夕焼け。
白銀の雪に、茜色の光が反射している。
生物が生きるには向かない、極寒の中。
ざくざく、と。
雪原を駆ける音が響いた。
「はぁっ!」
私は
そこに居る『悪魔』に向けて、だ。
その『悪魔』は大きな人型だが、毛むくじゃらで腕が三本生えている。
左に一本、右に二本。
なんとも、生物らしからぬ不均等な姿だ。
そんな『悪魔』が腕を振り回した。
全長は私の2倍ほどある。
そんな巨体で振り回す腕がぶつかれば、
攻撃を中断し、勢いのまま雪の上を滑る。
腕は大きく空振り、明確な隙が見える。
だが、私は雪原を転がっており手を出す事もできない。
そう、私には──
「ここは僕が!」
ユーリが
『悪魔』の腹部に大きな傷を付けたが、まだ致命傷ではない。
反撃の拳が、ユーリの頭上へと──
「縛れ!『
瞬間、
だが、略式詠唱では本来の効力を発揮できない。
『悪魔』の動きを止める事は出来ないだろう。
だが、それでも動きは鈍くなった。
その一瞬の隙に滑り込むように、ユーリは『悪魔』の脇下をくぐり、足首を切った。
完全に切断とはいかなかったようだが、それでもダメージは入ったようで『悪魔』が崩れ落ち──
「エルシー!」
「分かってる、って!」
ユーリに言われるより先に、私は地を蹴り宙へ飛んでいた。
そして、そのまま
瞬間、私に行動に気付き『悪魔』は腕を上げて防御体勢をとるが──
「甘いんですけど!」
腕の上から、そのまま
毛むくじゃらの腕が弾き飛ぶ。
だが、それでも
そして、悪魔の頭部に直撃した。
「っ──
聖銀に込めた
雪原を滑りながらも、『悪魔』に視線を向ける。
浄化され、煙のようなものが立ち上っている。
効いている。
確実に。
「ユーリ!追撃!」
瞬間、ユーリが駆け出した。
『悪魔』の頭部は半壊している。
視覚もない状況、身を守ろうと無闇矢鱈に腕を振り回すが……ユーリは紙一重のところで避けている。
「はぁっ!」
その瞬間、『悪魔』が傷の感触から察知したのか、ユーリに向けて腕を振るう。
しかし、もう、そこにユーリは居ない。
視覚を奪った敵に対する有効な立ち回り、それは……足を止めない事だ。
錯乱する『悪魔』の背に、ユーリが再び
『悪魔』が腕を背後に──
ユーリが
────ッ!
『悪魔』の周囲、空間が震える。
声ではない。
だが、それでも怒っている事だけは分かった。
私は雪原を走り出し……
「ユーリ!ここで仕留めるから!」
「分かった!」
ユーリが
反撃を許さない、連携攻撃。
癪だけど、フロイラ相手の二対一訓練の成果が出ている。
そのまま──
ユーリが
それに対する方向から、私は
空気が震える。
黒い粒子が撒き散らされて……『悪魔』が霧散した。
私は殴った反動のまま、再び地面に転がった。
雪が顔に触れて、ひどく冷たかった。
「……終わった?」
身を捩り、座り直す。
ユーリはまだ、
「……そうみたいだね」
だが……どうやら、これで終わったようだと息を吐いた。
そして、
それに倣って、私も
「ふん……なんだか、拍子抜けだったんですけど」
『悪魔』は消滅した。
残ったのは、『悪魔』が倒れたときにできた痕跡だけだ。
「はは……まぁ、うん。最近は『上位』の『悪魔』ばかりと戦ってたから。それに比べたら、ね」
「……そんな気軽に『上位』と出会ってる方がおかしいんですけど?」
「それはそうかもね……」
先程倒した『悪魔』は『中位』相当だ。
危なげなく、倒す事が出来た。
勿論、私の『
これぐらい、楽な戦いばかりだと良いんだけど。
私は白い吐息を吐きつつ、今回の任務について思い返す。
第一発見者は山の麓の村……そこに住む、少年だ。
彼は雪山に父と狩りに出掛けて……そして、この『悪魔』と出会った。
父親は少年を逃すために『悪魔』と戦ったが……狩人では『悪魔』に対して有効な攻撃はない。
そのまま帰らぬ人となってしまった。
……悲劇だ。
だが、よくある話だ。
この世界では。
そうして、教会へ通報が入り、私達が来たのだ。
『悪魔』が徘徊しているのは雪山。
私達は雪山を登る事にした。
それは
幸い、『悪魔』が発見されてから天候が荒れる事もなかったので、身体を
そして、今日、接敵した……という訳だ。
「エルシー……さっきの『悪魔』、特殊な能力を持ってなかったね」
「……まぁ、大した奴じゃなかったんでしょ?」
ユーリの言葉に、私は視線を戻した。
強い『悪魔』は特殊な能力を持っている場合がある。
『上位』ならば確実に。
『中位』ならば稀に。
今回のは原作に居たかも覚えてない『悪魔』。
つまり、特殊な能力を持つ程の『悪魔』ではなかったと──
「……あれ?」
ユーリが素っ頓狂な声を上げた。
何事かと私は声を──
刺すような、冷たさ。
「ひゃっ……!?」
思わず声が出た。
急激に、気温が下がっていくのを感じた。
だが、私達の着ている修道服には特殊な素材が使われている。
破れにくい、斬りにくいのは勿論のこと……暑くとも寒くとも一定の温度を保ってくれる。
なのに、冷たい感触があった。
つまり、防寒具を貫通するほどの冷気が通ったという事だ。
「……え、エルシー?」
「ちょっ、な……何よ?」
変な声をあげてしまったのを恥ずかしく感じて──
ユーリが真剣な顔で、私の背後を指差していたのを見て……慌てて振り返った。
「は?」
果てしなく続いていた夕焼けの雪原が……急に夜へと変わりつつあった。
暗雲が急速に、こちらへ向かっているのが見えた。
雪が舞い上がり、強烈な風となってこちらへ向かっている。
ブリザードだ。
『悪魔』の仕業か?
いや、違う。
確実に滅した筈だ。
だから、これは──
「……あんの、クソ『悪魔』っ!」
今までの穏やかな天候が『悪魔』の仕業という事だ。
『悪魔』が消滅した事で、本来の……激しい天候へと戻り始めたのだ。
再び、私達の間を冷たい……冷たすぎる風が通り抜けた。
拙い。
防寒具が、防寒具として機能していない。
雪が顔を叩いた。
「っ、くぅ……ユーリ!」
「う、っうん!」
「撤退!山小屋まで戻る!」
「っ、分かった!」
私はユーリを連れて、昨日拠点にしていた山小屋まで戻る事にした。
本格的に吹雪に飲み込まれる前に、戻らなければ……死ぬ。
自然を舐めていた訳ではない。
だが、足りなかったのだ。
警戒と、準備が。
私達は雪と冷気を存分に浴びて……山小屋へと、戻ってきた。
第一発見者の父親が使用していた狩猟小屋だ。
「く、っう、うっ……」
身体中が軋む。
冷たい、じゃない。
最早、痛い。
どうにか……私は震える唇で、詠唱を始める。
「し、『主よ』、ずっ……『凍える私に、地母神に温もりを』っ……『聖なる
酷い詠唱だったが、『奇跡』の模倣には成功した。
身体の奥底から熱が生まれて、暖かくなっていく。
「……っ、ふぅ……これで、なんとか……」
これは
この消費量なら翌朝までは持つだろう。
吹雪が通り過ぎるまで待機して、下山するには余裕がある。
だが、問題がある。
それは──
「っ……う、ぅ……」
自身の身体を抱きしめるようにして座っている、ユーリだ。
私の使った『奇跡』は、他人を対象にできない自己強化の『奇跡』だ。
ユーリにかけてやる事もできない。
私は修道服の上着を脱いで、ユーリに投げ付けた。
「それ、使えば?」
……『奇跡』を使っていても、上着が無ければ寒い。
でも、我慢できない程ではない。
「ご、ごめん……エルシー……」
力なく、震える声でさらに羽織るが……顔色は変わらない。
焼け石に水か。
……どうすればいい。
『悪魔』を倒したっていうのに、天候の変化で死んでしまうのか?
そんな馬鹿な話があっていいのか?
『聖なる
そもそも、こんな状態で使った事のない『奇跡』を成功させるのは困難だ。
だから……私の持っている熱を、ユーリと共有する事が出来れば──
「……ユーリ」
「う、うん……な、なに、かな?」
震える声で、気丈に返事するユーリの肩に触れる。
「……暖め合おっか」
「ふ、え?」
困惑するユーリの股を開き──
私は足の間に座った。
そして、ユーリの胸板を背もたれにした。
「……寒いから、前を閉めてくれない?」
「え、あ、うん」
私を中心に、ユーリ、そして私の上着。
といったように私はユーリを羽織るように座っていた。
ユーリがぎこちない様子で、私を足の間に挟んで……どうすべきかと、手を彷徨わせた。
私はその手を取って、私の前面へと持っていく。
「……もっと、ちゃんとして」
「で、でも……」
「死にたいの?」
「そ、そうじゃないけど……うぅ、ごめん」
ユーリが私を両腕で、背後から抱きしめた。
私の背に冷たい感触があった。
彼の体温が私より低い所為で冷たく感じているのだ。
つまり、その逆であるユーリからすれば……暖かいに違いない。
「……どう?」
「えっ、あ……暖かい、よ?」
ちらと視線を向ければ、ユーリは顔を赤くしていた。
それだけ暖かくなっているのだろう。
「……もっと、密着して」
「……ご、ごめん」
ぎゅう、と抱きしめられる。
筋肉質な腕の感触に少し心臓が跳ねた。
だが、今はそんな事を考えている場合じゃない。
ユーリもそんな事、気にしていないだろう。
「…………」
吐息が耳を通り過ぎた。
ユーリの呼吸するリズムが、背中を通じて感じられる。
外側へ露出している、ユーリの手の甲を外から触れる。
びくり、と跳ねたが……寒さには抗えないようで、無理に動かさなかった。
さするように撫でれば──
「こ、こそばゆいよ……」
なんて言うものだから、私は手を引っ込めた。
ごうごうと音が鳴る。
硝子をはめ込んだ木組みの窓枠が、ガタガタと揺れる。
吐息の音。
心臓の音。
呼吸、熱。
この静かな山小屋の中。
まるで狭い世界の中に、二人しかいないような感覚。
……寒過ぎて頭が回ってないのかも。
ため息を吐く。
「……ユーリ。
「うん……」
「とにかく今は、回復に専念して」
「分かったよ……」
言いたい事を言えば、また静かになる。
ガタガタと窓枠が揺れる。
この山小屋は『悪魔』に殺されてしまった狩人が管理していた小屋だ。
この中継地点がなければ、私達は今頃……どうなっていたかなんて考えたくもない。
ユーリの震えも収まっていく──
体温が幾分がマシになったのだろうか。
私は安堵を……いや、待て。
「……ユーリ?」
「…………」
返事は返ってこない。
……私は、ユーリの手の甲を抓った。
「あ痛っ!?」
「何で寝てんの……!?」
「あ、えぁ……え?寝……?あ……ご、ごめん!」
慌てて謝る声が背後から聞こえる。
……まずい。
体温が冷え過ぎて、脳の機能が低下している。
このまま寝れば……更に機能が低下して、永遠に目覚める事もなく──
「もう……」
私は背後に向き直る。
ユーリの顔が至近距離に──
「ちょっ、エルシー……!?」
「いいから……!」
真正面から、抱きしめる。
背後から抱きしめられるよりも密着できているだろう。
向き合って、耳にユーリの頬がぶつかる。
酷く冷たかった。
「……あ、わわ……」
ユーリが少し情けない声を出した。
触れている感触から、彼の体温が少し上がったのを感じた。
やっぱり、これが正解らしい。
「ユーリ、そっちも手を回して」
「う、うん」
恐る恐る、抱き締め返される。
「……だ、大丈夫かな?これで……」
緩やかに、だけど少し力強く……壊れ物を扱うように、抱き締められた。
「ユーリ、寝たら死ぬかも……だし……寝るのは禁止」
「……う、うん。分かったよ、ごめん」
真正面から抱き締めている都合上、表情を伺う事はできない。
ただただ、今は……それで良かった。
こんな顔、ユーリには見せられないから。
「こんな寒さ程度で死んだら……絶対、許さないから」
ユーリを死なせたくないという想いがあった。
そんな想いから、無意識のうちに抱きしめる力も強くなる。
「……それは……うん、分かったよ……死なないようにするよ」
「そうして」
私の鼓動と、ユーリの鼓動。
密着した場所から、二つの鼓動を感じる。
また、静かになる。
ごうごうと雪が降る音だけ聞こえる。
「……ユーリ?」
「……うん?」
「起きてるなら、良いけど」
時々、偶に名前を呼ぶ。
そうしてユーリが返事をする事に安堵する。
その繰り返しだ。
眠らないように、と。
一つ、名案が浮かんだ。
彼を眠らさない方法。
「……ユーリ。暇だから、何か面白い話して」
「え?僕が……?面白い話なんてないよ……」
ユーリに何か話させたら良いのだと。
眠気対策と、彼が起きている事の報告も兼ねている。
「いいから、何か話して」
「何かって……う、うーん」
ユーリは返答に詰まっているようだ。
それなら──
「じゃあ、好きな食べ物は?」
「え?」
「ほら、ちゃんと考えて返事して」
「あ、あぁ……それなら、えーっと……任務中によく食べてる、即席の野菜スープとか……好きかな」
「……は?あんなのが好きなの?」
目を瞬く。
任務で遠出して野宿などをする場合に作る料理だ。
干した野菜や、塩漬けの肉を水で煮込んで……適当に香辛料を突っ込んだだけの物だ。
他の
干し野菜も、塩漬けの肉も最悪そのまま食べられる。
金属製の水筒に、『奇跡』で火をかけるだけで、荷物を圧迫しないから私のお気に入りだ。
しかし、外で食べる物にしては上等だが、街中での外食に比べれば天と地の差がある。
「……好きだよ、僕は」
「物好きなの?」
「……かもね。でも、外で食べるあのスープは本当に美味しいから」
「……別に。変わらないと思うんですけど?どこで食べようと、美味しさなんて」
「ううん。何処で食べるか、いつ食べるか……誰と食べるか、で……きっと、凄く変わると思うよ」
ユーリの言葉に、少し納得した。
亡くなった相棒のシェリと一緒に行ったパンケーキ屋に、再び行った時……前よりも、美味しいとは感じられなかったから。
「……ふーん、まぁいいけど」
「逆に……エルシーは?好きな食べ物ってある?」
「は?私ぃ……?」
私は少し、脳裏に記憶を浮かべる。
好きな、食べ物……か。
「特にないかも」
「え?」
「強いて言うなら『美味しいもの』が好きだけど」
「……それを言ったら、僕も『美味しいもの』が好きだよ」
私の言葉にユーリは不服そうな声色になった。
言葉では理解できたとしても、納得はしたくなかったのだろう。
「……僕も、さ。その、エルシーについて知りたい事が沢山あるんだよ」
「……沢山?」
「うん、だってエルシー……自分のこと、話したがらないから」
「そんなこと──
ない。
とは、言えない。
……だって──
「話したくないし」
「……そっ、か」
ユーリはただ、少し悲しげな声を出した。
しかし、それだけだ。
追及する事はなかった。
それに安堵するべきなのだろうが、それでも少し胸の内が渦巻く。
まるで、どうでもいいかのように聞こえたからだ。
「食い下がったりしないの?」
まるで面倒臭い女のような発言に、ユーリは苦笑した。
「……言いたくない事は、訊かないよ。エルシーの迷惑にはなりたくないからね」
「……ふーん」
弱気な発言に、彼らしいと思うと同時に、少し落胆した。
彼の言動は私の事を想って、無理に踏み込まないようにしてくれている。
だけど、それが何故か……少しだけ、意味も分からないけど、虚しかった。
「……じゃあ、次。最近、頑張ってること」
「『奇跡』の習得を頑張ってるよ……僕、筆記とか苦手で……」
「……ふーん」
相談してくれれば教えてあげても良いのに。
なんて、私からは絶対に口にしないけれど。
「エルシーは?」
「私は……特に何も?頑張るような事って、ないし」
「……そうやって誤魔化して、狡いよ」
「は?誤魔化してないし?努力が必要ないぐらい、頭の出来が良いってコトなんですけど?」
ユーリのため息が耳に聞こえた。
なんとも失礼な奴だ。
「じゃあ、次は──
ごうごうと、吹雪が唸る。
窓を叩く音が静寂を打ち消す。
それでも、外の世界はどこか遠くに感じている。
私の身体の熱。
ユーリの触れる感触。
硬い……鍛錬によって付いた筋肉は彼の直向きな努力を感じさせる。
こうして、質問を交えて。
互いの話をして。
……中々にない機会だった。
私と彼は
知っているつもりだった事も、知らなかった事も……少しずつ、新しく埋めていく。
この世界は陰鬱で、残酷なゲームの世界だ。
それでも……今、触れている感触は現実だから。
知ったつもりでいたとしても、本当は違うのかも知れない。
……そうして、幾つかの質問を重ねて。
私は一つ、どうしても訊きたい事が出来た。
「ユーリはさ……」
この世界について、これからについて……どうしても、訊きたい事。
「……うん?」
「好きな人とか、いるの?」
この世界、『純血の
その分岐は……誰と親交を深めるか、で分かれる。
それこそ恋愛ゲームと同じで、どのヒロインを選ぶかで変わる。
だから、今……ユーリがどのヒロインの元に進んでいるのかを知りたかった。
「……好きな人?」
「そう……好きな、人」
と言っても、彼と本格的に交流があるのはフロイラぐらいか?
それとも、私の知らない場所で別のヒロインと交流を深めて──
「僕は……ええと……」
だけど、どうしてだろうか。
こうして不安になってしまうのは。
……きっと私が育てた、と言ってもいいユーリを誰かに取られるのが嫌だからだ。
彼に対して私は、独占欲を持っているのだろう。
「僕は……エルシーが、好きだよ」
心臓が跳ねた。
想定外の返答に、思わず……ユーリを突き飛ばしそうになった。
震える唇を、開く。
「……フロイラは?」
「え?も、勿論……フロイラさんも好きだけど」
その返答で、動悸が静かになっていく。
彼に聞こえるようにため息を吐いた。
「……そういう意味じゃなくて、好きな異性は居ないの?って意味」
「……え?あ、いや、それは……」
やっぱり気付いていなかったみたいだ。
私は安堵した。
それと共に、少しだけ『がっかり』した。
……何で、落胆したのだろう。
いや、きっと気の所為だ。
これは何かの間違いだ。
ユーリがまた、口を開いた。
「じゃあ、逆に、エルシーはどうなの?……す、好きな男の人とか、いるの?」
「……いる訳ないでしょ」
私は否定しながら、少し視線を逸らした。
残り6年しか生きられないのに、これからの人生を誓おうなんて……無責任だろう。
それに私は……前世で異性で、身体も傷まみれで、性格も……。
だから、きっと……私の事を好きになってくれる人なんて、居ない。
「……私を、好きになる人なんて」
ぼそりと、小さく漏らしてしまった言葉。
『エルシー』らしくない弱気な言葉だ。
明らかな失態だとしても、一度口にした言葉は戻りはしない。
「…………」
だけど、ユーリはただ黙っていた。
聞こえなかった、のだろうか。
だとしたら良かった。
誤魔化さずに済むのだから。
……ああ、全く。
夜も更けて……眠くて、寒いから。
きっと頭が回っていないのだろう。
こうして変な事ばかり考えて。
こうして変なミスをして。
こうして……。
風が雪を巻き上げる。
暗闇の中で、白い雪が……ただ、流れるように雪原を撫でていた。
◇◆◇
……エルシーが、僕に密着している。
柔らかくて、小さくて、暖かい。
それに少し、良い匂いがする。
彼女は凄く強い
知っていたし分かっていたけれど、知らないし分からないフリをしていたけど。
好きな人、と訊かれて咄嗟に彼女の名前を出してしまったのは……僕にもよく分からなかった。
だけど、多分……きっと、アレが本心で。
僕は自信がなくて、彼女の言葉に便乗して誤魔化してしまったけれど。
……それでも、きっと。
「…………」
僕はエルシーの事が、好きなんだと思う。
ハッキリと断定はできないけれど。
彼女を抱きしめた時に、守りたいと思ってしまうぐらいには……絆されている。
僕より彼女の方が強いけれど、それでも守りたいと想ってしまった。
……先程の、エルシーの言葉を反芻する。
『いる訳ないでしょ……私を、好きになる人なんて……』
そんな事はない。
少なくとも僕は……君の、事を。
だけど、僕は弱くて、彼女の迷惑にしかならなくて……好意を言葉にする事も出来ない。
きっとエルシーは、僕が好意を抱いている事なんて知らない。
知ったって迷惑にしかならないだろう。
だから、言えない。
勝手に逃げ道を作って言い訳して……本当に情けない話だ。
それでも、いつかは……彼女の横に立てるようになりたいと。
そんな淡い自惚れを抱いて……僕も、いつかは。
鍛錬をして、勉強をして、経験を積んで。
少しずつだけど、僕も強くなっていっている。
だから、そう……いつか。
エルシーの隣に立っても、恥ずかしくないような人になれたら……その時は──
「…………」
窓の外、降り積もる雪は地面を隠していた。
ただ真っ白に塗りつぶされた景色だけが、僕の目には映っている。
降り積もる雪が、枯れた木に積もり……大きな音を立てて、崩れ落ちた。
ごうごうと、吹雪く音だけが僕の耳に響いていた。
それから、数時間経って……太陽は昇り、吹雪も止んだ。
エルシーが小屋の戸を開けて、外に出た。
まだ硬くなっていない雪を踏み締めたら、軋むような音が鳴った。
見上げれば雲一つなく、太陽光が降り注いでいる。
白銀の雪原が雪を反射して、眩しいぐらいだ。
こうして一睡もせず過ごした後の目には毒だ。
目を擦って──
「……ユーリ?大丈夫?」
心配するような表情を浮かべるエルシーに、視線を戻した。
雪に反射した光が彼女の肌を照らしている。
だからか、いつもより綺麗に見えた。
それとも、昨晩の所為なのか。
僕は気を紛らわせるように、首を小さく横に振った。
「大丈夫だよ、エルシー」
「……眠気がある状態での下山は危ないから、本当に限界だったら言って。私が背負って下りるから」
「……うん、本当に限界が来たら言うよ」
嘘だ。
そんな恥ずかしい真似はしたくないから……多分、言えない。
僕は無理矢理、元気を出して背伸びをした。
そして……エルシーが何かに気を取られているのを見た。
僕も視線を、彼女の見ている先に向けて……あぁ、なるほど。
遥か先の方から、太陽が昇っているのが見える。
そして、遠くになれば遠くになるほど青白く変わっていく景色も。
葉のない木々に霜が降りて、まるでガラスの花のように見える。
それをただ、エルシーは少し呆けたような顔で見ていた。
……僕は、口を開く。
「……良い景色だね、エルシー」
そう言えば、エルシーは少し嬉しそうな顔をして頬を緩めた。
「まぁまぁね、大した事ないけど……」
口ではそう言いながらも、彼女の表情は穏やかだった。
だからきっと、これは彼女なりの強がりだ。
僕は、雪に反射された光を浴びる彼女の姿に見惚れながら……そう、思った。