拳願絶命トーナメント、二回戦第一試合。
ハルと『
両者とも激戦を制し勝ち上がってきた強者たち。
されど、その下馬評は対等とは言い難い。オッズを見れば明白。大半の者が、ハルの勝利を予想していた。
その評価もむべなるかな。二人の体格は比較するのも愚かしいほどに離れていたのだから。
片や170センチ強、片や240センチ強。先の阿古谷戦ですら子どもと大人と言った様相であったのだから、この状況を何と言えば適切なのか。
一回戦を見れば分かる。今井コスモには体格差を覆すだけの力がある。ヘヴィー級であるアダム・ダッドリーを倒したのがその証左。
しかし、この体格差は
それが観客たちの意見であった。
チャンスがあるとしたらアダムを倒した必殺の技。それ以外はないと。打撃戦など論外だと。
今井コスモは、その意見に完全に同意していた。
アップライト気味に構えステップを刻み、打撃に付き合うような姿勢を見せながら、その胸中では極める方法のみを考えていく。
加納アギトと大久保直也の一戦のような組み合いは不可能。純粋な力の差で押し負けることは確実。体格の差から一瞬で絞め技に行くのも困難。それゆえカウンターの要領で手足の関節を破壊する。
ここに至るまでに決めてきていた。相手の腕を折ってでも勝ちに行く覚悟を。
悟っていた。そうしないと勝てないことを。それほどの相手だということを。
(ゾーンでの絞め技は警戒されているだろうけど、関節技ならチャンスは――)
ゆるり。
ゆるりゆるりとコスモの前に突き出されるは、ハルの左腕。
(こ、コイツ……っ!)
伸びきる直前。半歩踏み込んで突き込めばコスモに胸に当たる、そんな距離へと腕が侵入する。
まるで、差し出す様に。
『こ、こ、これはーーっ!? ハル選手、なんという分かりやすい挑発っ! 極めれるものなら極めてみろと言わんばかりに、コスモ選手に向けて左腕を差し出しているぞーっ!!」
否。差し出しているのだ。文字通り。
『
『ですが、これでは伸ばした腕に関節技を仕掛けられてしまうのでは?』
『Maybe、室淵選手の腕十字を跳ねのけた若槻選手のように、どんな技でも一瞬では折られない自信があるのでしょう! そして技を掛けられたところで、Counterをぶち込むつもりなのデース! あの腕はそれを引き込む餌でもあるんデース!』
解説と実況の言う通り、ハルは関節技を喰らうのを許容していた。危険なのはあくまで絞め技だけであると。腕関節を極められても折られる前に潰すつもりなのだと。
そして、ただ待ちの姿勢で居るわけでもなかった。
コスモの胸に、ハルの拳がドンっとぶつかる。
「っぐ!」
『おっとぉーっ! ここでハル選手の突きがコスモ選手に突き刺さるーっ!』
『腕をほとんど伸ばしきった状態から打ってますので、威力はほとんど手打ちデース! ですが体格の差が足りないPowerを補ってやがりマース!』
残った伸びしろを使って腕で小突いただけ。言葉にすればこれだけだが、ハルという巨漢が行えばその攻撃力は馬鹿にはならない。
事実、コスモはそれだけで数歩、後ろによろめくほどの衝撃を受けたのだから。
徹底して張り付くハルの左拳。それを振り払うようにコスモも機敏に動き回るが、回転の中心に居るハルが追いすがるのは容易であった。
動き回ることでスタミナを削り、足が鈍った所に打撃を受け、加えて初戦に負った怪我によりコスモは消耗を余儀なくされる。
攻勢に出なければならない。そんな意識の元、コスモは行動に移る。
一発逆転の絞め技は、しかして張り付く左腕のせいで首までの距離は余りに遠い。
ゆえに狙うは伸びきった
見え透いた罠であるが、腕関節は元より狙っていたこと。相手の反撃より早く折ればいいだけ。
その見積もりがどれだけ甘かったか、ハルの腕の頑強さを全身で感じ取ったことで思い知る。
強靭さたるや、さながら丸太に抱き着いているのではと錯覚させるほど。
一瞬では折ること適わぬ肉体。技を解く判断に至るまで瞬きの時間も要しない。
そして、一瞬にも満たぬ時間は、これ以上はないほどの隙になった。
「――っ!」
『ああーーっと! ここでハル選手の右の拳が直撃! コスモ選手、堪らず吹っ飛んでいくぅーーっ!』
『進退窮まり分の悪い賭けに出たコスモ選手は、完全に裏目に出てしまいマシタね! 間一髪防御が間に合ったとはいえ、完全にハル選手の目論見通りの展開になったと言えマース!』
『動かぬこと山の如しであったハル選手! このチャンスを逃すことなくコスモ選手に向かって猛ダッシュっっ!』
かろうじて立ち上がりガードを固めるコスモ。しかしもはや足に力は入らず、機敏な動きなどするに及ばず。動けたとしても一瞬のみ。
その程度では、ハルのラッシュから身を逃れることは叶わず。
繰り出されるは阿古谷戦で見せたような超ラッシュ。
随一の防御力を誇る阿古谷だからこそ、しばしの間保つことが出来た攻撃。それ以下のフィジカルと防御力しか持たないコスモに、防ぎきれる術などあるはずもない。
ガードの上から叩き潰され続けるコスモ。両腕は赤く腫れあがり、額から流れる血が幼さを残す容貌を汚していく。
ついにはガードをすり抜けた拳がコスモの顔面を撃ち抜く。おぼつかぬ足元。下がるガード。
ここに至ってもハルに油断はない。淡々とトドメの一撃を放つのみであった。
文字通り、
(ここだっ!)
拳打によるコンビネーションで無防備となったコスモに向けて、満を持して放たれるは右のミドルキック。
空気を切り裂く一撃が、コスモの左顬を弾き飛ばす。
――ゾーン発動。
天才、今井コスモにのみ成し得る、コンマ1秒にも満たない意識の死角を突く絶技。
この瞬間ハルはコスモの姿の見失う。だが慌てることなく当初の想定通り、すぐさま腕を首に沿わせ防御する。警戒すべきは絞め技のみ。
だからこそ。ハルの意識が首に集中していたために、その技は驚くほどあっさりと成功した。
軸足となる、左足への蟹挟み。
前方へと倒れ込んだハルは、咄嗟に両手を地面へ着ける。
それ即ち、首への防御が解除されたことを意味する。
コスモが待っていた、絶好の機会の到来。
少年は己が頭上を越えた巨体の背後に取り付き、よじ登る。
迫る脅威に気付いたハルが対処に動くが、一手遅かった。
蛇の四肢が巨木へと巻き付く。細足は胴体に絡みつき、細腕は首を締め上げる。
絞殺王の名に恥じぬ、完璧な
頸動脈は閉じられ血流を遮断された脳は、どのような巨漢であっても7秒後には意識を喪失させる。
目前に迫る敗北の気配に、即座の判断がハルへと求められる。
長い手足を生かした頭部への打撃や目突き――否。位置の問題で気絶までは持っていけない。覚悟があれば目を潰しても絞められ続ける。
足の関節も同様。折れたところで、次の対戦相手が喜ぶだけ。
そも、生半可なダメージでは意味がない。必要なのは、この技を振りほどくだけの威力。
例え、己が気を失ったとしても倒せるほどの――。
その思考に至ったハルの動きは、迅速の一言に尽きた。
絞め技を掛けられたまま立ち上がり、一番近い観客席へ向かって駆けだしていく。
人一人を抱えていることなど関係ないと言わんばかりのスピード。
荷物を固定するためか、左右の手は絡みつくコスモの両腕と両脚を、それぞれ拘束する。
何をするのかは分からない。しかし、コスモは勝利を確信していた。
リングの外壁に到着した時、既に時間は7秒を経過。
狙いが何であれ、脳貧血によりハルはその場に崩れ落ちる――ことはなく、そのまま動き続けた。
「――なっ!?」
コスモが驚愕する中、ハルは外壁に取り付き、駆け上がって、壁のへりから高く高く、飛び跳ねた。
「なんだとぉぉっ!?!?」
ハルの跳躍力、数メートル。外壁の高さ、3メートル弱。合わせて10メートル弱に及ぶ高さの背面跳び。受け身もなく墜落すれば、大ダメージは必至。
そしてハルの背面には、今井コスモの肉体が。
コスモはもがく。数秒後に訪れる
頂点到達時、ハルの意識は喪失していた。
しかし、それでも外れない。ハルの両手は、コスモの四肢を掴んで離さない。
分かっていたことだ。掴まれたら最後、その怪力から逃れる術などないことなんて。
「ちっくしょおおおおおおおおおっっ!!!」
敗北の咆哮と共に、170キログラムに挟まれるようにして、今井コスモの身体が今、潰された。
ハルの身体を赤く染めている正体は、異常な量の赤血球。それらは全身に酸素を運搬する。
勿論、脳も例外ではない。
頸動脈を閉鎖されても脳には通常より多くの酸素が保有された状態であった。その酸素が、7秒という限界を超えてハルの肉体を動かしていた。
稼働時間、僅か数秒。その数秒の差が彼らに齎したものは天と地ほどに大きかった。
両雄共に倒れ伏す悲惨な事故現場から、立ち上がる漢が一人。
「……カハっ!」
咳を一つ吐いた巨漢が今、勝利の美酒を賜った。
次話は翌日11/7(火)の19時ごろ投稿予定です。