アイを甘やかしたい   作:甘えん坊将軍

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第3話

星野アイとの出会いから一月が過ぎようとしていた。

あの後少し予想とは違い一騒動起きることなった。

俺としては星野はそうそう変わる事は無いと思っていた。俺は別に星野に対し嘘を吐くなとか、演技するななんて言っていない。むしろ嘘を吐いてもいいと肯定していたつもりだ。

だがあの日を境に星野は嘘を吐くことをパタリと止めた。いや止めたというよりは星野は嘘が吐けなくなった。自分がどうやって嘘を吐いていたのかが分からなくなってしまったのだという。

 

これには正直驚きを通り越して罪悪感が湧いた。あまりにも軽はずみで軽率だったと。

良かれと思いした事だが結果的には星野の内面に深く踏み込みすぎてアイデンティティを傷付けてしまった。

 

その罪悪感も手伝ってほぼ四六時中星野と行動を共にしフォローに奔走した。

幸い、と言っていいのか2.3日もすればある程度の落ち着きを取り戻した。再び以前の様に振舞えるようになるのにそう時間はかからなかった。

 

その時に分かった事だが、星野はとにかく共感性が低い。空気が読めない訳ではなく、皆が喜んでるから自分も喜んでいる振りをする。皆が悲しんでいるから悲しんで見える様に振舞う。

周囲が喜んでいる、悲しんでいるのは理解出来るし、その理由自体にも理解できる。けれどそれが星野自身の感情に結び付いていない。

ただ他人の感情に共感して自身の感情が想起されない。

星野に感情がないという訳じゃない。面白いと思えば普通に笑うし、嫌なことがあれば不機嫌になる。

気分転換にでもなればと思って猫カフェに連れて行ったら顔を綻ばせていたし、感受性もある。

とは言えこれに関して俺に出来る事は……いや、そもそもしていいのだろうか。

 

そこまで考えて溜息を一つ。

 

「俺は医者でもカウンセラーでもないっての」

 

ほっとけないと思い、良かれと思いしたことは、星野にとって有難迷惑だったのではないか。

今更ながらにそんな思いに囚われてしまう。

 

「なーに? なにか言った?」

「独り言。それよりどこまで進んだ?」

「ぅ……。まだここまで」

 

そう言ってペラい紙切れのプリントを見えるように差し出す。見ればまだ半分も解答欄は埋まっていない。

 

「勉強……つまんない」

「それは同意するが、やらなきゃやらないで面倒なだけだぞ」

「ヒカル君は良いよね……。この前のテストでも満点だったじゃない」

 

星野はそういって机に突っ伏す。全身から勉強したくない、宿題したくないというオーラが滲みだしている。

そういえばいつ頃からか星野が俺の名前を間違えなくなっていた。

 

ヒカル。漢字で書けば光。それが今世の俺につけられた名。

とは言え転生して相当に経つというのに、未だにこの名前に慣れないのだが。気を抜いている時に呼ばれると反応できない。この名前が自分だという自覚が薄いのが原因だろう。

そもそもヒカルという名前そのものが俺に似合っていないというか、生まれついての陰の者である俺にそんな陽キャの様な名をつけられても……。

心中でそんな自虐をしながら、星野との会話に相槌を打つ。

 

「ヒカル君は終わったの?」

「ああ。とっくにな」

「えへっ見~せて!」

「可愛く言っても駄目」

「けち~」

「終わるまで付き合うから」

「……は~い」

 

何気ない星野との会話。会話内容自体は以前とあまり変わり映えはしない。中身も内容も無い。たぶん明日になったら会話したことは覚えていても会話の内容は忘れている。そんなやり取り。

ただ星野の目から光が失われている。こういう表現だとなんだかヤバげな印象を与えてしまいそうだが、宿題のプリントを解いている姿からは年相応のあどけなさしか感じない。

どうやらこの子の目はなにかしら演技をしている時に光るらしい。一月近く観察してそう結論付けた。

今もって星野の目が光る理由は定かではないが、こうして二人きりの時には鳴りを潜めている。

 

そう考えると俺と二人きりの時には、演技をしていない。素の自分を出しているのだろうか。

……そうであればいいと思う。少なからず羽休めになれているのなら、この罪悪感もその内消えてくれるだろう。

 

 

 

代り映えのしない退屈な日常。2度目の人生は思った以上に退屈だ。

人生やり直したいと思ったことはあれど、実際にやり直してみるとこれほど大変だとは。

10年。言葉にすればそれまでの、体験してみればあまりに長い子供時代。

 

なにかの本で読んだが子供の体感時間は大人の6倍らしい。

それを考えると転生して60年か。流石にそれは言い過ぎにしても1日1日が長く感じることは間違いない。

始めは新鮮さもあった学校生活も慣れてしまえば所詮は日常の一コマ。

 

星野と出会って何かが始まった。

そんな予感がしていたんだが、それもただの気のせいだと思えてしまうくらいには何もない日々。

非日常を望みながら、そんなものとは掠りもしない。きっとこの夢想を抱えたまま第二の人生も過ぎ去っていく。そんな諦観を抱いてしまう。

 

それでも時間は流れる。

ゆっくりと、穏やかに、でも決して止まってくれない。

望もうと、望むまいと。その時は訪れる。

 

「もうすぐ……お母さん、迎えにくるんだって」

 

不安そうな、それでも少しだけ嬉しそうな声で星野は言う。

 

「そうか……」

 

どんな顔で、どんな言葉を掛けてやればいいのだろう。前世も合わせれば40に届きそうな人生経験はこんな時にまるで役に立ってくれない。

星野がこの施設に来るまでの事を俺は知らない。星野も話さないし、自分から聞くのも憚られる。ただ良い家庭環境で無かった事だけは確かで。

そんな母親であっても、やはり子供にとって親は特別で。

引き留める事も出来ず、かといって笑って送り出してあげる事も出来ない中途半端さ。

 

「ねぇ……また会えるかな?」

「会いに行くよ。必ず」

「じゃ、約束」

 

そんな俺に気を使っているのか。差し出された小指に小指を絡める。

 

「うそついたらはりせんぼんの~ます! ゆびきった!」

 

女の子特有のソプラノで歌うように。

楽しそうな星野の姿に、これでお別れだとしても、終わりじゃないと。俺も少しだけ笑えたような気がした。

 

 

けれど、ああ……本当に……儘ならない……。

自分の中に渦巻く感情を汚い言葉と一緒に吐き捨てたかった。だけどその言葉を唇を嚙み絞めて無理矢理飲み込んだ。悪態の言葉が胸中に浮かんでは吐き出せないまま燻っている。

誰よりも苦しんでいる星野の前で、ほんの僅かでも楽になるような、そんな有様を見せたくなかったから。

 

星野の母親は娘を迎えにこなかった。

 

1日が過ぎ、2日が過ぎ、日が落ちるごとに段々と星野の顔から表情が抜け落ちていく。

星野もきっと分かっている。母親が来ない事のその意味が。

 

「……っ」

 

なんて声を掛ければいい?

別れるかもというだけで掛ける言葉を失くしたというのに、こんな時に掛ける言葉を思い付くはずもなく。

「今は一人にしてあげよう」と誰かが言った。そうするのが普通で、それがきっと大人の対応だ。

 

「ヒカル君、おはよう!」

 

久しぶりに見た星野の笑顔。だけど、その瞳には星が瞬いていて。傷ついた心を分厚い嘘で覆い隠して。

予感がした。きっともう本心を打ち明けてくれる事は無いんだと。

……俺は、君を救えなかった。

 

―――救えなかった。じゃなくて、救おうともしなかったの間違いだ。

 

そんな声が聞こえた。俺を責める誰かの声。

 

―――大人ぶって聞き分けの良い振りをして。

―――本当は踏み込む勇気も持てなくて。ただ傷つける事を恐れていて。自分が傷つく度胸もない。

―――何もしなかった。その結果がこれだ。

 

……ああ。分かってる。これは俺だ。俺が俺を責めているんだ。

以前にあんなにも簡単に星野の問題に踏み込めたのは、興味はあれど好意は無かったからだ。嫌われた所でそれはそれ。と軽く考えていて。

少し絆されただけで、嫌われるかも知れない可能性に怯えて、身動きが取れなくなる。なんて無様。

 

―――お前に嘆く資格なんてない。

 

「……ごめん。星野……ごめん……」

 

「……なんで、泣いてるの?」

 

「……ごめん。ほんとに……ごめん……」

 

「泣かないでよぉ……」

 

一体いつからこんなに感情の制御が出来なくなっていたのか。思い返すと顔から火が出そうなくらいに恥ずかしい。

これはきっと子供の体に精神が引っ張られてるんだ。思春期とかそういうのが原因であって。

なんといえば良いのか、前世に比べれば遥かに子供っぽくなったと思う。喜怒哀楽の感情の振り幅が大きく、熱し易く冷め易い。だからこれは仕方ない事なんだと無理矢理納得させておく。

 

気が付くと星野と二人で泣いていた。泣いて泣いて、泣き疲れて。

 

「……ハラ減った」

「うん。わたしもお腹減ったぁ……」

 

時計を見るとすでにお昼を回っていた。マジか……。

二人して何か食べるものを求めて食堂まで行くと、テーブルの上にラップされたおにぎりとおかず。

そしてメモ用紙に「二人で食べてください」とのメッセージ。

本来学校で給食がある以上平日の昼間に昼食なんて有るはずない。きっと気を使わせてしまったんだろう。後でお礼を言っておかないと。

というか学校をサボってしまったな。

 

「食べようか」

「うん」

 

元々俺はそんなに話し好きというほどではないし、星野が黙ってしまうと静かなもので。

特に会話もなく、ただ咀嚼音が響く。

 

「……なんか、いっぱい泣いて、お腹いっぱいになったら、すっきりしちゃった」

 

取り分けたものを食べ終えた星野はどこか気が抜けた声。

 

「ちょっと目を見せて。

 ……ああ。いつもの星野だ」

 

女の子の顔をまじまじと見つめるのは少し気恥しい気もしたが。

見慣れた。いつもの星野の眼。

 

「……そんなに変だった? ちゃんと、笑えてたと思ったんだけどな」

「……思わず泣きたくなるくらいには」

「もう! いじわる!」

 

漫画やアニメ調にしたらぷんぷんと擬音で描かれてそうな星野の姿が、微笑ましく思える。

思えば大人ぶってカッコつけた上辺だけの慰めの言葉なんて星野には届かなかったんじゃないだろうか。

なんて後付けだけど、人前で大泣きするなんて恥を晒したかいはあったかな。2度はごめんだけど……。

 

「あのね、聞いてくれる?」

「んー」

「きっと、お母さんは私のこと嫌いだったんだ」

 

……考え事をしていて気を抜いた返事に返ってきたことが重い件。

 

「昔、お母さんが投げたコップの破片がご飯に交じっててさ。飲み込んだりはしなかったんだけど、口の中血だらけで。あれは痛かったなぁ」

 

だから白ご飯って今でもちょっと苦手。と軽い口調で淡々と話す星野。

どこか遠くを見つめる星野の横顔は、笑ってる様にも無表情にも見えて。

 

「でも、お母さんは心配してくれなかった」

 

「お母さんにとって私はいない方が良かった」

 

「だからかな。お母さんが私を迎えに来てくれないの」

 

文脈が繋がってるようで、どこか繋がってない。

自分の中の感情を一つ一つ言葉にするように、ぽつりぽつりと途切れ途切れに星野は話し続けた。

答えを求めていないのか、口を挟むのを躊躇う雰囲気にただ星野の横顔を見つめる。

 

ふいに、星野と目が合った。

今まで見たこともないくらいに鮮烈で濃密な黒。色んな激情をごちゃ混ぜにして出来上がったかのような。

重く沈み込むような、或いは引き摺り込まれると錯覚しそうな、星野の黒く輝く瞳。

圧し潰されるような圧力に雁字搦めにされ、怖ろしいと感じながらも目を逸らせない。

視線が絡み合い、それ以外の事が遠く感じる。まるで世界に二人きりになったのではないかと思えてしまう。心を奪われるとはこういうことなのだろうか。

 

ふっと視線が外れ、ぼんやりとした夢見心地の世界から急速に現実感が湧いてくる。

どれくらいの時間見つめ合っていたのか、長かった気もするし短かった気もする。なんとなく時計を見る気になれなかった。

 

「ね、ヒカル君のこと教えてよ」

「また唐突だな」

「よく考えたらヒカル君のことあんまり知らないなぁって……だめ?」

「良いけど……なに話せばいいんだ」

「ん~、好きな食べ物とか」

「食べ物ねぇ……カレーとか、からあげ」

「うーん男の子って感じ。じゃ嫌いなの」

「基本出された物は残さず食うけど、わざびとかかいわれ? あの手の刺激物は好きじゃないな」

「ふーん」

 

好きなこととか嫌いなこと、得意なことや苦手なこと。思い付いたことを聞いてるだけというか、質問に統一性が無い。特に隠すことでもないし、思ったままに答える。

好きな女の子のタイプは?なんて揶揄い交じりに聞いてくるから、お返しに星野って答えると、ちょっと赤くなって慌てていた。

 

「じゃあ……ね。ヒカル君のお母さんってどんな人?」

「……それが聞きたかったのか?」

「……うん」

 

これまでの質問と違って少し張り詰めたような真剣な声。

 

「マジな話みたいだし、こっちもマジで答えるけど……知らない」

「……知らないって」

「顔も名前も知らない。会った事もない」

「……」

「生後一週間くらいの頃に、ここの門の前に捨てられてたんだって。

 当時のことを知ってるのは今じゃ園長先生くらいか……」

 

正直捨てられたことに思うところはない。会った事もないから余計に感傷を抱き難い。だから凄く淡々と、他人事みたいな語りになってしまう。

前世については話す気になれなかった。信じ難い話だし、母親については前世を含めても良く知らないのは本当だから。

 

「……えっと……その……」

 

流石に反応に困るよな。大人だって困る。

 

「あー、そういう反応になるのも分かるけど、そんな深刻にならなくていい。

 どうでもいいって程じゃないけど、特に会いたいとか知りたいって思ったこともないんだ」

「……」

 

俺の言葉に驚いたというか、信じられないものを見るような目。

 

「言っておくけど、俺と自分を比べるなよ? 俺の場合、星野とは境遇とか状況も全然違う。

 顔も名前も、事情も知らない。思い出とかそういうのも無い。だから、そう、『母親ってものに実感がない』かな。言葉にすると」

 

車を知らずに生活のために100キロ歩けた男が車を知ってそれを当たり前と受け入れた後、徒歩で生活のために100キロ日々歩けと言われたら耐えられるだろうか?

人間知らない事で我慢するのは苦にならないが、味を占めた上で我慢させられるのは辛いものだ。

例え話として適切かは自信が無いが。

 

俺にとっての母親とは居ないことが当たり前で。

 

「……うーん」

「あんまり参考にならなかったろ」

「聞きたかったことだけど、聞きたかった内容じゃないような。

 ヒカル君風に言うとコレジャナイ?」

 

……この子の前では少し言葉遣いに気を付けた方が良いかもしれない。

 

「でも、聞けて良かった」

「そっか」

 

これを最後に会話は途切れた。

ただ時折視線が合って、お互いに少し笑みがこぼれる。会話がなくても心地よい。そんな空気感。

夕方になり中学生の先輩児童が帰ってくるまでの間、それは続いた。

その後は昼食を用意してくれた職員さんにお礼を言ったり、学校サボった事にお説教という程ではないが注意されたり。

いつもの日常が戻ってきた、そんな風に思えた。

 

 

 

洗面所の前でシャコシャコと歯を磨きながらぼんやりと今日の出来事を思い出していた。

 

―――星野って絶対普通じゃない。やっぱりそうなのか。

 

母親に捨てられ、白ご飯が苦手。星の目を宿した、星野アイ。符合するものが多い。

これまでもその可能性が頭を過らなかったかと言われたら嘘になる。

 

―――なによりあの目……。

 

圧し潰されるような圧力に雁字搦めされ、怖ろしいと感じながらも目を逸らせない。

星野の黒く輝くような、或いは重く沈み込むような、引き摺り込まれると錯覚しそうな瞳。

あんなもの10歳の子供がしていい目じゃない。

 

―――そう……。確かこんな感じの……。

 

ふと鏡に意識を向けると、

 

「おぁっ」

 

一瞬だった、けれど確かに今、鏡に映る自分の眼が妖しく輝いていた。




アイは共感性が低いと思ってます。
だからこの場合、アイがオリ主に共感したのではなく、オリ主がアイに共感した。と表現したつもり。内面描写って難しい。
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