あなたの終わりを眠りと共に 作:アメフラシ
ヤマトタケルが出ない……。
「ねがい……のぞみ……」
その言葉は外の世界に放たれてまだ一刻の時も過ごしていないサクラには唐突すぎた。
それを答えるまで梃子でも動かない様子の女性、キャスターは透き通った湖の水底から覗くような限りなく黒い蒼の空洞をこちらへ向けて答えを待つ。その表情はどうしようもないほど真剣で生半可な答えならばそのまま殺されそうな迫力はそあるものの、彼女が望んでいるものは生きたいという生物的な願いではなかったかというひとつの疑問を与えた。
なら、その答えを返せば良いのではないかという思いとその願いこそが生半可な逃げの答えではないのかという疑問が廻り、幼くして成長ではなく適応にリソースを裂かれ続けた彼女の心は望まぬ形で大人へと向かっていることを象徴するように、お花屋さんになりたいや野球選手になりたいという遠い未来の願いやアイスが食べたいやおもちゃが欲しいという即物的な願いはキャスターが望んでいるものではないのではないかと答えに詰まることとなる。
その間、人形のように整った顔をピクリとも動かさなかったキャスターが唇を震わせたのはそれから5分、サクラの瞳に一筋の雫が流れるのを拭うことで動いた体と共に空気を震わせる声によるものだった。
「言ったでしょう、偽りでないのなら私は貴女の全てを許すと」
触れた指が、凍えるような冷たい指が絡まる。
己は嘘を嫌うと再度笑い頬を撫でるキャスターは怖がらせてしまいましたかねと一人納得してサクラを抱える。
彼女の目的がなんであるのか、彼女が何故サクラの願いを叶えようとしてくれるのか、そもそも、彼女は何者なのか、何一つわからないままに彼女の揺れない背に乗せられて冬木の街を眺める。
「きれい……」
「ええ……美しい景色ですね」
冬の澄んだ空、一年にも満たない短い時間であったとしても暗い屋敷の中で生き続けた彼女が見上げることも考えなかった星空が祝福するためか、咎めるためか彼女を見つめている。その親玉のように思えて睨み付けた月は欠け、その半分を隠してしまっているがサクラの小さな瞳などなかったかのように爛々と輝き続けるだけだ。
空を見上げて口にしたはずの綺麗という言葉とは逆に、キャスターが見ていたのは深い夜に包まれる前の住宅街から溢れる優しい灯火だった。
何一つとして不思議なことはない、当然のように繰り返される日常の光がひとつ、またひとつと消えていくと共に二人は街を疾走する。
腰を据えることのできる場所はないかと首を回す彼女と冷たいはずの空気を浴びているのに冷えることをしない体、キャスターの魔術なのだろうかと疑問に思ったそれに彼女が答えることはなく、ただ街を彷徨い続ける彼女は遂に目的の場所を見つけたのか立ち止まった。
「ふぅ、ここなら他の魔術師は寄り付かないでしょうし、人の目にも触れないでしょう」
ふんふんと鼻唄を歌いながら魔術を行使しているだろうキャスターに目を向けると隆起させた地面に腰掛けた彼女はサクラを膝の上に置いて頭を撫でながら、一時の護衛を召喚するためだと語る。彼女の優しい歌声と反比例するように世界は静けさに包まれ、遂には冬の寒さすら生温いような極寒の世界へと変じた。
この付近に腕利きの魔術師がいたというのなら極寒の世界の正体が固有結界だという事実に気づいていただろうが、残念ながらそのことを知ることができる存在はこの場所に近づいた瞬間に氷像となることだろう。
そのような危険地帯にいることを知らぬまま、聞こえてくる心地良い歌声にサクラは瞼を閉じた。
女神へと至った彼女の固有結界は妻であるキルケーと同じ召喚の固有結界、数多の死霊とその生涯を付き従った2頭の獣、おまけに生前に世話をした獣たちを召喚する非常にシンプルな能力でありながら抑止力による妨害をすり抜けて神代の怪物たちを召喚するある種の裏技のような能力、これが本来の霊基ならば面倒な魔術の形式にせずとも存在しているだけで冥界へと世界が変化していくのだが、文句がありますと頬を膨らませながら緊張が解けたのか子守唄に誘われたのか寝息をたてる少女の頭を何往復したのかもわからない掌が通りすぎていった。
魘されるその夢をパンダと触れ合う夢へと描き変えながら少女の心を眺める。長く生きる果てに数多のギリシャの神々を見送ると同時に託されてきた力のひとつ、祖父から受け継いだそれで覗いた少女の世界は虫に体を散々に侮辱される記憶で埋め尽くされていた。
最初にマスターの姿を見た時には、残念ながら魔術師ならばあの程度の仕打ちを受けることは珍しいことではないため可哀想ではあるが仕方のないことだとも思っていたのだが、今も心の片隅で生きていた家族との記憶がキャスターの心を酷く苛立たせた。
どのような心があれば困窮しているわけでもない家で、明らかに危険だと思われるような相手に養子としてこの娘を送り出せるのか、心を除かずとも見える醜悪な姿を覗かせる魔術師に呪詛を与えようかと千里の瞳を起動して……。
『本来なら手を出すつもりはないが……既にその心の内は見えたであろう。今ならば礼もなく俺の眼前に現れた不敬を許す』
「ふざ……いえ、わかりました」
なんだ、あれは……。
千里眼越しの対面でありながらこちらの存在を察知していた時点で英雄としての格が違う存在であるということは理解できたが、一瞬の視線の触れ合いだけで本能が敵対するべきではないと叫ぶほどの絶対的な強者の存在が、最も古く強い英雄の存在がどうにも信じられないで空洞となった瞳を擦った。
「ウルクの王、ギルガメッシュ、片田舎の魔術師の道楽程度の争いだと思っていましたが面倒なことに巻き込まれましたね……」
マスター、サクラの願いを叶えるという意思を違えることはないが……一瞬とはいえ見えた彼女の父親である魔術師の心の記憶を反芻しながら魔術の完成と共に現れた使い魔たちに最初の仕事を頼む。
「外で凍えているネズミを……サクラに好きな動物を聞いておけばよかったですね、とりあえずパンダでいいです、パンダに変えてください」
主の意味不明な質問にも快く頷いた屈強な死霊の群れと2頭の使い魔は片方は天を駆けるその健脚で地を鳴らし、片方は大空を舞う翼を広げて愚かなネズミの元へと向かって行った。
此度の聖杯戦争に招かれたアサシン、ハサンたちは決して弱いサーヴァントではない。
数多の人格がそれぞれ独立した人間として動くという特性は英霊としては珍しいものであり、単体としての驚異はまるであってないようなものだが、それは同じ英霊にとってのことでしかない。
普通の人間ならば熟練の暗殺者が二人でもいれば簡単に敗北するだろうし、魔術師であったとしても気配遮断のスキルが最高峰に達しているハサンならば戦闘撤退のスキルも相まって偵察任務や暗殺に関しては絶対的なアドバンテージを誇っている。
が、それは相手が自分達を捕捉していないことを前提にした能力である。無論、これはアサシン全般に言えることではあるが切り裂きジャックやセミラミスのような正面から戦う能力を持ち合わせている、自らを守るための手段を保有しているサーヴァントたちならばどうにかすることもできたかもしれない。
繁華街から遠く離れた広い空き地に突如現れた小さな魔力で作られたのであろうドーム、その偵察に出されたハサンの三人は一人がその中に足を踏み入れた瞬間に消滅したことを悟ると同時に逃げ出していた。
尤も、どれだけ敏捷性が高かろうと冥界から逃げることは許されないのだが、逃げられないことを理解することも己の体が凍えていくことも知ることなく常人と大差ないその肉体性能が故にひとつの情報を持ち帰ることもできずに敗北することとなる。
白という名前を貰ったワイバーンは先天的な異形の怪物であった。同種の翼となった腕が肥大化し岩をも砕くような豪腕を振るえるように、最高のワイバーンであることを証明するような巨大な二本の角を持つ姿に進化したのだ。ワイバーンという種族の進化の形であると同時に、その原種とも呼べるだけの強さと歴史を持つ怪物は永劫と呼ぶに相応しい時をヨーロッパという狭い地域で生きてきた。
その程度の小さな世界で生きていながら怪物には王へと至るだけの、ワイバーンという竜には届かぬ蜥蜴たちを率い、導くことのできる器を持っているはずだった。
そうでありながら怪物が王であることを拒み続けたのは一重に竜の冠位とすら唄われる地球の生誕と共に生き続ける『アルビオン』と呼ばれる伝説と一度相対してからであった。
その翼で撫でられただけで矮小なこの身は砕け散り、吐息のひとつで魂ごと消し飛ばされるような本当の怪物を前にして、蜥蜴たちの王を名乗ることのなんと空虚なことか。
以降、同胞たちから王になることを望まれながらもただ強くなるためにと鍛練の日々、怪物というものは総じて産まれながらに最強であるものであり、強くならんと努力するのならば既にアルビオンのような本物へ至ることなどできないと証明しているようなものだが、怪物は諦めることができなかった。
いつか、あのような美しい羽を手に入れて仲間たちを率い空を翔びたいと、強大な力を持ち立ち塞がる全てを消し飛ばしたいと、絶対的な竜の王へと至ることを願ってしまったのだ。
『ふ~ん、ふ~ん♪』
そんな怪物の人生の転機となったのは住み家としているピリオ山の麓から聞こえてきた歌声だった。
この世界そのものを眠らせるような静かな世界、全ての感情を眠りに落とすだけのその力は怪物の心を掻き乱した。
最初の数秒は煩わしい歌声だと認識していたそれが、己の叶わぬ執着を眠らせようとする不愉快な歌声だと認識され消し去らんと腕を振り上げた数秒後に振り下ろされる腕が大地へと突き刺さるのを理解しその全てが水底のような、底の知れない絶対者の瞳が怪物を眠りに落とした。
『ん、おはよう。傷だらけでどうしたの?』
怪物の意識が覚醒したのは巨大な頭の端を膝の上に乗せられた状態のことであった。
彼女の歌声は鳴り止まない、ただ絶対的な恐怖とはまるで違う慈愛がそこにはあった。己のボロボロの腕の存在を知ったのも、あれだけ誇りに思っていた角が磨り減り消えていたことを理解したのもこれが初めてであった。
その全てを月の光のように癒したのが眼前の人間の少年のものだというのだから、怪物は遂には恐ろしくなってしまった。
『うん、傷が塞がってないからね。また、明日にでもおいでね』
それでも……同胞たちからは決して与えられなかった、産まれながらに絶対的な強さを誇るが故に受けとることのなかった慈愛の感情に怪物はただ享受することを選んだのだ。
『ああ……痛めつけるつもりはなかったのだが』
相手が逃げることはできないとはいえ、昔のことを思い出すのは時間が掛かりすぎる。
腕の中にあるアサシンの姿にパンダという聞いたことのない生き物へと人間を変化させるためにはどうするべきかと思案する。主の描かれた絵には熊のような白黒の生き物であったが……どうしたものか。
銀という名を受け取った銀の角を持つ鹿が主であるモルスに従うことを選んだのは種族の違う恋の感情からであった。それは唄う声の美しさではなく、その容貌の美しさでもなく、この世の全てへの敬意を秘めたその心であった。
その獣の生まれは遠き未来に十二の試練でヘラクレスに追いかけられることとなる金の角を持つ鹿と同じであり、神にすら捕まえることのできない絶対的な速さを誇る神話の怪物と呼ぶに相応しい存在でありながら長くの時に語られることのなかったその理由はただ速すぎただけだ。
多くの人々に存在を望まれ、捕まえようとする人間や神々を当然のことのように振り切るその姿はただの獣でありながら信仰を集めるまでに至ったのだ。
『ふ~ん♪』
そんな彼女と主との出会いは優しい歌声で長きを生きた彼女も聞いたことのない言語を響かせる少年の姿を見てからのことであった。好奇心は猫を殺すとも言うが、彼女を捕まえられる存在がいないこともあり、獣には警戒心というものが存在しない。
ぱからぱからと音を立てて気を引こうとすれば無視され、その姿の一筋を覗かせれば己を捕まえようとするに違いないと姿を見せても、のんびりと洗濯をしている。
誰かに囚われることを極端に嫌う獣であったとしても、己を捕まえることすらしないというのはプライドが傷つけられたように思われた彼女は遂には少年の前に姿を現すこととなる。
『ん、今日のお客さんかな?』
興味がないように瞳を向けてから直ぐに洗濯に取り掛かる少年、ちょっとばかり悪戯してやろうと魔術を、川の水を高波にでもしてやろうかと行使した瞬間に獣は気づいた。
川が、この森に住まう全ての存在が歌声に支配され眠っているのだ。それはきっと無意識であり、悪意など全くない行為であることはわかっている……無論、害なんてものは存在しないため誰一人としてそれを止めはしないのだろうが。
『ふぁ~、今日も来たの?』
その秘密を暴かんと通う度にのんびりと通じない言葉を交わす日常、時には彼女を追って現れる人間や矮小な神々と戦うこともあったふたりの関係は少しずつ深まっていき……。
『銀さんは温かいね』
獣は少年に触れることを許したのだった。
その日からは毎晩のように床を共にする仲になり、何度も命を助けられたこともあり恋慕の感情すら芽生え始めた獣は一年の旅によってそれを深め……。
『私は、君に愛されたい、君が愛してくれるような私でありたい、これはそのためのお化粧さ』
寝取られた……決して、これはBSSではない。
「というわけで昔のことを思い出してたら、ストレスが溜まってきたので死んでください」
ハサンと呼ばれる彼らは確かに強いのだろうが、はっきり明言するが相手にもならない。
単体での性能ならば彼女を捕まえようとした英雄たちの足元にも及ばず、群体としての総力でどうにか彼女を倒せる程度の英雄にギリシャでも屈指の速さを誇る獣を敗北させるだけのポテンシャルを感じられないのだ。
主と出会う前に世界を旅することもしてきた獣はパンダという生き物も確かに知っている。
「確か、茶色と黒の熊でしたかね。主の国では猫熊か熊猫と呼ばれているらしいので髭も足して……」
二頭の怪物に仕留められたアサシンたちはパンダへと、最後のアサシンは冥界にてタブーとされている『振り返って』の応戦を選んだことで迂闊に千里眼を使うことが許されない状況下での情報源にされるのだがそれはまた別のお話である。
たぶん、聖杯さんは子どもの好きな生き物としてパンダを教えてくれています。
どちらが先?
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一話完結のギリシャ異聞帯
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短編のオケアノス
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幕間の二人