あなたの終わりを眠りと共に 作:アメフラシ
というわけでFate/Zeroです。
プロローグ
『閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。 繰り返すつどに五度。 ただ、満たされる刻を破却する』
間桐邸、冬木に住まう子どもたちからお化け屋敷と言われているその館にて、狂気に囚われた男が禍々しい呪文を唱えている。それは少女への救いを口にしていながら、本質は醜い嫉妬と矛先を間違えた怒りと願いの具現、実に人間らしいその男は魔術師になることを忌諱する程度には常識的で、それ故に老獪な怪異に漬け込まれた哀れな普通の人間だ。
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
その声を、既に薄れた意識の反響動作として呟いている少女に正気なんてものは存在していない。ただ、体が反射的にその音を繰り返すだけの機械的な反応をしているだけ、虫の中で蠢く体を間桐の家で味わってきた恐怖を知っているが故に、発狂するわけでもなく声を紡ぐ。
『―――――Anfang』
時折見える光は怪異と成り果てた翁の粋な計らいだ。既に魔術から離れた愚かな男が、使い捨てるのも当然のような男が自らを生け贄にしてもと帰ってきたのだ。奮起させて、絶望させて、折れてくれれば面白い。これが桜が現れる前なら傀儡としてはそれなりに役に立つとも考えただろうが、来てからとなっては必要のない玩具、冬木の聖杯戦争でろくな知識も持ち合わせていないこの男が勝てる道理はない。
「Anfang」
されど少女は健気にも、言葉を重ねて言葉を連ねる。それが安寧をもたらすわけでも、それが幸せをもたらすわけでもない。願いの色といえば器を満たすに足らず、されどその本能的な願いは器を満たすに値する。重ねた矛盾は真実となり、道理も何も喰らい尽くす。その色は虚構、既に水に濡れた紫なれど、その本質は深淵である。
『――――告げる。 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ』
故に、聖杯は応えた。最後に定まった奏者として、生物的な欲望を持つ魔術も知らぬ赤子なれば、必ず勝てぬ運命としても、その願いは器を満たすに相応しい願いだと判断した。
「告げる。 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
召喚は終わりに近づいている。既に蝕まれた体に、少女の小さな掌に赤い焼き印が刻まれる。その瞬間の痛みに少女は声を漏らした。反響の終わりとはいかない、虫に汚された体はその恐怖から逃れようと健気にも叫び続ける。
『誓いを此処に。 我は常世総ての善と成る者、 我は常世総ての悪を敷く者。 されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし。汝、狂乱の檻に囚われし者。我はその鎖を手繰る者――。 汝三大の言霊を纏う七天、 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!』
それは奇跡と呼ぶに相応しいものであった。狂戦士を召喚する一説を痛みが切断し、正しく英雄を呼ぶための願いとして形となる。
「誓いを此処に。 我は常世総ての善と成る者、 我は常世総ての悪を敷く者。っ!?……あぁ……汝三大の言霊を纏う七天、 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ……」
間桐が呼んだバーサーカー、円卓の欠片を使いその身には不相応な英雄、男は、男は翁を見つめる。これを引き換えに少女を救い出せると思っていた、それこそが望みだった、けれどその瞬間、光を見せていたはずの少女は黒い影と共に消え、眼前の翁が虫の塊となって消えた。
救いたかった対象、憎むべき怨敵の一人、その二つが同時に消えたことで男は、既に狂気の中にいた男は再び発狂した。それは、少女が耐えていた、少女ならば耐えられていたその痛みに男は発狂したのだ。
主を失った虫たちが眼前の男に向かって飛んでくる。刻印の継承はなった。これにて間桐の当主は男である。されど、喜びなどあろうはずもなかった。既に己の妄執に囚われた男は、少女を拐った影を探すように狂戦士へ命ずる。呼び出されたもう一人の英雄の影響で一瞬の正気を取り戻していた彼は、複雑な表情を鎧で隠して望まれた命令のままに動き始めた。
女神は驚きに目を細めた。
聖杯によって引き起こされる召喚の儀、失った瞳と引き換えに得た千里を覗く瞳によって幾度となく眺めてきた魔術師たちの業のひとつ。
それに無理矢理に己を天使という役割に貶めた人間たち、仮にも己の嫌いとする生粋の魔術師を仕留めるためにいるような存在が加担しているという事実がどうしようもなく腹立たしかった。
呼ばれてやるつもりなどなかった、その召喚の列に並ぶ英雄は星の数あれど己が呼ばれてやるつもりなど願望の器を捧げられたとてお断りだと蔑みの言葉を投げ掛けていたかもしれない。
しかし。
その願いは誰よりも純粋であった。
それは己は誰よりも、何度でも受け取ってきた無垢なる信仰の一欠片に酷似していると同時に根幹の部分でずれている。ただ生きたい、その願いですら珍しいものへと変わってしまったヨーロッパにて長く続いた中世は現代に換算すればまさに地獄のような空間だった。
体を洗う手段もなく不潔な人々の間で疫病は蔓延し、幾度となく繰り広げられた戦争によって飢え苦しむ人々にとって現世というものは救いの得られる場所ではなかった。故に、安寧な死を司る彼女を中世の長き時の中で彼女は求められ続けた。それが善悪を量る天使として強引に当て嵌められてからもだ。
古代の非常に安定していた時代のローマは見ていてそれなりに楽しい場所であり、人間の醜悪さを眺めることなく彼女はただ優しい女神でいることを許されていた。
ただ、死を迎えた人々を冥界へ送り届けその魂と名前が忘れ去られるまで共に過ごすという忙しくとも平和な日常を送ることが許されていた。
けれど、人々は今まで数多の恩恵を与えてきた神々を見限り新興の宗教へと鞍替えした。
求められていたのは目に見えぬ加護や自然の恩恵ではなく、ただ一人の民族の心を保つために生み出されたそれから派生した信仰の語る平等という贋であった。しかし、その信仰は瞬く間にこのヨーロッパへと広がりそれを満たすこととなった。
遂には国教へと至ったその信仰に己の全てはゆっくりと剥がされていく、己を産んでくれた家族がゆっくりと消えていくのを感じた。最後に私を残して深淵の奥にある夜の城は消え失せた。
あれほど冷たく、温かい矛盾を秘めた冥界も姿を変えて最後にはハデスとペルセポネを見送り失せることとなった。
数多の魂たちは忘れられぬものたちは純白の悍ましい羽を持つ怪物たちに天の国と浅い地の牢獄へと連れ去られていった。コウモリの翼を持つ新たな友人たちや梟のような顔をした賢人は私の心を慰めんと天の怪物たちに戦いを挑んだが皆敗れ地の獄へと連れ去られていった。
数多の友人たちが、千里の瞳による縁が紡いだ神や慈愛に染まった精霊や土地神が悪魔と封じられ牢獄へと送られていくこととなった。
私とてただ涙を流すだけではなかったとも、信仰という行き場を失くしたものたちに生きたいと願うならば己の眷属として、消えたいと願うのなら痛みを与えぬように短剣で髪と首を切り裂き彼らの住まう場所へと埋めた。それはその土地の寿命を長くしたものの、その奇跡ですらない犠牲ですら唯一の神を名乗る怪物の手柄へと変じた。
憎らしい。
これだけの友を失いながら己はどうして生きながらえているのだろうか、何故人々は信仰を止めることをしないのだろうか、暫くぶりに眺めた地上の景色は既にギリシャの時代とローマの時代の美しさの欠片すら残っていない正しく怪物たちの語る地獄に相応しいものへと変貌していた。
ひとつの神を崇めながらも、真に願うのはただ己の幸せだけ、感謝すら稀なこの信仰の形は酷く歪なように思えた。このような切れ端のような信仰を数だけ集めて、生きながらえることにどれだけの意味があるのだろうか、吐き出した息に混じる赤い色、女神は孤独に生き続け、その信仰を止められぬ権力者から天使へと封じ込められた。
あのような怪物の名を天の使いだと人々は語るが、それは己にとって悪魔と呼ばれたものたちと対比するにも値しない、自我があるかも怪しい機械でしかなかった。
ある日、止めきれぬ信仰が最高に達すると堕天というものを経験した。在りし日の友たちと会うことのできた有意義な時間ではあったためその事に不愉快はなかったが、その間にも届く信仰はこの世の中の過酷を表しているように思えた。
そして、この世で再び己は生きたいという願いを受けた。それは天国に生きたいや生の後に続く永遠の死を安寧と共に過ごしたいという聞き飽きたそれとは違う今をまるで知らぬ子どもの生きたいという願いだった。
この世を探せばありふれたその願いに女神は興味を引かれてしまった。本来なら心を揺さぶることすらない願いですら復讐者となるには欠落の激しすぎる彼女の記憶で久しく受け取ることのなかった正の願いに、本来なら見えていたはずのそれが姿を隠すほどの狂気に彼女は既に侵されていた、扉を開いた。抑止力のために冠位とは違う形で保存されてある霊基は座にいることを疑問視される程度には本来の状態から弱体化している。マテリアルに描かれる彼女の半分あれば良い方だろうか。
それでも、構わない。
令呪によってバーサーカーらしきサーヴァントを縛るマスターらしき人間、己に願いを託した少女が生を願うのも当然だろう。生きているのも怪しい死霊と考えられる存在を退けるために魔力を一時的に解放して全てを吹き飛ばす。
少女の腕を取る、既に手遅れとも思える虚ろな表情の中に燃える生への渇望を胸に抱く。
それは正しく運命だった。
遠坂桜という少女はどこにでもいるただの少女でしかなかった。綺麗な顔立ちと長い黒髪、二つに結ばれた姉とは違う一房の尾を伸ばしたその姿はどこに出したとしても遜色のない遠坂の令嬢だったのだろう。
優しくも厳しい父と母に育てられ、将来はきっとを願えるような優しい少女へと成長していたはずなのだ。
けれど、彼女は間桐の家へ養子に送り出された。その目的がなんであったかなど知ることはできなかったが、この中で受けた地獄のような仕打ち。
その間に一歩も出ることのなかった外の景色に、サクラという少女は困惑を抱いていたはずだった。
「ありがとう……ございます」
けれど、眼前にあるフードの奥に骸骨の仮面を被った「何か」に少女は怯えとは違う安堵を抱いていた。それは、あの地獄から抜け出せたことへの感謝か、その「何か」が発している力なのかも判別がつかない中で幼い少女はただ無機質的な礼をした。返事はない、少女を背中に乗せたままに町を疾走する「何か」は喋れないのだろうか、それとも会話する気もないのだろうか、意味もなく自分の太股を掴むその腕に触れた。それは死人のように冷たかった、けれど少女にそれを判別するような手段も知識もなかった、故に冷たい掌をしている人なのだなと一人納得して夜の闇に溶け込むように二人、路地裏へ降り立った。
「全てを把握どころか何も知らない様子ですね……まあ、構いません、亡霊の住み家に居続けるのも、己の願いのために狂戦士を呼び出すような危険な存在の近くに子どもを置いておくのも命に関わるので」
声は女のものであった。少女は体に受ける風が消えると同時に、自らの心にあった恐れや、狂気が消えていくのを感じた。それは間桐の家に訪れてから久しく忘れていた安らぎであり、眼前の存在がそれを生み出しているとわかるとその華奢な体に頭を埋める。
怖かった、痛かった、少女は泣き叫んだ。家族から引き離され、体を蝕まれ続け、その痛みの発露に「何か」は口を開くことなく黙って少女を抱き締めてくれた。それは母のような慈愛の抱擁であり、年長者の持つ独特の安心感をもたらすだけの重みがあった。吐き出し続ける感情を受け止めながら、声もなく使った魔術で人払いをしていた「何か」は涙が枯れる頃を見計らって自らに貼り付いた少女にお互いの顔を合わせられるよう距離を取った。
仮面が外される。そこには、少女の目から見てもこの世にある中で、これに匹敵するもののないような絶対的な美があった。美人は冷たく見えるとは良く言ったもので、少女は途端に「何か」が恐ろしく見えてきた。骸骨の仮面を被っている存在が恐ろしくないかと聞かれれば当然恐ろしいが、心の温もりの後に体の冷たさを認識させられたのならば脳が混乱するのだろう。
「……」
「まあ、畏れも構いません。ですが、私は貴女の無垢な願いに、生きたいという願いに応えたのですから、向けるのならもっと美しい感情にしてください」
「あなたは……」
「私ですか……いえ、先に貴女の名前を伺っておきましようか。それが礼儀というものです」
「私は……」
けれど、目の前の「何か」は会話の成立する相手であった。常にどこか上から目線ではあるが、確かに日本語という言語が通用する存在だった。人間は日常にある非日常に恐怖を覚える。それは、スーツに素足で靴を履いていない人間であったり、感動的な映画で貼り付けたような笑みを常に浮かべている人間であったり。それと比較すれば「何か」は日常に溶け込むこともできるような正しく人間と呼んで差し支えない存在のように思える。
けれど、少女が頭を悩ませているのはそれではない。信頼できるかどうかはともかく、あれのように自らを害することはないことがわかっている彼女の気分を害するわけにはいかないのだが、少女はどちらを名乗れば良いのかという大人びてしまった子どもにあるような迷いに口を開くことができなかった。
彼女の恐怖の対象であるおじいさまから告げられた言葉、母や姉と呼べるような存在ははじめからいなかったのだと思えという言葉は無意識に少女の心を蝕み、それに従うことが当たり前のことであるようにすら感じさせていた。
もう一度会いたいという願いはある、されど彼女の心に打ち込まれた楔はその恐怖が消滅したとしてもそう簡単には抜けてくれないようだ。
「……貴女が望むもので構いません。偽りでない限り、私は貴女の全てを許しましょう。久しい無垢な願いの塊なのです、気まぐれに消すのは面白くない」
その質問にも口を開けなかった。少しだけ取り戻した理性は自らをあの場所へ送った遠坂の名を使うことを拒み、ただ肉体的な本能は地獄のような責め苦を与えた間桐を使うのも拒んだ。少女に名乗る名前なんてものは存在しなかった。その内にある感情を見抜くように「何か」は言葉を繋ぐ。
「……言ったでしょう、偽りでなければ貴女の全てを許すと、私が呼べれば良いのです。貴女の出自も育ちも何もかも興味がありません、ただ名乗りなさい、望む名を、貴女が欲する名を」
「……サクラ……桜です」
「サクラ、ええ、良い名前です」
笑いながら冷たい手が頬を撫でる。次は恐ろしくなかった、わかっていたからだろうか、「何か」の浮かべる笑みがあまりにも美しかったからだろうか、片膝を地面に置いて「何か」は改まったかのように名乗りをする。
「サーヴァント、従者……そうですね、家政婦……これも駄目ですか……ならお手伝いのようなものです。キャスター、真名をモルス」
静かに腕を差し出す。それは、絵本の中にある騎士のようで、お姫様のような容姿にはどうにも違和感があるけれど、それを踏まえたとしても理不尽なほど少女の瞳に焼き付いている。
「重ねて問いましょう、サクラ、貴女は私のマスターであり主のようなものです。そのサーヴァントに何を望みますか?」
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