あなたの終わりを眠りと共に 作:アメフラシ
本作品のニュクスたちは土着の神として扱っています。どいつもこいつも司るものが負の概念なので、キリスト教に追いやられて神から悪魔として扱われてるバエルみたいな存在です。
『おはよう、僕の愛おしい一人息子』
ギリシャ神話という世界観において、神というものは子どもを認知しない。実際に神の子どもであったとしても直接それを伝えるのは稀有な事例であり、こっそりと手助けをすることはあったとしても直接子育てを行うことはなく、片親を知らないまま生きて死ぬ英雄たちの方が多いだろう。自らをゼウスの子だと名乗って破滅した者も、死んでいく英雄と同じ数いるのだが。その事について妹のネメシスがぶちギレていた……彼女はゼウスに襲われて産まされた子どもにすら悪意の感情を持ち合わせていない筋金入りのお人好しである。順調に育てば彼の兄か姉弟子になっている双子のことを思い浮かべる。
まあ、それに関しては僕も誉められたものじゃない、性欲が睡眠欲に変換されているだけで、彼らと本質は似たようなものでしかないから。
とはいえ、余程の一目惚れでない限りそんなことはしないと言い訳しなくてはならない程度には僕にも半神の子どもがいる。誰一人認知していないけど独身だから浮気は一度もしてないよ、うん。
そんな僕へオリュンポスの十二神が一人、炉の神であり捨て子の神でもあるヘスティアから伝言が届いたのは、特に用事もない昼過ぎのことだったかな、そんなに鮮明に覚えていないんだよ、眠かったし。
『君の子ども、とんでもない厄ネタを抱えてるみたいだから、君が直接保護してあげて』
『え、めんどい』
『拒否権はなし、ただでさえアポロンの馬鹿が「将来有望そうだから僕が育てよう」とか言って被害にあってるんだからさ』
『……仮に保護するとしてさ、半神とはいえ普通の人間がニュクスの館の瘴気に耐えられるわけないでしょ』
『別に耐えられないのは良いのよ、ただ逆恨みで赤子を殺したのなら、仮にも予言の神で太陽の神のアポロンがこれ以上醜態を晒すと信仰にも関わってくるでしょ?』
『手遅れじゃない?』
そんな非生産的な会話をしたところまでは鮮明に覚えている。その夜はニュクス母さんに頼んで別行動をさせてもらって噂の赤子を探すことにした。
場所はヘスティア曰く、アルゴスの端っこ。アポロンが馬鹿のように矢を放っていたことで明るかったからすぐにわかった……同時に手遅れだということも悟ってしまったけれど。
とりあえず、疫病をばらまこうとする下半身直結神にゼウスのお気に入りのアルケイデスがいる国で余計なことをするなと釘を刺して眠らせる。あの赤子はともかく、ギガースが現れる時の切り札をついでに殺そうとしないでほしい、予言の神なのに計画性が無さすぎるんだよ、ショタコン下半身の神に改名すべきだよ、僕だって協力させられたんだからね、アルケイデスの件は。
っと、話が逸れた。
おそらく塵の一つも残っていないであろう赤子のいる場所へ歩を進める。弓の名手であるアポロンがやったとは思えない多くのクレーターができたその大地に赤子はいた。
開きかけの青い瞳をしぱしぱと瞬かせて美しい赤子は僕の方を向いた、金の矢が辺りに散らばる荒野になった大地で赤子は確かに僕と目を合わせた。
唐突に訪れる眠気、慣れたものだから気にしないでいられた僕に赤子は反射的な笑みを浮かべた。それが愛らしかったからだろうか、何の違和感も抱くことができないまま、その体を抱き上げる。
赤子が据わっていない首を動かそうと踠きながら辺りを見回すとボレアスが吹かした冷たい風が消えた。ニンフたちの揺らす草木が眠りにつき、周囲の生き物たちが夜の訪れのようにゆっくりと眠りについた。
ああ、これは僕が行かないと駄目な案件だったね、それがわかったこと、赤子が雫によって眠りに落ちたこと、眠るには絶好の場所だったこと、それだけの条件が揃えば眠りの神がやることなんてただ一つだった。
『おやすみ』
赤子の鳴き声で目が覚めた。
気持ちの良い熟睡をくれた彼の頭を撫でながら、子持ちの山羊を探す。気前のよい山羊を見つけた頃には既に赤子は泣き止んでいたが、受け取った革袋を勢い良く吸っていたことからお腹が空いていたのだろう。
音を立てて乳を吸う彼の母親は誰だったかと絶対に思い出せない問いをしながら、彼を育てていたであろうニンフたちに何があったのかを質問する。
頬を赤らめた彼女たちは、そのままの顔で口を開く。可愛らしい赤子が捨てられていたから皆で育てようとしたこと、彼の目を見ると眠ってしまうことから眠っている間に世話をしていたこと、突然アポロン神がやって来て同じように育てようとしたこと……彼ですら抗うことができず眠ってしまったこと。
何というか、僕のより無差別な力だな~と緩く頷きながら無様なアポロンを笑う、手放しに笑えたのはここまでだったけど。
唐突に地に伏せることとなったアポロンは怒り狂った。太陽の神が大地に寝そべることを強制されたのだから苛立つのはわかる。そこから赤子を殺そうと弓矢を放つのも理屈はわかる。
けれど、赤子が見つめた矢はエネルギーを持ったままに地面へと突き刺さった。
何度も、矢を飛ばし続けるがどれも地面に突き刺さるばかり、業を煮やして疫病で殺そうとしたときに来たのが僕だったようだ。
やべーな、君、なんであったとしても、なにが相手であっても眠らせることができるのかい。
呑気に眠っているところや柔らかな茶色の髪から僕の血筋は感じられるし、ヘスティアが話していたから確かにこの子は僕の息子なんだろう。
『……それ、抑えないと日常生活が送れないよね』
ヘスティアからの伝で、ヘファイストスを紹介してもらうとしようか。何でも作れる鍛冶の神様を思い浮かべながら、とりあえずと赤子を夜の館、僕の実家へ連れていくことにした。
『それで、どうして俺を名付け親にするという考えに至ったんだお前は?』
タナトスという神は忙しい神である。
ギリシャ神話における死神的な存在である彼は、正確には凡人や罪人の魂を冥界に運ぶ運び屋である。この神話における死とは眠りであり、眠りというものは僕が引き起こすもの、眠り神がタナトスに魂を持っていかれるときに辛くないよう眠らせるその現象が死である。
故に、タナトスは死神なのだが、本当の死神は僕という良くわからない立ち位置の神様なのだ。
そんな彼は忙しい、あり得ないくらい忙しい、冥界の裁判官は三人いるのに魂を持ってくる彼は一人なのだから忙しいのは当然だよね。
そんな僕の双子の兄であるタナトスに赤子の名前を決めてもらおうと思ったのは、彼が驚くほど真面目だからだ。
外宇宙から来た機械の神から自分の庭である冥府を奪われ、ただの社畜に落とされても、愚直に仕事を続ける真面目な神様なのである。
それならさ、のんびりしている僕がつける名前や母さんの忌々しそうな名前よりもずっといいと思うんだよね。できるなら真面目な子に育ってほしいしね。
その旨を伝えると、タナトスは頭を抱えて数秒動かなくなる、その後に顔を上げると捻り出すような小さな声で呟いた。
『「モルス」だ。特別な意味はないが、響きが良いだろう。長い時を経て、こいつの名前が意味に変ずるときが来るかもしれないしな』
俺はもう行くぞ。
っぱ、真面目だよね、それでいて頭も良い。
突然、弟が抱えている赤子の名前を考えてと言われて、咄嗟に答えを返すことができるのだから僕の兄ながら誇らしいよ。社畜でなければもっと良かったのにねえ。
さーて、僕も働かないと駄目になっちゃうかな~、近々起きるだろう大きな戦争とヘファイストスへの依頼、忙しい日々を送ることになる未来に備えて、今日はもう寝てしまうことにしよう。
『ふふふ~ん、モルスは可愛いわね~』
私、ニュクスと申します。
最近は物騒な娘であるエリスくらいしか孫を産まないので、可愛いに飢えていたところに息子のヒュプノスが赤子を連れてきてくれました。
曰く、母さんレベルで強い神でもなければ耐えられないくらい強い魔眼を持っているとのことで、私でも気を抜いたらフラッときちゃうくらいつよーい魔眼のようです。
そんなモルスですが、生意気な息子や娘たちと違ってえらく素直でおとなしい子どもですね、不快なことがあれば泣きますし、嬉しいことがあれば手を伸ばしてくれます。
ただ、ちょっと困ることがあるとすれば凄く賢いせいで、ヘメラの良くわからない教育を自然なことだと思っていそうなことなのよね。
赤子に動物を殺すことを教えたって何の意味があるというのかしら、赤子に学ばせるのならやっぱり物語、夢見枕に、私が館にいるということはこの場所は夜になるの、聞かせる歴史というのは子どもを賢く育ててくれるもの、この子が賢い子に育ちますように……。
そんな願いが叶えられたように、モルスはここ半年で大きく成長しています。ただでさえ愛らしい声はしっかりとした単語を奏でるようになり、小さかった手のひらは私と握手ができるほど大きくなりました。
モコモコとした髪は明るい茶色、宝石のような青い瞳は水底のような優しい暗さと星のような煌めきを持っていて、まるで夜のように美しい球体となっているわ、きっとどんな宝よりも美しいわね。
時折、ゼウスとかアポロンとか酷いね~と話すところは私に似ているかもしれない。貞操観念が酷いだけでなく、うちのネメシスにも手を掛けたからねえ、あのスケベ親父は。
お灸を据えてやろうとオリュンポスに直接出向こうとしたら、私が叱っておきますとヘラちゃんにお願いされちゃった。ヘラちゃんも大変よね、あんな脳が下半身に直結してる男の妻をやらされてるんだから、私だったら独り占めにするために閉じ込めちゃうもの。
そんなある日、ベッドに投げ込まれていた蛇とあの子が戦っている姿を始めて見た。
威嚇する蛇をじっと見つめて、眠りに落ちた瞬間に遊び道具のガラガラを押し付けて頭を潰す、その後にベッドの端へ投げ飛ばす。
正直、驚いたわね、眠らせて仕留めているのだろうとは思っていたのだけど、絶対に抵抗をさせないために頭を全体重を掛けて押し潰す。
まるで獲物を仕留めることになれた狩人のようだったわ~、大きくなったら狩りのために弓を与えましょうか、もちろん、私の加護も与えてしまいましょう、想像を膨らませるような孫に老婆心が疼くのでした。
『ああ、モルス。二年も会わないうちに本当に大きくなった』
戦争の終結、ヘファイストスに作ってもらった、彼らの文明ではゴーグルというらしい、透明な目隠しを持って夜の館に帰ると、既に五、六歳に達しているであろう僕の息子がそこにいた。
僕やタナトスに勝るとも劣らないほど美しい容姿に、しっかりとした言葉の発音、地上で過ごすための知識をケイローンに授けてもらおうと思っていたのを前倒しにできそうな佇まい。
ああ、これが産まれてから二つの年を経ただけの赤子の姿だろうか。これがベッドにいなければ完璧だったのだろう。
「誰……ですか?」
『!……いや、そうだったね。僕の名前はヒュプノス、君の父親だよ』
おそらく僕が真に彼を息子だと認めたのは、現金なことに彼の成長を見たこの瞬間だった。
勢いのままに抱き締めて、目隠しを着用させる。流石は鍛冶の神の作ったものだというべきだろうか、明らかに大きいその目隠しは息子の頭に、そこにあるべきだというように収まる。
母さんの過保護からだろうか、モコモコとした服装に良く似合っているそれは絶世の美少年といったところだろうか。
僕が眠りの神という話をすれば、自分も神様だったのかと驚くようなお茶目な息子の頭を撫で付け、まだ小さな手を取る。
『この館のもう一人の主に、おまけに、今、この館にいる僕の兄弟たちに君を紹介しないとね』
エレボスは緊張していた。
これから現れる孫が自分を怖がったりしないだろうかと長い間震えている。
エレボスはニュクスに頭が上がらないかかあ天下な家庭で過ごしているが非常に強力な神である。
なんたって闇の神だ。夜にしか現れることができない妻と違って昼でも出歩けるし、正面から権能を比べても絶対に勝てるといえる程度には強い。
けれど、エレボスはビビりな一面があった。産みの親であるガイアから外宇宙から来たオリュンポスの神々を監視する役割を持たされた彼はこの神話の中では基本的に女性として現れるガイアに頭が上がらない、よって女の子に弱い、娘には頭が上がらないし、娘のように綺麗な息子にも頭が上がらない、その姿を見られているせいで他の息子にも頭が上がらない、けれどエレボスはそれでも良かった。
闇というものは恐れられるもの、しかし家族から恐れられるのは嫌だった。
そして今日、自分を恐れそうな孫が来てしまう。
『彼は闇の神、エレボス、僕の父であり君の祖父だ……血が繋がっていない義理、というか僕らは母さんの単一生殖なんだけど』
「よろしくお願いします……」
孫は愛らしいタイプの子だった。
明るい茶色の頭に、透明な板の奥に覗く青く美しい瞳、まだ小さな背丈と綺麗な少年だった。
エレボスは闇の神だ、心の闇というように心も彼の支配領域である、つまりは相手の心を読むことができるのだ。
そこから見えたのは負の感情とは違う、純粋な畏敬の念だった。
偉い人だよね、畏まらないと、でも媚びたりしたら嫌われちゃう、でも偉い人だもんね。
『……そう、畏まらなくてもよい。汝と余は家族……そしてこの館はお前の家だ、好きに使え』
スッゴク安心した。
エレボスはビビりな神だ、嫌われるのは怖いし、怖がられるのは嫌だ、しかし、尊敬の念を持たない愚かな人間は論外だ。
エレボスはこの子を嫌いにならないで済むことになった、息子が連れてきた孫を愛でることができるようになった。
「えっと、ありがと、お爺ちゃん」
尊敬の念は消えずとも、できるだけ近くにいられるような努力を秘めたその言葉にエレボスはそれだけで大きく強化された。人間の信仰とも違う、年の近い家族の雑な関係とも違う、正にお爺ちゃんと孫、光が射したことで、エレボスの神性がレベルアップした。闇と光は表裏一体、彼の息子である光の神アイテールが産まれたときと同じように、光が強くなることで濃くなった闇、現代風に言えば愛の力で強くなったのだ。
『……妻のそれだけだと不安だからな、余の加護も与えるとしよう……夜と闇、それがあれば汝は如何なる怪物であったとしても上回るであろう』
この強化された力で加護をあげよう。
エレボスは孫に甘いお爺ちゃんになった、これからこの子が地上に戻らなければならないというのが耐えられないかもしれない程気に入ってしまった。
『父さん、情を入れすぎてこの子が地上に出るときに泣かないようにね』
釘を刺すような息子の言葉にボソリと呟いた。
『……ヒュプノス、お前は後で説教だ』
『はぁ……あいつら、上手くやれっかな』
ネメシスは憂いていた。最高神ゼウスに性的に襲われて子どもを産み落とすこととなった彼女は、産まれてきた双子の未来を憂いていた。
スパルタとかいうゴリラの国に産み落としてしまったことも申し訳ないが、ネメシスにとっては二人の面倒を自分で見てあげられないことが本当に辛かった。
自分で動きたくても、出産後で弱体化していることで、たいして強くもない神からも狙われることになるだろうし、あの一件以来過保護になってしまった母がこの家を出ることを許してはくれないだろう。
復讐の女神として恐れられる彼女が、復讐ではなく被害者の心を心配するという矛盾、ニュクスが見ていたのなら怒りのままにオリュンポスを侵略することになるだろう憂いの表情は、紛れもない母としての愛である。
『んだよ、何しにここに来やがったんだ』
ノックもせずに開いた扉、使用人たちがヒュプノスの、マイペースな兄貴の子どもが挨拶回りをしていると聞かされていたが、あたしの部屋にまで来るとは思わなかった。
『この口の悪い女が僕の妹、義憤、復讐の神であるネメシスだ』
「よろしくお願いします……」
利発そうな子どもだ。
きっと、親のいうことを聞いて行動し、しっかりと孝行するような優しい子に育つことだろう。
それが、神の子だからって屋敷に閉じ込められて、特殊な魔眼を持っているからって忌々しい太陽の神に嫌われて、本当に可哀想な子だ。
『あ……ああ、兄貴の息子だったか、十二神もニュクスの一族も、基本的には子供は捨てるからな。こうやって丁寧に育てられたことに感謝すんだな』
だとすれば、自分が嫌われるか、ため息の吐き処になるか、ネメシスは普段の数倍子どもに甘くなっていることを自覚しながら口を開いた。子どもから漂うのは嫌悪でも困惑でもなく、純粋な畏敬の念だった。
『彼女は義憤、道理に沿った復讐の神だからね。半神の英雄から、それなりに信仰されているんだよ』
反吐が出る。
巫女か、依り代か、育て方か、あまりにも受動的で、簡単に折れてしまいそうな体だ。
「……」
……ゼウスが好きそうだな。
『ま、お前があたしの用になることはねえだろ』
妄想の中で、あの髭じじいに侮辱されるこの少年の姿を見ると、こいつは強くしてやらなきゃという感情で心が満たされる。
女神の妄想が間違いだと彼女自身が気づいた頃には、彼女のスパルタな母性が向けられた結果、少年が彼女の舎弟になっていたのはまた別の機会に話すことにしよう。
『運命の三女神の次回予告のお時間です』
『無事に夜の館から地上へと上がったモルス』
『賢者ケイローンの元へ行くために数日間、野山を駆け回ります』
『ですが、食べるものもなく倒れてしまう』
『このままでは絶体絶命です』
『そんな彼を親切な老婆が助けます』
次回 旅路と幼少期
『『『さて、今日も糸を紡ぎましょう』』』
どちらが先?
-
一話完結のギリシャ異聞帯
-
短編のオケアノス
-
幕間の二人