ここ最近思い出したのだが、文化祭というものに僕は人生で一度たりとも参加したことはない。
色々と理由はあるけど、一番の原因は高校生の僕が文化祭に興味を抱けなかったからだ。
高校一年生の頃の僕はアニメに漫画にドはまりしている絵に描いたオタク高校生であり、その種の高校生にはありがちなタイプに漏れず三次元を軽視していた。アニメや漫画の文化祭と現実は違うと勝手に早合点しては碌に手伝うことなく、果ては高校生活自体に気怠さを感じて中退するほどだ。愚か千万とは僕のための言葉に違いない。
少し話を軌道修正すると、今でもなお僕は未だに文化祭という行事にそこまで乗り気じゃない。それはクラス内であぶれている人間からすればクラス内カーストが高いグループの内輪ノリに付いていけないという思いもあったし、何より団体行動が苦手だからだ。高校時代の僕は非社交的な人間だったから知らないクラスメイトと行動を共にするのは多大なるストレスが存在した。僕が文化祭に苦い思いを抱えているのは偏見由来の感情だけじゃない。実際にそういう経験があったからこそ、苦手意識が無関心へ変転した。
しかし僕は大人になった。なりたくてなったわけじゃないけど、そういったデメリットは何とか克服できる程度には感受性が成熟した。
今の僕はこう考えている。
参加することに意義があって、何事も経験だ。将来この経験が直接的に役に立つかは分からないけど、手数が増えることには意味がある。だからこそ身体的若さに甘えて積極的に参加するのもまあ、悪くない。
文化祭まで三週間。
どちらかというと定期試験の方が残り二週間と近づいているために、ピンと糸を張ったみたいな緊張感が漂う教室内で、僕は何をしていたかと言えば企画班ということでタピオカについて考えていた。
まずは仕入れを考えなくてはならない。
タピオカの色には白と黒の二種類がある。品種が違うという訳ではなく、タピオカ元来の色は白色だ。それをカラメル色素で着色した姿が黒色というだけで、味的には何も変わらない。
しかしタピオカミルクティーという見栄えを重視するドリンクにおいてはこの色合いの判断は特に重要だった。一般性を取るなら黒でいいが、ドリンクによっては白の方が映えるかもしれない。
それにジュースを何にするかも問題だ。ミルクティーでもいいが、タピオカブーム晩年は色々な甘い飲みものにタピオカを入れていた。抹茶とかフルーツジュースとか溶媒は様々だ。
「何してんの?」
坪河さんだった。
六限の文化祭準備の時間だったため席を移動して、今は企画班で集まって準備をしている。
因みに文鳥さんはこっそり試験勉強してるから放っておいている。異性相手だと用があるなら幾らでも話せるが、何も無いと声を掛けづらい。過去の一件があるから一入だ。
僕は読んでいる雑誌を坪河さんに見せた。
「なにこれ? タピオカ特集?」
「うん。僕あんまりタピオカのこと詳しくないから勉強しようかなって買ったんだ」
「ふうん、真面目じゃん比影」
感心するように息をついて、パラパラと坪河さんはページを捲る。
「こんなのが最先端ねぇ」
「あれ、坪河さんってもしかしてタピオカ興味ないの?」
「タピオカなんて一つも分かんないわよ。飲んだことも無いし」
ギャルっぽい印象があるから正直ちょっと意外だった。でも時代背景を考えれば至極当然である。まだタピオカブームはここ首都圏でさえ到来していないのだから。
坪河さんは雑誌をぱたんと閉じて僕へと返した。意外に本に対して優しい手付だったことに驚いた。
「でもさ、そんなムズイことしようってわけじゃないでしょ。ここまでガチになんなくて良くない?」
「まあそういう意見があるのも分かる。でもやるからには真剣に取り組んだ方が良い気がするんだ」
「うわ真面目! ほんとお似合いだよ徒凪と」
「なんで徒凪さんが出てくるの?」
「……アンタ本当に知らないからね。あとアタシは何も関係無いから事情縺れてもこっちに持ち込まないでよね」
非常につんとした視線が坪河さんから送られる。
果たして何のことだろうか。巻き込もうにも僕と徒凪さんは一般的な友人関係でしかない。まあ結構親しくしている気もするし、坪河さんが勘違いすることも良く理解できるけども。
「僕はどう勘違いされても動じない自信があるけど、その発言は徒凪さんに失礼だよ」
「キモイ。さっさと結婚しなよ気持ち悪い」
「ええ……」
二回も気持ち悪いと言われた。人生で初めて暴言を受けたわけじゃないけど、とはいえ女子高生からキモイと言われるのは僕のようなアラサー男の精神には耐えかねる。アラサー男にとって存在しているだけでキラキラと眩しい女子高生の毒舌はそれだけで弱点特攻である。
僕は少し凹んだ。
「項垂れないでよ、アタシがセクハラしてるみたいじゃん」
坪河さんは僕の顔を見て栗色の長い髪の毛先を弄っている。流し目でこちらを見た。駄目だな僕は、表情に出てしまっていたみたいだ。
「というかセクハラ……? なんでセクハラ?」
「そこに引っかかんなし。うっさいな」
嫌なところを突かれてしまったとでも言いたげな不服そうな表情をして、溜息を吐いた。
いや、そうか。
坪河さんからすれば男に結婚しろと揶揄する発言はセクハラなのか。
確かに前世で言えば女性に結婚を強いるような発言はセクハラだった。それを考慮すれば納得はいくけど……でもやっぱり慣れないなあこの世界の常識には。男女比が狂うだけでここまで倫理観が変わるとは。一カ月経っても尚、僕の常識は前世の常識で、この世界にアジャスト出来ていない。更に言うなればこの世界は男性優位過ぎてあまりアジャストしたいとも思えない。
「それよりタピオカでしょ。タピオカミルクティーって名前なんだからその通りのものにしちゃ駄目なわけ?」
この話はおしまいにしたいのか坪河さんは話題を変えた。僕も同意見なのでそれに便乗するように首を縦に振る。
「駄目って訳じゃないけど創意工夫したくない? ミルクティーじゃなくて抹茶とかイチゴジュースにするとか」
「面倒じゃん。それにタピオカミルクティーなんてそれ自体が珍しいのに、更にアレンジしてもとっつきにくさが上がるだけじゃないの?」
僕はハッとした。
その通りだった。僕は周囲との差別化を図るために何かアレンジしなければという考えに固執しすぎて本質を見失っていたみたいだ。そもそも差別化なんて必要が無い。この時代ではタピオカミルクティーなんて流行ってないからだ。
しかし同時に、ならばタピオカミルクティーをとっつきやすくする工夫が必要なのではないかと考える。タピオカという未知の食べ物を前にしたとき、文化祭の空気感で財布の紐が緩みがちな客でもタピオカとは何だろうと一考して正気に戻ることもあるだろう。迷った時に買わせる決め手となる一押しがあればいいんだけど。
「それもそうだね。どうも考えるべきはタピオカの種類やジュースの中身を勘案することじゃなくて、タピオカを買わせる方法だったみたいだ」
「どうしてそうなったのよ……買わせる方法って私たちは別に商売でやってるわけじゃないのよ?」
「確かに営利目的じゃないけど商売は商売だろ?」
「なにそんなマジになってんのよ、適当に売れば良いじゃん。凝り性か知らないけどアタシはアンタと違って楽して文化祭を乗り切りたいの」
「そういうサボり的な姿勢も否定しないけど、少なくとも僕はこの文化祭を良いものにしたいと思ってるからさ。そう言わずに手伝ってくれないかな」
「うっさい黙れ!」
「僕を黙らせたかったらその手で口を直接塞げばいい」
ぐぬぅ~! と坪河さんはコイツ何を言っても無駄すぎるという口調で自分の頭を毟った。今までが今までだったから刺々しい印象を持っていたけど、意外と愉快な性格をしているようだった。
そこにぬらりと、いつの間にか近くで立っていた徒凪さんが口を開いた。
「お二人とも教室ではお静かにしてください……迷惑ですので」
「ご、ごめんなさい」
「それと坪河さん……相手が比影くんだとしても、傷つける言葉は良くないと思います……節度を持った方がいいのでは」
「ごめんって!」
坪河さんの謝罪にぶすっとした顔になった徒凪さんは、不満そうな面持ちをしつつも自分の班へと戻っていった。
……何をしにきたんだろう徒凪さん。まさか本当に注意の為だけに来たとは思えないし。
そんなことをほうほうと考えていたらジロリと坪河さんの険しい目。今気付いたけど坪河さん、睫毛長いけどこれって付け睫毛というやつだろうか。道理で美人に見えるわけだ。
「比影、あんた本当にどうにかしなさいよね」
「……坪河さんって意外に睫毛長くてスッとしてるよね」
「それ態とやってるの? アンタ死にたいの?」
「ご、ごめん」
つい考えていることが口に出てしまっていた。反省。
「何にせよアタシもアンタもタピオカについて知らないんだからこうして机上で企画捏ねててもキリが無いんじゃない?」
「それってつまり実物を飲んでみようって話?」
「そう。そういうのもアリなんじゃないの。やるやらないは知らないわよ。アンタが決めれば良いんじゃないの、リーダーだし」
ぶっきらぼうに坪河さんは言い放つ。
適当に考えて言ってるように見えて、坪河さんの言葉は非常に理に適っている。僕は実物なんて見たことはあれど飲んだことは一度だってないわけで、坪河さんもそうだ。この感じだと文鳥さんもそうなんだろう。視察というと大袈裟かもしれない。でも自分たちが何を作ろうとしているかと言う意味合いで、実物調査するのは至極真っ当な意見に思えた。
「いいね坪河さん。是非やろうよ」
「ああ、先に言っとくけどアタシはパスだから。甘いのそんな好きじゃないし」
「え、自分から提案しておいて?」
「一人で行けばいいじゃない。それとも男の子だから一人は怖いって?」
揶揄うような目で僕を見た。一人は怖いどころか沙矢からはよく「一人で行動しないでよ! いいかな、お兄ちゃんが一人で行動するってことはつまり、カモがネギ背負ってるどころか大判小判大量に背負ってざっくざくってことなんだよ!」みたいなことを言われるくらいだ。……良い歳した大人が自信ありげに言う言葉ではないな、うん。
「僕らは企画班だし、一人だけ味を知ってるっていうのもちょっとどうかなって感じがするような」
「別にレシピさえあれば困んないっての……はぁ」
露骨に坪河さんは溜息を吐いた。僕が決断力やらリーダーシップ力に欠けているばかりに大変申し訳ない気分に包まれる。
「あーもう面倒。文鳥も参加してよ、文化祭準備の時間で内職とかガリ勉じゃねーんだから」
僕に愛想を尽かした坪河さんは、視線を目の前で依然と参考書の問題を解き続ける文鳥さんに振った。文鳥さんは二秒ほどシャーペンを動かし続けると、キリが良くなったのか息を吐いて坪河さんを見た。
「何でもいいわよ私は。貴方たちの決定に従うわ」
「何でもじゃないっての。聞いてるふりでも良いから参加しなさいよ。アタシが参加しててアンタが不参加で良い理由が無いわよね」
「申し訳ないけれど私はタピオカについて何も知らないんだもの」
「知らない? はっ、アタシだって知らないんだから理由にならないっての」
「なら言うけど」
そこで一度言葉を切って文鳥さんは僕を朱色の瞳で捉えた。
「私は比影壮一のことが死ぬほど嫌い。だから協同したくないのよ」
和解の余地が無い、痛い程純粋無垢な拒絶だった。
しかし坪河さんはそれを払い除けるように手をひらひらと振った。
「アタシは別にアンタが男性恐怖症だろうが男性嫌悪主義だろうが知らない。ただ仕事はやってよ根暗女」
「ぎゃあぎゃあ五月蠅い野蛮人に言われたくないわね」
「はあ? もっぺん言ってみ、ぶん殴るから」
そう言って坪河さんはメンチを切るが、文鳥さんは一切相手にもしない様子で再度参考書に視線を落とした。
ちょっと待ってくれ。
何でそんな喧嘩腰なんだこの二人。
二人は互いを睨み続けて、先に折れたのは文鳥さんだった。
「……分かったわ。先程タピオカミルクティーを飲みに行くとか言っていたわね。それ、代わりに私が行くわ。その行動で以って、以降の文化祭準備活動は出来るだけ参加しないって約束してくれるならだけど。どう?」
「ふーん。まあ落としどころとしては妥当じゃない?」
「決まりね」
何故か二人で示し合ったように結論を出すと、文鳥さんは再び勉強に戻ってしまった。
完全に置いてけぼりになっている僕である。
何も言えずにいたのもそうだし、何か言ったとしてもきっといまいちな意見で場を混乱させただけだから、僕の行動の最適解はつまるところ沈黙が正解だった。
そう頭では理解しているのだが、大人としてまた一つ能力不足が露呈したように感じて、非常に情けなくなってしまった。