【完結】ヤヌスの柩   作:扇架

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呪いの子世界ことヤヌス√でなにがあったのか、その2。


黄昏に鳥は

 流れる雲の底を、綺麗な紅が染める。

 すうっと、鳥の影が横切った。

 デルフィーニは、黄昏よりもなお深く、こぼれる血よりもなお紅いと言われた眼を瞬かせる。

 雪よりも白い髪も、紅の眼も真の魔法族の色なのだという。誇り高きスリザリンのものなのだという。

 我が娘、とデルフィーニを呼ぶ「父様」は誉めてくれる。お前はあれらとは違うのだ、と囁いた。

 自分とデルフィーニは「家族」なのだとよく言った。家族は愛し合い、助け合い、側にいて……裏切らないものだと。

 愛し合うってなんなのかしら。デルフィーニは空を見上げて考える。だって父様はデルフィーニのことをほったらかしている。庭で一人遊びをしていても誰も呼びに来ない。お付きなんて邪魔くさいし、妖精はめそめそしてうっとうしい。

――ひとりなんて慣れてる

 父様は忙しい。ハリー・ポッターを倒しても、ウィスタ・リアイスが手に入らなければ意味がないと言っていた。だからずっとずうっと探しているらしい。

 お友達になりたいの、とデルフィーニは訊いた。父様にはいっぱいいるんじゃないの。父様のためならなんだってしてくれる人たちが。

 いいや、と父様は言った。

 ウィスタ・リアイスは家族だ。そう、お前と同じく。

 俺様の側に置かねばならない。血の絆はなにより尊い……。どうしても手に入れる。欲しくてたまらぬ……。

 お前はまだ幼いからわからぬだろう。だが、いずれ分かる。

 なにが愛なのかを。

 愛、と唇を動かしてみる。形があればいいのに。言葉だけじゃわからない。これがそうだよと取り出して見せてくれないだろうか。

 私と父様は家族だ。大切なのだ。デルフィーニは食事に困ったこともないし「反乱分子」みたいに追いかけ回されることもない。外は怖い場所だから出てはいけないよ、とずっと邸にいる。

……鳥と話せたらいいのに。それか鳥の動物もどきになれたらいいのに。そうすれば、外のことがわかるのに。父様に言ってはいけないような気がして言えていない。父様は蛇が好きだし、デルフィーニが蛇と話せるのも喜んでいるのだから。

 父様は私のことを愛してくれている。そうに決まっているのに。わがままを言ってはいけない。デルフィーニが悪い子になれば、父様はきっとデルフィーニを追い出す。

 首を振る。風が冷たくなってきた。黄昏が色を濃くして、噴水も芝生も染めている。赤みがかった金色の世界。

 ふ、とデルフィーニは視線をさまよわせる。なんだろう。なにか音がしたような気がした。妖精は夜中にこっそりと仕事をする。見つからないように。「穢れた者」だから。庭には誰もいないはずで。

 軽い音がする。いいや、足音だ。柔らかな草を踏む音。

 門のほうからやってくる影がある。片手になにかを抱えて、外套を翻して。夕暮れの中、それはくっきりと切り取られた闇に見えた。人の形をした闇に。

 男の人のようだった。夜の闇よりなお深く、鴉の羽根のように綺麗な黒髪。白い肌には赤いものが散っている。両眼はデルフィーニと同じ――家族の印である、紅色。

 煤の臭いがする。男がデルフィーニから数歩離れた場所で立ち止まった。

「……風が冷たい」

 早くお家にお入り。小さなお嬢さん。

 掠れ、柔らかな声だった。燃えるような両眼がデルフィーニを見据える。

「誰も迎えに来ないもの」

「送って差し上げよう」

 男は片手を差し出す。見知らぬ男の人だ。お前は高貴な人間だ。ふれあう者は選びなさい、と言われていた。

 だから、これはいけないことなのだ。わかっていても手を伸ばした。

「ありがとう。私はデルフィーニ。あなたはだあれ?」

「ウィスタ……ウィスタ・ブラック=リアイス」

 く、と男が喉を鳴らす。

「いいや」

 俺はウィスタ・ブラック。

 お初にお目にかかる。ヴォルデモート卿のご息女。スリザリンの中のスリザリン、我が叔母よ。

「これから仲良くしていこう」

 君の父に会いに来たんだ。

 デルフィーニは男を見上げた。つないだ手が、熱を帯びた。年上の男の人。デルフィーニに優しく、でも嫌な感じの眼で見てこない人。

――家族は

 ずっと側にいるものだと、父様は言っていた。だったら……。

「父様はあなたを探していたの。家族だからって」

 だから、だからね。

「もしあなたが家族になってくれたら、私はうれしい」

 父様だけじゃ寂しいもの、とは言わず。違うことを口にした。

 ずっと側にいてくれる?

 男が――ウィスタが瞬く。

 小さく小さく笑った。

「いいだろう」

 

「……男娼がほしいならそう言えよ」

 呻くような声に、甘美な記憶が台無しになった。デルフィーニは美しい記憶に水を差した男を見やる。寝台にうつ伏せたまま、ぶつぶつと言っている。毛布を引きはがしてやろうかと思ったが、男は抵抗するに決まっている。今更なんだ。互いのあられもない姿など見慣れているではないか。かたくなにデルフィーニのほうをみようとしない。父母譲りの美貌と抜群の身体なのに。いたく誇りが傷つけられるではないか。

「頭が空っぽの男は嫌よ」

「どっかから調達してやるものを」

 女の性欲は否定しないし、お前も成人しているわけだし一人前だが。

「家族はこうするものでしょう」

「どこで育てかたを間違えた」

「思うように育たないものよね」

「甥を――する叔母がどこにいる」

「だって愛してるんだもの」

 初手が悪かったのか。やはり服従させて無理矢理はだめだったのか。既成事実を作れば素直になると思ったのだが。

「叔母と甥なんて意識しないでしょう」

 甥のほうが年上であるし、デルフィーニにとってウィスタはずっと側にいて愛してくれる家族だ。

「父様とあな……」

 言いかけて、口をつぐむ。家族とは愛し合うものだと言ったのは父様だった。より血の濃い者を残すためにそのうちデルフィーニとどうこうするつもりだったのだろうと思う。

 デルフィーニが無事だったのは――ウィスタのお陰だとわかっていた。彼は文字通り、父様のためなら「なんでもした」から。

 そして父様を殺したのは、デルフィーニのためでもあったのだろう。絶対に頷かないだろうが。

「取り消せないんだから。私たちの関係、バラされたら困るでしょう」

 私は困らないけど。ねえ黒の大君、と囁けば、彼は舌打ちした。

「色魔め」

「拒まないじゃないあなた」

「仕方ないさ」

 彼は投げやりに言った。

「側にいると言ってしまったからな」

 と。

 

 絶対離れないようにしたのに、とデルフィーニ……オーグリーとも呼ばれる魔女は歯噛みする。

 邪魔な父様を片づけて、うまくいっているはずだった。ルシウスなんてウィスタとデルフィーニに真っ先に膝を突き、忠誠を誓った。反乱分子に大したことはできなかった。キングズリー・シャックルボルトは強敵だったが、穏和しくさせた。殺してしまおうとしたのだけれど、ウィスタが片足を切り落としてしまったのだ。こういうやつには生き地獄が似合いだ、と言って。

 仕方ない。デルフィーニに害がない限りいいだろう。ルーピンの息子が刃向かってきたときだって殺したかったのに。いくらウィスタの恩人の息子だろうと、ウィスタが誰かに――他の誰かに心を向けるなど許せないではないか。

 デルフィーニは我慢した。ああだこうだと言いながら、ウィスタは人殺しを嫌うのだと知っていた。彼が本気になったのはリアイスと滅ぼした時と父様を殺した時くらいだろう。

 そうとも。ルーピンの息子はいい気味だとも。狼に変えられてどこかに追放されたのだから。獣の子は獣なのだ。ウィスタの前から消えてくれたのならそれでよい。

 おおむね完璧な世界が訪れたはずなのに、どうしてかウィスタは裏切った。

 反乱分子をつぶそうとせず、デルフィーニが差し向けた吸魂鬼を滅ぼしてのけた。

 いったい何が不満なのか。

 片腕が宙を舞う。デルフィーニはにっこりした。常ならば無理だったろう。けれど、ウィスタとて人の子だ。疲れもすれば、隙もみせる。そう、伏したまえと紡ぎ、屈服させた時のように。

 完璧な人間などいないのだ、と教えてくれたのはウィスタだった。勝てそうにない相手には、辛抱強く隙を窺うのがいい。それか消耗したときを狙うのだ、と。

 私はよい子だった。教えられたことは全部吸収した。父様を倒そうともちかけられた時も、頷いた。父様よりもウィスタに愛情を感じていたから。

――父様は冷たいひとだったから

 デルフィーニの血筋をほめそやすばかり。いつだったか、花を摘んで持って行けば振り払われた。そんなことよりもふさわしい行いがあるだろうと。

 くだらない、と。

 くしゃくしゃになった花たちを拾い集め、あんまりにも悲しくて悲しくて、庭園の、誰も来ない一角に逃げ込んだ。

 一歩、二歩、と膝を突く彼に歩み寄る。

 いつかと逆だ。あのときは、デルフィーニがしゃがみこんでいて、ウィスタが探しにきてくれた。誰も彼女の心配をしないなか、たった一人だけ……。

 わずかに凍った草を踏む。さくり、と柔らかい音がした。

『こんなところにいたのか』

 帰ろう。

 ああ、花か。かわいそうに。お前の父様にはわからないんだよ。本当に価値のあるものが。

「これで反抗する気にもなれまい?」

 止血を施す。ああ、あとで義手をつくってやろう。勢いあまってセクタムセンプラで斬ってしまったから、もう元の腕はつかないだろう。

『泣かなくていい』

 いつかしてくれたように、抱きしめた。

 父様はデルフィーニを娘として見ず、周りはデルフィーニを畏れ、ひたすらに媚びたというに。

 デルフィーニに遠慮なくものを言い、時たま非難してきた彼こそ、側にいると言った彼こそ、唯一無二の家族だ。

「ずっと一緒にいよう」

 腕に力を込める。囁けば、デルフィーニの背に腕が回された。

 吐息が耳にかかる。

「いいとも」

 この命くれてやる。

 そして――灼熱がデルフィーニを貫いた。デルフィーニの背から腹へ、ウィスタの腹も……背をも貫き通す。

 二人は縫い止められ、共に倒れた。

 なんで、とそれだけを思う。なんで。

 だが音の残骸がこぼれるだけ。痛みに悲鳴を上げることもできない。視界に紅が広がる。あふれる血と……向かい合った紅の眼と。

 ここは夢なのだと彼は言った。いずれ覚めるのだと。

 だが、そんなことは知らない。デルフィーニにとって、ここが幸福の園なのに。

 ひどい、とかろうじて言う。駄々をこねる子どものように。帰りたくないと泣く子のように。

 覚めたくない。帰りたくない。戻りたくない。ここは私の世界だ。ずっとずっと一緒にいるのだ。

 視界がゆらぐ。空が黄昏に染まる。終わりの色に。

 ずっと、側にいてくれると、言ってくれて。いいだろうと、頷いてくれた。

 ふう、と最期の吐息がこぼれる。

 ひどい人だ。もっと怒れればいいのに。憎めればいいのに。どんな形であれ、約束を守ってくれた……。

 滲んだ空を、鳥が横切る。どこか、ここではない場所を目指して。

 影が手を差し出す。デルフィーニは手を伸ばし、その手に触れる。

 送って差し上げようと囁かれ。

 

 ええ、と頷いた。

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