【完結】ヤヌスの柩   作:扇架

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ヤヌス√短編集Ragnarokの書き下ろしを再録。
少々修正しています。


Ragnarok

 昼下がりのダイアゴン横丁に、乗騎が二つ。片方は闇毛、片方は月毛の天馬だった。

「あまりに無防備では?」

 月毛に乗った男――白金の髪は年月を経て銀を帯び、顔には薄く皺が刻まれている。背を伸ばし、手綱を握る様は手慣れており、恵まれた育ちをうかがわせる。

「今さら」

 俺を襲おうと?

 闇毛に乗った男が鼻を鳴らす。黒衣を纏い、髪はそれに合わせたような深い黒。眼は燃えるような紅。天馬を危なげなく乗りこなしている。まるで彼こそが横丁の主だと言わんばかりに、悠々と天馬を進ませる。

「恨む者もおりましょう」

「否定はしないさ」

 ルシウス。く、と彼は笑う。

「恨まれたくないなんて思わないが」

 かつてよりは喧噪は小さい。しかし、ダイアゴン横丁には活気が戻っていた。あちらこちらに空き地が目立つ。たとえば悪戯専門店だとか、アイスクームパーラーだとか、菓子屋だとか。いわゆる「反乱分子」の持ち物で、彼が手を出すまでもなく空き地になっていた。所有者不明につき省が――実質的には闇の帝王が奪い取った。帝王は人のものを奪うのがお好きなのだ。

「視察」の一行に、人々は路を開ける。もの問いたげな眼を向けてくる者もいたが、すぐに眼を逸らす。視線が合えば呪われると思っているのか、そうでないのか。

 ゆっくりゆっくりと進む騎馬に、声をかける者がある。

「大君!」

 病院を建ててくださるとか。慈悲深き君! ありがとう存じます!

 ぱらぱらと声があがる。ありがたいことです。子を抱えてどうしようもなくなった私たちに救いの手を……。

 彼――黒の大君は片手をあげる。わ、と歓声が上がった。

「お前の仕込みか?」

 いくらなんでも出来過ぎている。巧みに時代の波を泳ぎ切り、闇の時代においても地位を維持している男に水を向ける。闇の帝王の下僕は肩をすくめた。

「大君の人徳なれば」

「見え透いているな」

「……帝王は福利に興味がありませんので」

「基本じゃないのか」

 これだから力でなんでもねじ伏せる「あの方」は。小さく吐息を落とす。出てくる抵抗勢力を叩き潰すことに集中し、政治は傀儡の省に丸投げときた。

――モノとしか見ていないから

 恐怖政治ですべてが巧くいくはずもない。あの方こと、闇の帝王の統治がいつまで続くか……。半世紀もしないうちに瓦解するだろう。わざわざ言ってやる必要もないが。

 リアイスを叩き潰してめでたしで終わるわけがなかったのだ。闇の印を刻まれて陣営に入りこんでみれば、そのやり方は穴だらけだった。反乱分子が滞在した、あるいは出身だった村やら街を焼いてはほったらかしであったし、ホグワーツの戦いからこっち、省も聖マンゴも学塾と言われるホグワーツの水準未満の者が通う学舎も、そもそもホグワーツも人手が足りなかった。これなら闇の帝王の時代なんて来ないほうがよかった、と言われるのも時間の問題だろう。

 偉大なる闇の帝王は、自分が一番大事で「家族」はそこそこ大事で、死喰い人は駒で、その他大勢は雑草くらいにしか思っていない。軽くみているわけだ。

「あの方にはたまに気晴らしをしてもらうくらいでいいさ」

 ほとんど丸投げである。どうやらリアイスが滅び、彼が手元に来て満足してしまったらしい。

 人々に恐れられ、認知されたかっただけなのだあの男は。あげくに娘の世話も投げて――。

 ふ、と視線をめぐらせる。なんてことのない景色。買い物をする人々。こちらに手を振ってくる者たち。至って平和だ――飛んできた緑の閃光を盾の呪文が打ち消す。片手を振れば、呪文の軌跡をたどり、輝きが宙をはしる。それは紐のようにも見えた。重みがかかる。引きずり寄せれば、大通りの脇、悲鳴を上げる群衆が割れる。石畳に頭を打ち付け、身体をすられ、男が一人招かれた。

 縛られ、身をよじり、顔を上げる。憎々しげに黒の大君を睨み上げる。

「ああ、残党か」

 隠れ潜み、惨めに生きていればよかったものを。

「裏切り者め」

 片眉を上げる。なんて陳腐な言葉。かつて当主を務めたリアイス、その残党は真実裏切られたと思っているのだろう。己たちがなにをしたのかも省みることなく。

「お前など生まれて来なけれ」

 ば、と言おうとしたその顔に、緑の閃光が突き刺さる。群衆から押し殺した悲鳴が上がる。

「リアイスなどもはや不要だ」

 群衆に語りかけ、笑んでみせる。

「お前たちの暮らしはたいして変わらないだろう?」

 それがどうだ。この愚か者は、と「黒の大君」は語る。語り、天馬を進ませる。闇色の脚が物言わぬ骸を蹴り、踏みつける。固く柔らかいなにかを踏む。じんわりと紅が広がる。

「これは秩序を乱す者。お前たちの暮らしを脅かすもの」

 戦いなどもうたくさんだろう? 安心して眠りたいだろう?

「リアイス――反乱分子を見つけ、通報すれば」

 懐から革袋を取り出し、放り投げた。弧を描くそれからこぼれるのは黄金の輝き。群衆がどよめき、跳ねる。

「褒美を与えよう」

 歓声が上がる。黒の大君万歳、と。

 隣を行く男――ルシウスが小さく笑う。

「あなたは我が君よりも」

 彼のグリンデルバルドを思わせる。かつてのリアイス、黒の大君は喉を震わせた。

「そうとも。俺は詐欺師だよ」

 だがルシウス、人を治めるというのは詐欺に似ているじゃないか。俺だって慈善でやってるわけじゃあない。どれだけやつらを満足させるか。搾取に気づかせないか。上に立つ者の醜悪さに気づかせないか。そんなものだよ。

 騎馬は進む。背後では、金貨を奪い合う声と、なにかが踏みつけにされる鈍い音が響いていた。

 ◆

「……休んだらどうだ?」

 卓に茶器が置かれ、顔を上げる。不機嫌そうな淡い色の眼。白金の髪は父親によく似ている。

「目処がつけばな」

「あと、洗浄呪文かなにかかけろ」

 血の臭いがする。

「後で」

 洗っても洗ってもきりがない。ダイアゴン横丁から帰ろうとすれば、またぞろ残党がわいてきた。きっちり首を刎ねて帰ってきた。かわいそうに、ルシウスは吐いていた。いい加減慣れればいいものを。

――洗ってもとれるまい

 鉄錆と煤の香が、鼻腔にこびりついている。口の中も似たようなものだ。マルフォイ邸の料理人の腕は確かなのだろうが、食事を提供される側がこんな有様だと知ればつくる甲斐もないだろう。やる気を削ぐわけにもいかないので毎度「美味かった」と言っている。

「寮の拡張と、入学名簿と……」

 指折り数えていく。ホグワーツの運営は校長のアンブリッジと副校長のスラグホーン、相談役のスネイプに任せてある。実質はスラグホーンとスネイプが仕切っているようなものだ。

 生徒が寝起きする場所が足りないときた。それはそうだ。ホグワーツにはスリザリン寮しかない。マグル生まれの入学を認めなかったとしても、それなりの数の生徒が入学してくる。一度、寮の大規模な拡張をする必要があった。

「三寮を割り当てたらどうだ」

「完全封鎖状態だ。こじ開けるくらいならスリザリンを拡張したほうがいい」

 勝手に向かいに座った魔法法執行部長官殿――ドラコ・マルフォイの疑わしげな眼ときたら。ほんとうは易々と封鎖を解除できるのでは、と暗に言っている。

 できるが? と言えば怒り始めそうだ。ドラコは黒の大君に対して気易い。昔々、同窓だった時の記憶が抜けきらないのだろう。

「アンブリッジがまだ文句を言っているが」

「校長室も同じく……あいつの首を刎ねたらみんな喜びそうだな」

「やめろ。あれが派手に動いているお陰で、運営がどうにかなっているんだろうが」

 時たま反抗しようとする生徒に仕置きをしているのがアンブリッジだ。純血の血を流すなよと釘を刺している。

「学舎のほうは?」

 投げた問いに、ドラコは小さくため息を吐いた。

「生徒が多い。穢れた血まで受け入れる必要が」

「最高の教育は純血が受ければいい。しかし……」

 言葉を切る。

「オブスキュラスがな……」

 純血主義者は不満顔だが、これは仕方ないと割り切るしかないのだ。マグルから生まれようが魔法の力を持っているのは確か。これを放置すれば害となる。いちいち拾い集めて国外追放にするわけにもいかないし、いくら闇の世とはいえ、これまたいちいち始末して回るわけにもいかない。

「まとめて「教育」したほうが安上がりだよ」

 闇の帝王は魔法界の浄化を謳っているが、これは不可能に近い。それこそマグルを全員始末しない限り無理というもの。その気になれば都市のひとつや二つを制圧できるだろうが――魔法族は少ない。数の理屈で負けるだろう。英国すべてのマグルを支配、あるいは殺し尽くすのは戯れ言だ。

「純血が頂点に混ざり者はその下に」

 穢れた血は家畜。それでいいだろドラコ? おや不満か?

「おまえらは、社会が純血だけで動くと思っているのか」

 だからいままで覇権をとれなかったんだよ。

「美しき階級社会か」

「それが望みだろう」

 俺たちみんなの。ついつい口端がつり上がる。養父が今の彼を見れば嘆いたろう。あの人は弱き者のために戦ったから。

――赦されなくてもいい

 死人はなにも言わない。人狼への支援は続けているし勘弁してもらおうではないか。

「……お前」

 今も昔も働きっぱなしだな。苦笑混じりに言われ、ウィスタは眼を瞑った。

「美姫を侍らせて遊んでいろと? イヤだねそんなバカ殿になるのは」

 妻を殺され、一族への復讐を果たした。黒の大君と呼ばれ、英国魔法界を実質的に支配しつつある。すべては目的のため。目的を果たした後のため。

――後なんてどうでもいいのだが

 復讐さえ遂げれば、と思っていた。あとは知ったことかと。だが。

「ああそうだ」

 デルフィーが探していたぞ。

「お前は使いぱしりか」

「名誉なことだ。なにせ相手は闇の帝王のご息女だ」

「近づいて、妻にしようとでも? 幼妻か……」

 変態めとつぶやけば、ドラコが頬をひきつらせた。

「僕には妻子がいるんだが」

「お前みたいな愛妻家は珍しいよ」

 権力のためならなんでも売るやつもいるんだから。

 俺のように、と言いかけて止めた。積み上げた屍。流された血。帝王の側に侍り、右腕とも呼ばれている。

 堕ちたものだ。

 だが、それは選んだことだ。光に背を向けた。善を足蹴にした。そもそも善など流動的なものだ。滅んだリアイスにとってスリザリンの――闇の帝王の血統は悪しきものだった。存在を赦されなかった。

 傲慢なグリフィンどもは滅ぶべきだったのだ。

「あの方に気取られるなよ」

 妻子のことを、と囁いて立ち上がった。

 

――誰が幸せなのだろう

 レストレンジ邸、勝手知ったる廊下を行く。

 勝利をおさめた闇の陣営でさえ、幸せそうには見えない。闇の帝王の機嫌を窺い、処罰されないように立ち回っている。ドラコだってそうだ。愛する者に冷たく振る舞わなければならない。帝王は誰かの大切なものを奪うのが好きだから。誰かの尊厳を踏みつけて、魂を壊すのが生き甲斐なのだ。

「ろくでもないことだ」

 そんなろくでなしに仕えている俺も、人のことは言えないか。

 デルフィーのことは気にかかるが、真っ先に行くべきは親愛なる帝王のところだ。そうしないと不機嫌になる。なんでも自分が優先されなければ我慢がならない性質は、跳ね返った死の呪文を受けようが、霊未満の存在になろうが、復活しようが変わらないらしい。もしかして、死らしきものを味わってからひどくなっているのかもしれない。

 足早に奥の間へ向かえば、水晶の置物が飛んできた。避ければなぜ避けたと言われる。瞬時に判断し、扉口で微動だにしなかった。固い音とともに額に痛みがはしる。生ぬるいものが顔を伝った。

「間抜けめ」

 そして小汚い。ソファに腰掛け、帝王は顔をしかめる。絨毯にはぱらぱらと花が散っていた。

「身なりも整えず失礼を」

 片膝を突く。ぽたり、と紅が垂れた。

「あの娘も愚鈍だ」

 花を踏みにじり、帝王がやってくる。黒の大君は顔を伏せた。肩に重みがかかる。帝王の、不気味なまでに白い手。鉤のように食い込み――痛みが弾ける。

 闇の印が燃えている。僕に懲罰を与えているのだ……。

「これはしつけだ」

 なあ我が孫。家族よ……我が血肉から生まれた者。俺様がいなければ、お前はこの世に生まれなかったのだ。

「愛しているぞ? だからこそ」

 お前がまっとうになるように痛みを与えているのだ。

 鳥肌が立つ。こいつの愛はゆがんでいる。ただの支配だ。痛みを与え……時に……人の道にもとる畜生め。

 視界が揺れる。靴と、その向こうには花が見えて。

「申し訳ございません」

「償いがほしいものだ」

 かしこまりまして。

 囁く。今度は腕を掴まれる。引きずるようにして立たされる。

――異常だ

 この男は異常だ。どこでなにを間違えたのか。生まれながらに怪物だったのか。

 人を踏みにじる。魂を壊し、痛みをすする。

 目眩がする。抵抗はできるだろう。黒の大君は無力ではない。しかし、それでは駄目だ。

――デルフィーを

 惨い目にあわせるわけにはいかない。誇り高い魔女、黄金のグリフィンですらこの男は……壊して……。

 引きずられる。犬のように。血が垂れて、筋を描く。誰かが流した涙のように。

 奥の間、突き当たりの扉が開き――閉まった。

 

 

 

 熱が籠もったような身体を引きずるようにして、庭園へと降りた。レストレンジの邸は広い。どこぞの滅んだ一族の城よりは手狭だが、今の黒の大君にとって、庭園は砂漠のように広く果てがないように思われた。

――誰も

 かまわないのか。闇の帝王の息女だと言いながら、陽が暮れつつあるというのに探しもしない。

 堕ちて踏みにじられた道化、帝王の玩具、右腕の黒の大君くらいしか……。

 息を切らせ、ようやっとのことで小さな娘を見つけた。白銀の小さな頭が見える。茂みの間に隠れるようにして膝を抱えていた。片手には花束がある。

――かわいそうに

 自然と浮かんできた感情に瞬く。相手は憎むべき帝王の娘だというのに。いずれ彼はこの娘を手に掛けるだろうに。情を抱いてなんになる?

 思えば、初めて会ったときもついつい流された。側にいてほしいと言われ、なぜ頷いたのか。寂しい子どもの言うことだ。濁して流してしまってもよかったのに。

「こんなところにいたのか」

 呼びかければ寂しい娘が顔を上げる。小さく彼の名を呼んだ。

 父様は私のことが嫌いなんだわ。花を持って行ったら……。ウィスタにもあげようとしたけれど、しおれちゃったの。

 たくさん抱えていたのだろう。「父様」に振り払われて、ここに逃げ込んで、抱えきれなくて、ぱらぱらと落ちてしまっている。

 彼は膝を突き、落ちた花を拾った。素朴な花たちだった。一生懸命摘んだのだろう。手を泥だらけにしながら。小さな切り傷をこさえながら。

 そっと小さく柔らかな――誰の血にも汚れていない手をとり、花を抜き取る。拾い集めた分と合わせ、魔法でリボンをかけた。

「俺はうれしいよ」

 ありがとう。

 そう言えば、小さな娘は涙を拭い、はにかんだように笑った。

――いずれ

 こんなことは無意味だ。慰めてどうなる。

 きっと彼はこの娘を始末するだろうに。

 情など抱いてはいけないとわかっていても、手を差し出してしまう愚かさよ。

 同時に思う。

 構うまい。いずれ終わりの時が来るのだから。

「行こう」

 差し出した手に、娘の手がそっと重ねられた。

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