【完結】ヤヌスの柩   作:扇架

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八話

 ランパント城の一室に、香気が漂う。基調色は紅と金、柱には本家――ランパント・リアイス家の紋章『剣に蔓薔薇』とグリフィンドール系名門にはお馴染みの『獅子紋』で飾られている。

 ウィスタは大部屋の上座から、居並ぶ魔法使いと魔女たちを眺めた。筆頭分家当主から第七分家当主まで揃っている。

――珍しいな

 常ならば、一人か二人は名代が出席するものだ。一族内の誰かが消息不明になったり、殺害された時などは当主が揃い踏みすることもあるが。基本的にウィスタも分家当主達も多忙で、名代を寄越すこともままあった。

 湯気を立て、香りを広げる紅茶の茶器を手に取り、一口すする。さてはて、たまたまなのか――自ら参じる必要があると判断したのか……。後者であろうと内心で呟きながら茶器を置く。

「おのおの忙しいだろう。だから、手早く済ませよう……先日、俺の娘がスリザリンに組分けされたことは皆知っているだろう。多少は騒ぎになったようだな。さて、俺は娘を追放する気はない。娘は未だに俺の庇護下にあるものだと心得て欲しい」

 分家当主達の顔を見回す。ランパントの警告に一人二人はほんのわずかに不満げにしていた。しかし、他は落ち着いている。

「――よいでしょう」

 静かに口を開いたのは、第六分家当主・ネメシスだった。彼女は菫色の眼でウィスタを見つめ、続ける。

「たとえスリザリンに組分けされたからといって、黄金のグリフィンの血統は陰らない……あなたはそうお考えなのでしょう、ランパント」

「代弁をどうもありがとう、クーラント。そもそも、俺の血管には二つの血が流れている。黄金のグリフィンの血と、双狼の血だ……だから、娘がスリザリンになってもおかしくなかった」

「お嬢さんはここで生まれ育ってきた。今更どこに組分けされても問題ないでしょうよ」

 口を挟んだのは、第二分家当主・ナイアードだ。ひょいひょいと菓子を摘んでいる。かなりがっついているので菓子ではなくサンドイッチにしたほうがよかっただろうか――とウィスタはいささか悩んだ。だが、次の瞬間には、ウィスタと分家当主たちの前にサンドイッチがずらりと並ぶ。従者の仕業だろう。絶妙な時に出してくれた。これだから彼女を手放せないのだ。

「第六分家は、この件に対して疑義を差し挟まない。先代に感謝することね――ランパント」

「だからといって、優秀な闇祓いにと期待されるのは困るぞ、クーラント」

 返せば、ネメシスは鼻で笑った。

「幼い魔女に、そこまで期待しないわ」

 ◆

 諸々の案件について話し、夜も深い頃に分家当主たちは帰って行った。 ウィスタは足を引きずるようにして寝室に入る。従者には休めと言ってあり、誰も側にいない――はずだった。

「ご息女がスリザリンに組分けされて好都合……そう思っておられますか」

 指を鳴らす。魔法灯が寝室を照らし、ゴールデン・オレンジの双眸を浮かび上がらせた。

 ウィスタはため息を吐く。この魔法使いには入室許可を出してはいるが。

「明日にしろよ。俺は眠いんだだるいんだ疲れてるんだ」

「私は眼が冴えて寝れないので、話し相手になってくださいよ坊ちゃん」

「人の話を聞けよ……」

 上着を脱ぎ捨て、放り投げる。イルシオンは危なげなく掴み取り、きちんとハンガーにかける。

「この狩人を小間使いにするなんて」

「俺を暇つぶしの道具にするなんて」

 吐き捨て、イルシオンを軽く睨む。食えない若作り野郎はにやにやしているばかりだ。

 煙草に手が伸びそうになるがこらえた。煙の代わりに言葉を吐き出す。

「一族の中で、他の寮に組分けされるのも悪くないだろう。イリスがどう思ってるかは……知らないが」

 それなりにお転婆な娘だ。リアイスらしいというべきか、ブラックらしいというべきか。多少は自分や妻の性質を引き継いだ……といえばいいのか。

「先代みたく、グリフィンドール以外の交友関係を持つのは悪くないだろうよ」

「娘の組分けすらも、そういう理屈をつけないといけないお立場とは。いやあ本当にお気の毒ですランパント」

「減らず口のてめえの首、なんで先代や先々代がカッ飛ばさなかったのか疑問だよ俺は」

 舌打ちとともに言えば、イルシオンは慇懃に一礼した。

「殺すには惜しい人材でしょう――ああ、ランパント。お気になさっていた件ですが、養子から養子へとたらい回しだったようでしてね。最終的にディゴリーに流れ着いています」

 デルフィーニ・ディゴリーは、とイルシオンが写真を差し出す。

「入手できたのはこれ一枚で……」

 家族写真のようだ。両親――義両親と、真ん中にデルフィーニらしき娘がいる。年の頃は五歳か六歳か。黒髪に、眸は淡い紫。顔立ちは平凡だ。

 妻が仕入れた噂によれば、ディゴリーの姪は美人らしいのだが。成長すれば美人になるのか、それとも噂はあくまで噂なのか。

「養子に出され続けた子……か」

 従者にも、イルシオンにも念のため調べるように言ってはいる。だが、他の案件の合間でよいくらいの優先順位だ。

「引き続き頼む」

 それだけ言って、イルシオンを追い出した。

 

 

 イリスが入学してから一週間ほど、レグルスはローズを穏和しくさせることに専念していた。いつも騒がしくきゃんきゃん喚き、自分の意見が正しいと思っているどうしようもない高飛車女は、イリスがスリザリンに組分けされたことを何かの間違いだと思っているらしい。ありえないわ、なにかの間違いよとことあるごとに口にするので、レグルスは黙らせるのに苦労した。

「めんどくさいやつ」

 魔法薬学の授業は『生ける屍の水薬』についての講義だった。魔法薬学は調合ばかりと思われがちだが、座学もある。一年生の時は簡単だったが、三年生ともなると講義の内容も複雑になっていく。もっとも『生ける屍の水薬』を実際に調合できるわけもない。一流の魔法薬学士――たとえばホグワーツの教師や、レグルスの父のような者でないといけない。

 それでも座学をするのは、二年後にある普通魔法試験(通称ふくろう)のためだろう。

 講義の内容を書き留めながら――とはいっても、父の蔵書を読みあさっていたので、この薬についても知っていたが――ぶつぶつと独りごちる。ローズにはうんざりだ。アルバスがスリザリンに組分けされた時も悪夢だったが。組分けされたものは仕方ないじゃないか。イリスに関しては「他人のてめえが大騒ぎすんな」とぴしりと言えば黙った。ローズの母親が魔法大臣だろうが、レグルスは頓着しない。肩書きだけでは何の意味もないのだと、父を見てきて知っている。

 暖かい日で、チョークが黒板をこする音や教師の声が眠気を誘う。リアイスで育って厄介なのが、入学前にそれなりの教育を受けるので――というか、本が腐るほどあるので勝手に読んでしまう――授業が退屈なことだ……。

 うとうとしていると、スコーピウスを眼の端に捉えた。アルバスと話しこんでいるようだ。なんとなしに耳を澄ませてみれば「ホグズミード」「許可証」という単語が聞こえてきた。

――ああそういえば

 アルバスはホグズミード行きの許可証がないのだった……。新学期の朝に、キングズクロス駅のホームで燃やしてしまっていた。ハリー小父は酷く落胆していたし、目撃してしまったレグルスにしてもアルバスの癇癪がどうにも尋常ではないように思えた。誰がどう見たって父と子の仲がいいようには見えないが。仲が悪いというより――と考えて、レグルスは首を振る。自分の領分じゃないのだ。

 ともかく、許可証がなければアルバスはホグズミードに行けず城に留まるだけだ。なんとかならないだろうか。ポッター家の子たちの後見はレグルスの父が務めている。つまりはなにかあったときの庇護者だ。もちろん許可証に署名する権利もあるはずだった。問題は、父が簡単に署名するとは思えないことだ。「自分で燃やしたんだから自己責任だ。子どもでもな」と言い放つだろう。

 二人を眺めながら、思いついた。困った時の兄頼み。なにか『抜け道』がないか訊いてみよう。

 ◆

「非合法的にホグズミードに行きたいと」

 夜遅く、兄セイリオスに割り当てられた部屋――個室だ――に行ってみれば、セイリオスは鷲羽根ペンをくるりと回転させながら、レグルスに問いかけてきた。

「俺は許可証あるからいいんだけどさ」

 色々なことを省いてそれだけを言えば、セイリオスは唇をひん曲げた。

「あいつは自分で燃やしたんだぞ? せっかくの許可証を。お前がどうこうする問題でもないだろう……だけど、確かに……ホグズミードに行けないのはな……」

 セイリオスはため息を吐く。

「隻眼の魔女の像の瘤」

「ん?」

 レグルスが首を傾げても、セイリオスは黙っていろとばかりに手を振った。

「呪文は降下せよ――だ。父上があれこれと罠を張っているから気をつけろ。引っかかればホグワーツに強制送還だからな」

 さすが今はお堅くしているが、昔はやらかしていた兄だ。何か知っているだろうと突撃してみて正解だった。

「ありがとう」

「これでホグズミードに行けなかったら、アルバスに忘却呪文をかけてやるから覚悟しろ」

 厳しい言葉に、レグルスは敬礼を返した。

 

 

 気づけば十二月が近づいていて、ウィスタは机に山となった書類を、絶望に満ちた眼で見つめた。巨人やトロールをはじめとした闇の生き物があちこちで動いているとか、分家の者どうしの小競り合いだとか、脱狼薬の偽物が出回っているとかそんな報告がわんさかとある。

「ふざけた真似を」

 『脱狼薬の模倣品について』てと題がふられた文書を握りつぶす。とにもかくにも癇に障る。安い偽物など迷惑なだけだ。現に被害も出ている。狼の姿に固定されたまま戻れない、失明、手足の痺れ……。

 苛立ったまま文書を作成し《ランパント》の印を押捺して、第七分家当主へ送る。絶対に作っている連中を見つけ出し、後悔させてやる。捕まえて裁判に引きずり出せばリアイスが確実に勝つ。賠償で身ぐるみ剥がして被害者への補填にする算段をつけなければならない。第七分家と連携し、どう駒を動かすか考えていると、従者が入室してきた。片手に持った手紙を恭しく差し出してくる。差出人はハリーだ。無造作に開封し、中をあらためる。つ、と従者を見やった。

「エリュテイア、今晩酒の用意をしておいてくれ」

「承知しました」

 ◆

 ハリーがやってきたのは夜も遅い時間のことだ。くたびれきった様子の親友を客間に案内し、グラスに酒を注いだ。壁掛け時計の立てるカチカチ、という音が客間を埋めた。

 ウィスタはハリーを眺めつつ酒を呑んだ。皺や白髪が増えたなと思う。ということは、ウィスタもそうなのだろうか。リアイスの血統は若作りだと揶揄されるとはいえ、段々と年は食う。

「……呑めよ。なんなら泊まっていってもいいぞ」

 グラスにすっと手が伸ばされる。ぐいっと酒が干されていった。

「悪いね。急に……仕事の話じゃないんだ」

 ただ話したくなった、とハリーは口にする。構わんとウィスタは笑った。仕事の話でなければいけない決まりなんてない。

 しばらくとりとめもない話をした。どうしても子どもの話になるのが昔との違いだろうか。まだ子どもがおらず、結婚もしていなかった頃はお互いに「どうプロポーズしよう」と頭を悩ませていた。ロンも一緒で、三人で酒を飲みながらああだこうだと意見を出し合ったものだ。さて結婚問題が片づいて、子どもが生まれたら生まれたで「名前をどうしよう」「君、後見お願いできる?」と膝を突き合わせて相談したものだ。ちなみにウィスタは「ジェームズはいいとしてシリウスはどうなんだ」と苦言を呈したが「二人揃ってた方がいいだろ」という意味不明な反論を受けて折れた。ポッター夫妻がそれでいいなら俺はいいさ……と匙を投げたのだ。案の定、ジェームズ・シリウス・ポッターは問題を起こしまくったが。

――今のハリーは

 ちっとも幸せそうじゃなさそうだ。昔は――ほんの数年前までは、楽しそうに話していたのだ。

「……アルバスから、手紙は?」

 ハリーは、ゆっくりとグラスを置く。

「全然。リリーはマメに手紙をくれるけどね。それに、僕とアルバスは……」

 巧くいっていない、とハリーの言葉を引き取った。そうともとハリーが頷く。明るい緑の眼に疲労が色濃く淀んでいた。

「誕生日のプレゼントは気に入らない、許可証は燃やす……僕はどうしたらいいんだ」

「反抗期の坊ちゃんだからな……しかも親父は英雄。兄貴は人気者だ」

 煙草を取り出して火をつける。ゆっくりと吸い、吐き出した。ゆらめく紫煙を眺めながら続けた。

「たぶん、アルバスがグリフィンドールに入ろうがスリザリンに入ろうが、状況は変わらなかったろう。頑固なとこはお前によく似てる……」

 ただなあ、と呟く。

「アルバスはいい資質を持っている。少なくとも英雄の息子であることを鼻にかけたりしない。スリザリンの名門の子とも友達になれる……そんな資質がある」

「問題は、僕と自分を比べて卑下することだ」

 ウィスタも苦笑するしかなかった。

「適度な冒険でも経て自信をつければあるいは……」

 言葉にして、それはないと首を振る。不穏な影はあちらこちらにあるが、ウィスタもハリーも子ども達を守るつもりだった。断固として。それに適度な冒険なんてものは存在しない。軽い気持ちで冒険に出たら思わぬ危険にさらされるなんてざらなのだ。

 鈴の音がして、従者が入室してくる。片腕に森フクロウを留まらせたまま。ホグワーツのフクロウだった。

「イリス様からお手紙です」

「ありがとう」

 差し出された手紙を受け取り、開く。酒を片手に娘の字を追った。やがて、ある一文に眼が留まる。

『実は何日か前、父様を……父様だと思う人を……見かけました。眼の色が父様のものでした。隻眼の魔女の像に呪文を唱えていて驚いたの。でも父様、ホグワーツに子どもの姿でいらっしゃってないわよね? 他にも不思議なことがあって――』

 私とそっくりな人を見かけたの、と書いてあったものだから、ウィスタは天を仰いだ。思ったより発現が早い。いいや、赤子の時にあらぬ方向を見ていたし、そういう時はウィスタも同じものを『視た』ものだ。

 そのことは誰にも言わないように。知られればとても危険だ。手紙はすぐに燃やしなさい。詳しいことはクリスマスに話そうと返事を書き、酷い疲れに耐えかねて眼を瞑った。

 

 

 霙混じりの風が、ウィスタの頬を叩く。踵を鳴らし、遙か前方まで延びていく、紅の床面を進んでいった。床――ではない、ホグワーツ特急の屋根の上、本来なら立ち入ることのない場所だ。

 なるべくゆっくりと煙草を取り出し、火をつける。だが半分を吸わないうちに吐き出した。酷く不味い。

「オッタリン・ギャンボルの期待を裏切ってしまった……! おお、おお……!」

 呻く車内販売魔女を一瞥し、振り向いた。後ろにいるのはセイリオスとジェームズ、わくわくした顔をしているイリスと、沈黙を守っている従者だ。

「さあてセイリオス、ジェームズ」

 呼びかけた瞬間、二人の魔法使いはぴしりと姿勢を正す。ウィスタは意識して呼吸を遅くした。ここで怒りを放出してもどうにもならない……。

「緊急事態だ。お前達も捜索に協力してもらおう。セイリオス、本家の手勢とリエーフの手勢の一部指揮権を預ける。ジェームズはアルバスが行きそうな場所を書き出してくれ」

 はい、と言って二人は車内へ戻っていく。ウィスタはイリスを手招き、呻いた。

「あんの……バカ息子が!」

 ◆

――時は遡る

「……つまり」

 冬季休暇を迎え、生徒でいっぱいなホグワーツ特急のコンパートメントの一つで、レグルスは眼を見開いた。

「お前達は特急を降りたいって?」

「そう」

 頷いたのはアルバスだ。緑の眼を煌めかせている。こいつやっぱりグリフィンドールなんじゃないかと思うくらいの無謀さにレグルスは首を振った。一緒のコンパートメントになった運命をレグルスは呪った。なんだかとっても不吉な予感がする。そしてレグルスの予感はたいてい当たるのだ。悲しいことに。

「なんだお前、ハニーデュークスで買い忘れでもしてきたのかよ? あんだけ買っといて」

 レグルスが『抜け道』を教え、アルバスとスコーピウスと一緒に冒険したのはつい先日のことだ。ありとあらゆる罠に心が折れかけたとだけ言っておこう。ボロボロになったスコーピウスは「君のお父さんクレイジーだね」と本音を漏らしていた。その後元気にハニーデュークスで買い物をし、満足したはずだった……のだが。

 レグルスの茶化しに、アルバスはにこりともしなかった。ポケットをがさごそして、手紙を差し出してきた。差出人はデルフィーニ・ディゴリー。アルバス・ポッター様へと書いてある。レグルスはそっと手紙を開いた。

『もし過ちを正したいならいらっしゃい』

 それだけが書かれていた。ディゴリーといえばあのディゴリー家の関係者だろうか? それとアルバスが何の関係があるんだろう?

「アルバス、デルフィーニを……振ったとか? なんだお前たらしか」

「君ね……どうやったらそんな発想になるんだいレグルス」

「俺が思いつく過ちってそういう……いや、そもそもデルフィーニって何者だよ?」

「エイモス・ディゴリーの姪」

 ふん、とだけ返した。それと『過ち』がどうにも繋がらない。首を傾げるレグルスに、スコーピウスが言った。

「アルバスの家にエイモスさんが来たことがあったらしい。息子を取り戻したいと」

 まじまじとスコーピウスを見つめ、指を鳴らした。

「逆転時計をハリー小父さんが持っているって? そりゃないぜ」

「必死だったよエイモスさん。息子は死ぬ必要なんてなかったのにって」

「だから『過ち』か」

 レグルスは迷った。デルフィーニとやらは『過ち』を正す手段を持っているということだろうか? まさか逆転時計を? けれどあの魔法具は存在しないはずだ……。しかも、なぜアルバスを呼ぶのか分からない。

――怪しい匂いがぷんぷんする

 探ってみなければ始まらないと内心で頷いた。そしてトランクを開く。探し出したのは箒だ。嵐系の箒の最新型だ。

「……特急から飛び降りるしかねえな」

 やっぱりクレイジーだねレグルスと声を揃えて言われ「うるせえ」と返す。車窓を開け、屋根へとよじ登った。風が轟と吹き荒れる中、なんとか立ち上がる。下手をすれば倒れてしまいそうだ。

 ちらと振り返れば、アルバスとスコーピウスも追いついてきた。二人してひぃひぃ言っている。レグルスだって叫びたいしもう帰りたい。

「箒よーし……で、行き先は?」

「聖オズワルド魔法老人ホーム」

 アルバスが歯をがちがち鳴らしながら答えた。いつもくしゃくしゃな髪が、ますますくしゃくしゃだ。

「それじゃ決まりだ。とっとと――」

 行こうぜと言いかけて、レグルスは眼を見張った。前方に――数十歩先に影がある。吹き飛ばされそうな風が吹いているのに、ゆらりともしない。まっすぐに向かってくる。

「カボチャパイはいかが?」

 なんで車内販売魔女が、とアルバスが呟く。レグルスは立ちすくみ、魔女を見つめた。

――ヤバい気がする

「さあさよい子は――」

 お帰りなさい、と魔女が笑い――黒い塊となって、飛びかかってきた。

 

 

 ホグワーツ特急の屋根の上で、ウィスタは娘を見下ろした。夜を切り取ったかのような黒髪、燃えるような色彩の眸がウィスタを真っ直ぐ見上げてくる。

「イリス」

 小さく名を呼んで、娘の手を握る。ひやりとして華奢な手に、娘がまだ幼く庇護される側の存在なのだと思い知る。だが……とため息を吐く。ウィスタから娘に受け継がれた異能が、ただの魔女であることを娘に許さないだろう。

「お前が……」

 どう言ったものか迷う。本当ならばこんなところではなくて、ランパント城でじっくりと言って聞かせるつもりだったというのに。

「俺の姿を見たと言ったな? 子どもの時の姿を……隻眼の魔女の像のところで」

 こっくりと娘が頷く。鮮やかな虹彩を見つめ、ウィスタは言葉を継いだ。

「あれは実際に起こったことだ。お前には過去を視る力がある」

 言葉の尾が消えて一拍、二拍、三拍。切れ長の眼が、ウィスタをまじまじと見つめ、小さな頭が傾ぐ。

「過去を? 私が? でも……そんな人ほかに」

「俺がそうだ」

 娘が眼を丸くする。過去視の力については、子ども達に話していなかった。あれこれとややこしい。

――あとは蛇語か

 これもややこしいのだ。誰が力を継いでいるのか継いでいないのかも分からない状況であるし、持ち出すことはないだろうとそのままにしている。

「リアイスはあらゆる血の一滴を受けた大河だ。この血は歴史そのものだ。どんな力を受けていたとしても不思議はない」

 そっと娘を抱き上げる。

「……さあ、課外授業の時間だイリス。時間を遡る旅をするぞ」

「……死、死ぬかと……」

「うっ、うっ、なんなのあれ……」

 両隣から響く震え声に、レグルスは頷いた。制服はボロボロ、髪はぐしゃぐしゃ、顔には擦り傷、靴はどろどろという格好で、箒に長時間乗って凍えてもいた。方位呪文やほかの呪文、便利な道具を使って聖オズワルド魔法老人ホームの場所に当たりをつけて降りたはいいが、三人ともへとへとだった。聖オズワルドがあと五分そこらの距離にあるらしいので、三人は励まし合いながら歩いていた。

「まさかあんな防衛機能があるなんて誰が思うよ」

 レグルスは嘆いた。あの車内販売魔女はとにかく恐ろしく、レグルスは一も二もなく逃げに徹することに決めた。どうやって初撃をかわしたのか覚えていない。無我夢中で逃げて、杖を振って隙を見つけて箒に飛び乗り振り切ったのだ。そうだ、確かホグワーツには色々な防衛がどうの……と言われた気がする。父だったか兄だったか曖昧だが。

――親父あんたの仕業か

 なんて恐ろしいものを用意しているのか。始末が悪い。さてはてその親父殿は、そろそろ事態に気付いているかもしれない。運が良ければキングズクロスに着いた時に発覚するだろうし、悪ければもう報せがいって父か父の手の者が動いているはずだ……。

 考え込みながら歩いているうちに、白い建物と『聖オズワルド魔法老人ホーム』と書かれた看板が見えてきた。レグルス達は歓声を上げて残りの距離を走った。

 ◆

「よく来てくれたわね」

 黒髪に淡い紫色の眼の魔女が、レグルス達を出迎えた。年寄りたちが好き勝手に魔法を使って混沌としている中、魔女の周りだけが紗で隔てられているかのように静かに思える。

 転がり込んできた三人を、魔女をじっくりと眺め苦笑する。

「変装を解いたらどうかしら?」

 言われて思い出す。レグルス達はそれぞれの父親によく似ているので、何かと目立つ。だから適当に髪や眼の色を変えていたのだ。ちなみに変身術はレグルスが全部かけたのだ。

「そうするよ……えーと……」

 言葉に詰まる。デルフィーニ・ディゴリーは微笑んだ。笑っているのに笑っていない顔だ、とレグルスは直感する。警戒心が頭をもたげたが、レグルスは照れたように顔を背ける――ふりをした。

「デルフィーでいいわ」

 眸が向けられる。束の間紫が鮮やかに輝いたような気がした。そうして名乗っていないことに気がつく。

「レグルス。レグルス・リアイスです。こいつらのダチ」

「リアイス? ということは――」

 肩をすくめる。やれやれリアイスの名はどこへ行ってもついてくるのだ。

「ウィスタ・リアイスの息子」

 まあ、とデルフィーニが声を上げる。好奇心と他の何かが眸に過ぎった気がして、レグルスは息を詰めた。そんなレグルスとは対照的に、アルバスは朗らかでスコーピウスは落ち着いているようだった。

――とりあえず

 何がどう動くのか見てみようと腹を括る。先導されて着いた部屋――エイモス・ディゴリーの個室で、デルフィーニが囁いた。

「来てくれてありがとう、アルバス……私は過ちを正したい。従兄を助けたいの。協力してくれるわね?」

「もちろん」

「逆転時計を――」

 スコーピウスが口を挟み、デルフィーニはすらりとした指をポケットに入れた。

「もちろん、持っているわ」

 黄金の輝きが、レグルスの眼を射た。

 

 

 過去視を終えたウィスタは、長く息を吐いて屋根の上に座り込んだ。娘も隣に腰を下ろす。

「疲れたか」

「うん……とっても」

「お前は初めてだからな。慣れれば楽になる」

 口にして、楽になるほど過去を覗かせるべきか迷う。ただ、過去視の力は諸刃の刃だ。使い方を誤れば死ぬこともある。娘の頭をぽんぽんと叩いて、ウィスタは立ち上がる。

「聖オズワルド……エイモスさんのところか――」

 場所は特定した。一二時間ほど出遅れたが、まだ取り返せるだろうか。バカ息子とバカ息子みたいな子たちが何をするのかはなんとなく分かったが、不明瞭な点も多い。

 息子――バカ息子よりは成長している息子――セイリオスに炎を飛ばし、聖オズワルドへ行ってお前の弟を捕まえてこいと伝達する。そうして娘をひょいと抱き上げた。

「湯たんぽ代わりにしないで父様」

「子どもはぬくいからいいなあ」

 従者が心得たように車内に戻り、ウィスタもそうした。再び過去視の力を発動させ、巻き戻る時を進みとあるコンパートメントを突き止める。そこにはバカ息子達がいた。

 アルバスが手紙を取り出す。ウィスタはその文面を読み眉を顰めた。過ちを正す……。過去視を終え、眉間に皺を立てた。

「デルフィーニ――」

 呟いた時、炎が中空に燃え上がる。セイリオスからかと思えば違った。筆頭分家当主のクロードからだ。

『あなたの血を逆転時計に入れる未来が視えた』

 三度、手紙を読み返す。これは何を意味しているのか? 疑問だらけだったが、先視の魔女に過去視の魔法使いは従うことにした。杖を振り、己の血を抜き出し、結晶化する。厳重に封印を施し送った時、心臓を痛みが貫いた。

――世界が

 揺れる。捻れる。震え崩れる。

「ウィスタ様!」

「父様!」

 二つの悲鳴がぶつかり反響する。なにか拙いことが起こったのだと直感した。身体に流れる血が沸騰したように熱くなる。耐えきれず膝を突く。

「世界が――」

 思うがままに言葉を紡ぐ。

「書き換え……」

 られる、と言い終える前に意識が暗転した。

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