【保健医の独白】
「それでは、先生。よろしくお願いしますね?」
「…………はい」
最初はとにかく面倒くさい事になったと思った。
大学を卒業後、就職難に苦しんでいた私は高山市にある小学校で養護教諭として勤めている。
本当は普通に小学校教諭として働きたかったのだけれど、空きが無かったというのだから仕方がない。
仕事は基本的に保健室に居て書類を作ったり、生徒の手当て等をしたり、備品の補充をしたり、健康診断等の準備をしたり、たまに生徒や先生方の話し相手になったりと割と楽な仕事だった。
だけれど、それが一変するような事件が起こる。
ある日一人の生徒が職員室でイジメを訴え、もう学校には来ないと言い出したのだ。
それだけなら、まだよくある光景だと言えたのかもしれない。
しかし、イジメを受けたという生徒は今年入学したばかりの一年生で、その手には全てを録音したボイスレコーダーが握られていた。
イジメを行なった加害生徒もそうだけど、被害生徒までここまで苛烈な事をするのかと、現代っ子の恐ろしさを知る事となった。
丁度、職員室の方に出向いていたのが運の尽きである。
私は養護教諭としてとりあえず服だけでも着替えさせようと思い着替えを取りに行ったのだが、既にその生徒は帰路についてしまっていた。
その後はあれよあれよと話が進んで行き、緊急の職員会議が行われその生徒の担任だった教諭は減給の後、年度末で退任という処分を下された。
そして、件の生徒に関しては……
諸々の事情を考慮して、月に数回程度の登校とテスト及び課題等の提出のみという待遇となった。
まあ、その事情というのが生徒自身が養護施設育ちで成績優秀なウマ娘であるという事だった。
今の時代、ウマ娘を蔑ろにするとどっかの権利団体が物凄くうるさいし、本人に知恵もあるので今回の件を外部に暴露されたりすると炎上だけでは済まないだろうという懸念があった。
また、彼女の住む養護施設自体に学校側と色々関係性があるらしく、無下にはしにくいという理由もあった様だ。
まさかの校長先生が愚痴ってきました。
そんな隠匿と忖度にまみれた裏話聞きたくなかったです。
え? 他の保護者の対応に追われ過ぎてストレスが溜まってる?
……とりあえず、胃薬とハーブティーお渡ししときますね。
そして、今日はその辺の話を纏める為に件の生徒とその保護者である養護施設の園長が学校にやってきた。
先に大人同士での話し合いをするらしく、とりあえず私の居る保健室にその生徒置いていったのだ。
いやいや、なんで私の所なんですか!?
いや、おそらく生徒の説得をしてくれという思惑があるのだろうけれど、新任の私には荷が重過ぎると思う。
で、これも仕事と割りきって彼女の相手をしたんだけど。
まさに暖簾に腕押し。何を言ってみても彼女には一切響かなかったんだよね。
それどころか大人顔負けの理詰めで論破されてしまった。
もうなんというか、怒りを覚える事すらできなかったよ。
その後は何を言っても無駄だと諦め、残りの時間は終始世間話の雑談に興じていました。
そして、正式に彼女の半不登校が決定された。
うん、だからなぜ私に投げるんですか?
彼女にやらせる宿題とかプリントとかならあの担任に持って行かせればいいでしょう?
え、あの人出禁になったんですか? マジで?
しかも今後は保健室登校になるから、とりあえず私が相手をしろって?
ついでに、彼女が教室に戻るように説得したりして欲しい?
…………ああもう! 分かりました、分かりましたよ!
行けば良いんでしょ行けば!
でも、説得の方は絶対聞き入れないと思うんで努力目標って事にしておいてくださいよ!?
そんなこんなで、私が一時彼女の担当を任されることになってしまったのである。
いや、本当に面倒くさいんだけど……
◆◆◆◆◆
結局、教室には戻せないまま彼女は卒業していった。
来年からは東京都府中市にあるウマ娘トレーニングセンター学園。通称、中央トレセン学園に通う事となる。
そして、私もこの小学校からは転任となった。
うん、やっと転任できるよ……
彼女が4年生の時に転任してきた元担任教諭とのいざこざのせいで、結局私が彼女の担任扱いとなってしまい、そのせいで転任したくても出来ないという結果に陥っていた。
あの騒動の後校長に「君、小学校教諭の免許持ってたよね?」と聞かれて「えっ、はい」と答えてしまったのが運の尽き。
養護教諭兼特別学級の担任教諭という損な役職を与えられてしまう事となる。
勿論、そこに居た生徒は終始彼女だけだ。
しかし、全部が全部悪い事ばかりだったという訳でもない。
なんだかんだ彼女と接しているのは面白かったし、6年間もずっと関わっていれば情も湧いてくる。それに教師として色々と学べる事もあったのだ。
あと、今までの労い等も兼ねてなのか校長が小学校教諭として働ける転任先を見つけてくれたしね。
これもいい経験だったと割りきって、私は自分と彼女の門出を祝うことにした。
彼女がレースで活躍出来る事を願いながら。
★
【校長先生の独白】
私はああ、やっと厄介事が終わってくれたと息を吐く。
今日は我が校の卒業式が行われ、多くの生徒達が中学校へと巣立っていった。
その中には所謂問題児だった二人のウマ娘もいた。
まあ、片方は別室での慎ましやかな物となってしまったが。
しかし、まさか我が校から中央に通うウマ娘が出るとはなぁ。
私も家系的にはウマ娘関連の家なのでその道に関して少しは明るい。しかし、我々が住むこの地域から笠松や別の地方のトレセン学園に通うウマ娘は数多くいるが、中央へ行ったという話は聞いた事が無かった。
ましてや、養護施設や孤児院出身のウマ娘がだなんて。
それだけ、
しかしもう一人の問題児であるウマ娘、クサノギアークにも困ったものだった。
まさか、同じウマ娘相手にイジメを行うとは……
それも、自分から手を下したりはせずクラスメイトを誘導する様な感じで。
最初に話を聞いた時は耳を疑ったが、アークが裏で糸を引いていたというのはほぼ間違いないらしい。
これは、いくら親戚とはいえ流石に……と思っていたのだが、まさかの実家から圧力が掛かった。
嘘だろおい、と何度も思ったが学校に多額の寄附をするから見逃せとのお達しである。
仕方なく、私はその事実を隠匿する事にした。
別に金に釣られたわけではない。
カサマツトレセンへ行くというアークの将来を考えての事だった。
そして、あのレースが行われた日。
クサノギアークは打ちのめされ、挫折を味わった。
それもイジメていたそのウマ娘によって。
それからの二年間は別の意味で酷いものだった。
塞ぎ込んで泣き腫らしたかと思えば、友人や親類や家の得意先との関係を全て投げ捨ててトレーニングに打ち込み始めた。
目に闘志を燃やしながらストイックなまでに毎日毎日、己を鍛え上げたのだ。
勿論、学校の成績等も常に上位をキープしたまま。
なぜあの子に対してそこまで執念を燃やすのか。
そもそも、一体なぜあの子をイジメたりしたのか。
クサノギアークは終ぞ、その内なる心を我々に明かしてくれなかった。
あの子が中央へ行ったと知った時が怖いなと思う。
ふと、私の自室に携帯の着信音が鳴り響く。
相手は…………彼女だった。
「やあ、まずは御卒業おめでとうございますと言っておこうか」
『はっ、私が卒業したわけでもあるまいし必要ないさねそんな事』
電話の向こうから、いつものどこかふてぶてしい声が聞こえてくる。
なんというか、本当に変わらないなぁ。
「それで、こんな目出度い日に一体なんの用なんだい? 君の所のウマ娘がもう一人ウチに通っているとはいえ、彼女も卒業した訳だしもう問題は起こらないだろう?」
『さて、どうだろうねぇ。あの子ものあの子で色々と面倒くさいから』
いやいやいや、正直勘弁して欲しい。
君とあの子と私の実家に悩まされたストレスで胃薬が手放せなくなった程だというのに……
『まあ、なに、アンタにはあの子の事で何かと世話になったからね。礼を言うよ、ありがとう』
「……ははっ、君がお礼を言うなんて珍しい。明日は矢でも降ってくるのかな?」
『ふん、知らなかったのかい? 私は存外素直な方なんだよ。アンタも礼は素直に受け取っておくといいさね』
いやいや、どの口が言うのだろうか。
子供の頃から男子顔負けのヤンチャ娘だった癖に。
それに、ウマ娘達と関わった事で少しは丸くなったと思っていたのに、あの子達の件で私を脅してきたりして結局何も変わっていなかったじゃないか……
「だったら、私が作った君への貸しをこれで全部チャラにしてもらえると嬉しいんだけどねぇ。あと、それで脅してくるのもやめてくれ」
『はん、この程度で返しきれたと本気で思ってるのかい? 子供の頃、クラスで孤立してたアンタを助けてやったのは誰だっただろうねぇ?』
「はあ、何時までもそんな何十年も前の話を……」
『他にも色々あるだろう? アンタに教師が向いてると気付かせてやったのも私だし、今の嫁さんを紹介してやったのも私だ。他にも、ウマ娘への教育論に関して教えてやったり、小学校への寄附とかウチのウマ娘を全員通わせたりとか、アンタの所の次男坊がトレ――――』
「ああもう、分かったわかった。そんな矢継ぎ早に昔の事をああだこうだと言わんでくれ」
全く、コイツはつくづく容赦が無い。
今でも交流の続いている同級生相手なんだから、少しぐらい手心という物があってもいいと思うんだがなぁ。
「まあなんだ、私も親戚の子が起こした問題という事であの子には少し負い目があったからね。君達と実家のせいで板挟み状態になって胃がキリキリしたけども」
『アンタも良い加減あそことは縁を切ったらどうなんだい? 正直、毒にしかならないだろう』
君も他人の事は言えないだろうがとは思ったが、彼女の言いたいことも良くわかる。
というか昔からずっと言われ続けている事だけれど。
まあ、いい加減どうにかしないと駄目だろう。
いくら毎年多額な寄附金を貰っているとはいえ、コチラに色々と口出しをしてくるのは正直いただけない。
特に、実家から紹介されたあの教師のせいでかなり痛い目を見る羽目になったからね。
しまいには、あの子をコチラに差し出せとか頭のおかしい事まで言い出してたし。
いくらこの辺一帯の地主で、ある程度の権力を有しているとはいえ考えるまでもなくやり過ぎだ。
「まあ、上に近い所が悪いだけでこちらに協力してくれる者達も沢山居るからね。簡単には切れないし見捨てられないのさ。それに、アーク本人が悪い影響を受けているだけでその両親の方は善性な部類だっただろう?」
『ああ、気の毒になるくらいにはね』
「うん、だから――――」
と、忌々しい我が実家の事や今後の事について話し合った後、通話を終えた。
…………はあ、彼女と会話をすると毎度毎度ドッと疲れが出てしまう。
私ももう歳だからなぁとかアイツは何時までも元気そうで羨ましいなどと考えていると、自室の扉がノックされた。
私が声をかけると、一人のウマ娘が入ってくる。
「お父様〜、お電話終わった〜?」
「ああ、今さっき終わった所だよ」
私の愛らしい末娘だった。
とてとてと私の方に歩いて抱き着いて来たので、そのまま受け入れて抱き上げる。
「どうかしたのかい?」
「えっとね〜、お母様が夕ご飯できたから呼んで来て〜って!」
「ん、そうかいありがとうね。それじゃ、食べに行こうか」
「うん、行こう行こう〜」
私は娘を抱きかかえたままリビングへと向かう。
ふと、電話を終える直前に彼女から言われた事を思い出す。
『来年の今頃にはもう一人中央に行くと思うからよろしくね。良かったね、アンタの小学校から二人も中央所属のウマ娘が輩出されそうだよ』
これが嬉しい悲鳴というやつなのだろうか?
いや、単純にまた面倒な事になりそうだという諦観なのかもしれない。
いやはや、彼女の所は本当に話題に事欠かないなぁと思いつつ、私は家族との団欒を楽しむのだった。
★
【トレセン学園教頭の独白】
本日の業務が一段落した為、一服しようと思った私は職員室の給湯でお茶を入れている。
毎日毎日デスクワークメインに仕事をしていると、どうしても疲れという物は溜まっていってしまう。
昔はもう少し元気が有ったんだがなぁと一人ごちる。
まあ、私ももう若くはないしトレーナー業からも離れて久しい。
流石に昔の様な体力はもう無いか、と内心苦笑いをしながら自分の席へと戻った。
自分で入れたお茶を啜りながら考えるのは、つい先日行われた受験生の面接の事だ。
明るく元気な子、自身に満ち溢れている子、反対にあまり自身が無さそうな子、気性が荒そうな子等々数多くのウマ娘の面接を行った。
さて、あの中から一体何人が受かることやら。
そして、どうしても印象に残っているのはあのどこか歪で不思議な雰囲気のウマ娘の事だった。
試験を受けたのは、ウマ娘といえどまだ小中学生の子供達だ。言葉遣いがあまり良くはなく、思ったことをそのまま口に出してしまう子も多い。もしくは無理に敬語を使って辿々しくなっている子もいた。
まあ、面接とは言っても一般的な大学入試や就職試験の様にそこまで厳しく堅苦しい物ではないので、彼女達の所作を細かく批評したりはしない。
勿論、中央のトレーナー試験の面接なんかと比べれば何倍も楽なものだと言えるだろう。
しかし、そのウマ娘は大学や就職の面接に来たとでもいう様に振る舞った。
ノックをしっかりと三回して、こちらが許可を出すまでは中に入らない。
中に入ったら椅子の横に立って自己紹介をし、椅子に促されるまで座らない。
確かにそれらは基本的なことではあるのだが、名家に産まれた訳でもないウマ娘がそれをしっかりと行えているというのは少しだけ珍しくもあった。
その後の質疑応答でも、終始丁寧な口調で受け答えができていた。
内容や熱意も申し分ない。
ハッキリ言ってしまえば文句無しだった。
だからこそ、事前に貰った資料に書かれていた内容を質問せずには居られなかった。
母親から虐待を受け父親は消息不明。
血統的には良くわからず、かといって別に優秀というわけでもないとの報告あり。
小学校の成績は常に上位でテストはその殆どが満点。
しかし、一年生の頃にクラスメイトからイジメを受けて現在に至るまでほぼ不登校の状態。学校に行くのは月に数回程度。
かといって、精神的に苦しんでいるというわけでもなく、自宅では毎日トレーニングをしていたとの事。
そのせいで、自身が所属するクラスの担任との間に確執もあったらしいが。
そして、五年生の頃には笠松で行われたレース大会で大逃げをしてブッチギリで勝利を納めたとのこと。
なるほど、確かに不登校に関してや四年生の1学期末に担任とのいざこざで成績がオールCとなっている事以外はとても優秀ではあるのだろう。
地方であれば彼女の経歴等を加味しても合格させる可能性が高い。しかし、ここはあくまでも中央だ。
そして、私はその中央トレセン学園を運営する職員の一人でもある。
いくら学園が実力主義・能力主義を掲げていたとしても、万が一にでも不穏分子になり得る存在を簡単に合格させる訳にはいかなかった。
だが、あそこで秋川理事長が口を出してくるとはな……
確かに、私もキツイ事を聞いたし言ったという自覚もあるがあそこで口を出すのは流石に違うだろう。
本人の口からなぜ地方ではなく中央にしたのかを聞き、更に彼女の熱意を確かめる場面だったではないのか。
そもそも、私としてはなぜもっと早くこれらの事を聞かないのかと疑問に思っていた。
まさか、デリケートな部分だからという理由で最後まで聞かないつもりだったのだろうか?
……やはり理事長は聡明な方ではあるが、まだまだ夢見がちで感情的な子供なのだと改めて認識させられてしまった。
昨年も、実力の伴わないウマ娘を面接のみで合格させている。
確かに、あのウマ娘は明るく周りを元気にさせる様な天真爛漫な子ではあったが、それだけの理由で合格させたのは流石に横紙破りが過ぎるだろう。
故に、今回のあの場面で私は自分が悪役となる事を選んだ。
選ばざるを得なかったとも言えるが……
子供相手に大人気ないと周りは思うだろう。だが、その子供に理事長をやらせてる時点で大人としてどうなんだと私が問いたい。
面接を受けていたウマ娘には悪い事をしたと思うが、経歴がクリーンな物で無かったからこそ起きた問題なのでそこは諦めてもらった。
はあ、それにしても……
「やはり、来年からは受験の面接に理事長が参加するのを禁止せねばならんな……」
「はい、私もそう思います」
誰に言うまでもなくポツリと呟いた私の独り言に、突然背後から同意する声が聞こえ少し慄く。
まったく、彼女は彼女で神出鬼没が過ぎる気もするのだが……
「何か用かな、たづな君……まさか、面接の件で今更文句でも言いに来たのかい?」
私の背後に居たのは理事長秘書の駿川たづなだった。
「いえいえ、まさかそんな。むしろ私は教頭先生と同じ考えかと思いますよ? 私も理事長には受験生の面接をやめて頂こうと思っておりましたので♪」
本人は語尾を上げてどこか楽しそうに言ったが、目が笑ってないのは明らかだった。
まあ、深くは聞かない。最近の意気消沈した様子から理事長も大目玉を食らった様だし、藪蛇だろう。
……やはり、あそこで本人を目の前にして合格させるつもりとまで言ったのが一番の悪手だった。
そもそも、受験生の前でやる様な事でもなかったのだしね。
「そうかい。なら、来年はその方向で進めるので理事長には君から話をしておいてくれますかな?」
「はい、かしこまりました」
「……それで、なにか他に用事でも?」
「ええ、というよりもコチラの方が本題なのですが」
そう言って彼女は私にいくつかの資料の束を渡してきた。
「今回、合格予定の生徒達の資料です。一通り目を通しておいてください」
「ああ、もう結果が出たんですか。相変わらず仕事が速い」
そう言いながら私が資料を受け取ると、彼女は一礼して足早に立ち去っていった。
ふむ…………やはり、勿体無いなと思ってしまうのは長年培った悪癖のせいなのだろうか。
「さて、仕事が増えてしまったな」
私は今しがた貰った資料に目を通していく。
当たり前だけれど、全員面接を行ったウマ娘なので一通りの情報は知っている。
私が主に見ていくのは筆記と実技に関してだ。
ふむ、やはりあの名家のウマ娘は問題なく合格したか。こっちの子は実技面接共に良かったが筆記が少々悪いな。ほう、こちらは面接ではイマイチだったが筆記と実技が高かった様だ。
そんな風に資料を見ていると、例の面接で迷惑を掛けてしまったウマ娘の資料へと辿り着いた。
ああ、合格していたのか。
そう、どこか安堵する共に僅かに疑惑を持ってしまう。
……これで、また理事長の強権だったりしたらどうしようか。
そんな私の不安は一瞬で解消される事となる。
筆記実技共に優秀で、彼女の総合成績は文句無しの上位だった。
なんなら、名家出身のウマ娘達にも劣ってはいない。
タイムもこの時期に1分10秒を切ってきている。
勿論、実力が高く設備の整っている名家のウマ娘であれば1分台を切ってくる子も時折いる。
しかし、養護施設出身のウマ娘がこのタイムを出したと考えれば破格だろう。
何より、面接の時に少し見た程度だが、小柄な割にはしっかりとトレーニングを積んできたのが判る良いトモだった。
まあ、しかしそれも納得ではあるだろう。
なにせ――――――
……いや、よそう。私ももうトレーナーではないのだから。
しかし、それでもこう思ってしまうのはやはり職業病というやつなのだろうか。
あのウマ娘を自分の手で育ててみたかった、と。
★
【園長先生の独白】
「彼女、今日もずっと走ってますよ?」
「そうかい。本当に良くやるよ……」
あの子が学校でイジメを受けてほぼ不登校の状態になってから約1年が経った。
私達も最初は心配していたんだけど、本人があっけらかんとし過ぎていた為、今では心配するだけ無駄だと悟ってしまっている。
むしろこれ幸いとでも言わんばかりに、毎日毎日飽きもせず走り回っている。
晴れの日や曇りの日は勿論の事、雨の日も雪の日も走り続けていた。
これもウマ娘の性なのかねぇ?
あの子が本格的にトレーニングを始めた頃は、虐待されてた時の影響なのか100mのトラックすら満足に走れないでいた。
それがこの1年程で5倍以上の距離を走れる様になっている。
成長が早いというかなんというか……
それに、普段から頭が良い方だとは思っていたけど、ほぼ毎日トレーニングばかりであまり勉強もしていないのに、月に1〜2回登校して受けてくるテストは毎回90点以上というのが良くわからないんだけどね。
そもそも、あの子は出会った当初から既におかしかった。
親に虐待されていた所を助け出されたという境遇の割には、泣きじゃくったり塞ぎ込んだりする訳でもなく、やけに達観して大人びていた。
言葉遣いも丁寧だったし、物分りも良く素直そうな子だった。
それだけならまあ、少なからず居なかった事もない。
だけど、私が連絡先を渡した時に電話の使い方を知らないんじゃないかと思って聞くと、あの子は大丈夫だと言ったのだ。
最初は見栄でも張っているのか、まだ混乱しているのかと思ったんだけど、嘘を付いている様には見えなかった。
実際、病院の公衆電話から連絡してきて「施設の件よろしくお願いします。お世話になります」と言われた。
虐待されて家の外に出たことがないと聞いていたので、正直これにはかなり驚いた。
そして、一緒に暮らす様になって更に驚かされた。
読み書きは普通にできているし、家事もある程度こなせる。
本棚から小難しい本を取り出してきては、一般常識やウマ娘に関する法律なんかを聞きたがる。
子供らしい我が儘や文句も全然言ってこない。
急に外のグラウンドに出たかと思えば、誰も教えていない柔軟体操を念入りにし始める。
正直、不気味だった。
虐待の影響で表情が変わりにくくなっていて、声だけは感情豊かだったせいもあるとは思う。
それでも、今まで出会ってきた大人びた幼いウマ娘達と比べると、たった6歳でここまで異様な子は初めてだった。
いや、今後一生現れない可能性もあるだろう。
それでも、あの子は明るく素直でどこか可愛げがあり、全然手の掛からない良い子だった。
その分遠慮がちな所もあったけど。まさか、文房具程度で遠慮されるとは思わなかったね。
小学校に通い始めてからはテストの成績が毎回満点だった。
今思えば、小1のテストとはいえ満点を取り続けるの正直異常だと思う。
しかし、もうこの頃には私も少し慣れてしまっていたのか、ああまたかとぐらいにしか思わなくなっていた。
勿論軽く褒めたりはしていたけどね。
だけど、事件が起こる。
ある日、あの子が珍しく学校を早退して帰ってきたのだ。
それもずぶ濡れの状態で。あの時は本当に慌てた。
理由を聞いても、学校から連絡があると思うからの一点張りで自分から話そうとしない。
そして、学校からの連絡で私は衝撃を受ける事となる。
あの子が普段からクラスメイト全員からイジメを受けていて、それを全部録音した物を職員室で暴露したというのだ。
小1でそんな酷いイジメが行われていた事も衝撃だったけれど、ウチに置いてあったボイスレコーダーを持ち出して全部録音していたというあの子の行動に頭を抱えてしまう。
大人びすぎている子だとは思っていたけれど、まさかそんな事をするとは……
というか何ヶ月も表に出さずそれに耐えたあの子は根性があり過ぎじゃないだろうか。
とりあえず、ボイスレコーダーを勝手に持ち出した事は軽く叱っておいて本人に話を聞いた。
本人の希望としては、色々加味して学校になるべく行きたくない。勉強は基本施設でやる。あと将来の事を見据えてウチのグラウンドや外でのトレーニングをしたい、と言われた。
この時、あの子に向かって「アンタ、何者だい?」と聞いてしまった私は悪くないと思いたい。
そんな私に対して、あの子は首を傾げ言うに事欠いて「普通のウマ娘だけど?」とのたまった。
お前みたいな普通の7歳児ウマ娘がいてたまるか。
これは何を言っても無駄だと悟り、完全に諦めた。
ウマ娘に関してはかなり詳しいつもりなんだけど、まだまだ私も井の中の蛙だったって事かねぇ……
その後は話が早く進み、晴れてあの子は不登校児となったのだ。とはいえ、最低限の条件として終始業式への参加や月に数回学校に通ってテストで高得点を取ることを約束させたけどね。
それからは毎日トレーニグの日々を送っている。
100mでバテていたのを見た時はありゃ駄目だ、どうせすぐ諦めると思っていた。しかし、やっぱりあの子は根性があるのかなんなのか毎日毎日飽きもせずストイックに走り続けている。
ついこの間なんて、近所で長い階段がある神社と急傾斜の坂道がある所に連れて行ってくれと言われて戦慄した。
階段と坂路のトレーニングなんて一体どこで覚えてきたのかねぇ……
丁度、近くに良さげな場所があったので連れて行って、怪我をしない程度の所で帰宅を促す。
正直、危なっかしくて心配だったよ。
しかし、そんなあの子を見ていると私の血が騒いでくる。
ああ、これはどうしても抜けきらない私の悪い癖だ。
でもやっぱり、このままにしてはおけないと私の心が訴えて来ている。
そうと決まれば、今から色々と準備をしなくては。
時期は7月辺りが丁度良いかねぇ?
さあ、アンタにこれが耐えられるかい?
御嶽山の高地トレーニングをさ。
◆◆◆◆◆
正直、ここで泣き言でも言ってくれれば私はまだ引き返せると思っていた。
一般的な小学生のウマ娘なら、いくら走るのが好きとはいえこんな理不尽な目に合えばもう走りたくない!帰りたい!と駄々を捏ねるはずだ。
そうなったら、競走ウマ娘になる事を諦めさせる事もできるだろうと、半分はそう思っていた。
だけど、あの子はただただ言われた通りに全てをこなした。
長い道路を走らせた。
息も絶え絶えの状態で走りきった。
高低差のある二箇所のウッドチップコースを走らせた。
ウサギ跳びまでさせたのに耐えきった。
また道路を走った後に、砂利のコースを走らせた。
疲労は見えるが真面目に走り続けた。
明日は山に登ると伝えた。
驚きはしたものの嫌とは言わなかった。
呼吸のやり方を変えさせた。
素直に従った。
同じペースでずっと私の後ろを歩かせた。
ずっと文句も言わずついて来た。
飛騨山頂にて頂上は別にあり明日登ると伝えた。
初めて泣き言を言ったが帰るとは言わなかった。
頂上に着いた途端、往復階段ダッシュをやらせた。
ヘトヘトになりながらも乗り越えた。
賽の河原に一人で放置して走らせた。
なぜかライチョウに懐かれていた。
その後もまた階段ダッシュをやらせた。
ライチョウがなぜか見守っていた。
下山直前にライチョウと来年もまた来ると約束していた。
そのライチョウ賢すぎないかい?
下山した翌日、初日と同じメニューをやらせた。
神はいると、そう思わされた。
ゴルフ場の芝生を走らせてみた。
楽しそうにどこまでも走っていった。
オーバーワークだったので流石に叱った。
結局、最後まであの子はやりきった。
辛そうにしつつも、終始楽しそうに……
そして、私は
彼女の行く末が楽しみになってしまったのだ。
レースで活躍できるだけのモノがあると思わされた。
過干渉はしない……いや、私では彼女の真価を引き出せないだろう。
だから私には誘導し見守る事ぐらいしかできないのだ。
……とりあえずは、あの子に合いそうなフォームでも考えてみようかねぇ?
◆◆◆◆◆
そうして季節は巡り、彼女はここを巣立って行った。
無事、中央のトレセン学園に合格して。
勿論、それまでにも色々起こりはした。
高学年になったにも関わらずレースに出たいとも、クラブチームに入りたいとも、受験に向けての対策やトレーニングを付けてくれとも言わない彼女に痺れを切らし、フォームを矯正する為に空手を習わせてから馴染ませるトレーニングを行なった。
元担任教師とのいざこざで成績がオールCにさせられて、また職員室で大立ち回りを繰り広げた。
彼女とは別方向に独特なウマ娘を1人保護したら、息があったのかすっかり仲良くなって一緒に勉強やトレーニングしてその子を伸ばしていった。
笠松の小学生用レースに参加させたらブッチギリで逃げきり、勝利を納めた。
なんというか、本当に話題に事欠かない子だったねぇ……
私としては最初はカサマツトレセンにでもと思っていたんだけど、なんというかやっぱりその程度に収まる様な器じゃ無かったみたいさね。
私の予想なんて軽く飛び越えてトレーニングの成果を示し、見事最初の一歩を踏み出していった。
まあ、中央に受かる様に色々教えていた私も私だけどね。
しかし、ウマ娘にとってはここからが本番。
中央に行ったけど、未勝利のまま退学して故郷に帰るなんてのが当たり前の世界なのだ。
それに、彼女には致命的なまでの欠点がある。
ソレを克服できなければあの子に未来はない。
だけど、私はそこまで心配してはいなかった。
彼女なら、きっとまた簡単に乗り越えて行くのだろう。
今までもそうしてきたようにね。
まあ、万が一無惨な結果になっても慰めてあげるから安心すると良いさね。
……ふと、グラウンドに目を向ける。
そこにはもう誰もいない。
今は風が吹き、軽く砂埃が舞っているだけだ。
どこか淋しさを感じてしまう。
「……毎日毎日、飽きもせずずっと走り続けてたからねぇ」
ポツリと独りごちる。
心做しか、主を失ったグラウンドもどこか寂しそうだった。
そこへ1人のウマ娘がやって来る。
サンタアルマだ。
春休み期間中のアルマは念入りに柔軟体操をした後、グラウンドを走り始めた。
寂しそうだったグラウンドにどこか活気が戻って来る。
どうやら、彼女の器から零れ落ちそうな程強過ぎた意志はあの子に引き継がれたらしい。
私は軽く笑みを浮かべて仕事に戻る。
そこでふと、私は考えてしまった。
……だけど、それは私の胸に仕舞っておこう。
ウマ娘とトレーナーは一期一会であり、ある種の運命の様な物でもある。
だから、私があれやこれやと干渉する必要はもう無い。
なぜなら、賽は既に投げられているのだろうから。
★
【職員ウマ娘の独白】
私が初めて彼女と出会った時に感じたのは恐怖だった。
競走ウマ娘としてあらゆる苦難や挫折と恐怖を乗り越えて鎬を削り、そこそこ活躍できたと自他ともに認められている私が一回り下のたった6歳のウマ娘に恐怖したのだ。
彼女が無表情だったから怖かったのか?
彼女の言動が大人び過ぎていたから怖かったのか?
彼女が身に纏う、虐待やイジメ等を受けた子特有の雰囲気が怖かったのか?
いいや、違う。
そんな表面上の物なんかじゃない。
そんなもの程度で、短くも濃い競技生活に身を置いていた私は今更怖がったりなんてしない。
私が本当に怖かったのは、彼女のその精神性とあり方だ。
一目見ただけで解る程、彼女は歪だった。
幼いウマ娘の身体にまるで大人が入り込んのだかと錯覚するような気持ち悪さがあった。
そして、ハッキリとした強い意思を感じていた。
その眼が悠然と私に語り掛けて来る。
『私はなにがなんでも中央へ行くのだ』と。
恐ろしかった。
まだたった6歳のウマ娘が憧れや夢、希望として語るのではなく、事実として、己の意志としてそれを語っていたのだから。
そして、ソレが当たり前の事だとなんの不安や疑問も挟まずに訴えて来ているのだから。
しかし同時に、何度か出遭い競い合う機会のあった中央所属のウマ娘達と似たような雰囲気を感じ取ってもいた。
だから私は恐怖を感じると同時に『ああ、この子は伸びるんだろうな』と漠然と思っていた。
そんなある意味最悪の初対面だったけど、彼女はとても優秀で親しみやく素直な良い子だった。
変に大人び過ぎているからなのか、まるで同年代や先輩後輩達の相手をしていた時みたいに接することができていた。
まあ、ずっと無表情なのに声だけは感情豊かなのが最初の恐怖とは別の意味でちょっと怖かったけどさ。
だから、私と彼女の関係はすごく良好ではあった。
でも、それと同時に私の競技時代の話はあまりしない様にしていた。
何故か。それは、私が自分の過去を話し始めた途端に彼女の眼がキラキラギラギラと輝いていたからだ。
せめてキラキラだけならまだ良かったのになと思いながら、自分が施設にいた頃の話をしていた。
まあ、話が長すぎて先生にはゲンコツを貰い、丁度彼女の髪を切っているタイミングだったのと少しの恐怖も合わさって盛大に手が滑っちゃったんだけどね……
そんな事があったから、私は彼女の前で自分の過去、とりわけ競技時代の話はしない様にしていたのだ。
……先生が笠松に行くとか言い出した時は本当にどうしようかと思ったよね。
あの人もあの人でいつからか彼女に魅入られてしまっていた。
私の時は最初ものすごく反対していたくせに、彼女にはやりたい様にやらさせている。それどころかフォームの矯正を手伝ったりもしていた。
ちょっとだけジェラシー感じちゃったよ!
そんな風に過ごしている内に、遂に彼女も六年生となる。
そして、当初の予定通り彼女は中央のトレセン学園を受験して無事合格したのだった。
まあうん。私も先生も色々と助言したり手伝ったりしたし、なんだかんだ可愛い妹分が受かってくれてめちゃくちゃ嬉しかった。
きっと彼女は中央で活躍する事だろう。
その道程がどれだけ辛く困難であろうとも、きっと彼女は心臓が息の根を止めるまで走り続けるに違いない。
何度栄冠を飾っても、何度挫折を繰り返しても。
その彼女の姿に、きっと誰もが魅了される。
だってもう既に私も、先生も、アルマちゃんも彼女に魅入られてしまっているのだから。
そして、彼女のあのレースを見た人達をも魅了してしまったのだから。
だから、私にはもう
彼女の時代が幕を上げたのだと。
これにて、序章閉幕です。
次回からは新章突入!
遂に主人公の名前も判明!?
来週もどうぞお楽しみに〜
ぱかぱか裏話
・保健医の性別は決まっていない。
・校長の子供は2男2女で長女はヒト娘。
・教頭はとても不器用な大人で、理事長によく振り回されている。
追記:教頭の独白が描写不足だったので裏話を追加させて頂きました。
彼の内心はまたどこかで語られるかと。