感謝です。
■■■ 妹との関係性 ■■■
「デートだよデートお兄ちゃん! 今度の土日はデート行くからね絶対にデート!」
帰って早々に沙矢からそんな言葉を投げ掛けられた。一回にデートという単語を聞きすぎてゲシュタルト崩壊しそうだ。デート。デートかあ。
「突拍子もなく何を言い出すんだ? 何か欲しいものでもあるの?」
「子ども扱いしないでよ! わたしもう高校生だよ!」
政治的主張に基づく婉曲な要求───つまりは年相応のおねだり───と解釈して聞いてみれば、沙矢は胸を張りながら癇癪を起した。何だかんだこの
人間配られた手札でしか勝負は出来ない。
話下手な僕は早々に言葉のみでの和解を諦めると、誤魔化すためにもにこやかな笑みでポンポンと頭を叩いてみる。
「うん、確かに子どもじゃないな。妹扱いだ」
「妹扱いも禁止!」
「えっ。いや何でさ」
「とにかく禁止! 何でも禁止! とにかくデート!」
「何をそんな意固地に……」
沙矢が我儘を言うのはそんな珍しいことじゃない。でも今日はやけに聞き分けが悪かった。
勘違いしてほしくないのは僕は沙矢の我儘が嫌いなわけじゃないということだ。寧ろ積極的に応えたいという気持ちがある。家事をずっとやってくれてる訳だし、色々と気苦労を掛けている自覚だってある。でもデートと言うととっても外聞が悪いんだよなあ。兄妹でその言葉を使うと一気にインモラルさが加速してしまうから。
それにこの世界基準だと、そう思われて困るのは沙矢の方じゃないか? 女が男を襲う方が罪が重いこの社会、何かあれば沙矢の方に責任が行ってしまうだろう。当然僕としてはそれは望まない。だから立ち振舞いに気を遣う。
とまあ、僕はそんなことをつらつらと考えては、スキンシップが過剰になりがちな沙矢との関係性には日々気を付けている。気を付けているはずなんだけどなぁ。気づいたら頭に手が伸びてしまうのはここ一カ月の癖だ。頭を撫でたり抱き締めると沙矢は結構騙される。簡単な妹が愛らしく思う反面、チョロ過ぎて将来が少し心配になる。
だが、今日は頭を撫でるだけでは足りない日だったみたいだ。
「意固地にもなるよ! お兄ちゃんから誘ってくれるのを待ったんだよわたしってば根気強くね! あんなことがあった後だから期間を置くのは賛成だったし……でもさ幾ら何でもそれっきり話題にも出さないなんて人間性を疑う!」
怒り心頭とばかりに鼻息荒く沙矢は言った。
沙矢は何かを待ち望んでいるというのは理解した。でも分からないな。それ以上のことが何も分からない。一カ月一緒に過ごしたつもりなのに、相変わらず沙矢の考えていることを推察するのは難しいぞ。
これ以上激昂されても困ってしまうから、下手から慎重に言葉を紡ぐ。
「……そのさ、待っていたってのは、えっと何を?」
僕の言葉に沙矢は怒りを萎ませたようだった。溜息を一つ吐く。今度は呆れているみたいだ。
「お兄ちゃん……もしかして忘れた?」
「忘れたって……なにを?」
目の前で沙矢は息を大きく吸った。
これはくるな。そう直感した僕は、この一カ月の成果から反射的に耳を塞いだ。
「水・族・館! 連れてけこの愚兄!」
「うぉ!?」
鼓膜をビリビリと揺らされて思わず呻き声。
まさかの貫通ダメージ。この妹、たった一カ月で成長している……! いや声のデカさだけ成長してもらっても困るんだけど。
水族館……。あっ。あー。思い出したぞ。
僕はそう言えばあのスワンプマン騒動の際に約束をしていた。沙矢と喧嘩した後、あの何も無い小さな公園で水族館に一緒に行こうとか言った気がする。その直後に怪人に襲われて、そのまま期間が空いたから完全に忘れてた。逆によく沙矢は覚えていたなそれ。
「愚兄っていうのはさておき。ごめん普通に忘れてたよ」
「ほらやっぱり!」
「でもいい機会かもね」
あれから少し時間も経って、この町も少しは落ち着いてきた。沙矢との適切な距離感もあの時よりも把握してる。気分転換にもなるしタイミング的に丁度良いかも知れない。
「じゃあ土曜日行こうか」
「はあ? 行こうか?」
「え?」
「健忘症のお兄ちゃんはわたしに敬語使うべきだと思いまーす」
どこでそんな言葉覚えてきたんだこの妹は…………。
「水族館に僕と行ってください」
「よしきた! 絶対だからね!」
敬語で言い直せば沙矢は言質を取ったとばかりに勝鬨を上げる。いや実際に勝鬨を上げてるわけじゃないけど。
沙矢はクルクル回った後にもう一度僕に念を押しとばかりにえいやと軽いパンチをすると、自分の部屋へと行ってしまった。色々と鬱陶しい。これが沙矢じゃなかったら脳内で算盤を弾いて印象値マイナスになるところだった。……ちゃんと教育方針、考えないといけないかもな。
■■■ 多忙な魔法少女 ■■■
部屋に戻ると直ぐに着信に気付いた。メールかと思ったけど電話だ。
相手はすぐに分かった。消去法だ。悲しきことかな、僕に電話を掛ける人など殆どいない。選択肢は三つ、沙矢と徒凪さんと近巳さんだ。沙矢はこの家にいるから会って話せば完結するので違う。近巳さんはそもそも突然電話なんてしてこない。余程のことが無い限りは『電話していいか?』といった一通のメールを出してから電話をしてくるのだ。働いていると中々そんな気遣いが出来ないのは昔コールセンターでリーダーみたいなことをしていた時代に僕も嫌ってほど経験しているので、近巳さんは非常に優秀な模範的社会人だなあと感心してしまう。だからって徒凪さんが非常識ってわけじゃないけども。
まあそういうことで、徒凪さんからの着信に僕は出ることにした。
「もしもし」
『あ……比影くん。徒凪です。ごめんなさい突然電話してしまって』
「全然気にしなくていいよ。徒凪さんからの電話なら大歓迎」
『あう……お気遣いありがとうございます』
「気遣いだなんて思ってないよ」
本心から思っていることを口にしたのだが、徒凪さんは黙ってしまった。沈黙が少し痛い。何か僕は変なことを言ってしまっただろうか。
「それで、どうしたの?」
『は、はい。大した用ではないんですけど……文鳥さんのことで少し話したくて』
促してみると徒凪さんは少し言いづらそうに切り出した。
文鳥さんか……。また難しい話題が出て来たもんだ。自慢じゃないけど僕はそういう人間関係のいざこざは苦手分野だぞ。
でも僕は精神的に大人だ。野菜嫌いの小学生みたいに苦手だから避ける、なんてことをしたくはない。
『違ったら良いんですが……何か言われたりしませんでした?』
「うん。文鳥さんから恨み言を言われちゃったな。二週間前のことだけどね」
『あの人……やっぱり私だけじゃなくて比影くんにも……』
「徒凪さんも言われたの?」
『……え、あ、はい。言われました。一昨日の朝に』
勘違いかもしれないけど、一瞬徒凪さんの声音が妙な雰囲気だったような。まあ気のせいか。
「あれ、魔法少女ってこと、文鳥さんにバレてるの?」
『まあ……そうですね……』
基本スパッと答える派閥である徒凪さんが、珍しく歯切れが悪い。
あまり深入りしないほうが良いかもしれない。
「それで何だろう。文鳥さんと仲良くなりたいとか?」
『違います……。ただ大丈夫かなって思いまして』
「え?」
『比影くんは文化祭の準備で同じ班ですよね、文鳥さんと。何か嫌なことを言われたりしてませんか?』
心配してくれていたのか。僕のことを。年上の尊厳が崩れる音がする。まあ徒凪さん的には僕はただの同級生の友人だからそんな意識は無いだろうけども。それにしても文鳥さんの話題を出されただけで身構えた僕って本当に情けないな。情けない。こんな世界になってから僕は自分の未熟さを痛感する機会が増えた気がする。僕の至らぬ点、幼い点。ふとした瞬間に、見てみぬふりを続けてきた自分自身が、目の前で鏡写しになって現れる。本当にずっと反省してばかりで情けない。少しは成長したいもんだ。
少々センチメンタルになっていた僕は意識して笑顔を浮かべた。せめて年下の女の子の前では強がっていたい。
「僕は大丈夫だよ。彼女なりに色々と考える部分はあっただろうけど、文鳥さんとは協力しようって話をしたんだ。折角の縁だし頑張って彼女とも打ち解けてみようと思う。事情が事情だから難しいとは思うけどね。あ、もしそうなったら徒凪さんと文鳥さんとの仲も僕が取り持つよ」
『危ない真似は止めてください比影くん……そんなことをする必要はないんですよ?』
「そうだね。でもこのままって言うのも良くないと思うから」
『ですけど……』
「それに徒凪さんは僕のことを守ってくれるんでしょ?」
『……そう言われたら、何も言えないじゃないですか』
真面目な徒凪さんの声音に、言ってから気付いた。世界が世界だし僕が言うと冗談が冗談に聞こえないな。まるでサークルクラッシャーの姫みたいじゃないか今の発言。
「一応言うけど冗談だからね? 本気にしちゃ駄目だからね?」
『……良い機会だからその、言っちゃいますけど。比影くんって一々言動が危なっかしいんですからね……!』
「ええっ、そんなつもりはないんだけどな。気を付けているつもりだけど」
叱責されてしまった。
これでも僕なりにこの世界の男女観念は考慮して、上手く立ち回っているつもりなんだけどな。知らない異性にはちゃんと自分なりに一線を引いて、言動にも一々問題ないか気を付けてる。でも徒凪さんからしたら不満らしい。
『不十分です……! ちゃんと催涙スプレーは携帯してますよね?』
「うん。もらったやつだよね、スクールバックの中に入れっぱなし」
『学校外では?』
「えっと……持ってないけど」
『比影くん!』
滅多に聞かない徒凪さんの大きな声に身が竦んだ。なんかこれ、さっきよりも情けない感じになってないか僕。
何やらぶつぶつと小さな声で言い始めた徒凪さんに苦い感情を抱きつつ、僕は話を逸らすことにした。
「そ、それよりも試験もそろそろだよね。文化祭の前の週だっけ?」
『全く……そうですよ』
「そっか。ヤバいな」
徒凪さんは呆れた気配を出しつつも話に乗ってくれた。
試験も本来は今くらいの時期にあったらしいけど、あの事件のせいで延期されている。文化祭は三週間後だから、後二週間。
『最近は見れていないですが……勉強は続けてますよね?』
「勿論だよ。僕だって馬鹿じゃないんだ」
とはいえ、順調では無いのも確か。
今のところ理系科目は何とかなりそうだ。もちろん褒められた成績じゃないが、赤点ボーダーラインくらいはクリアできる見通しである。しかし文系科目がピンチだったりする。うん。先月から何も変わってないな。或る意味では順当かもしれない。
『そうですか……すみません。私も最近忙しくて勉強会が出来なくて……』
「分かってるよ。徒凪さんが忙しいのは重々承知だからさ、勉強会は本当に暇になった時でいいから」
『そ、そうです……日曜日とかどうですか? 私空いてるんですその日』
「良いの? 貴重な休日なんだろ?」
『その……比影くんと過ごす方が休めるというか……何でもないです』
早口で徒凪さんは言う。僕もちょっぴり聞いていて気恥ずかしい。友人とは言え徒凪さんは異性だ。徒凪さんは天然だからこういうことをよく言う。全く、僕の生きてきた世界であれば立派な片思いブレイカーとして名を馳せただろうなあ。
ともあれいい歳をした男が勘違いしたら事だ、自分を戒めねば。
「じゃあまた日曜日頼んで良いかな」
『……ッ! はい! ビシバシ教えます!』
「その……お手柔らかにね?」
『はい!』
やる気満々という返事をすると、後でメールをするという言葉を最後に徒凪さんは電話を切った。