早朝。
港町ウェラポリ教会。
自宅からやってきた司祭オーヴェンは、私とユーリを交互に一瞥し……口を開いた。
「昨日はよく寝れ……てないようですね?何かありましたか?」
彼の視線はユーリに向けられた。
その頬が少し赤くなっているからだ。
「「いえ、何も……」」
「はぁ……?なら、良いのですが」
私とユーリの異口同音の返事に、司祭オーヴェンは首を傾げる。
私は指先を弄りながら、早朝の出来事を思い出していた。
昨日、ユーリと私は教会の同室で睡眠を取った。
ユーリはベッドで、私は床で寝ていた──
筈だったのだが、目が覚めると私もベッドで寝ていた。
驚いた私は思わず、ユーリを叩いてしまったのだが……どうやら、その私が寝ぼけて入ってしまったようで。
冷静になると、流石にユーリが可哀想である。
かといって、好感度を上げたくない私は謝る事も出来ない。
互いに罪悪感を拗らせて……こうして二人、気不味いまま今を迎えた。
ため息を吐いて、話題を逸らすべく口を開く。
「……にしても、ここの教会ボロすぎない?部屋に穴が空いて、水漏れまでしてたんですけど?」
壁に穴は空いているし、床は軋むし、塗装は剥げている。
野宿よりはマシだが、宿泊施設としては下の下だ。
私の悪態混じりの疑問に、司祭オーヴェンは申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「あー、っと、申し訳ない。ウェラポリ支部には金銭が無くて」
「貧乏って事?そんなにお布施貰えてないの?」
「いえ……まぁ、そう……そんな所ですね」
「はぁ……?」
濁すような返事に思わず眉を顰める。
葬送教会の教義として、信徒からのお布施を私財として着服する事は重罪だ。
規模にもよるが極刑は免れない。
訝しむ目を向けていると、司祭オーヴェンは苦笑した。
「はは、では。教会を開けなくてはならないので……準備に向かわせて頂いてもよろしいですか?」
「……好きにすれば〜?」
腕を組みながら、私は壁にもたれる。
この司祭が何か悪事を働いていようとも、今回の任務に関係はない。
『悪魔』討伐の邪魔さえしなければ、私は干渉するつもりはない。
『人』と『悪魔』を同時に相手取るのは難しいからだ。
『悪魔』の前で面倒ごとは避けたい。
「あ、あの、オーヴェンさんっ──
私が無関心を貫いている中、ユーリが手を上げた。
「教会の準備、僕も手伝って良いですか?」
私は目を瞑り、眉間に指を当て……ため息を吐いた。
筋金入りのお人好しだ。
確かに、私達に予定はない。
町の人への聞き込みも、司祭オーヴェンからのまた聞きで問題ない。
そして『悪魔』は夜間にしか行動しない。
つまり、暇……自由時間なのだ。
ならば、自由時間に何をしようとユーリの勝手だ。
しかして、司祭オーヴェンは満面の笑みでユーリに視線を向けた。
「えぇ、はい。しかし、よろしいのですか?」
「はい、泊まらせて頂いてますから……何か、恩を返したくて……」
目の前で暑苦しい見た目をした初老の男と、修道服を着た若い男が目を輝かせている。
こっそりフェードアウトしたい気分だ。
結局、ユーリは教会の掃除や、花の入れ替え等、色々と仕事を任せられていた。
まぁ、私は手伝うつもりはない。
単純に面倒だという気持ちもあるが、こういう善人ムーブは私の御法度なのだ。
私は教会内の長椅子に座り、講壇を布で拭くユーリを見ていた。
隅から隅まで、几帳面に拭いていく姿に少し感心する。
しかし、何もしないのも苦痛である。
私は口を開き──
「ねぇ〜、ユーリ?」
ユーリに声を掛けた。
「え?何?どうかした?」
「なんで教会の手伝いを買って出たの?」
「なんでって……オーヴェンさんに言った通りだよ。これから世話になるし、手伝える時に手伝いたいなって」
本当にお人好しだ。
だからこそ、こうして良いように使われているのは少し気に食わない。
「……
「分かってるよ。でもさ、それでも……誰かに良くされたら、それを返したいんだよ。僕は」
「……ふーん、まぁ良いけど」
教会が
つまり、仕事だ。
それをユーリが知らない訳はないだろう。
それでも、恩を受けたのだから返すべきだと思っている。
そこを……否定するつもりはない。
その善性は美徳だ。
冗談でも、嘘でも、彼のお人好しを馬鹿にするつもりはなかった。
代わりに、疑問を口にする。
「でも、ここの司祭ってさ、少し怪しくな〜い?」
この町は漁も貿易も盛んで、規模も大きい。
お布施もそれなりに貰っている筈だ。
なのに、教会の修復費用すら賄えていない。
だから、この教会を管理している司祭は怪しいと感じた。
事を荒立てるつもりはなくても、この疑念はユーリと共有したかった。
人を信用するのは良いが、疑う事も覚えて欲しかったからだ。
「まぁ、それは……そうかもね。でも、僕はオーヴェンさんが悪い人だとは思わないよ」
「……何で?」
「だってほら、良い人だから」
「……はぁ?理由になってなくない?根拠は?」
思わず、組んでいた足を崩し、前のめりになる。
「えっと……う、うーん……勘?」
「何それ、ウケるんですけど」
嘘だ、愉快な訳がない。
本心では苛ついている。
『お人好し』なのと『騙され易い』のは別だ。
前者は治す必要のない美点だが、後者は明確な欠点だからだ。
説教しようと思って口を開こうと──
「僕、結構そういうのは得意だから……」
ユーリに遮られた。
眉を顰めて、私は問いかける。
「は?『そういうの』って何?」
「良い人か、良い人じゃないかを見分けるのが……僕は、得意なんだよ」
「……ふーん」
思わず失笑した。
人を見る目があるなら、私と
何を自信満々に言っているのかと、呆れてため息を吐く。
「はぁ……まぁ、別に?好きにすれば?私は手伝わないけど」
「うん、僕が勝手にやってる事だからね……エルシーはそのまま座って良いよ」
「ユーリに言われなくても」
私は長椅子に深く座り直して、体重を背もたれに預けた。
そうして、少しして。
掃除を終えて。
「ありがとうございます、ユーリさん。貴方のお陰で綺麗になりましたよ」
「い、いえいえ」
「本当に助かりました……この教会に在籍している司祭は私一人ですから。普段はもっと小さな規模で掃除しているんですよ?」
「は、はは……」
褒められなれてないのか、ユーリは照れている。
そんな彼の様子を私は細目で見ていた。
しかし……ふーん、どうりで。
客室の家具に、埃がのっていた訳だ。
彼一人で教会を掃除しているのだから、普段は誰も来ない客室など後回しになるだろう。
納得していると、司祭オーヴェンが再び口を開いた。
「それでは……私は、これからお客さんをお迎えしなければなりませんので──
「はぁ?客ぅ?」
思わず疑問を口にすれば、司祭オーヴェンが私へ目を向けた。
その顔には朗らかな笑みが浮かべられていた。
「はい、小さなお客さんです」
「答えになってな──
勿体ぶるような返事に眉を顰めていると……教会のドアが開いた。
そこには一人の少年がいた。
「先生!おはようございます!」
「えぇ、おはようございます。ケビン」
この、ケビンと呼ばれた少年が小さなお客さんか。
決して上等とは言えない服装から、町の権力者の子供って訳でもなさそうだ。
どこにでもいる……いや、少し見窄らしい少年。
そんな印象を抱いた。
しかし、そんな少年が客?
一体、何者かと──
「おはようございます〜」
「えぇ、おはようございます。エミリ」
「……おはよ」
「はい、おはようございます。メアリー」
一人、また一人と教会に人が増えていく。
その誰もが十代前半ぐらいの子供だ。
そして、その一人一人を司祭オーヴェンは認識していた。
気付けば20人近い子供が来ていた。
訝しみつつも、困惑している私を司祭オーヴェンは一瞥した。
そして、子供たちに視線を戻した。
「皆さん、先に勉強部屋まで向かってくれますか?」
「はーい」
「はい!」
子供達は『勉強部屋』に向かうべく、足を進めた。
そうして子供達が居なくなって、ようやく司祭オーヴェンの向き合えた。
「さっきの
「この街の……両親を亡くした子供ですよ」
つまり、孤児という事だ。
……薄っすらとは勘付いていた。
二人、三人と増えていく中、裕福な格好をした子供が居なかったからだ。
だから、私にとっては答え合わせでしかなかった。
しかし、ユーリは気付いていなかったようだ。
その様子に司祭オーヴェンが説明を始める。
「ここは聖地から離れていますからね。町に修道院もありません……孤児院も」
ユーリが首を傾げる。
「それは、そうですが……彼等は『悪魔』の被害者なんですか?」
「いいえ?ですから、聖地の修道院に送るのも憚られるのです」
司祭オーヴェンは首を横に振った。
ユーリは目を瞬いて、私を一瞥する。
何故、この町に孤児が多いのか……分かってなさそうな顔だ。
私はため息を吐いて、指を立てた。
「ユーリ」
「う、うん?」
「この町は港町。船乗りが多い町って分かってる?」
「うん……でも、それで何で孤児が──
「船乗りは、危険を伴うから。分かる?」
「あっ……」
そこまで言えば気付いたようで、ユーリは司祭オーヴェンへ目を向けた。
「あの子供達は海で亡くなった船乗りの……子供、ですか?」
「はい、そうです。この町で親の居ない子供の九割は、亡くなった船乗りの忘れ形見ですよ」
司祭オーヴェンは憂うような表情を浮かべていた。
……この時代、海に出るのは命懸けだ。
近代のような船ではなく、安全は保証されていない。
それでも海に出るのが彼等の仕事だ。
私は自分の考えが正解していた事に頷き……この教会が貧乏な理由を悟った。
視線を司祭オーヴェンへと向けた。
「アンタさぁ……もしかして、お布施を孤児の炊き出しに使ってる?」
「はい。ですが、炊き出し以外にも使ってますよ」
「ふーん……あっそ」
私は首の裏を掻く。
聖葬教の教義からすれば、彼の行いは褒められた物ではない。
教会は慈善事業ではないからだ。
しかし、私は事を荒立てるつもりはなかった。
面倒だから、だけではなくなった。
彼の行いに賛同する気持ちがあるからだ……決して、口にはしないが。
そして、孤児を預かっている所為で教会が貧乏だという秘密を、どんな心境の変化か教えてくれたのだ。
私を……いや、ユーリの行動から信頼に足る人物だと認識したからだろう。
私は何もしていないが、その信頼を裏切るつもりはない。
私は司祭オーヴェンへと視線を戻した。
「……で?アンタはコレから、その
「はい、そうです」
「……物好きね。見返りもないのに」
貧乏な子供は、一銭も払えはしないだろう。
無償の奉仕だ。
ユーリを横目で見れば、目を輝かせていた。
……尊敬の念、という奴か。
そんなユーリへ司祭オーヴェンが視線を向けた。
「あぁ、そうだ。ユーリさん。よろしければ彼等に勉学を教えて頂けませんか?」
「え?僕が、ですか……?」
ユーリが私を一瞥した。
勉学に自信がないのだろう、助けを求める目だ。
私はそれを敢えて無視した。
「なに、聖葬教の教義や歴史についてでも話して頂きたいのです」
対して、司祭オーヴェンは彼に勉学ではなく、
しかし、その言葉に私は眉を顰めた。
「そんなのアンタが教えれば良いと思うんですけど。聖葬教の司祭でしょ?」
「それでは意味がないのですよ。私だけが教師をしていれば考え方が凝り固まってしまいます。彼等には様々な視点を持って欲しいのです」
「……あっそ」
「それに──
そして、司祭オーヴェンが視線を下げた。
着崩した祭服に視線が移る。
「恥ずかしながら、聖葬教の教義について詳しくないんですよ。見ての通りですが」
「……アンタ、司祭よね?」
「はい、司祭ですが」
「…………はぁ」
思わずため息を吐いた。
司祭の仕事は教義を説いて、信徒を増やす事だ。
こんなので、ちゃんと信徒を……いや、ちゃんとしてないから信徒が少なく、お布施も足りず貧乏なのか。
呆れている私から、ユーリへと視線が戻る。
「で、どうでしょう?ユーリさん」
「あ、えっと、その……」
ちら、ちらとユーリが私を見る。
許可が欲しいのか?と思っていたが……どうやら、違うようだ。
観念したように口を開いた。
「……すみません、僕も。その、詳しくなくて。教書ぐらいの話しか出来ませんし……」
私は聞こえるようにため息を吐いた。
その仕草にユーリは誤魔化すような笑みを浮かべている。
そして、二人に顰めた顔を向ける。
「はぁ……二人とも、教会に所属している自覚がないってこと?ありえないんですけど」
正論を投げ付けると、彼等は視線を逸らした。
情けない話だ。
特に、ユーリは座学を軽視しているのか?
確かに
私が眉間を指で揉んでいると、司祭オーヴェンが口を開いた。
「……では、エルシーさんは詳しいのですか?」
「当たり前なんですけど?私は『上位』
ユーリが横で小さく「え、そうなんだ……」って驚いていた。
彼は『下位』の
一度も昇格した事がなく、知らないのも無理はない。
いや、知っていて欲しいが。
教会も自身と同じ法で動き、同じ思想を持つ者を優遇したいに決まっている。
当然の話だ。
そんな私の考えを知らずか、司祭オーヴェンは嬉しそうな表情を浮かべた。
「それはそれは……では、エルシーさんが彼等に教えて頂けませんか?」
なんて口にするから、私の眉間に皺が寄った。
「は?何で私が──
「えぇ、頼みます。私も教本程度しか彼等に教えられませんから」
「やるって言ってな──
「私では彼等の疑問に答えられませんから……本当に喜ぶと思いますよ」
「ちょっとは話を聞きなさいよ!」
私が怒鳴ると、隣のユーリの肩が跳ねた。
対して、司祭オーヴェンは怯える様子も驚く様子もない。
肝が据わっている。
……この見た目だし、司祭をする前は船乗りでもしていたんじゃないか?
そう思わずにはいられない。
彼は目を瞬き、私に視線を向けた。
「……していただけないのですか?」
「やる訳ないんですけど?」
「そうですか、残念です」
「…………ふん」
司祭オーヴェンが目を伏せる。
申し訳なさそうな、不甲斐ない表情を浮かべている。
私は無言で腕を組み、それを無視していた。
「現役の
「…………」
無視しながらも、内心の中でモヤモヤとしたものが渦巻く。
「本当に残念です……ですが、エルシーさん達にも仕事がありますからね。仕方ありません」
「…………」
指で、自身の二の腕を叩く。
先程の子供達を脳裏に思い浮かべる。
貧しそうな格好をしていた。
船乗りである父を失い、母の手一つで育てられて……いや、もしかしたら母親も居ないのかも知れない。
そんな子供を……孤児達を、私は突き放すのか?
いや、だが仕方ないだろう。
子供を想い、無償で働くオーヴェンのような行動は、間違いなく善行だ。
私は寿命を代償に『奇跡』を行使している。
後どれほど生きられるかも分からない。
そう、きっと私の生い先は短い。
そんな私が誰かに優しくしてしまえば……誰かに好かれれば。
間違いなく、残された者たちへの負担になる。
だから──
「はぁ……」
言い訳を脳裏に幾ら浮かべても、それは現実逃避でしかない。
側にいるユーリに視線を流す。
私と目があって、彼は逸らした。
……やはり、彼から私への好感度は低いだろう。
だから、少しぐらい……素直になっても、大丈夫だろう。
それにどうせ、任務が終われば孤児と会う事も二度となくなる。
だから──
「……仕方ないわね。やってあげても良いわ」
「……はい?」
「
隣のユーリが少し驚いたような表情を浮かべていて、少しうざったかった。
◇◆◇
今から1000年以上前。
人間を食らう黒いモヤと、人は争い続けていた。
しかし、人は無力だった。
その黒いモヤ……『悪魔』と戦う術など持っていないのだから。
そんな中……後に『聖地』と呼ばれる土地に、1人の女の子が生まれた。
彼女こそが『聖女レイライン』。
神に愛された子であり、『悪魔』に対抗する力を得た『奇跡』の子だ。
彼女は128の『奇跡』を身に宿していた。
あらゆる事が出来て、あらゆる『悪魔』を討つ事が出来た。
それだけではない。
彼女は自身の『あらゆる物を言語化できる奇跡』を使用し、自身の持つ『奇跡』を本に纏めた。
言語化された『奇跡』は聖句と呼ばれ、特定の手順で詠唱する事で
それは彼女自身ではなく、他の人が『悪魔』に対抗できるようにという優しい願いだった。
彼女は
それが『聖葬連盟』。
彼女の死後も、人が『悪魔』に立ち向かえるように作られた組織だ。
そして彼女の死後、残された者たちによって聖女レイラインは神格化され──
現在の『聖葬教会』へと在り方を変えたのだ。
──ってこと。分かった?」
そう、教書に書かれた内容に予備知識を盛り込みつつ、エルシーは子供達に教えていた。
時には歴史だけではなく、現状を交えて。
ただの過去の知識ではなく、彼等の糧になるように。
「「はーい!」」
エルシーの問いに、子供達は元気に返事をしている。
僕は子供達より離れた席に座り、彼女の講義を聞いていた。
そして、僕の隣には司祭オーヴェンも居る。
彼は感心したような顔で頷き、僕へと視線を向けた。
「……驚きました。彼女は教師に向いていますね?」
小さな声で、授業の邪魔にならないように。
エルシーに聞こえないように話しかけてきた。
「……僕も、ちょっと驚いてます」
「そうなのですか?人に物を教えるような事は、経験がなければ熟せません。誰かに教えているような場面を見た事はないと?」
「それは──
ふと、脳裏に浮かぶ。
普段の彼女の姿を。
僕に対して偉そうに、それでも為になる教養を語る姿を。
僕は首を横に振った。
「普段から……確かに、僕に色々と教えてくれてます」
「……そうですか」
「といっても、あんなに優しくはないですけど」
僕は自嘲気味にそう言った。
相手は子供達なのだから、僕と比べるのは良くないけれど。
普段見せている彼女の苛烈さは今、鳴りを潜めていた。
普段の彼女は何故、どうして……。
僕は椅子に深く座って、教壇に立つ彼女の姿を見つめる。
どこか、少し楽しそうな彼女を──
「彼女は優しい人なんでしょうね」
横から声が聞こえた。
「……エルシーが?」
「はい。貴方もそう思いませんか?」
僕はその言葉に視線を向けず──
「……はい」
ただただ、小さく頷いた。
彼女は何故か露悪的に振る舞っているけれど、本当は……今の姿の方が、彼女の本当なのだろう。
……いつか、彼女が素直に振る舞えるようになれば良いな……と、僕は思った。
そして、その時、僕が彼女の手伝いが出来れば良いな……とも。
手元にあるボロボロの教書を、僕は捲った。
◇◆◇
「……全く、余計な事で寄り道しちゃったんですけど」
文句を言いながら、エルシーが砂浜に杭を刺した。
杭は銀色で、聖葬教会の紋様が彫られていた。
「……ごめん、エルシー。付き合わせちゃって」
「……別に。謝る必要はないと思うけど」
僕は彼女が砂浜に刺した杭を、強く踏んで深く突き刺す。
杭の頭が目立たなくなるまで、砂浜に埋める。
これを何度も、港町ウェラポリの海沿いの砂浜に設置していく。
桟橋がある箇所は縄を使って固定する。
教会での用事が終わった後、僕達はウェラポリの海沿いに来ていた。
そうして今、作業を終えた頃には……空の色も茜色になっていた。
結構な重労働だ。
そして、何故、こんな事をしているのかと言うと──
「準備完了っと……ユーリは少し離れて」
「あ、うん」
エルシーが杭の一つの前に立ち、両手で杭を押さえた。
彼女の身体から、
目に見えるほどに膨大な
杭から杭へ、その杭から別の杭へ。
今まで設置してきた杭を中継し、港町ウェラポリの海岸を覆う。
「『主よ、貴方に仇為す悪しき者の不義を照らしたまえ』」
聖句の詠唱と共に、彼女の
「『
杭が青白く光り、空間を照らす。
頭上に立ち昇り、光の柱がウェラポリの港を空へと繋ぐ。
少しすれば……光は収まり、足元の杭が辛うじて光っているだけとなった。
「……ふぅ、こんなものね」
エルシーは汗を拭って、息を深く吐いた。
これは『悪魔』の接近を知らせる『結界を作り出す奇跡』。
つまり、聖女レイラインが持っていた128の『奇跡』の一つ……それを再現したのだ。
結界は杭を中心に発生し、範囲の中に入った『悪魔』の位置を術者に知らせる。
結界の範囲は込められた
これで海から上陸しようとする『悪魔』が、上陸する前に発見できるだろう。
エルシーの手際の良さに敬服する。
落ちる太陽の光を浴びて、彼女の頬は赤く染められていた。
それはまるで、町で売られている美人画のようで──
無意識の内に見惚れていた僕に、彼女が視線を戻した。
そして、訝しむような表情を浮かべた。
「……なんで呆けてんの?」
「え、あっ……そ、その、ごめん」
「はぁ……?意味分かんないんですけど」
彼女は疲労からか、それとも僕に呆れたのか……いいや、両方の意味でため息を吐いた。
「あーあ。ユーリも早く、これぐらい出来るようになって欲しいんだけどなぁ……」
「……ご、ごめん」
彼女の頬に汗が伝う。
肉体的疲労と、
申し訳なく思っていると、エルシーは少し呆れたような表情で笑った。
「ユーリは幾つ、『聖書』の『奇跡』を使えるの?」
「……3つだよ」
「……頭わるわる
「……うっ、でも同期に比べれば……覚えてる方だし……」
この言い訳は事実だ。
『下位』の
その中でも詠唱が得意な
だから、僕は多い方なのだけれど……。
「やっぱり、バカなの?」
そんな僕の言い訳を聞いたエルシーが、僕の頭に手刀を喰らわせた。
……痛くはない。
力も
「その辺の『下位』
「……ご、ごめん」
「全く……」
エルシーに出会うまでは1つしか使えなかった、とは言わない方が良いだろう。
何を言っても言い訳でしかないからだ。
そして代わりに、ふと疑問が湧いた。
「……エルシーは幾つ使えるの?」
「101よ」
……目を瞬く。
確かにエルシーの詠唱する『聖句』の種類は多いと思っていた。
任務によって最適解の『奇跡』を再現しているからだ。
だがしかし、まさか……128個中、101個使えるなんて──
「じゃあ……あと、27個覚えたら全部使えるって事?」
「……はぁ、バカ過ぎなんですけど?」
僕の問いに対して、返答の代わりに罵倒と手刀が落ちてきた。
心なしか、先程より少し力が籠っていた気がする。
何故叩かれたのか分からなくて目を回す僕に、エルシーがため息を吐いた。
「聖女レイラインが聖書に残した奇跡は101個だけなんですけど。そんな事も知らないの?」
「え?……そうなの?128個持ってたのに、なんで?」
「……はぁ」
エルシーが眉間を指で揉んだ。
そして、砂浜から立ち上がり歩き出した。
慌てて、僕は彼女の後ろを歩く。
「聖女レイラインが持っていた『
「……再現したらダメな奇跡ってあるの?」
「そう。何かを代償に扱える『奇跡』があるの。命とか、身体の一部とか、記憶とか……寿命とか」
「え……?」
凡そ、『奇跡』と呼ぶには物騒な話に驚く。
「聖女レイラインは自分が残した『奇跡』で誰かが傷付くのが嫌で、残さなかった……そして、教会も信仰を守るために明示しなかった」
砂浜に残る彼女の足跡をなぞり、僕は歩く。
「それが『27の知られざる奇跡』。別に教会が隠しているって訳じゃないけど、教書には書いてない公然の秘密」
「……そんなのが──
って、『聖書』に残されていない奇跡は27だって?
128個中の27個が再現できない奇跡だとしたら──
「って、あれ?じゃあエルシーが使える奇跡は101個って事は──
「そう。現存する『奇跡』の詠唱と再現が、全て出来るって事」
目を瞬く。
「……エルシーって凄いんだね」
「は?今更?」
いや、凄いのは知っていた。
僕と同年代なのに『上位』だという事も。
僕なんかよりも何倍も『聖銀器』の扱いが上手いという事も。
「え、いや、その……改めて凄いな、って」
「……ふーん、そう」
エルシーは何故かバツの悪そうな顔をして、視線を逸らした。
彼女は自信満々で、いつも不遜なのに……こうして褒められると嬉しくなさそうな顔をする。
照れ隠しでもなく、本当に嬉しくなさそうに──
「はぁ……ユーリ、そろそろ帰らないと。司祭に譲ってもらった寝具、室内に運ばないといけないでしょ」
「そ、そうだね」
不機嫌そうな表情で、僕に視線を戻した。
僕は慌てて彼女の側に駆け寄った。
横に並べば、僕より低い彼女の……薄紅色の髪が目に映る。
波の音と、潮の香り。
茜色の夕日。
全てが彼女の魅力を引き立てているようで。
僕は動悸している。
大きな心臓の音だけが聞こえていた。