【完結】ヤヌスの柩   作:扇架

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前作で締めようと思ったら書きたいものが出てきた呪いの子ことヤヌス√編。


禁断の実は甘く

 これは途方もない裏切り。

 赦されることのない背信。

 理性が囁く。

 この先に進んでも、結末は悲惨なものになるだろうと。

 心が叫ぶ。

 正しい路を選んでも、報われなかったではないかと。

――いままでずっと

 善き者であろうとしてきた。そうするのが当然だと思ってきた。意識すらしていなかったのかもしれない。あまりにも当たり前のこと過ぎて。

「……どうかしたかね」

 館の、長い長い廊下。隣を行く男が囁く。白金の髪、薄い色の眼。声も振る舞いも落ち着いていて、まさしく貴族であった。黒い噂がいくつもあるが、巧みに逃げおおせ、表向きは盛んに寄付を――特に聖マンゴへ――する篤志家とされている。富と名誉を兼ね備えた魔法使い。彼に禁じられた実を差し出してきた蛇だ。

 いえ、と応える。ほんの少し、声が震えていたかもしれない。廊下の先に待つものを、彼は察していた。

 行き着いてしまえば戻ることはできない。過ぎたものを望んだばかりに追放された誰かのように。

「僕のような者まで集めようとするほど、人材に困っているのかと」

 これを挑発ととるかは人によるだろう。幸い、蛇は肩をすくめるだけだった。

「以前に大勢殺されたからな」

 リーン・リアイスに。

 蛇は、その名に賞賛すら込めていた。紛れもなく敵同士だったはずだ。蛇を見やれば「私は穢れた血が嫌いなだけだ」と返される。蛇には蛇の判断基準があるらしい。

「それに君は優秀だ」

 はいともいいえともつかない応えを返す。

――本当に優秀なら

 こんなことになっていないのではないか。

 もし、と考える。

 セドリックが優勝していれば、路は違っていたのではないか。

 

「……あんたを勝たせたくない誰かがいたんだろう」

 細く開けられた窓、吹き込む風は爽やかで、セドリックの気を少しだけ晴らしてくれた。そもそも、鬱屈している場合ではないのだ。セドリックは見舞いに来たのだから。マッドアイになりすました死喰い人に拉致され、傷だらけで帰ってきた友人を。

「どうだろうね」

 寝台の脇机に手みやげの林檎をいくつか置き、椅子に腰掛ける。友人――ウィスタは酷い有様だ。包帯とガーゼまみれ、どうも頬も腫らしていて、両の眼は昏い。およそ十四歳らしい溌剌さやら無邪気さやらは、ない。まるで一晩で大人の男になったかのよう。

「僕が勝てたとは限らない」

「……あんたはゴブレットに選ばれた。本来なら、選手は三人。あんたたちに与えられた機会は平等だった」

 だが、セドリックは敗北したのだ。淡い笑みを貼り付け、苦い思いを噛みしめる。なにもかもが巧くいかなかった。第一の課題では杖が吹き飛び、第二の課題では――。

 顔に熱が上る。失敗した泡頭呪文。なすすべもなく湖から上へと……そして……。

「偽マッドアイはあんたを危険視してたんだろう。だからあんな悪趣味な真似を」

 ウィスタが呟くように言う。しかめっ面なのは傷のせいだけではないだろう。なにかがおかしいとどこかで思っているのか、そうでないのか。それとも後ろめたいのか。

「終わったことだよ」

 本当は君がやったんじゃないのか、と聞きたくなる。ウィスタとハリーは友人だ。ウィスタはリアイスだから三校対抗試合には出られない。だけれど、ハリーを支援することはできる……。

 馬鹿な、と首を振る。そんなことをするウィスタではない。なにか理由があってセドリックを優勝させたくないのなら。

――決闘するはめになっていたかも

 ありえそうだ。ウィスタの妨害とは暴力である。その気になれば策を巡らせることもできるだろうが、第二の課題の時のような妨害など、それこそウィスタの性に合わないだろう。

 決闘なんて冗談ではない。いくら年下とはいえ彼はリアイスだ。正面切って戦いたいものか。

 小さな疑念の種を胸の内に仕舞う。くだらない、くだらない、と唱えながら。

「ほんとなら偽マッドアイをあんたらの前に引きずり出して思う存分殴る蹴るしてもらいたかったんだけど」

 さらりと怖いことを言う。本当に年下かこの少年。やっぱり暴力は正義の少年だ。教育の失敗かもしれない。いや、セドリックが育てたわけじゃあないが。

「――大臣の言ってたことはどれだけ……?」

 おそるおそる聞いてみる。あの夜――三校対抗試合が「終わった」夜、セドリックとフラーとクラムでこっそり病室へ行こうとしたのだ。どうにも消化不良だった。フラーは気づいたら失神していて、クラムも同じく。最後に出発したセドリックは失神こそしなかったが、優勝杯までたどり着けなかった。正直に言おう。あれは無理だ。アクロマンチュラの群への対処法なんて習ってない。セドリックは頑張ったと思う。優勝杯のことなんて吹っ飛んでいた。賞金どうこうより命が大事だった。生涯で一番走った夜だ……。

 どうやらハリーは病室に運び込まれたらしいと情報を掴み、突入しようとしたら大臣ご一行が来た。代表選手三人は目くらましと透明呪文を重ねがけし、フラーが盗聴呪文を使った。女神のように美しいのにやることは俗っぽかった。

「あんたなら怒り狂っているおっさんと、超冷静なダンブルドア、どっちを信じるよ」

 ずばり問われ眼を泳がせる。そりゃあダンブルドアを信じたいが。

「……復活したって?」

「俺がぼろ雑巾になってるのと、ハリーがどこぞへさらわれた説明がそれでつかないか?」

「………………優勝杯がポート・キーだったって?」

「あんたらが優勝してたらヤバかったよ」

 そんなことはと言いたい。だけれどもセドリックは優秀なほうだし、一応それで辻褄が合うことに気づいていた。

「夢だって言ってくれないか」

「あんたやフラーやクラムがどうにかされてるほうが悪夢だったよ」

 なあセド。悔しいだろうけど、あんたは実力で負けたわけじゃないんだ。

 肩をたたかれる。見舞いに来たはずなのに逆に慰められている。

「そうだね」

 命を拾ったんだと思っておくよ。

 そのときはそう思っていた。だけれども、いくらもしないうちにセドリックの中に黒いなにかがたまっていった……。

 

 扉が開く。我に返ったセドリックは、過去から現在に、扉の向こうへと意識を戻す。そこは客間のようだった。古びてはいるがよく手入れをされているであろう調度があり、壁にはタペストリーがある。マルフォイの家紋と系譜が挿されたそれが、暖炉の火を受けて輝いていた。

 暖炉の前には深緑色のソファがある。影が扉口を――セドリックを振り向く。赤い光がちかりと輝いた。

「来たか」

 優秀な若者。報われなかった者。

 声は柔らかい。セドリックは唇を噛みしめた。ああそうだとも。

――報われなかった

 妨害されたのだと訴えても無駄だった。結局優勝したのはハリーで、試合のやり直しなんてされなかった。

 そのハリーは今や嘘つきで、頭のおかしい少年扱い。セドリックは試合の結果に文句をつけている愚か者。風船男なんてあだ名をつけられ、陰で笑われているのだ。

『お前のせいじゃないさセド』

 父親の奇妙な表情。自慢にしていた息子。その息子が屈辱を与えられ……なにも思わないわけがない。慰めを口にしながら、自慢「だった」息子に失望を隠せないでいた。

 省内で、父は笑いものになっているのだという。だからセドリックのせいではないと言いながら、声に力がこもっていなかった。

 セドリックさえ、息子さえしてやられなかったら、とどこかで思っているのだろう。

――自慢の息子ではなくなったのだ

 闇の帝王が復活したんだと訴えても、取り合われなかった。セド、お前は試合のせいでおかしくなったんだ。あのハリー・ポッターを擁護するなんて。

 ハリー・ポッターのせいで優勝を逃したのに。

――報われたい

 このままじゃいられない。屈辱を与えられ、笑われて、そのままではいられない。

 セドリックは室に入る。手招かれ、その人の側へと寄った。片膝を突く。

 そっと、囁いた。

「僕でお役に立てるでしょうか」

 闇の帝王。

 影は唇を吊り上げる。

「ハッフルパフらしい謙虚さだな」

 血筋を鼻にかけた無能よりよほどいい。ワームテールのように卑屈でもない。

「謙虚なセドリック。お前は役に立つさ……」

 お前は俺様のウィスタの友人。あれの支えの一人だ。

――俺様の?

 妙な言い回しだ。生じた疑問を慌てて押し込める。いかに親しげに見えても、相手は闇の帝王だ。それがしていい問いなのかどうかもわからないのに、不用意に口を開けない。

「賢いセドリック」

 ふ、と帝王が笑う。

「騎士団員のセドリック。善き者であったのに奪われるばかりのセドリックよ」

 お前には俺様の孫の支えとなってもらう。

「腕を出せ」

 ここに印を授けよう。

 そして――時が来たそのとき、孫をこちら側に引きずり込むのだ。

 ◆

――いままで

 なにをしてきたんだろう。

 銀の仮面を外し、息を吐く。広がる湖面は空と山々を映し、どこまでも美しく思えた。

 きっとチョウを連れてきたら喜んだろうな。やくたいもないことを考えて、そんな己をあざ笑う。敗北者のセドリック・ディゴリーはチョウとの仲も巧くいかなくなった。あげくにハリー・ポッターに奪われる始末だった。あのときばかりは騎士団に入り込んだ癌であることも忘れ、ハリーに死の呪文を放とうかと思った。

――耐えた

 セドリックはハッフルパフ生だったから。目的のために我慢した。ハリーを殺すのはセドリックの仕事ではなかった……。

 足音が聞こえる。セドリックは湖面から眼を離し、振り向いた。すらりとした影がいる。夜闇の黒髪、白い肌。至高の青と、帝王の呪いの紅を身に宿して。

 リアイスの名高き魔法騎士、敗北者。帝王に逆らう者。

「僕は巧くやったと思うね」

 なあ、ウィスタ?

 問えば、彼は鼻を鳴らす。セドリックを追って追って、ついにここまで追いつめた狩人が唸った。

「俺も甘かったよ」

 どいつもこいつも疑ってかかるべきだったさ。

「君と友人でいたかったのは本当だよ」

 にっこりしてみせれば、ウィスタは歯を食いしばる。

「俺の養父を殺しておいてか。ネビルもあんたの仕業だったな……親父を助けたのは計算の内か?」

「どっちだっていいだろう」

 おしゃべりにつき合う。まるでホグワーツの廊下か校庭かでばったり会って、そのまま話し込むみたいに……ウィスタの実父、シリウス・ブラックを助けたのは咄嗟のことだったなんて言ってもしかたないだろう。今更の話だ。後でベラトリックスには詰られたが、言いくるめてどうにかしたものだ……。結果として、ウィスタの信頼を得られたし「闇の帝王の孫」だと明かされたし、ウィスタのセドリックへの依存度も高くなったしよかったのだあれで。

「終わったことだ」

 君たちは負けた。ハリー・ポッターは死んだ。僕は自分の仕事をしたんだよ。

「あんたな、知らぬふりして適当に生きてればよかったのに」

 なんで闇側に走るかね。不器用だな。

 好き放題に言ってくれる。だが、セドリックは怒るよりも笑ってしまった。その通りだった。

 焼けるような屈辱感も、ウィスタやハリーへのかすかな疑いもやり過ごせばよかったのだ。年月が解決してくれただろう。でも、できなかった。なかったことになんて。

「失礼だな。僕は優秀なのに」

 帝王は誉めてくださった。言えば、ウィスタは舌打ちする。

「あんた、服従の呪文かけられてぼろ雑巾のように使い倒されるのと」

 ここでやり合うのとどっちがいい?

 投げられた選択肢に眼を見開く。なんてことだ。セドリックが何をしたかわかっていて、慈悲をかけてくれるらしい。てっきり問答無用で殺されると思っていたのだが。

「君の父を助けたからか? あとね、君……服従の呪文なんて柄じゃあないだろう」

「ただの気まぐれだ……良心さえ捨てればなんでもできるさ」

 人間ってそんなもんだろうセドリック?

 問いに、くつくつと喉を鳴らした。まさしくそうだ。良心なんて捨ててしまえばなんだってできる。友人の養父を死に至らしめることも。穏やかな下級生を死なせることも。後悔はない。

――結局

 セドリックは善人であれなかった。易き路へ踏み込み、悪に染まったのだ。

 きっと運命の神様がいたら、舌を出しているだろう。お前なんてその程度なのだと。

「楽しいおしゃべりはこれくらいにしようじゃないか」

 杖を構える。

 そうだなとウィスタが返し、杖を構える。ああ、いつか思ったものだ。この男とは決闘したくないものだ、と。同時にどこかで思っていた。一度戦ってみたい、と。どちらが強いのか明らかにしたいと。ハッフルパフらしからぬ闘争心が囁いていた……。

 動き出したのは同時。杖がしなり、呪文が飛び、血が飛沫く。歩を踏み、姿くらましを駆使し、技が絡み合う。それはまるで死の舞踏のようで。

――踊っていたのだ

 ずっとずっと、踊らされていたのだ。利用されているとわかっていて、駒になると知っていて、差し出された実を手に取ったのはセドリック。だからこれは、当然の結末なのだ。土は土に、塵は塵に返るのみ。

 焼けるような痛みが胸にはしる。斬撃に切り裂かれ、セドリックはよろめいた。靴が泥を踏み、水が跳ねる。

 気がつけば、ウィスタが迫っていた。セドリックの胸に、深々と銀の輝きが埋め込まれる。冷たくて熱いなにかに貫かれる。

 かつての友人の頬は濡れていた。

――まだ哀れんでくれるのか

 こんなことになっても、情をかけてくれるのか。セドリックはどうしようもない裏切り者なのに。

「君に呪いをかけよう」

 かわいそうな君。黄金のグリフィン。

 息を吐く。熱いものがこぼれていく。命とともに。

「君は自分の一族を、」

 信じられなくなる。

「溝はけして埋まらない……」

「黙れ」

 剣が引き抜かれる。セドリックはたたらを踏む。ぱしゃんと、靴が水に沈む。

「一族は君を裏切るぞ」

 どん、と衝撃。セドリックは吹き飛ばされる。力を振り絞った。

「君は帝王の孫だから! 信じるな! リアイスは裏切るぞ!」

 湖面に叩きつけられる。澄んだ空が見える。くつくつと笑うその身を、水の(かいな)が引きずり込み、包んでいく。

 ゆうらりゆらりと揺れる視界に、白い花が咲いて――散った。

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