずにくずおれた「それ」に歩み寄った。

「耄碌したな?」

 こんなやつにウィスタはすべてを奪われたのか。追いつめたと思った。だけれどもあらゆることが噛み合わず……ハリーは殺された。闇の陣営が勝った。闇の帝王は君臨し、ウィスタを追い込んだ。どうすることもできなかった。リアイスは敵に回り、妻を殺した。そしてウィスタはリアイスを滅ぼした。千年余りの歴史は絶えた……。

「俺の従者の忠誠心を嘗めていたな」

 剣を片手に闇の帝王という名の、惨めな何かを見下ろす。ああ、反吐が出る。倒すためには懐に潜り込む必要があった。長い……長い間、執拗に執着してくる男に応えた。ウィスタはどこまでも堕ちた。堕ちる様を男は楽しんだ。

「あいつは俺に命を捧げたんだ」

 お前にはいたか。そんな人間が。自ら死を選ぶような、殺されるような人間が?

 つま先を男の腹にめりこませる。鈍い音とともに骨が折れる感触があった。肉体にこだわるからこうなるのだ。生きているということはいずれ死ぬということ。器を得るということは、いずれ壊れるということ。生きているか死んでいるかわからない、幽冥の狭間にいたほうが、ヴォルデモートという存在は永くあれただろう。

「家族……の、は、」

「どこかだよ」

 銀の輝きが一閃する。叫びとともに男がのたうち回る。

「肉欲ばかりのクソ野郎め」

 さっさと去勢しておけばよかった。

 これはただの鬱憤晴らしだ。こいつには徹底的に惨めに死んでもらう。

「デルフィーにもろくに構わなかったくせに」

 またも一閃。片腕が斬りとばされた。

「あわよくば手を出そうとしてたんじゃないだろうな」

「それが、あ」

「お前なんて生まれて来なければよかったんだ」

 一閃。残った片腕が飛ぶ。一閃。片足が飛ぶ。一閃……。

「あれは、お前を求め……ぞ」

「黙れ」

 何度も何度も剣を振り下ろす。後にはただ、血と肉でしかない何かが残った。

 荒い息を吐く。剣を放り出し、膝を突いた。

 なんだったのだ。この年月は。払った犠牲、失われたものにあまりに釣り合わないではないか。なにをあっさりと死んでいるのか。謝罪の言葉もないのか。

 ウィスタはもはや戻れない。世界は闇に包まれた。裏切り者であり、ヴォルデモートの孫である己はどうあっても帰れない。帰る場所もない。

――もういいのではないか

 すべきことはした。騎士団の生き残りは何人かいる。後は任せてしまえば……。どうだっていい……。

 軽い足音と、重く湿った音がする。投げやりな気分で振り向けば、白銀の輝きが飛び込んできた。

「やっちゃったの?」

 片手には蛇の胴体を、片手には頭を持ち、魔女は首を傾げる。ウィスタと同じ紅の眼がきらめいた。

「そうともオーグリー」

 軽く剣を振る。誰かだったなにかは、白に覆われ砕け散った。

「俺を殺すか?」

 お前から父も母も奪った俺を。

 問えば、魔女は首を振る。

「母様のことは覚えていないし、父様は私を見ていなかったもの」

 モノとしか思っていなかったもの。

 抱きしめてくれたのも、魔法を教えてくれたのもあなただけ。

「愛してくれたのはあなただけ」

 娘が――ヴォルデモートの娘がナギニだったものを放り出す。打ち付けられた蛇の亡骸から鱗と紅が跳ね飛んだ。

 つ、と娘の白い頬を紅が飾る。

 娘は膝を突く。好んで不吉な鳥の名を名乗る娘。父親に愛されなかった娘は、ウィスタをそっと抱きしめた。憎い敵から生まれた娘のはずだった。手をかけて育て、引き入れ、父親殺しに荷担させた今、娘を殺してやるべきだった。ここにいるのは人たらしのろくでなしだ。どうやらウィスタを「家族」と慕っているらしい娘に、お前を利用していただけだと伝えるのは……。だが……だからといって殺してもいいものか。

「私たちは家族よ。誰よりも濃い繋がりと絆があるのよ」

 うっとりとした声だった。

 あなたが■■■の。

「待て」

 娘を引きはがそうとする。こんな馬鹿なことがあってたまるか。いかに堕ちようとも、ウィスタに正気の欠片くらいは残っている。

 心臓が跳ねる。恐ろしい予感がする。ああ、ヴォルデモートがなんだというのか。この予感に比べれば。

「私たちはゴーントの裔だものね」

 喉が干上がる。思考が空転する。ありえない。デルフィーニのことはできうる限りまっとうに育てたはずだ。それこそ家族のように接したはずだ。どこで間違えたのか。なにもかも間違えていたのか。幼い頃に事故に見せかけて殺すべきだったのか。それはあまりに……人の道に……。

「父様も母様もいないのだから」

 もう私にはあなたしかいないの。

 声を出そうとして出せない。美しい旋律が呪いを紡ぐ。

 伏したまえ、と。

 

「私を愛し、側にいてくれるはずだろう」

 鈍色の空を女の声が渡る。黒の大君と呼ばれ畏れられる男は肩をすくめた。

「いてやったろう? オーグリー」

 身体が重い。ずっとそうだった。心から笑った日はいつだったろう。希望もなにもかも踏みにじられ、堕ちて、堕ちて。復讐を果たしたところで何も戻らなかった。魂は欠けたまま。

 挙げ句に小娘に屈服した。いくらヴォルデモートを倒して気がゆるんでいたとして、もうどうとでもなれと思っていたとして、失態だろう。

「愛し合ったろう?」

 家族だものな。ふふ、と笑みがこぼれる。ゆがみ、かすれ、醜悪な声。

――なにが愛なものか

 禁忌を犯してしまったのだ。正気に戻った時、なにも言えなかった。取り返しがつかなかった。やはり、デルフィーニはヴォルデモートの娘であった。どこまでも……愛を知らず、間違ったやり方でしか求めることができない獣。人間になろうとしてなれない獣。

「裏切り者め」

 黒衣を身に纏った女が、眼を爛々と輝かせる。呪われた紅を。禁忌の色を。共にヴォルデモートを討ち果たし、闇の世界を支配した。投げやりになった彼は、デルフィーニ……オーグリーの求めに応じた。そも、禁忌の一線はとっくのとうに越えていた。堕ちることに底などない。

 しばらくは……黒の大君とオーグリーが倒れるまでは、世界の闇は晴れまい。世界をひっくり返すのが至難だとわかっていた。そんな気力もなく、さしたる動機もなかった。

 同時に、騎士団の生き残りを粛清する気力もなかった。好きなだけあがけばいいと思っていた。

 戻ってきなさい、と願った恩師の言葉があったからか。ヴォルデモートの孫だと知れても、リアイスを滅ぼしても、あの老婦人は彼を責めなかった。ただただ泣かれた。

 彼を殺しにきたはずなのに、彼女は泣いていた。

 おやすみなさい先生。

 小さくささやいて、彼女の記憶を消したのだ。殺したように見せかけてそっと逃がしてしまった。生きているのか死んでいるのか分からない。海外で穏やかに過ごしていればいい。

「俺は最初から裏切っていたよ」

 軽く凍った草地に立ち、デルフィーニに告げる。いつからもなにもない。彼が手を下したのはリアイスどもと、何人かだ。あとは周りが勝手にやっていた。

「侵入者どもを逃がしたな」

「庭に入ってきた吸魂鬼を駆除しただけさ」

 お前は趣味が悪いなデルフィーニ。いやオーグリー?

 軽口を叩く。叩きながら呪文を交わす。壊れていようがヴォルデモートの娘だ。ついでに――今思えば余計なことだったが――あれこれと仕込んだのは彼だ。憎んでもよいはずなのに、どうも憎みきれなかった。それだけの感情を失っていたのだろう。

 ウィスタ・リアイスは、妻を失ったときに死んだのだ。

「それともなにか」

 切断呪文がデルフィーニの肩を裂く。同時に、彼の腕が刎ね飛ばされた。

――利き腕か

 耄碌した。吸魂鬼の群を一掃したのだから仕方がないか。

 膝を突く。デルフィーニが満面の笑みを浮かべた。

「これで反抗する気にもなれまい?」

 デルフィーニが、踊るようにやってくる。どこからか光が射しているかのような、明るい顔。

 昔はそんな顔をしていなかった。よくしょげていた。

 綺麗な花を見つけたの、と泥だらけの手で持ってきたこともあった。実の父親にも持って行って、くだらないと笑われたのだと……涙をこぼしていた。

――あの子たちのようでは

 違う『時』から来た子どもたちのようではなかった。あの子たちは愛され健やかに育ったのだろうと察せられた。彼が失った青を持つ「レグルス」は……黒の大君の息子――彼の「レグルス」とは随分違った。

――逃がせたのだからいい

 失った幸福の欠片たち。世界はあるべき姿に戻るだろう。妻は幸福に在るはずだ。ならばいい。

「ずっと一緒にいよう」

 いつかのように抱きしめられる。人の道に反し、悪を極め、禁忌を犯し、甥の片腕をはねておいて、縋るように言うのだからどうしようもない女だ。

 彼は共犯者の背に、残った片腕を回した。

「いいとも」

 この命くれてやる。

 どん、と軽い衝撃とともにデルフィーニが硬直する。同時に、彼の腹を灼熱が貫いた。

「な、ど……し……」

「ここは目覚める前の、悪い夢だ……」

 なかったことになる夢だ。

 身の奥から灼熱が駆け上がる。鉄錆の香とともに、口からこぼれた。

 ぐらりと揺れる。もつれ合うように倒れる。剣を握ったまま離せない。

 ひどい、とデルフィーニが呟く。それはむしろ囁きに近い。風にまぎれて消えそうなほど、か細い声で。

 見つめ合う。デルフィーニの眼から輝きが失せた。

 一撃でしとめてやればよかった。痛みを感じる間もなく。だが、そんな力は残っていなかった。己もろともに剣で刺し貫くしか。

 どうせこれもなかったことになる。黒の大君も世界も消え失せる。

 悲鳴が聞こえる。誰かが彼の側に膝を突く。かすみつつある視界に、灰色が映った。

「……おや……」

 親父、と言えたのか言えなかったのか。不出来な息子だった。共に戦えなかった。

 今更間に合ったところでもう遅い。吸魂鬼を滅した結果、父は命を拾ったらしい。だがそれはたまたまでしかない。

 なにを言おう。言えばいいのか……。まともに話したのはいつだったか。

 ああ、謝らなければならないことはあった。

「かあさん、の杖……悪かっ……」

 ヴォルデモートへの忠誠の証に、彼は従者の首を持って行き、母親の杖を破壊した。これでお疑いにはならないでしょうと。

 父がどれほど母を思っていたか知っていながら奪い取り、この世から消したのだ。

「馬鹿が」

 情けなくも震える声。頬に冷たい滴が落ちる。

「なんでわざわざ、こんな……馬鹿息子……」

 癒しの呪文が囁かれる。あたたかいものがそそぎ込まれ、消え失せていく。もはや間に合うまい。

 視界が霞む。冬の空がにじむ。彼が継がなかった灰の色もあせていく。

「たとえ、夢でも」

 罪は、罪だから。

 吐息が耳にかかる。

「最後に」

 お前は正しいことをしたよ。

 よくやった、と囁かれ。

 うんとほめられた子どものように、でも照れくさくて素直に頷けない子どものように、ぶっきらぼうに返した。

「ああ」

 そして、世界は閉ざされ精算された。




ヤヌス√のある意味「続き」
白いるかの眼は赤い
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