あなたの終わりを眠りと共に 作:アメフラシ
前回、かなりビビりながら投稿しましたが、皆様寛容に受け入れてくださってよかったです……。
『ひと狩、行きませんか?』
それは何一つとして特別なことのない朝のことだった。キルケーさんと共に朝の掃除を済ませ、キルケーさんと共に朝食を作り味の感想を伝え合い、キルケーさんと共に私の魔術、観察の起源による肉体と精神の情報可視化を現代基準で魔術ではなく魔法と定義すべきかで議論して、それに飽きたらキルケーさんと肩を並べて釣りををして……。
退屈で代わり映えがしないからこそ素晴らしいと人々が語る日常を鏡の前に置いたような日々、それが一年、二年と過ぎていく間に世界は私たちを置いて過ぎ去っていくかのように色を変えている。
アルゴー号に乗ったパッとしない男ペレウスが女神と結婚することになった、テセウスは父親から王座を受け継いで嫁さんと幸せに暮らしている、イアソンがビビりながらも冒険を続けている。それぞれが幸せな日々を送る中で、私と彼女の関係もそれなりに進展した……つもりである。
まず、魔女としてのキルケーさんは素直ではないから、恋人らしいことをしようとするには、その仮面を剥がす必要がある。向こうはやって欲しいことを素直に口にすることはできないし、距離を詰めようとすると恥ずかしくて逃げてしまう。こうやって「さん」をつけて呼ぶようになったのも、呼び捨てをして欲しいけれど敬称も欲しいと彼女が譲らなかったからだ。
あの夜の貴女はどこへ行ってしまったのかと一度尋ねたことがあったけれど、あれは私の信仰がたったの一夜でもアルテミスへの信仰の重さを上回ったからであり、それを成したのは新月という月の女神へと信仰が最も少なくなる夜だったからこそ昔の自分を取り戻すことができたと早口に語っていた。彼女は私の師であることにプライドを持っているらしく聞かれれば大半のことは答えてくれる、恥ずかしいことについては早口になるが。
そんな彼女の仮面を剥がすために最初にすることは、取りあえず後ろから抱き締めることから。彼女は自らの要求が願えば通ることを知りながら自分からそれを口にしない、そして気づいてあげられないと少しだけ不機嫌になる。
逃げられない状態にしてしまえば彼女も「私が願っているから」という大義名分を持って甘えることができる。夜は私が誘わなくても毎晩のように襲ってくるというのに、掌を重ね合わせることにすら顔を鬼灯のように赤くするのだから愛らしい。
貴女に一生を寄り添うことはできずとも、貴女の恋人なのだから見栄を張らずにゆるりとしてくれて構わないのに、そうやって口にすると貴女は決まって私は大魔女だぞと頬を膨らませる。確かに平時は大魔女としての威厳があるかもしれない、けれど、私の膝に寝転がっていてはそれも薄れてしまう。
魔術を使わなくてもある程度は理解できる……できるようにしてしまったのかもしれないという罪悪感に駆られてしまうこともあるが、その度に頬を指差されて数分は遊ばれることになる。叱るわけでもなく冗談のように笑いながら反省しろと言われてしまうのだから毒気が抜かれる。
似た者同士、傷を舐め合っているだけだと笑う人間も多いだろうこの日常はその連続性こそに意味がある自分勝手に幸福な形でしかないのかもしれない。理解と呼ぶには朧気なその関係を互いにのんびりと享受している。果たしてこれは正しく夫婦の関係と呼ぶべきなのかと思案したこともあったが、キルケーさんの夫婦関係に正解があるなら離婚というものはこの世界に存在しないという至言によって、この思考を止めることができた。アイアイエー島は今日も平和である。
そんな平和な日常を過ごしていた時に、唐突に青銅のこん棒を持った老婆の三連星が訪ねてきたのなら自分がまだ夢の中にいるのではないかと錯覚してしまうのも無理はないだろう。頬をつねって確かめてみるが痛みがあったことでこれが現実だと悟ることになった私の感情は困惑とひさしぶりの恐怖、おまけに懐かしさだった。
「何をやってるんですか、モイラ三人揃ってこん棒を持って狩りって……」
『いえ、これからギリシャの神と英雄総出での巨人狩りが行われるのですが』
『貴方を誘っておいた方が良いかと思いまして』
『ニュクスの館からは我々が出陣することになりましたので、縁ある人間の英雄を訪ねています』
「あれ……運命の三女神に由来する英雄って……」
『はい、貴方だけです』
『我々は楽で良いですよ』
『ゼウスなんかは大変そうでしたからね』
私が巨人狩りに参加させられること決定である。
行ってらっしゃい、月に一回はあるヘスティア様の依頼や私が使いすぎてしまう香辛料の買い付けの時のように手を振られて送り出された私が目指すのはギガースと呼ばれている強力な巨人の群れが集う場所である。
曰く、神だけで打倒することの叶わない存在であり、少なくともどちらかが致命傷を負わせ、どちらかがトドメを刺さなければ死なないというおふざけのような耐性を持つ怪物らしい。姉さんたちからの蘊蓄を聞けば、ゼウスたちオリュンポス十二神の本体を破壊したセファールという怪物を弱体化させた分身のような存在らしく、今回の件をビビっていたゼウスが産ませたのがヘラクレスということらしいが……彼が対抗するための戦力としていてくれることは心強い。
とはいえ、そんな相手に私が一人加わったところでどれだけの意味があるだろうかとも思うが、トドメだけお願いと頼まれてしまったため魔法で生やした羽を使って現場に急行させられているのが現状だ。
『見えてきましたか』
『遅刻はしていないようですね』
『流れ矢には気を付けるように』
『『『それでは』』』
戦場に着いた途端に突撃していく三人を追いかけて、衝突し始めた両軍の中を縫うように私は走り始めた。
『射殺す百頭』
最高の火力を誇るヘラクレスの剣、マルミアドワーズから放たれるギリシャのみならず数多の神話で最高の幻想種とされる竜の形をした九つの光線、後の世にて第二魔法と呼ばれる現象に限りなく近い速度で剣を振るうことで破壊を引き起こすヘラクレスの必殺技。
遠くから視認することができたそれは開戦の狼煙となって哀れな巨人たちの体を噛み砕く。その後にゼウスの雷霆が炸裂し、既に瀕死の巨人たちの命を奪っていく。
同時に突撃したアレスとそれに付き従う英雄たち、それを巻き込まないよう弓矢を手に取ったヘラクレスは私に気づいて軽く目配せをしてくれた、これだけの怪物を前にしているにも拘らず、余裕がありすぎて頼もしい。
ゴーグルを外して瞳を閉じる。魔術を遮断するその宝具を外すことで起動した起源の魔術、五感によって行われるそれは、人間が最も頼りとしている視覚を失ったとしてもそれは健在だ。
戦いには慣れていなさそうなモイラの三人に絶対に被弾しない位置を教えながら眼前の巨人と相対する。言葉を発することをしない怪物の相手は楽だ、殺すことに躊躇がいらない。
巨人から振り下ろされるは儀式用のようにも見える鉈、大振りでありながら体の大きさによって距離を詰めることを許さないそれに合わせるように盾を重ねる。自らの力によって転んだそれを袋叩きにする。基本的にそれの繰り返しのため絵にはならないが、よぼよぼの老婆がこん棒で巨人に殴りかかっている姿はトラウマになりかねないため絵にならない方が心に優しい。こんな時くらい本来の姿である白磁のような白い肌をした少女の姿に戻れば良いと思うのだが、戦いの場であっても老婆のままな彼女たちの思考回路はどうにもわからない。運命を理解することができれば終わりになるが故のミステリアスさなのかもしれないが……
きゅあああああああ!!!!!!
「んっ!? ごめんなさい、離脱します!」
『構いませんよ』
『因果律とかを操ったりすればいけますね』
『ふわふわしていきましょう』
もう一体、乱戦であることや強くなさそうな一団を見つけたからだろう、突撃してきた個体は鉈持ちよりも一回り大きく、武器と呼ぶにも怪しかったあちらと違ってボロボロになった刃の長剣を振りかざして、外見からは想像できないような甲高い雄叫びをあげて私たちを押し潰さんとその腕を振り下ろそうとしていた。
寸前で避けることができたその一撃の主は、完全にこちらに狙いをつけたようだ。気味の悪い雄叫びを再度繰り返し私を潰そうとするが、赤子よりも小さなこちらを的確に潰すことはできないのだろう。
瞳を開く……。
吹っ切れたとは思わない。
今でも、この力は悍ましい、忌々しいものだと認識している。こんなものが自らの起源であるという事実には吐き気がする。それでも、観察の魔術は父から貰ったこの魔眼との相性が最高なのだから使った方が強いに決まっている。
そんな当然のことを行えるようになるまで、このギリシャの大地に産まれてから二十数年をかけることになったのは我ながら愚かしいことだ。
しかし
「132、56、12、絶対に当たらない」
相手の腕を大根の皮をむくように削いでいく。
無敵であろうと、不死であろうと、再生することになったとしても、肉体を削ぎ落としていけば生命は恐怖する。
「120、32、92、弱ってきたね?」
どれだけ恐れて逃げようとしても、足の肉が奪われてしまえば骨しかないのなら動かない。
どれだけ足掻いても勝てる要素は与えない、眠りの魔眼による絶対的な拘束、対魔力B以上でなければ戦闘中であったとしても視界に入れば回避することすらできず眠ることになる、それ以上であったとしても脱力させるだけの力がある。
「140、14、2、骨だけじゃ動かないよね」
腱を腕から切り離す度に再生する面白い相手を、指のひとつも動かすことをできないように切り刻む。死にたいと喚くその姿が鬱陶しい。
それじゃあ……
「おしまいだね」
ぽかり。
コミカルな音が響いた。
ギガースは人間だけでは殺すことができない怪物、けれど瀕死に追い込むことはできる。そしてそれは、老婆のこん棒の一撃で沈むような状態にであったとしても死ぬことができない。
『ふぅ』
『おしまいですかね』
『頑張りましたね』
モイラ三人の息を合わせた攻撃が、脳を守る頭蓋を破壊したようだ。勝者たちの雄叫びがあがった、神話に名を刻むことすら許されないような英雄たちですら参加したギガースとの対決はあっという間に終わることとなった。
結論としてはシンプル、ヘラクレスは最強であり、ゼウスと二人だけいればそれだけで片付いていたかもしれないということだ。十二の試練を終えて、それなりにおじさんになっているはずなのだが、ギリシャ最高の英雄はまだまだ健在と言ったところだろうか。
そんな物語が幕を閉じた後……
「は……ケイローン先生が死んだ?」
ギガース事変から十数年が過ぎてからのこと、それは唐突だった。
この島を訪れる風の神との雑談でたった今わかったとでもいうような驚きで口にしたそれは、私の恩師であり、アルゴー号の友にも同門の人間が多くいたその偉大な英雄であり教師であるケイローンが死んだという衝撃の内容だった。
怪訝な顔をするキルケーさんは不死である彼を殺すことができる手段なんてものはペルセウスの持っていたハルペーくらいしか思い浮かばないと語っていたが、それが確かなことならば私と共に彼の住むピリオ山に向かった。
そして……
「ああ……俺のせいだ」
彼の亡骸を埋めるヘラクレスとその亡骸に号泣する少年を見ることになった。それを手伝いながら話を聞けば、ヒュドラの毒の矢を取り落としてしまい不死である彼の体に突き刺さったとのことであり、死ぬこともできぬまま体が燃えるような痛みを襲い続ける苦痛に耐えられず、不死をなくしてもらったことで死んだ……その後、彼は空へ上げられ他の英雄のように星座になった。
予想はできていた、ケイローン先生が不死だというのなら射手座が生まれるわけもない、星座にするという行為とは死んだものを空に飾るための行いなのだから。
悲しむヘラクレスの背を叩いて励ます。予想はしていた私と違い、あり得ないと思っていたことを自分の持つ武器で引き起こしてしまったのだから悲しみも一入だろう。王様がこんな顔をしていたら民が不安に思うだろうと頬を押し上げて無理矢理に笑みを作らせた。
残酷なことをしている自覚はある、けれど、ヘラクレスどれだけ悲しんで足を止めてしまっても彼の治める国の民がそれを許さない。
「それじゃあね……っと、次は君かな」
キルケーさんに介抱を任せていた少年の方を向いて声をかける。ただでさえケイローンという師が死に、尊敬しているであろうヘラクレスが珍しく弱い一面を見せてしまった後だ、心が打ちのめされて立ち上がることすらできないほど弱っているだろう。
「お父さんはいる?」
「……うん」
「名前は?」
「アキレウス」
「……となると親はペレウスかな」
「うん」
アキレウス、私でも知っているアキレス腱のモデルとなった英雄。成長すればアルゴー号に乗っていた英雄たちに勝るとも劣らないだけのポテンシャルを秘めた少年だ。
「とりあえずお父さんの所に帰る?」
「……父さんも母さんも俺を捨てた」
「いや、それはケイローン先生の」
「ううん、二人とも俺を育てる気がないって」
そして、母親からの愛情を、正確には育ててもらえなかっただけで逸話から考えても愛情はあったのだろうが、受け取れなかった少年だ。
それがどうにも生前の私と重なった、キルケーさんに目配せるする、彼女が深く頷いたことを確認してから少年の、数年もしたら追い越されることになるだろうか、頭に手を置く。
「うちで、アイアイエー島で暮らさない?」
「……」
「あはは、わかんないよね。そうだな、私はケイローンの弟子だったけど、君はまだ彼から全てを教わっていないだろう、だから私のところに学びにおいで」
「わかったよ、姉ちゃん」
「……私は男だよ」
41歳、それなりに年を経てもおじさんと呼ばれなかったことを嬉しいと思うべきか、未だに男だと認識されていないことを悲しむべきか……。
今は小さな少年を背に乗せて、高く広いギリシャの空を二羽の鷲が舞う。帰ってきてからまた数年の時が経て、アキレウスが立派な青年になった頃、彼が私を先生と呼んで旅立っていた時に涙したことは後世に伝わっていないことを祈るとしよう。
書き忘れていましたがヘラクレスの一人称が俺なのは、イアソンとは逆で親しみを持たせるために『私』にしていると勝手に解釈しています。
それと、ケイローン先生が死ぬタイミングが神話と違いますがアキレウスが産まれるのが早すぎることになりそうなので変更しました……。
どちらが先?
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一話完結のギリシャ異聞帯
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短編のオケアノス
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幕間の二人