笑顔、会話、やつれた頬。
誰もが正気を失いながら、非日常の中で日常を過ごしている。
彼らは『悪魔』に魅せられた夢の中で生きている。
先程までの僕と同じく。
鼻を甘い腐臭が貫く。
「……酷い……臭いだ」
僕は修道服の裾を引き上げて、口元を覆う。
これで多少はマシになる筈……と思ったけど、どうやら焼石に水みたいだ。
熟した……いや、熟し過ぎた果実のような臭い。
恐らく、この臭いが街の人を狂わせている原因だろう。
僕は街の中にいる人達を助ける事を、今は諦めている。
これだけの人数、僕の
今、命の危機ではないなら後回しにするべきだ。
今はただ、『悪魔』を討つ事を優先する。
そして、その為には──
「エルシーと合流しないと……」
自身の
この能力の規模から、『悪魔』の位階は恐らく『上位』だ。
僕一人で勝てるかは怪しい。
勝てない相手に、準備もせずに挑むのは勇気じゃない。
戦う前にできる事をしてから戦う。
……エルシーがよく言っていた。
僕の敗北は街の人々に対する危機に繋がる。
だから、負ける訳にはいかない。
「…………」
……街を出歩いている人の数が普段より少なそうだ。
道幅から分かる。
普段はもっと活気がある筈だ。
じゃあ、何で……人が減っているのか?
「…………っ」
『悪魔』は人間を食らう。
腹が減るから、ではない。
人の負の感情から生まれた『悪魔』は、人を食らう本能を持っているからだ。
それにより肉体を構成する負のエネルギーを増幅させて、より強大な『悪魔』になる。
なら、この街を支配している『悪魔』は?
……この能力の規模、何人食ったんだ?
聖銀の
最悪の事態を想定しつつ、それを否定する事で心を保つ。
エルシーがこの街に入ったのは前日だ。
なら今、彼女は……最悪の、場合──
「……大丈夫、エルシーなら」
エルシーは僕なんかより凄い『上位』の
自分に言い聞かせるように何度も脳内で反芻する。
だけど、それでも僕は焦る気持ちを抑えられずにいた。
気付けば早足になっていた。
◇◆◇
「……あ、れ?シェリ?何処に向かおうとして、るの?」
「え?さっき言ったじゃないですか!宿屋に行くって!」
シェリの言葉に、私は首を傾げる。
「でも、宿屋なんて取ってなかった筈なのに……」
「エルシーさん、忘れたんですか?ここに来た時、最初に取ったじゃないですか」
「え、あれ?」
そうだっけ?
そうだった気がする。
そうだった。
そう、私達はこの街に来た時に宿屋の予約をとっていた。
何故忘れていたのだろう。
「ほら、エルシーさん!やっぱり体調が悪いんですよ!ちゃんと宿屋で休まないと……」
「そ、そんな事はない筈だけど……」
身体は動く。
頭も動く。
頭痛はない。
吐き気もない。
だから、疲れてなんて、ない……のに。
思考に霧がかかったように不明瞭で、分からない。
「大丈夫ですよ!エルシーさん」
甘い香り。
「何も、おかしな事なんてないですから」
甘い思考。
「だから、気にしなくて良いんですよ」
甘い思い出。
「さぁ……行きましょう、こちらへ──
手を引っ張られて、私は路地裏へ──
暗がりの中へ、足を──
瞬間、もう片方の手を引っ張られた。
「……え?」
シェリは私を路地裏へ引っ張ろうとしている。
その反対側には……知らない男の子が居た。
焦ったような表情で口を開く。
「エルシー!ダメだ、そっちに行ったら……!」
その男の子は、私を知っていた。
でも私は知らなかった。
誰だろう?
知らない。
「エルシーさん!そんな人、放っておきましょう!」
あぁ、そうだ。
私はシェリと一緒に行かないと。
「エルシー!目を、覚ますんだ!」
何を言っているのだろう。
私は眠ってなんかいないのに。
それでも必死な形相の男の子を無碍に出来なくて、私は小さく頭を下げた。
「私、シェリの所に行かないと……だから」
「シェリ、さん……?まさか……」
私の言葉に何か気付いたようで、首を横に振った。
「違う!それは『悪魔』が見せている都合のいい幻覚だよ……!」
幻覚?
違う、幻覚な筈がない。
ここが現実の筈だ。
シェリは生きている。
生きていて欲しい。
だってほら、今も私の手を引っ張っている。
「エルシーさん!そんな知らない人、放っておきましょう!」
もう片方の手も引っ張られる。
「ダメだよ、エルシー……!」
左右から声を掛けられる。
あぁ、うるさい。
うるさい、うるさい、うるさい。
静かにしてほしい。
私はただ、大切な人と一緒にいたいだけなのに……どうして止めようとするのか。
睨み付けようと、引っ張る男の顔を見れば……そこには、凄く悲しそうな表情を浮かべていた。
思わず息を呑んだ私に、彼が諭すように話しかけてくる。
「エルシー……君が傷付いているのは、僕も知ってる。僕が君を庇ったからだって……それは、謝るから」
引かれる手は少し熱っぽい。
力強く、それでも私を傷付けないように優しく握られている。
「過去に戻りたいと思うのは分かる。だけど、それでも、今を捨てたらダメなんだ」
その言葉は不快だ。
私を知ったような気になって語りかけてくる。
だけど、どうしてか耳を傾けてしまう。
それはきっと、言葉の根本に……私を想う感情を感じられるから──
「エルシーさん!そんな奴の言葉を聞く必要はないです!」
瞬間、また逆の方向から声を掛けられた。
私を乱暴に、強く引っ張ってくる。
「まだ私と居たいですよね?あの辛いだけの日々に戻りたくないですよね?」
「ぁ……そ、それは、い、嫌……」
嫌だ。
誰かに嫌われる為だけに、生きたい訳がない。
嫌だ。
それでも私の所為で誰かが傷付くのは、見たくない。
嫌だ。
私が居なくなっても大切な人には、笑顔でいて欲しい。
嫌だ。
どうせ死ぬなら、この優しい夢の中で──
「エルシー……」
うるさい。
私を呼ばないで欲しい。
頼むから、静かにして欲しい。
もう、放って置いて欲しいのに──
「どれだけ過去に帰りたくても。今が魅力的じゃないとしても……それでも、過去に戻る事は出来ないよ」
「うる、さい……」
「だから──
「うるさい!そんなの私だって分かってる!これが都合のいい現実だったとしても、私は……!」
ここに居たい。
ここから離れたくない。
このまま、眠るように……安らかに。
たとえ、朽ちて死ぬとしても。
「私が居たい場所はここなの!邪魔しないでよ!」
全てを、捨ててもいい。
今も、未来さえも。
「辛いだけの現実なんかに帰りたくない!どうせ私にはっ──
だって私には、未来なんてない──
「それなら、僕が何とかするよ……」
ないのに。
「僕が……これから先、エルシーが人生を楽しめるように努力するよ」
何で、そんな事を言うのか。
「……どうやって?何が出来るの?」
「それはっ……その、今は分からないけど……」
「…………」
「……ごめん。でも何とかするよ。僕は……君が今日を、明日を楽しめるように……」
その顔は自信がなさそうだったけれど、覚悟だけはあった。
不確かな未来をより良い物にしようという、覚悟が。
少し眩しく見えて、目を細める。
「………つまり、無計画ってこと?」
「うっ……そ、そうだよ。無計画かも知れないけど……」
「……そっか」
思わず笑ってしまった。
だけど、嘲笑ではない。
穏やかな気持ちで自然と笑ってしまった。
そう、そうだった。
彼は……ユーリは、こんな人間だった。
細かい事は後にして、自分が正しいと思った事に全力で取り組もうとする。
不器用で。
少し頼りなくて。
それでも、優しくて。
誰かのために頑張れる。
シェリが亡くなって、もう二度と
それでも
「エルシーさん!ダメです!耳を傾けては!」
喚くような声が頭に響く。
まるで耳元で叫ばれているかのような声。
「エルシーさん、私を捨てるつもりですか!?大切な
「……シェリ」
「貴女にとって私は、そんな人間だったんですか!?今からでも遅くないです!『悪魔』の事は忘れて──
「いい加減にして」
私はシェリの……シェリによく似た偽物の手を払った。
「っ、エルシーさ──
「シェリを侮辱しないで。彼女がそんな事を言う筈がない」
私は首から下げた、銀のロザリオを握った。
強く、強く握った。
痛みがこの喪失感を上書きできるように、強く……強く。
血が滲む程に。
そうして流れた血に、
「シェリは
聖銀器と私の間にパスを通して、
「そして、私の
「シェリは、誰かが苦しめられているのに無視できるような人間なんかじゃない!」
爆ぜるように
身体に侵入していた幻覚を引き起こす『悪魔』の一部だ。
……そして、気付けば──
ロザリオは
もう片方の手には──
「エルシー……もう、大丈夫かな?」
今の、私の
「……ユーリ、助けに来たの?」
「うん」
「……何で?あんなに酷い事を言ったのに」
「あれぐらいで嫌いにならないよ。嫌いになるなら……僕はエルシーの
「……何それ」
曖昧な笑みに、私は小さくため息を吐いた。
そしてまだ握られている左手を見た。
「で……?この手は?」
「え?あ……っ、ごめん」
ユーリが慌てて離そうとした手を、今度はこちらから握った。
私にもよく分からなかったけど、今は……そうしたかったから。
「え、エルシー?」
「別に嫌だって言ってないんですけど……こっちの方が
「あ、う、うん?そうだね……?」
羞恥から挙動不審になっているユーリを見て、少し気持ちが落ち着く。
少しずつ、そう、本当に少しずつ……ぐちゃぐちゃになっていた心が解きほぐれていく感覚があった。
視線を握っている手から、ユーリへ戻した。
「で?ユーリは、どうやって『悪魔』の幻覚から逃げられたの?」
「どうやって……って、エルシーと一緒だよ。聖銀器を使って
「そういう意味で訊いた訳じゃないんですけど」
私が半目でユーリを見ると、彼は目を瞬いた。
「え、えっと……?」
「どうやって、幻覚を見せられてるって……自覚したか訊いてるんですけど」
「あ、それは……違和感があったから」
「違和感?」
幻覚攻撃によって受けた疲労感を、体内の
「うん、凄く都合のいい夢だったから。現実には見えなかったんだ」
「……ユーリはどんな幻覚を見せられたの?」
「え?あ……それは、えっと……」
「……ふーん?言えないような夢なの?」
ユーリは視線を逸らして、恥ずかしそうな表情を浮かべながら口を開いた。
「エルシーと仲直りする幻覚、だったんだ……」
「は……?私と?」
目を瞬く。
この『悪魔』はその人間の願望を幻覚として見せる。
……なのに。
ユーリの願望は……そんな事だったのか。
金持ちになる夢でも、なく。
誰よりも強くなる夢でも、なく。
女の子にモテる夢でも、なく。
ただ、私と仲直りできる夢。
そんな小さな、他愛無い……夢。
……そうか。
この『悪魔』は人の『願い』を引き出して幻覚を見せる『悪魔』だ。
そして、人の『願い』は二種類ある。
私のように過去を望む『願い』と、ユーリのように未来を望む『願い』。
前者は叶える事が出来ない願いで、後者は叶う可能性がある願いだ。
欲深い人間、そして過去に未練がある人間ほど逃れられないのだ。
……私は、この『悪魔』と相性が悪かったのか。
「はぁ……」
「え?そ、そんなに情けない幻覚だったかな……?」
「自意識過剰。ユーリに対してのため息じゃないし」
私は額を指で揉む。
この街にいる『悪魔』。
その正体は……原作にも存在していた、人の『願い』を幻覚にして操る『悪魔』だ。
その幻覚は……街のいたる所に生えている花の甘い臭いが原因だ。
アレは『悪魔』の身体の一部で、幻覚作用のある体液を霧のように空気中に発生させている。
それを吸った人間の思考は『悪魔』に支配されるという事だ。
この能力の恐ろしい所は、『願い』を再現する幻覚を『悪魔』がコントロールしている訳ではなく、能力下に置かれた人間が自分自身で幻覚を生み出している所だ。
だから、一度に複数の人間……それこそ、街全体を幻覚の渦に沈められるのだ。
……しかし、一つ違和感がある。
「……ユーリ、今の時間は?分かる?」
「え?ちょっと待って……」
ユーリが首からぶら下げていた懐中時計を開いて、時間を確認した。
瞬間、訝しむような目を浮かべた。
「エルシー、今は……まだ14時だよ」
『悪魔』は日中の活動を抑制される筈だ。
実際、原作でこの『悪魔』も夜しか活動できていなかった。
そして今……この時間帯ならば、太陽も上がっている。
つまり、夜ではない。
私は視線を上げて、空を見た。
赤黒い雲と、赤い光が見える。
「……これは、幻覚じゃない?」
「……うん、多分。……だよね?」
この赤い空は現実。
『悪魔』による幻覚ではない。
つまり、この空は……何らかの能力下にある。
……光はあるが、どうやら太陽光ではないようだ。
『悪魔』が日中である筈の今、活動できている理由か。
私も無策で、この街に来た訳じゃない。
日中になるように汽車内で一泊し、日が登ってから到着するように調整して街へ入った。
原作の知識で『匂い』を司る『悪魔』の存在は知っていたからだ。
日中ならば幻覚効果を受けない、と。
だが、結果はこの様だ。
日中の街の中で、『悪魔』を活動させる事が出来る『悪魔』も居たのだろう。
つまり──
「この街に『悪魔』は……二体いる」
「……え?」
ユーリはこの街の異常を一体の『悪魔』の能力の所為だと思っていた。
だが、私の知っている『悪魔』の能力……それと別の能力。
原作知識がなければ、私も二体居るという確信は得られなかった。
口元に手を置き、悩む。
「…………」
現実と記憶の乖離。
港町ウェラポリでもそうだった。
知っていた『悪魔』とは異なる、より凶悪な『悪魔』が現れた。
原作知識をあまり頼りにし過ぎてはダメなのだろう。
『悪魔』は本来、群れない。
負の感情から生み出された『悪魔』に連携は難しい筈だ。
だが、しかし。
……私は小さく息を吐き出した。
今は考えても仕方ない。
一先ずは──
「ユーリ、『悪魔』を討ちにいくわよ」
「え?『悪魔』の居場所が分かるの?」
「分かってなかったら、言ってないんですけど?」
私はシェリ……の幻覚が手招きしていた路地裏に視線を向ける。
奥に行けば行くほど暗くなっていく……太陽光も灯もないからだ。
この空を作っている何者かが意図的に暗くしている。
だから──
「少なくとも私を喰おうとした『悪魔』は、間違いなくこの先にいる」
『悪魔』が人間を襲う理由は何か。
人を喰うためだ。
では、私が幻覚に誘導された理由は何か。
私を喰うためだ。
だから分かる。
この先に、『悪魔』は居る。
「……分かった。行こう」
ユーリも少し考えて、頷いた。
私の言葉の意味を理解したのだろう。
聖銀で出来た
私の前に、だ。
……ユーリは、私との力も差を理解している。
だから、私が前に立った方が良いのも分かっている筈だ。
だが、それでも……今、それだけ私が弱っているように見えるのか。
思わず舌打ちしそうになる。
ユーリに対してではなく、情けない自分に対して苛立ったからだ。
「……ユーリ、暗闇見えるの?」
「え……いや……う、うん。少しだけなら」
「なら、代わって」
「うっ、ごめん……」
私は暗視の『奇跡』を使用しつつ、ユーリの前を歩く。
この先だけ、異様に暗い。
……間違いなく意図的なものだ。
暗闇は人間の視界を悪くさせ、『悪魔』の能力を発揮させる。
確かな地面の感触を感じながら、進む。
静かだ。
息を小さく吐く。
物音を立てないように、奥へ。
奥へ──
瞬間、真横から何かが飛び出した。
「っ!」
狙いは先導している私だ。
飛び出したのは……槍。
『悪魔』の武器じゃない!
「……に、人間!?」
突き出された槍を
暗視能力で強化された視界には……この街の見回りをしている、街の衛兵らしき男が居た。
……目は虚ろ、口元からは涎。
間違いなく、『悪魔』に操られている。
「悪趣味、なんですけど!」
身体が軋む。
……やっぱり、疲労が身体に蓄積していた。
ウェラポリでの戦闘から今まで、一度も大きな休息を取っていない。
長期戦は不利。
かといって撤退すれば、『悪魔』がこの街から逃走する危険もある。
「先に謝っておくけど、凄く痛いから!『疾れ』!『
略式、詠唱。
即ち、『奇跡』を再現する際に必要な詠唱を省略する技術。
しかし、その分、精度も規模も落ちる。
先程の『
『悪魔』本体には、あまり有効じゃないだろうけど。
操られている人間を気絶させるには、これで十分だ。
瞬間、甘い匂いが鼻を突き抜けた。
「くっ、ユーリ!幻覚から防御!」
「大丈夫!もうしてる!」
自身の体内に
街に生えていた花とは違う、一瞬で気を失いかねない強烈な成分。
再び、槍が私に迫る。
……まだ衛兵が居たのか。
「エルシー!囲まれてる!」
周囲にまだ、複数人の衛兵が居た事に気付いた。
「……面倒くさいんですけど、もう!」
衰弱しているのか、弱々しい攻撃を避けて蹴り飛ばす。
……『悪魔』による幻覚の所為で痛覚がないのか、恐れる事なく私達に攻撃してくる。
ユーリも
そしてまた、甘い匂いが鼻腔を貫く。
「っ……!」
一度でも浄化に失敗すれば、私も目の前の衛兵達と同じ末路を迎える。
だから──
「ユーリ、ここ任せる!」
「……っ、分かった!」
ユーリに任せて、私は地面を蹴った。
目の前の衛兵の背を踏み、跳躍する。
甘い匂いが来る方向へ、と。
「見つ、けた……!」
壁に張り付いた巨大な花……いや、花を模した『悪魔』を見つけた。
真っ赤な弁は舌のような艶やかさがあり、中心には充血した目が生えている。
薔薇の茎のようにトゲのある触手が、壁にビッシリと突き刺さっている。
私の知っている通りの姿。
だが、そのままではなかった。
コイツ……成長している。
原作よりも、大きく……凶悪に。
巨大な花弁のような部位から、薄紅色の煙を……私に向けて噴射してきた。
「くっ、そ、キモいんですけど!」
浄化が間に合わない程の幻覚物質が、私を──
「この!『燃やせ』!『
再び、略式詠唱。
使ったのは炎の『奇跡』だ。
『悪魔』に対して特効のある聖なる炎。
しかし、略式詠唱では『悪魔』に対しては有効打になり得ない。
それでも私は、略式詠唱を選択した。
理由は──
「う、ぐっ……!」
自身を対象に発動したからだ。
私の身体を炙るように焼く。
体内に入ろうとしてくる『悪魔』の体液を一瞬で浄化するためだ。
直接的な
しかし、それはつまり、私自身を焼くという事であり──
「『主よ、傷付いた者を癒したまえ』……!『
痛みで脳が麻痺する前に、私は自身に治癒の『奇跡』を発動した。
この『奇跡』は大きな傷や欠損は治せないが、軽い火傷程度なら治せる。
焼け焦げてボロボロになってしまった修道服の下、傷が治っている事を目視で確認した。
そうして、そのまま──
「人の弱みに勝手に触らないでくれる?キモいんですけど、クソ『悪魔』!」
花の『悪魔』に
「ぇぶっ!?」
横から、ヘドロのような体液をぶつけられた。
身体に張り付いたそれは粘性が強い液体だった。
だが、この花の『悪魔』の能力じゃない。
視線を向けた先には──
「……どいつもこいつも、見た目がグロすぎなんですけど……」
人の臓物……腸をぶら下げたような見た目をした、クラゲ型の悪魔がいた。
笠に当たる部分は、赤黒い、人の体をひっくり返したかのような姿。
そこには大量の穴があり、薄暗い煙を常に吐き出している。
そして、その煙は……上へ上へと登っている。
……空に見える気持ちの悪い雲と同じ性質みたいだ。
なら、コイツが──
……太陽光を遮る煙を噴き出す『悪魔』だ。
二対一、だけど、どちらも戦闘は不向き、みたい。
少なくとも……幻覚能力を持つ花の『悪魔』は──
「……痛、っ?」
ぐちゅ、ぐちゅと音が鳴っている。
……身体に張り付いた黒いヘドロが蠢いている。
私の皮膚を食おうとしている……のか。
……鬱陶しいけど、剥がしている余裕がない。
「…………」
それなら、使うか。
私の持つ、本来の『
寿命を消費すれば、こんな『悪魔』なんて──
「ごめん、エルシー!遅れた!」
直後、ユーリが私の側に着地した。
少し息を切らしているけど、傷はなさそうだ。
「……ユーリ」
「大丈夫、衛兵さん達は気絶させてきたから」
私は
……これなら『
けど……私の脳裏に浮かんだのは港町ウェラポリでの出来事。
私を庇って血塗れになってしまった、ユーリの姿だ。
……私はもう一度、
「ユーリ、私の切り札を使うから」
二体の『悪魔』から距離をとりつつ、口にする。
隙を見せないように、視線は『悪魔』に向けたままだ。
「……それって、エルシーの『
……ユーリはやはり、気付いていたようだ。
私が『
なら、都合がいい。
説明する手間が省ける。
「そう、このまま使って『悪魔』を──
「ダメだよ」
しかし、ユーリが口にしたのは否定の言葉だった。
想定外の言葉に驚きつつ……私に向けて飛ばしてきた黒いヘドロを避ける。
ユーリも花の『悪魔』の触手を避けていた。
「っ、何で!?変な事を言わないで!」
「エルシーが普段使ってないって事は……!使わない理由があるって事、なんだよね……!?」
目の前には二体の『悪魔』。
言い争っている場合じゃないのに。
「なっ……違っ、私が『聖人』だって教会にバレない為だから!」
「エルシーはそんな人じゃないって、僕は分かってる!」
「こ、のっ、分からず屋!バカ!」
「良いから私の言う事をっ──
「僕を信じてくれ!エルシー!」
人間の臓物を模した触手が地面を跳ねている。
「僕達なら勝てる!『
そのまま、
こちらに迫っていた花の『悪魔』を吹き飛ばした。
「僕を信じて欲しい!」
……私は、その光景に驚いていた。
もっと、ユーリは弱いと思っていた。
だけど、度重なる『悪魔』との戦いで、彼は
いつの間にか、これ程までに。
……そうだ、ユーリは私の
守るべき相手ではなく、一緒に戦う
だから、それなら……。
「……分かった。でも、私を後悔させたら絶対に許さないから!」
私は
ユーリも私の横で
「ありがとう、エルシー……!」
礼を言いたいのは、こっちなのに。
目前には二体の『悪魔』がいる。
絶望的な状況な筈なのに。
それでも……今は。
私の心に、ほんの少しの恐怖も無かった。