■■■ 杞憂と問答 ■■■
日曜日は徒凪さんと勉強会の予定である。
13時の駅前交番前。前日に決まった待ち合わせ場所は何の偶然なのか昨日と同じだった。でもまあこの周辺で最も人と落ち合いやすい場所でもあるので、そこまで不思議ではないかもしれない。
「沙矢、じゃあ行ってくるね」
「ちょっとお兄ちゃん?」
12時半になって準備終えていた僕はリビングから玄関に向かおうとして沙矢に呼び止められた。
「わたしも一緒に行くよ? 1人は危ないんだよ、危ない」
「昨日は1人で駅まで行ったじゃん僕」
「それは……まぁフォーマルなイベントだったし問題ないと言うか? てかお兄ちゃんがあんな格好するんなら女避けとして一緒に家を出る! つまりお兄ちゃんが悪いんだよ、お兄ちゃんが悪い」
自分自身を納得させるかのように頷きながら責任転嫁の句を二度繰り返した。どうでもいいけどフォーマルの意味を分かってるんだろうかこの妹。
否定すると更に反発されるか呆れられそうだったので、僕は肩を竦めた。
「はいはい僕が悪かった」
「そういうところも悪い! 妹だからって軽んじてるでしょ!」
クワッと目を見開く。思いの外演技っぽくなってしまって態とらしさが目を引いたのかもしれない。
「軽んじてないよ。僕は寧ろ尊重してるつもりだ」
「お兄ちゃんが他人を肯定する言葉を使うときは大体何か誤魔化そうしてる、自覚無いでしょ?」
「沙矢は他人じゃないからね」
「はぁ〜またそうやって……いつからお兄ちゃんは理屈屋さんになっちゃったのかな?」
「理屈屋のつもりはないんだけどなあ。どうすれば信じてくれるの?」
「……。」
沙矢は無言でちょこちょこ近寄ってくると、頭を丁重に差し出された。それが何を意味するのか、何を望まれてるのか。ここ最近の傾向から考えずとも分かる。でも自重しようと昨日決めたばかりで、それを破るのは良くない。良くないな。咀嚼するように繰り返し思った。
「撫でないよ」
「……え、なんで?」
「最近沙矢のことを子ども扱いしすぎてるからさ。それに大人と子どもはデートしないだろ? もう僕らは大人と大人だ」
「理屈屋! 屁理屈! おたんこなす!」
「そんなに撫でられたかったの?」
「ちち違うわい! わたしはお兄ちゃんの悪辣非道な思想に問いかけてるんだよ! これは謂わば社会に対するアンチテーゼだよ!」
絶対に分からないままに言っている気がする。頭は悪くないけど突発的に語彙力が残念になるのが比影沙矢という妹であった。
まあ、年頃の妹だ。
いつかはこういう奔放な発言を失せるんだろうなと思うと今妹扱いしないと将来後悔するかもしれないとも考えたが、それは沙矢の将来よりは軽い願望だったのでぐっと心の底の底へ抑えつける。
「何を言われようとやらないって。そういうのは恋人が出来てからやってもらいなよ」
「生意気! どんだけ女社会が厳しいか分かってないよねお兄ちゃんは、これだから人生イージーモードは」
「それ家族に言う台詞?」
「結婚なんて女は限られた人しかできないんだよ? もっとそこを考慮して物を言ってほしいんだよわたしは」
「沙矢なら出来るでしょ」
「家族からそういうこと言われるとウザいって知ってる?」
咎めるような視線。
世間一般としての知識ならばある。年老いた両親から『早く孫の顔見せなさいよ』と催促されると居た堪れない気持ちと余計なお世話だという気持ちと罪悪感で複雑になるとか。幸か不幸か僕は両親と疎遠だからそんなやり取りをしたことはないけれど。
いや僕の話は良い。今は沙矢の話だ。結婚すべきとまでは言わなくとも、恋愛や結婚を一度は経験したほうがその後の人生における判断基準の精度が上がる。とかどちらの経験も無い僕は思う訳で。僕はもう遅いが、沙矢には特定のパートナーを作ってほしいとか思う兄心があったりする。
「あのさ、その話、わたしは良いけどお兄ちゃんはどうなの?」
「え?」
矢印が突然反転してきて間抜けな声が出た。
「お兄ちゃんこそ結婚とかするの? 出来るの? 言っておくけどデキ婚したら縁切るからね?」
「いやいやしないよ。何だよいきなり……僕のことはいいだろ」
「駄目です〜妹としてその辺りは管理しないといけないのですよ。変なのに捕まって困るのはお兄ちゃん以上にわたしなんだからね?」
「はあ」
「例えばあの、事務局の女。あの人はダメ! 絶対に許さない! 徒凪先輩はーそうだなあーうん。まぁギリ許す、うむうむ」
「許すじゃないよ。徒凪さんにも失礼だよ」
「そうかな? 普通にお兄ちゃんと仲良いじゃん」
「沙矢は友人と恋人の違いから勉強した方がいいね。まだその話をするには早いよ」
女子高生とはいえ、まだまだ感性的には子供らしい。その幼さにはちょっと安心感すら覚えてしまう。
僕の言葉に沙矢は「なっ!?」と大声。同時にむっとした膨れ顔。
「お兄ちゃんに言われたくないよ! だからギリって言ったんじゃん! バーカバーカ! アホ!」
「罵倒が小学生だ……」
「そんなこと言ってるとお兄ちゃんが結婚出来なくともわたし貰わないからね!」
「何で貰われる前提なんだ……」
僕は未だにこの世界について詳しくはないが、少なくとも行き遅れた男を姉妹が貰う、なんて風習は至極当然のことながらこの世界でも存在しない。沙矢が勝手に言っているだけである。
でもそれを抜きにしたとしても有り得ないことだ。妹が兄と結婚などギャルゲの中だけの概念だ。僕は大人なのだから規律に則って規範を体現しなくてはならない。完遂できている自信はないけど、少なくともその意識は持ち続けるべきだ。まあ僕と結婚がどうとか、冗談で持ち出してきただけの話題だと思うけども。
とりあえず否定することにする。
「それこそしないよ。妹と結婚するなんて言語道断だと僕は思うし」
「はあ?」
濁った太い声音に思わず沙矢の顔を見た。無意識に出てしまったのか、沙矢はちょっと恥ずかしそうにコホンと息をついている。
「いや声声。女子の声じゃないよ」
「指摘せずとも分かってるよそんなこと!」
「はいはい。まあ兄妹婚は非倫理的ってことで理解はOK?」
「ちっちっち。お兄ちゃん、全く理解をしていないようだから言うけど血が繋がってないんだよわたしたち。血統上の問題はないからお互いの承諾があればそういう関係になることだって可能なんだよ?」
「血が繋がってなくとも兄妹は兄妹だ」
「流石我がお兄ちゃん、頭でっかちすぎる……」
「当然のことだろ。それとも沙矢は僕と結婚したいの?」
「は、はああ!? 何でそうなっちゃうのお兄ちゃんわたしのこと好きなの死ぬの!?」
「死なないけど好きだよ」
「え!?」
沙矢の健康的な頬が明らかに紅潮した。純粋なことに、気恥ずかしく照れているらしい。少し分かるかもしれない。僕も沙矢や徒凪さんから友好的な意味合いで好きとか言われればこそばゆい。人からの好意に対する耐性が無いのは僕と同じだ。兄妹だからなのか、境遇が似ているからなのかは分からないけど。
ただ一応注釈は入れておこう。
「兄だからね。妹のことは目に入れても痛くないと思ってるさ」
「…………死んじゃえば?」
「なんでだよ」
「つーん」
この子、顔を背けながら自分の口で言った。つーんって。なぜか拗ねてるらしい。可愛い。表情豊かで見ていて飽きない。だから僕は沙矢のことが好きなんだろうなと改めて実感する。
と、時計を見て話し込んでいたに気づく。そろそろ家を出ないと待ち合わせに遅刻してしまう。
「じゃあ僕は行くからね」
「あ、こら。わたしも一緒に行く!」
「だからそんな心配しなくても大丈夫。しっかり自衛用の道具も持ってるよ」
「お兄ちゃん絶対に最後まで使わないでしょこのノーガード男!」
今日は寂しいのか、それとも甘え足りていないのか、沙矢に噛みつかれて中々離してくれない。
わちゃわちゃと言い合いになりそうなところでインターホンが鳴った。
■■■ 家凸する魔法少女 ■■■
「比影くん……こんにちわ」
「こんにちわ。あれ、待ち合わせは駅だったよね?」
インターホンを鳴らした主は徒凪さんだった。
残暑の日差しを気にしてかつばの長い白い帽子を被り、今日は薄手の桜柄がプリントされたワンピースを着ている。そよ風に揺れる徒凪さんの色素の薄い銀髪に、仄かな甘い香りが相まって、蜃気楼のように儚く揺蕩う雰囲気が漂っている。
「なんでここに?」
「あの……その……比影くんが心配でした」
「君もか」
僕はどんだけ悩みの種になっているんだ。頭痛がしそうだ。
頭を抱えていると背後から沙矢の声。
「あー徒凪先輩! 来ていただいたんですか!」
「沙矢ちゃんもこんにちわ、来てしまいました……」
「徒凪先輩ならいつでもウェルカムですよウェルカムパーティー!」
「ウェルカムパーティー……?」
何時にも増して意味不明の沙矢節に吞まれている徒凪さんに、僕は見兼ねてフォローすることにした。
「沙矢のそれは気にしなくていいよ。それよりありがとうね徒凪さん」
「はい……!」
嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべる徒凪さん。沙矢とは違って奥ゆかしい感じがして、きっと現代日本ではこういう女の子は絶滅危惧種なんだろうと思う。
「では徒凪先輩、中へどうぞどうぞ!」
「いえ……ごめんなさい沙矢ちゃん。今日はファミレスに行く予定なんです……」
「むむむ……でも無理強いはできないよね。分かりました! それに徒凪先輩ならモーマンタイです」
「へ?」
「安心してお兄ちゃんを任せられるって意味ですよ!」
栗みたいな口でクエッションマークを頭に浮かべる徒凪さんに沙矢は笑いかけた。なんだか親戚に預けられる子供の気持ちになる。
複雑な気分でいるとつんつんと沙矢に背中を突かれる。何か言いたげだ。耳を近づける。
「お兄ちゃん、徒凪先輩にご迷惑を掛けちゃダメだからね」
「しない……いや、気を付けるよ」
「うんうん感心。何かあれば電話でわたし呼んでいいからね」
「それはない」
蹴られた。何が気に障ったんだ。沙矢はむすりと鎮座している。
やっぱり妹心を読み取るのは難しい。とても難しい。
いつか僕は沙矢の心情を読み取れるようになるのだろうか。
家を出ると、じっとりとした暗澹たる沙矢の見送りをひしひしと感じつつ、徒凪さんの隣を歩く。
徒凪さんが僕と通り過ぎる電柱を頻りに交互に見ている。徒凪さんには珍しい。何か言いづらいことでもあるのだろうか。
「徒凪さん?」
「は、はい……!」
「僕は気にしないよ。言いたいことがあったらなんでも」
徒凪さんは一瞬視線を虚空に向けて、迷うような仕草をした。その上で決心したのか口を開く。
「あの……ですね。実は今日はどうしても比影くんに会いたいって子がいまして……」
「ええっ? 僕に会いたい?」
「はい……。その、私が男性の方と仲が良いと知って面白がり半分らしく……すみません」
「いやいやいや、大丈夫大丈夫だから」
慇懃に頭を下げられると僕としても慌てる。大いに慌てる。何の瑕疵も無いのに女子高生から謝罪されると悪いことをしている気分になる。
「徒凪さんのことは信じてるからさ」
「あ、ありがとうございます……でも嫌ですよね知らない方と会われるのは」
尚も罪悪感を覚えているのか、声を萎ませながら徒凪さんは言った。にしても僕にどんな印象を持っているんだろうか徒凪さんは。そんなにコミュ障引きこもりみたいに見えるんだろうか。もしそうなら凹むな。凹む。徒凪さんから言われたら一週間くらいは立ち直れないと試算できる。
気を取り直して、話を進める。
「それより誰なの? その僕と会いたいって人は」
「魔法少女です。私と一緒にこの地区で怪人と戦われている人です」
「えっと、でもあの時いなかったよね?」
あの時、というのは勿論スワンプマン事件の時だ。対応に当たっていたのは徒凪さんだけだったと覚えている。他に魔法少女らしき姿もなかった。
僕の言葉を聞いた徒凪さんは顔に影を落とした。
「当時、それも比影くんとこうして仲良くなる前、スワンプマンと戦って大怪我をして入院をされていたんです……。それでつい最近退院されまして、魔法少女にも復帰しました」
「それは……回復して良かったでいいのかな」
「本人も今は気にしていないから良いと思いますよ? 明るくて、悪い人じゃないので比影くんのことをその、どうこうとか、そういうこともないはずです」
「そこは心配してなかったなぁ」
「あの、もっと心配してください……!」
と言ってもだ。僕なんかの何が良いのか本当に分からないんだよね。
何せ平凡で何一つ取柄もない、顔だって平凡だ。幾ら女性人口率が高いとはいえ、未だに僕は僕に告白してくる人が何を思っているのか上手く想像がつかない。
「まあまあ。兎にも角にも徒凪さんの知り合いっていうのなら僕が心配することは何も無いよ」
「そうやって無暗に私を信じるのも良くないと思います……!」
「無暗じゃないよ。他の誰でもない、徒凪さんだから信用も信頼も出来てるんだ」
血が頭に上ったような朱色の表情に、少しキザな言動をしすぎたかもしれないなとちょっとした懸念が脳裏を過る。僕に異性経験は無い。ここ一か月で突如その機会は増えたけど、相変わらず僕は女の子との会話をギャルゲやラノベをバイブルに乗り切っている。仕事であれば別に問題にはならなかったんだけどな、私生活となると難しい。ずっと優しくすれば良いってもんでもないだろうし。
「嬉しいですけど……二人きりの場所で言ってもらえるとその……」
「二人きり?」
「な、何でもないです……………………」
顔をまた俯かせてしまった。沙矢だけでなく徒凪さんの気持ちも分からない。女心っていうのは繊細で難しいな。数分前の思ったことを再度噛み締めるように僕は考えた。