あなたの終わりを眠りと共に 作:アメフラシ
次の二話と最後の一話で完結となります。
「キルケーさん、朝ですよ」
「んん……あと少しだけ」
「わかりました。朝食の用意をしておきますね」
私の日常は彼に起こしてもらうところから始まり、夜に体力が尽きた彼を寝かすことで終わる。
基本的に眠っている時間と起きている時間が反対のヒュプノスの息子とは思えない程度に、彼は健康的な生活をしている。どれだけ夜が遅くなったとしても規則的に朝日が昇る少し前に目を覚まして掃除を済ませてから、私を起こすために部屋まで訪ねてくる。この時に少しだけ長く布団にいると布団を剥がされた後に横抱きにされて顔を洗いに行かされることになるため、彼にバレていたとしても眠っているふりをするのがマイブームだ。
とはいえ、彼が忙しい日にはこうやって頭を撫でれる程度で終わってしまうのがもどかしい。彼も名残惜しそうに去っていくのが余計にだ。ちなみに、このまま目覚めないままでいると完全に今日は起きない日だと認識されて一人で買い物に行かれることになるため、眠りすぎも厳禁である。
「おふぁほ~」
「はい、おはようございます」
常日頃からヘファイストスに作ってもらったという分厚いコートを羽織っている彼も料理の瞬間からは邪魔になるとしてそれを脱いでいることが多い。この状態を見ると肉は薄いけれど確かにあり、全盛期から少しだけ老いてきた雰囲気も相まってちゃんと男に見える、そうしなければ女性にしか見えないのはある種の魔法のようなものではないかと私は睨んでいる。この少しだけ露出の多い姿は私だけに見せる特別なもの。夜以外に彼を男だと改めて意識させる朝食の準備の時間を取るべきか、横抱きにされて彼の顔を下から眺めている時間を取るべきか、これが早朝の私を悩ませる。
とはいえ、そんなものは決して見せられない。そんなことで悩んでいる姿を見せるなんて師匠失格だし、彼の抱えていた重荷と比べれば愚かしいと笑われてしまうような小さなものだからだ。
まあ、そんな感情も彼にはお見通しなのだろう。前に何の前触れもなく私を横抱きにして口付けをしたり、意味もなくコートを脱ぐ時間が増えていたり……数字による観察なんてものがなくても、彼は相手の感情や思考を読み取るのが上手、薬を作る時にも何か欲しいものを頭に浮かべた頃には望んだものが手元にあることが常だ。これを自然に思ってしまっては、彼に失礼だと思って感謝を欠かさずにいようと考えてはいるのだけれど、彼がいない日にあれはどこに置いたかと部屋を散らかすことになることだけは許して欲しい。
「ヘスティア様、毎日ありがとうございます」
彼の作る朝食は全体的に塩味が濃い。
本人は薄味が苦手なのだと語っていたが、それは彼の前世というものの味を再現しようとして色々と足りないものが多すぎた結果らしい。いつか食べてみたいと語れば、ふんっとやる気を出してくれるのは助かるけれど、そのために数日も家を空けないでくれる方が幸せだ。それを知っていながらも彼はヘスティアの頼みを聞いて、自分の食欲を満たすためにどこかへ行ってしまう。
その度に君を閉じ込めておけばよかったと悪い後悔をしてしまう私は悪い女だ。けれど、この本能とも言える感情を封じ込めるのは難しい。一度だけ失敗して牢屋に閉じ込めたこともあるのだけど、その日の彼は私を丸一日抱き締めて甘やかした後に満足した私に少しの辛抱ですよととびきりの笑顔を浮かべて島から出ていく。
こんな毎日が続くのなら、毎日彼を監禁していたいと邪な考えを持ったことがあるのは認めるが、毎日のそれで満たされて浄化されることになるから基本的には未遂だ。
だって、彼は必ず帰ってきてくれるのだから、私の家を帰るべき場所だと思ってくれているその信頼を裏切るような不義理なことを大魔女は絶対にしない。
「あ、あれ取って」
「はい、それとこれですね」
「そうそう、やっぱり君がいると楽だね」
朝食の後は何もないのならそれぞれやるべきことをするのだけれど、彼が私の研究を手伝ってくれることが多い。彼に教えられることがほとんどなくなってしまったことで、肩を並べて研究をすることができるようになったのは喜ばしいことなのだけれど、行儀良く椅子に座って私の講義を聞く君の姿を見れなくなったのは残念だ。こればかりはどうしようもない、彼は私の言ったことを忘れないし、嘘を吐かないのだから忘れたと言ってもう一度講義を受けてもらうなんてことはできない。
そして彼は嘘を吐かないというのに酷くミステリアスな一面を持っている。未来の人間なのだから当たり前かもしれないが、私の知らない知識を知っていて、私の知らない景色を知っていて、私の知らない表情を隠している。
けれど、学問の知識を教えるのは流石に駄目だからと言って彼が聞かせるのは物語だ。アラビアンナイトのようだと笑っていた彼から様々な世界を教わっているつもりなのだが、彼が死ぬまでに語りきれない程の物語があると聞かされたのが少しだけ勿体なく思う。
ちなみに、意図的に話さない知識や表情は本人が言うには「男というものは恋人に自らを知って欲しいと願いますが、女性が好むのは秘密を持つ男のようです」とのこと、その後の人差し指を唇に当てて目配せをする姿が愛おしかったのでその日の夜は徹夜になった。
「釣れませんね」
「魔術で魚を呼ぶかい?」
「いえ、このまま眺めていましょうか」
彼は釣りが好きらしい。友人の影響でポセイドンはどうしても好きになれないと語っていたが、こうやって海を眺めているのが大好きなようだ。機嫌が良い日なんかはふんふんと鼻唄を歌っていることで、何一つ釣れないこともあるらしいけれど、瞳を開いていても何も特別なものが見えない、この代わり映えのしない海が私も嫉妬してしまうくらい気に入っている。
その事に気づいたのだろうか、最近は私を膝の上に乗せてのんびりを釣りをすることも増えてきた。少し前までは肩を並べてだったはずなのに、いつの間にか距離が縮まっている。羞恥に頬を赤らめながら、自分の背丈が小さかったことにこれ以上ないほどの喜びを感じる。
彼は見下ろされていると自分と同じように観察されているように感じる悪癖があるらしい。低所恐怖症の粋にまで達しているそれを感じずに安心していられる私を膝に乗せた状態は彼が最も気に入っている体勢のひとつだ。
それも、こうやって私が小さくなかったらしてもらえなかったであろうことを考えると、この小さな体も彼に好かれるためにこれであったかのように感じられて愛おしい。
本当に彼は私のことが大好きで、私の全てに恋をしているのだろうと感じてしまう。お陰で私も私のことが好きになってしまう。君が愛してくれる私なのだから。
「それじゃあ、行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
だから、こうして離ればなれになると今までにない寂しさに襲われる。彼が死んでしまったらこれが永遠になってしまうと思うと恐怖で消えてしまいそうだ。
こんな日には、彼が今朝起きた布団にくるまって、彼が使用した食器で食事をして、彼が用意してくれた道具を使って、彼が置いていった釣竿を海に垂らす。
こうしていればギリギリ耐えることができる、耐えられなかった時は彼を丸一日抱き締めて、セクハラをすれば回復する。
と、まあ、大魔女キルケーの日常は一変した。
毎晩疲れるとぼやいていた彼の言葉に関しては無視をする。そんなもの女神に恋をしてしまった人間の宿命なのだからおとなしく受け入れて欲しい。
こんな変わらぬ日常が続くことを願って、私は今日も彼の対面に座る。それが君にとっての望みを押し付けた一日だとしてもそれでも構わない。私は君を愛していて、君は私を愛している。
ノックダウンした彼の額にキスをする。
君が死んでも、私が消えても、この愛だけは私たちの島に生きていることを願いながら。
「もう少し遅くかな」
「は?速くしろって話だったろ」
「それと体感の速さは違うからね」
ああ、ややこしい。先生の授業と違って1から10まで自分の足りないものを教えられるからこそ、行き着く先の明確さがあって不気味に思える。自分で言うのもなんだが俺は調子に乗ってたのかもしれねえ……先生から教えてもらった知識を確かに吸収してたつもりだったんだが、あの人が目指してた成長した俺の姿はこんなにも遠かったのかよ……。
ああ、紹介が遅れたな、俺はアキレウス。
パッとしない英雄の親父、ペレウスと女神テティスの間に産まれただけの男だ、今はな。
いつか、ヘラクレスやペルセウスのようなギリシャ中にその名前が轟くような英雄になってやる、そう思ってケイローン、先生の元で色々と学んでたんだが……。
先生が死んだ。
憧れのヘラクレスに会えて有頂天だった俺を残して、先生は星になっちまったよ。悲しくないと言えば嘘になる、もう二度と会えないと思うと寂しくもある。
だが、そんな俺を拾ってくれたのが今の師匠、先生だとケイローンと混ざるから師匠にしろと言われた、であるモルスだ。名前は聞いたことがある、ヘラクレスほどじゃないが、ギリシャに名を轟かせた英雄の一人だ。
ゼウスやポセイドンのような強力な神の息子ではないが、かなりの偉業を成し遂げた特殊な境遇の英雄だと先生から聞かされた。
最初に会った時は女だと勘違いしたりもした……かなり失礼だと思うが慣れていると許してもらえたのは何年前だったか、とにかく、今の俺は師匠に戦い方について教わっている。
「なら、こうか!」
「うん、少し良くなった。一番面倒な力を最高の状態で伝えるやり方はできてるから、次はそっからだね」
「……始めていいか?」
最初の一年は最も力を入れられる武器の使い方を座学を交えて教わった。こんなことに何の意味があるのかと何度か反発したが、俺より背が低くて夜には強くなるって聞いてた師匠が昼に苦手な槍の勝負で俺の槍を叩き落としたのを見せられてから体感させられた、覚えておいて損はねえってな。
次の一年は戦いの座学を卒業して反復と実践の繰り返しになった。師匠の嫁さんからの座学はまだあったが、そっちは師匠より理屈っぽくなかったお陰で退屈だとは思わなかった。
その一年の間に師匠から色々と教わった。
自分の使う魔術によって俺にできる今を教わって、俺の予想できる成長曲線を教わって、苦手だって語る槍の手本を教わった。力いっぱいに振り回すだけで勝てちまうようなヘラクレスでも、今の俺からでも程遠い技術を持ち合わせてるって話が確かに信じられるようになったのは師匠のお陰だな。どれだけ力が強くても簡単に避けられるようじゃ意味がない、技術がなくても圧倒できる奴はそもそもの強さの次元が違うか、相手の動きを見る目が確かな奴だけだってのは理屈っぽい師匠の言葉の中じゃ珍しくわかりやすい言葉だったな。
「遅せえ!」
「速さはいらないからね」
「ちっ!」
そして、師匠の真価はこのパンクラチオンだ。
どれだけ素早く動いても、どれだけ力を込めても、簡単に避けられる、簡単に受け止められる。目を開けた私を相手に戦闘が成立してるだけ凄いと褒めてはもらえたが……師匠が動かないことで、間合い管理の主導権をもらっておきながらこの結果は流石に悔しい。
師匠は下手に武器を持つよりもこっちの方が強いとふんふん鼻を鳴らしながら自慢してたが、冗談でもなんでもなく武器がない方が強い……。
『アキレウスは私の言うこと簡単に吸収してくれて楽だね。魔眼もほとんど効かないし、教えやすいよ……お陰ですぐに追い越されそうで心配だけど』
『……師匠は俺が動く前から動いてることがあるだろ。あれってどうやったらできるんだ』
『ん、あれね。あればっかりは経験則になっちゃうから戦いの経験を積まないと駄目かな。色んな人をトレースしてあげるからそこで覚えていこ』
『いや、ちげえよ。最初に会った時から完全に動きがわかってるような形だったじゃねえか』
『ああ……あれは、そうだね。キルケーさんの魔術講義で教わるのがいいかな、私は専門外だから』
二年目で聞いたこれが天性の魔術によるものだと教わった時は才能の違いってやつかと納得もしてたんだが、そこまで便利なものじゃねえらしい。
『うん、彼の魔術は相手の情報の知覚とそれを数字にすることができる』
『なんか……あれだな』
『あはは、確かに卑怯に見えるかもね。それで色々と苦労してたのはあるだろうけど、そこは考えなくてもいいかな、君には早いだろうし』
『それで、攻略法とかはねえか。あの人、褒めるとこは褒めるんだが、絶対に勝ちは譲らねえから……いや、やっぱいい!俺が自分で勝たなくちゃ先生に胸張って会えねえ!』
『あはは、うんうん、苦悩したまえ若人。それと、欠点は確かにあるんだよね』
パンクラチオンも強いじゃねえ、吟遊詩人が語る短剣を除けば、パンクラチオンの方が、無手の方が強いってのには理由がある。
「こいつはどうだ!」
「うんうん、悪くない」
「それじゃ、こいつは!」
師匠に見えるのは生命体の情報だけ、シンプルだが理解するのが難しい。数多の人間を見て比較してこなければ相手の強さを正しく認知できない、まさに経験則の暴力。
なら、隙があるとすれば生命体以外、木で作られた武器や獣の骨や牙で作られた武器以外の石や青銅の武器。
「どうだ!」
「おおー」
握った拳に入れた投石、単純だが一番効果的な手段……それが避けられたんじゃ意味もねえが。
「うんうん、応用は大事だもんね」
結局は頭を押さえられて今日も敗北、まだ勝ちを取るのは難しい。けど、絶対に勝てるようになって見せるんだよ、先生にも、目の前の師匠にも、強くなった俺の姿ってやつを。
『運命の三女神の次回予告のお時間です』
『未来の大英雄を育成することになったモルス』
『彼を見送るまでにケイローン以外にも様々な別れを経験することになります』
『ヘラクレス、イアソン、そして……』
『彼も矮小な人間でしかないのです』
『単純です、人は死ぬ運命なのですよ』
次回 別れと晩年
『『『さて、今日も糸を紡ぎましょう』』』
どちらが先?
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一話完結のギリシャ異聞帯
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短編のオケアノス
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幕間の二人