アイを甘やかしたい 作:甘えん坊将軍
「ん~可愛い!二人とも可愛いよ!」
「おかぁさんくすぐったい~」
「……父さん、撮ってないでなんとかしてぇ」
「まあまあ。アクアもほら、笑って笑って!」
お揃いの園児服に袖を通したアクアとルビーをかき抱き、アイは幸せそうに頬擦りする。
ルビーは嬉しそうに受け入れて、アクアは茹でだこの様に顔を赤く染めて。それをカメラ片手に撮影するヒカル。
「おめぇらいつまでやってんだ。入園式に遅れっちまうぞ」
「はーい。名残惜しいけど、また後でね」
「ところで壱護さん、なんでまた髪わざわざ黒に染めて伊達眼鏡かけてるの?」
「そりゃお前身嗜みって大事だろ」
「あははっ。壱護さん似合ってなーい。まごにも衣装だ」
「うっせぇぞ。アイ」
「ひょっとして参加する気?入園式には保護者二名までって書いてあったでしょ?」
「さすがに式は参加しねぇよ。ミヤコとどっかで時間潰しとくわ。でもほれ。看板前で一緒に写真撮ったりくらいはいいだろ?」
「まぁ、それくらいならいいのかな」
わいわいがやがや。春の陽気に誘われて、賑やかに、和やかに。
今日は人生でも一つの節目。アクアとルビーの幼稚園への入園式。
お七夜から始まりお宮参りに百日祝い。初正月に初節句。誕生日のお祝いに七五三。
とにかく行事は一つたりとも逃してなるものかと、主役である二人以上に周りの方が大騒ぎ。
それはもしかしたら自分たちが出来なかったが故の代替行為なのかもしれない。
けれど子供たちを祝うその気持ちに嘘は無く、子供たちに寂しい思いをさせまいとする愛情はまぎれもない。
「ほれ行くぞ。ミヤコももう車で待ってんだ」
「はーい。アクア、ルビー。手繋いで行こ」
「うん。お母さん」
「う、うん」
どこにでもある温かく幸せな家庭の姿を。一つ一つ丁寧に積み上げるように。
アクアとルビーが通うことになった幼稚園だが、普通の幼稚園とは言えない。
母親であるアイは年単位で休業しているゆえに知る人ぞ知るレベルであるが、父親であるヒカルは有名にすぎる。
若者のテレビ離れが叫ばれて久しいが、それでもテレビの影響力は侮れない。番組にCM。お茶の間でよく見られる人物がそこらの幼稚園に現れれば不要な騒ぎを引き起こすのは想像に難くない。
それだけならば変装するなり方法は幾らでもあるのだが、特に問題となるのがアクアとルビー自身も子役として引っ張りだこだということ。
登園日が不定期になりがちな芸能活動に理解のある幼稚園は少ない。
さらにセキュリティ面も考慮すると選択肢は俗に言う業界人御用達に絞られる。
「業界人御用達っていうけど内容そのものは普通の幼稚園と変わらないんだな」
「そうなの?お兄ちゃん」
「幼稚園の時の事なんてほとんど覚えてないけど、なんとなくこんなだったかなぁって」
幼稚園の園庭に設置された遊具の上で周囲を観察しながら雑談に興じる二人。
設備や教員が充実している事や警備員が常駐していることを除けば、カリキュラムそのものは通常の幼稚園と大きな差はない。
無論、御用達の幼稚園の中にはいわゆる受験組も存在するが、教育方針がのびのび育ってほしいと考えている故にお堅い受験組は選定の外だった。
「ふーん。私はそもそも普通の幼稚園の事もよく知らないや。だって前世じゃほとんど通ってないもん」
「……ルビー。ちょいちょい闇出すの止めよう。反応に困る」
「や、お兄ちゃん。そんなマジ顔で受け止めないでよ。ジョークだよジョーク」
「そういうの笑えないから。前世知ってる分余計に」
「笑い飛ばしてよ。お兄ちゃん。
お母さんがいて、お父さんがいて、お兄ちゃんがいて、せんせがいる。今すっごい幸せ。これからもっともーっと幸せになれるって思えるの。
だから前世の事を笑い飛ばしたいの」
「……そっか」
ルビーの声は力強く、前世を乗り越えようとする決意が込められていた。
切っ掛けは、ダンスの練習。踊る事への、運動全般への強い忌避感。
知っているのだからわざわざ幼稚園のお遊戯会を待つ必要もない。
「お母さんみたいなアイドルになりたい」そう夢を語るルビーに、ヒカルは「それじゃあ歌とダンスの練習もしないとね」と返し、渋るルビーを根気強く説得した。
「大丈夫だよルビー。ちゃんと病院で検査して、健康だって太鼓判押してもらったでしょ?
ルビーは踊れるよ。踊っていいんだよ」
「転びそうになったらママたちが支えてあげる。安心して。思いっきり踊っていいの」
家族の温かさに背中を押され一度踊れてしまえば、心に魂に染みついた癖を拭うのは簡単だった。
思うままに、心のままに、大きく腕を振り、踊る。
ただそれだけの行為がなんて楽しい事なのだろうか。ルビーの頬が自然と緩み口角が上がっていく。
傍らで見守るアクアの目を通して、ルビーを見詰める雨宮吾郎は静かに涙を流した。
誰よりもその姿を焦がれた。最推しの眩い姿を。
『……ルビーちゃんはアイよりずっと輝いているよ』
それは生命の煌めき。
絶望を知る者だけが、死を間近に感じていた者だけが、生きるということがどれほど尊いことなのかを知る者だけが放つ煌めき。
アイですら持ちえない。ルビーだけが持ち得る活力の煌めき。
心に刺さった棘を、少しずつゆっくりと抜いていく。心に負った傷に愛情という名の塗り薬を。
前世を忘れる事など出来ない。けれど乗り越えることなら出来る。家族と一緒になら、きっと乗り越えられる。
今のルビーはそう信じられた。
「るびーちゃんあそぼー」
「うん。今いく~」
そんなルビーの決意宣言で形成された侵し難い静かな空気は幼子の可愛らしい声により終わりを告げた。
その微笑ましい光景にアクアの表情も自然と緩む。
「やれやれ。さて、本の続きでも読むか」
それなりに他の園児と打ち解けながら遊ぶルビーと違いアクアは「園児に囲まれてお遊戯って……」と内心で辟易していた。成人男性の精神を持つアクアにとっては中々に苦行な時間。
そんなアクアは自由時間ともなれば我関せずと周囲と距離を取り、サイコロ本を読み耽っては案の定教員にドン引きされている。
京極夏彦のサイコロ本の分厚さたるや最早鈍器という名の凶器。家の女性陣はその分厚さから手に取ることもせず、ヒカルはアクアが読んでいるからと試しに開いてみたが100ページも行かずにそっと本を閉じた。*1そんな代物を読んでいれば、ドン引きされるのも無理はない。
もっともそればかりではなく。
時折こうしたやれやれ系主人公にも似た幼児に似合わぬ草臥れた雰囲気を醸し出しているのもドン引きされている大きな原因の一つなのだがアクア本人はその事に気付いていない。何故って周りに居るヒカルもアイも、なんなら壱護とミヤコも
「お兄ちゃんも来るの!」
「ちょっ、ちょっと待ってルビー。なんで僕まで!?」
「お父さん言ってたでしょ。楽だからって同世代と距離取ってるとぼっち一直線だって。ほら行こ!」
ヒカルの黒歴史こと失敗談の一つである。
アイドル活動が本格化してきたことと精神年齢故に同年代との交流が苦痛であると交流を疎かにしたツケから、ぼっち街道を驀進する結果となった。
中学は芸能科のない公立であったことから遠巻きにされ続けた。高校はアイと共に陽東の芸能科に進学したが本格的に売れ出した時期のために友人を作ることに本腰を入れる事が出来ず、今現在ですらも親しい友人を作ることが出来ず仕舞い。
そんな話を聞かされたルビーは同じ轍を踏ませまいとアクアの襟首をむんずっと掴み引き摺ってでも交流の場に連れ出すことにする。
「わかった!行く!行くから!離してって。苦しい……」
アイに弱いヒカルにミヤコに弱い壱護同様、アクアもルビーに弱い。
斉藤家の男性陣は総じて女性陣には弱いようである。
「そうそう。いいよアクア。ルビーとの距離に気を付けて」
自宅の一室の多目的ルーム。壁一面が鏡張りで、かつ防音の為に家の中で運動するならここしかない。
流麗なダンスを披露するルビーに比べ、アクアの動きは精彩を欠きぎこちない。
「いぇーい!」
メロディの終曲に合わせてビシッとポーズを決める元気いっぱいのルビーに、荒い呼吸に疲労困憊といった様子のアクア。
幼稚園のお遊戯会に向けての練習のさなか。お遊戯会の演目はピーマン体操に決まったのだが、それとは別に「お兄ちゃんと一緒に推しの子のダンスがやりたい!」とルビーが熱望し、軽い気持ちでアクアが同意したことでこうして一家4人でダンス練習をする運びと相成った。
のだが、早くもアクアは「軽い気持ちでやるなんて言うんじゃなかった……」と後悔し始めている。
「少し休憩しようか。アクア」
「……ダンスってすっごい疲れるね」
「そりゃ全身運動だからね。役者でもお医者さんでも体が資本。鍛えておいて損は無いよ。父さんもアイドル時代は毎日5Kmは走って鍛えたんだよ」
「……まだ体が出来てない子供のうちに過度のトレーニングは厳禁だと思うんだ」
「……こういう時ってどう返せばいいのかな……」
子育てって難しいな。とヒカルは心の中で零す。
とはいえ普通の園児はこんな反論はしない。アクアが特殊なだけである。
「まだまだ改善の余地ありだけどアクアも良い感じに輝いてるね」
「これならお兄ちゃんも一緒にアイドルになれそう。目指せ2代目【推しの子】!」
「うんうん。アクアもきっと大人気になれるよ!」
「……ちょい待ち。今、なんて言った?」
「え?だからお兄ちゃんも私と一緒にアイドルに」
漏れ聞こえてきたアイとルビーの会話にギギギッと油切れの機械のような緩慢な動きでルビーに向き直り、聞き間違いであって欲しいと切なる願いを込めての質問に無邪気な返答が返される。
もちろんルビーは最初からそのつもりだったのは言うまでもない。
「むりムリ無理!僕がアイドルなんて無理だってば!」
「何言ってるのお兄ちゃん。私たち推しの子の推しの子だよ?私たち以外の誰が2代目推しの子を継げるって言うの?」
「だってアイドルって事は父さんみたいな恥かしい衣装を着て歌って踊るって事だろ!?勘弁してよ……」
「ゴフッ!」
アクアの急所への攻撃!こうかはばつぐんだ!
「そりゃまぁ……最初の頃の、あのいかにもなショタコンホイホイみたいな衣装とかはちょっとどうかなって私も思うけど」
「カハッ……」
ルビーの追撃。オーバーキルだ!
「わァ……ぁ……」
「ヒカル君が泣いちゃった!」
初期の頃の衣装の事はヒカルにとって消し去りたい黒歴史。
特に壱護がまだ手探りで営業していた最初の頃は売り出し方も安定しておらず。ルビーが言ういかにもショタコンホイホイの衣装などはその筆頭。
「似合うから!絶対似合うから!」とミヤコにゴリ押しされ*2、アイに可愛いと絶賛されたことで採用された代物。
想像してみてほしい。
中身が合計年齢40過ぎのおっさんがコナンくんバリのサスペンダー付き半ズボンのショタ衣装*3を身に纏い歌って踊るのを。うわっキツッ……と思わないはずもないだろう。
その上それを知るのは自分だけ。誰にも理解されずにただ一人羞恥に悶えるしかないのを。
当時は年齢とルックスも相まって似合っているのがまた拍車をかける。いっそ似合わなければ世に出る事もなかっただろうに。
とはいえこのやり取り、実は言うほど傷ついてない。そんな柔いメンタルをしていては芸能界を渡って行けないのだ。
それなりに長い芸歴。こうして己の恥部を弄られたことなど1度や2度ではなく、時には自分から自虐ネタにする事すらある。
バラエティ映えするように嘘と誇張でデコレーションした弄られキャラを演じている内に、弄られ過ぎてメンタルが鍛えられた。というか耐性が付いた。
ちいかわ泣きはその芸風で身に付けた。こいつは芸人でも目指してるのだろうか。
「とにかく!僕はアイドルなんてやらないからね!」
「……甘い。甘いよアクア。その道は父さんが10年以上も前に通った道だよ?
父さんがアイに勝てなかったように、アクアがアイとルビーに勝てるわけが無いって。だってアクアは父さんの子だよ?」
「……なんてイヤな説得力に満ちた言葉なんだろう」
げんなりと肩を落としながら「というか父さん。僕を道連れにしようとしてない?」「ソンナコトナイヨ~」「目を逸らしてんじゃん」とコントのようなやり取り。
「お兄ちゃん。私と一緒にアイドルになって!」
「アクアならきっとすっごいアイドルになれるよ!」
アイは推しで、
そんな二人が瞳を輝かせながらの屈託のない笑みでの懇願。それがどれほどアクアの心を揺さぶるか。
「……い、いや、自分でやるのはちょっと」
絞り出すようなアクアの声音に一転してしょんぼりと悲しげに曇る。
「……ふぐぅ」
演技だ。嘘泣きだ。僕には分かる。こうやって何度も僕に授乳させたんだ。心を強く持て。毅然と拒否するんだ。
アクアはそう心の中で強く言い聞かせるも、推しと最推し二人の悲しげな顔は罪悪感となって心にグサグサと刺さる。
「じー」
「じー」
今度は上目遣いのあざといポーズ。アイとルビーの二人揃えば相乗効果で倍率ドン!更に倍!
演技だと分かっていても一も二もなく頷いてしまいそうになる破壊力を秘めていた。
「……か、考えさせて」
出した結論は保留だった。
もっとも既に明確に拒否出来てない時点で結果は火を見るより明らかな気がするが、言わないであげるのが優しさか。
ダンス練習はルビーにとって前世と向き合う非常に大きな出来事。このシーンは流石に外せない。
家族に囲まれて、せんせに見守られて、絶賛有頂天。
その勢いのままアクアをなし崩しでアイドルにしようと画策。
アイは割と乗り気。オリ主はアクアが本気で嫌がるようなら味方するつもりだった。けど反応を見る限り「恥ずかしがってるだけみたいだな~」と判断したので仕返しにからかう事にした。
尚オリ主は芸能人にとって恥も武器の一つだと割り切ってる。