過去に戻った。知らない妹が居た。   作:金木桂

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3:海辺にて妹

 

■■■ イルカショー ■■■

 

 水槽を見て回っていればイルカショーの時間がやって来た。

 ここに来ることが決まったとき、沙矢は「イルカショーだけは外せないからねお兄ちゃん!」と息巻いていた。僕も異存はない。イルカショーというものをテレビで見たり聞いたりしたことはあったけど、実物を拝見したことはないから興味がある。

 

 イルカショーの5分前。

 観客席は土曜日ということもあって満員で、僕は沙矢に連れられて最前席。

 

「ちょっと言いたいんだけども妹よ」

「なにかなお兄ちゃんよ」

「ここ絶対に濡れるよ?」

「だって暑いじゃん! いいでしょまだ夏だよ今日は!」

「秋だよ」

「夏だよ!」

「10月は秋だ」

 

 むぅーと沙矢が唸った。僕の勝ちらしい。

 

「……でもお兄ちゃんの艶姿を他人に見せるのはまずったかも」

「艶姿って言うな」

 

 真剣に悩み始めた沙矢に僕は思わず頭を抱えそうになった。

 言葉選びが最悪すぎる。

 男の艶姿って何だよ。気持ち悪い。

 

 しかし僕だってイルカショーに行くことは分かっていたんだから準備してない訳がない。

 

「お兄ちゃん、わたしは本気で言ってるんだよ!」

「でも沙矢が一番前で観たいって言っただろ?」

「それを言われるとわたしの勝ち筋がないけどさ……」

「はいはい。ま、僕だってこうなることは何となく分かってた」

 

 沙矢の軽口を聞き流しながら背負ってきたバックをガサゴソと漁って、予め用意していたレジャー用の防水シートを取り出す。

 防水シートを膝の上で広げていると、沙矢が目を擦り始めた。 

 

「苦節15年……お兄ちゃんにやっと警戒心が芽生えてきたんだね……」

「警戒心は元からあるぞ?」

「嘘すぎ。わたしと徒凪先輩がその点で何度心を痛ませているかお兄ちゃんは理解すべきだよ」

 

 沙矢は猫みたいにジトリと目を細めた。信用性無いな。

 でも確かに、今回に限っては沙矢の言葉を認めるしかないかもなあと思う。なんせ、防水シートを持ってきたのは警戒心云々じゃなくて、ただ単にこんな高い服を着てるのに汚すのは勿体無いじゃないかという貧乏性によるものだからね。まあ言わないけど。大人は卑怯なんだ。

 

「沙矢にも徒凪さんにも色々と迷惑を掛けてるのは分かってるよ。手を借りる必要が無いよう頑張らないと」

「いやそうじゃなくて!」

 

 と、沙矢が僕の右腕を掴んだ時、トレーナーの女の子がステージに上ってマイクを口元に近付けた。

 トレーナーの幼さに思わず目を見張る。

 あれは高校生? 年齢は沙矢と同じくらいに見えるけど、あんな子でも水族館で働くのか。バイトかな。いや違うか。トレーナーは結構専門的な職業だ。イルカの生態を詳らかに知ってるのは前提として、全般的な生物の知識や水質の知識なんかも必要だったと思う。常識的に社会人だ。見た目で判断してはいけないな。

 

 微かに雑音が乗った声がスピーカーから流れた。

 

『皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます! これより11時半のイルカショーを開催です!』

 

 さてと、何はともあれイルカショーの始まりだ。

 

 

 

 

 

■■■ よくある視線 ■■■

 

 トレーナーが今日の主役のイルカたちを紹介して、早速パフォーマンスが始まった。

 イルカは賢い。トレーナーが言ったことを理解して立ち泳ぎをしたり、腕の動きに合わせて飛んだり跳ねたり。落下と共に水飛沫が舞い上がっては客席を濡らしていく。

 本当に防水シートを持ってきていて正解だ。無ければびしょ濡れのまま帰りのモノレールに乗る羽目になるところだった。

 しかし沙矢の分も持ってきていたのだが、何故か沙矢は僕の真横に居座って一緒の防水シートに包まっている。パーソナルスペースとか無いんだろうか。無いんだろうね。まあ防水シートが大きくて助かった。

 

 大きな水飛沫が上がる毎に嬉しそうなはしゃいだ声が横から聞こえてくる。楽しんでくれているなら何より。兄として妹のご機嫌な姿を見るのは悪い気分じゃない。

 

 それにしても、未来を知っているとイルカショーを目に焼き付けなければいけないのかなと思ってしまう。

 僕の知っている2023年、その1年前。イルカショーを禁止する法案が可決された。まあ日本の話じゃないけど。世界的には動物への苦痛やストレスの観点から動物を用いたショーを禁止する方向性に向かっているらしく、色んな国がイルカショーを廃止する動きを見せている。日本だって今後どうなるか。分からないけど、現状維持出来るかは怪しい。

 

 ってショーの最中に考えることでもないな。

 幸いここは2013年だからまだまだ先の話だとか考えていれば最後にイルカが大きく跳躍した。水飛沫。顔がずぶ濡れになりつつもショーの幕が閉じる。

 

『それではこれにて閉幕です! 最後にキララちゃん、挨拶して!』

 

 トレーナーの言葉にイルカは手を振った。凄いな……どうやって仕込めばこうなるんだか。

 まじまじとイルカを見ていると視線を感じた。トレーナーから見られてる。偶然かと思ったが、数秒しても目が合いっぱなし。何だろう。知ってる顔じゃないけどな。気まずくなった僕は頷くことにした。笑顔で頷かれた。いやどういうこと?

 

「お兄ちゃん? どうしたの?」

 

 防水シートを畳みながらコクリと首を傾げた。沙矢は気付いていないみたいだ。

 

「何でもない。行こうか」

「そだね」

 

 深く気にする必要も無いだろう。男が来てるから珍しかっただけだ、多分。

 後ろ髪を引かれつつも僕はイルカショーの会場を後にした。

 

 

 

 

 

■■■ 砂浜にて ■■■

 

 水族館を出た後は昼飯にした。沙矢が島に行きたいとか言うから島の中にある定食屋で海鮮丼を食べた。海鮮丼は美味しかった。でも席に案内されるまで50分待ちだったのは流石に堪えた。飲食店で並ぶのは僕の苦手科目の一つだったりするけど、そこは仕方がない。今日は沙矢の日と決めている。

 

 昼飯後もそのままとんでもない人混みを掻き分けつつ島を軽く散策していると、早々に沙矢は疲れたから帰りたいと言い出した。良い提案だ。二つ返事で頷いた。僕も人混みは得意じゃないし、血は繋がっていなくてもこの辺りは兄妹ってことらしい。

 

 気力を振り絞って駅前まで戻ってくると、沙矢はへにゃりと萎みながら道中で買ったペットボトルのお茶を呷った。

 

「お兄ちゃん~もうわたしはへとへとさんコロリですよ」

「そうだなあ。……へとへとさんコロリって、なに?」

「疲れましたの最上級表現」

 

 沙矢は訳が分からないことを言った。これは相当疲れているらしい。厳重に頭を撫でたいと思った。何故そう思ったのかは分からない。

 疲労感を隠そうともしない沙矢の表情を見ながら少し考えてみる。僕は沙矢のことを頭を撫でればHPが回復する生き物と認識している可能性がある。いや待て待て、冷静になれ。僕はナデポ持ちじゃないんだ。ナデポとか古の言葉を久しぶりに使ったけど、沙矢がそんなご都合主義なヒロインみたいな存在である訳がない。ネット小説じゃあるまいし。となると、もう一方の仮説、即ち僕が沙矢をただ撫でたいだけという可能性が強まったことになる。回復しているのも実は沙矢じゃなくて僕。怖いな、頷ける点しかない。

 結論、僕は自重を覚えるべきだ。撫でるのは一旦止めよう。

 

 僕は意識的に沙矢から半歩離れて歩くことにした。

 くたくたな沙矢は気付くことなく、僕を見た。

 

「あ、でももう一つ行きたい場所あるんだけど……」

「ん?」

「わたし、海にいきたい」

「さっき通り過ぎたよね」

「そうじゃなくて! 昔一回行ったじゃんー、もっと人が少ないあの海岸だよ!」

 

 どうしようか。当然僕の昔にそんな記憶は無い。

 でも誤魔化すのは良くない。こういう時は諦めて白状すべきということを社会人になって学んだ。後々負債になって、より状況を悪化させるのがオチだからだ。勿論僕の正体を隠すのは前提として。

 

「覚えてないな……どこだっけ」

「あ、そっか。お兄ちゃんはナスビさんだからしょうがないね」

「それ、おたんこなすって言ってる?」

「それ以外に聞こえた?」

 

 確認のために聞くと沙矢の瞳からハイライトが失せた。誤魔化すよりは良いはずなんだけど僕の知能指数に対する沙矢の評価がストップ安になっている気がしてならない。

 

「ごめんね。沙矢が覚えてるなら連れてってほしいかも」

「あー……まったくもう! お兄ちゃんはわたしがいないとホント駄目だよね。餌付けされ過ぎて野生で狩りが出来ない動物園の狼さんみたい。やーい飼いならされた小動物ー。愚図でノロマの小動物ー」

「そこまで言う?」

 

 僕を揶揄する沙矢の声には隠しきれない喜色が滲んでいる。これは9月から知っていたけど、沙矢は僕がダメなところを見せると機嫌が上向きになる。兄的には非常に心配な妹の習性だ。僕が相手ならまだしも、将来的にクズ男に騙されて搾取されるだけされて捨てられるんじゃないかと心配になる。いつかは思春期最盛期を迎えて兄離れもするだろうし、その時までに直っていると良いんだけど。

 

 沙矢に先導されて僕はモノレールに乗った。行きと同じ道筋で地元まで戻ると今度は電車。10分くらい揺られて終点で降車。更に駅前のバスロータリーからバスに乗った。山側に沿って開発されたローカルな団地行きバスを一本見送って、次にやってきた海岸行きバスへと乗車する。

 

 小規模な商店街を通り過ぎ、山間部を突っ切ると海が現れた。バスに乗っていた時間は約30分くらい。距離的には地元から遠くないのだが、交通手段が交通手段なので地図上でみるよりも時間がかかっているんじゃないだろうか。

 バスを降車してちょっと歩く。海岸が見えてきた。半島の奥まった場所に位置する海岸だからか、打っては寄せてを繰り返す白波は先程までいた海岸よりも穏やかに見える。雰囲気も大分違って、海岸沿いの道路に観光向けの店が立ち並んでなければ、唯一の人影も地元の住民と思われるご老人が犬の散歩をしているだけだ。

 どこか厳粛さすら覚える砂浜を沙矢は知ったことかと駈け始める。

 

「海だ~! プライベートビーチだよ!」

「プライベートじゃないけどね」

「細かいことはノンノンだよお兄ちゃん」

 

 さっきまで人混みに疲弊していた姿が嘘のような元気っぷりだ。テンションが上がって早足で浜に足跡を増やす沙矢は完全に自分の世界に入り切っている。

 

 ちゃんと砂浜まで下りてきたのは人生でも数えるほどしかない。砂に足を取られる感覚は久しく忘れていたものだ。ノスタルジーすらある。

 

 初めて海に来たのは小学校4年生のときだった。当時の僕は大海という未到達マップに好奇心を抱いていた。地元から海までは然程遠くはない。なけなしのおこづかいを叩いて僕は一人で冒険に出かけた。電車一本、距離的にも10㎞程度の僕の冒険は何の障害も無く完結し、海に辿り着いた。

 音楽の授業で『みんなのうた』を持たされながら散々歌わされた通り確かに海は広いし大きかった。でも何も無かった。潮に波にサーファーに。あとカップルや夫婦連れ、大型犬の散歩をするおばさん。

 

 こんなもんかよ。何も無いじゃん。学校と地続きで続いている延長線上の空間にしか見えない。海だってただ意味も無く塩水が広がっているだけじゃん。

 

 当時から捻くれていた僕は感受性に乏しかった。心の底から失望したのを覚えている。珍しく一人で外出するほど膨らんだあどけない少年の好奇心は跡形もなく粉砕されて細粉と化した。その経験が僕の感性を更に歪めたのは言うまでも無い。

 

 何故こんなしょうもない記憶を思い出したかと言えば、この世界の僕は違う感想を海に抱いていそうだなと思ったからだった。

 言葉通りなら、初めての海は沙矢と一緒に来ているはずだ。基本インドアな僕を沙矢が我儘を言って連れ出す光景が目に浮かぶ。今日みたいに沙矢が走り出して、それを幼い僕は追いかけて、向こう見ずに沙矢は僕に海水を掛けるから僕もやり返す、なんて手の施しようがない妄想だけど。少なくとも沙矢と一緒ならこんな無味乾燥とした思い出にならなくて済んだんじゃないか。そう思えてならないのである。

 

 ───はあ。過去の僕は果報者だな。

 

「お兄ちゃん~こっち来なよ! 多分これゴンズイ! ゴンズイいるー! あとガンガゼかなこれ! さっき水族館で同じの見た!」

 

 波風を浴びながら思考に浸っていると沙矢が僕を呼んだ。なんだかやってることが小学生みたいだ。

 っておいおいゴンズイとガンガゼ……!?

 

「バッカ沙矢それどっちも毒あるから離れて!」

「離れて見てるから大丈夫だよ~。お兄ちゃん心配症すぎ」

「当たり前だろ! というか沙矢に言われたくないよ!」

「は~? お兄ちゃんを心配するのは妹の権利なんだけど? あれ、なんかぷゆぷゆしてる。クラゲかな? 綺麗だね君~」

「それカツオノエボシだよ!! 良いからもうちょっと下がれって!」

 

 次々と波で打ち上げられた毒性生物に近づいてはまじまじと観察しようとする沙矢に慌てて僕は走り出した。危なっかしくて仕方がない。

 

 ……この世界の僕もきっとこんな感じで沙矢に振り回されていたんだろうな。そう考えるとちょっと愉快になった。

 

 

 

 

 

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