あなたの終わりを眠りと共に   作:アメフラシ

6 / 38

 ディオスクロイは常に一緒にいるイメージがあったので、ケイローンに師事していたのが兄だけだったのは意外でした。
 1日投稿が空いたのはアスクレピオスに苦戦していたからです。


賢者と医者と双子星

 

「ええ、構いませんよ。教えを乞いに来た相手をそのままに追い返すようなことはしません」

 

「ありがとうございます。あ、それと父がこれを渡しておけと」

 

 

 私の洞穴を一人の少年が訪ねてきたのは、いつもと変わらない日常を送っていた太陽の高い正午過ぎのことでした。カストロは双子の妹への仕送りを直接渡しに、アスクレピオスは今日明日で診療所を開くため外出し、イアソンは早朝の訓練で既に倒れ、何をするかと瞑想していたところに現れた新たな門下生の存在は非常にありがたいことです。

 それが礼儀正しく、それでいてこちらを観察してくるような野心を秘めた相手だというのならこれ程嬉しいこともないでしょう。

 無意識でしょうが、体から放たれるニュクスとエレボスの絶対的な力の片鱗、復讐の女神ネメシスと忌々しき死の神モロスによる人々を脅えさせる力を内包し、ヒュプノスとヘメラの慈愛に満ちた力を携え、そこに少しだけだが確かに感じられるヘスティアの無償の愛の力、その全てが完璧なバランスでこの少年の肉体と精神を形成し、原始を恐れる低級の神や精霊には恐怖を、その存在すら知ることのできない人間や宇宙という原初にして母なる闇を知っている高位の神性を持つ存在には安心感を与えているようです。

 神に愛されるという点において、これ程までの逸材は私の知る限りギリシャに名を轟かせたペルセウス、ゼウスの愛を一心に受けるエウロペくらいのものでしょう。事実、私も客観的に彼の存在を見ているつもりで、自然と好意的に受け止めてしまっているようです。意識的に欠点を探すことを求められる教師として彼と向き合うのは、鍛え甲斐のないアルケイデス、今はもうヘラクレスですが、や教える前に大半を予習してくるアスクレピオスのようなタイプとは違う努力が必要になるかもしれません。

 

 

「賢者ケイローンって、ケンタウロスなんだ……」

 

「はい、どのような容姿だと思っていましたか?」

 

「……えっと、ゼウス神みたいなお爺さんを」

 

「ふふ、正直ですね」

 

 

 宛にしていた賢者がケンタウロスという種族だと知って落胆したのかと思っていましたが、そうではないようで。ただ書物の中の存在が現実に存在することに驚いたとのことです。確かに、ニュクスの館にケンタウロスやサテュロスのような半人型の生き物は存在していないでしょう、おおらかな本人の性格も相まって、それがどれ程野蛮な種族だろうと興味の対象としてしか映っていないようにも思えます。

 ここは減点対象でしょうか、今の彼ならば相手がヒュドラであったとしてもその場でスケッチを描き、昼寝の枕として扱うかもしれません。座学で矯正できる程度の問題ですから、問題の粗探しをしているようなものですが。

 

 そんな彼の基礎体力を測るため、パンクラチオンなどを行う、そうですね運動場と呼称しましょうか、へ呼ぶことにしたのですが、体を動かす何かを行うことを悟ったのでしょう、ぐいぐいと体を動かして彼は柔軟を始めました。

 それをどこで教わったのかと尋ねれば、ネメシス神が戦場で足の腱を切れば死ぬと常から語っていたようで、それを律儀に守っていたとのことです。何とも教え甲斐のない生徒になりそうですね、一部の生徒たちの顔を思い浮かべながら彼に倒れるまで走ってくださいと伝えれば、特に文句を口にすることもなく走り始めました。

 倒れるまでと口にしたからか、かなり手を抜いている様子なので少し速度をあげるように指示をすれば徐々に速度を速め、ある一定の速度に達するとそのまま横這いの速さで走り続けているようです。

 

 速度を上昇させ、速度が横這いになる、速度を上昇させ、速度が横這いになる、速度を上昇させ…

 

 それが十数回繰り返される頃には陽は茜に染まり、ニュクス神が訪れる夜が顔を覗かせる時間です。

 有言実行して倒れるまで走った彼は疲れに身を任せ、木陰で眠っています。結果は上々と言ったところでしょうか。並みの大人ならば短距離走を走るような速度で長い時間を、もちろん、事前にかなりの距離を走っていることを考慮すればさらに長い時間を走ることができる、基礎体力という点なら合格点を与えることができるでしょう。

 これからが期待できる生徒に向けて……目を離した隙に強力なニンフに膝枕をされている無防備な生徒に向けて、好奇の眼差しを向けて今日の授業を終えることとしました。

 

 

 朝、相も変わらずニンフに膝枕をされている新たな生徒を横目で眺めながら運動場へ向かい、今日も誰もいないその場所に立って瞑想を始めます。

 思い浮かべるは今も疲れによって深い眠りにいるであろう少年とヒュプノスから渡された菓子折りと手紙の内容について。

 

『素直な子だから授業に文句はつけないだろう、けど、望まない授業であったとしても君が必要だと思ったのなら無理矢理にでも受けさせてあげて。ネメシスが鍛えてあげてるから基礎は出来上がってると思うよ。目隠しをしているのは強力な魔眼を秘めているからであって不敬だと思わないであげると嬉しいよ。追記、菓子を作ったのはあの子本人でね。小麦粉と砂糖と鶏の卵を使って作ったらしい、とても美味しいけどヘスティアとヘファイストス以外のオリュンポスの神には内緒にしておいて』

 

 嫌いだからといって授業を断るような人間ではなさそうなのは、後ろから弓で狙われながらでも走る姿から察することができますが魔眼ですか……具体的な内容よりも内包されていた菓子の説明を優先するところにヒュプノスがヒュプノスたる所以があると思いますが、魔眼に関しては本人が制御できるものではないでしょうし、必要だと判断した時に適宜指導することとしましょう。

 そのように頭を廻らせていると、背後から気配を感じました。隠れようとする意識は感じられず、何より夜と闇によって力が充填され放たれている凄まじい圧力、顔を合わせて早々に申し訳ないと謝罪する彼に謝罪のわけを問えば、指導してもらう立場の人間が来て早々に眠るのはあまりにも無礼ではないかとタナトス神でもなければ口にしないような真面目な言葉が返ってきました。ならば、私の教えてきた勇者たちの大半は比較する者もいないような無礼者でしょうとその言葉に返答すれば、苦々しい表情になり発言を撤回することにしたようです。

 

 

「改めて、ケイローンの私塾へようこそモルス。私は貴方を歓迎しましょう」

 

 

 その後、軽い格闘技の試合をしましたが戦いという行為へのセンスを感じさせる試合でした。

 不意討ち気味に放った初撃の蹴りを半身を逸らすことで回避し、続けざまに放った振り上げる拳を受け止めて、切り返したこちらを投げ飛ばす。

 個人的に気に入ったのは打撃を恐れずに距離を詰める判断をしたことでしょうか、身長差というどれだけ努力しても埋められない点を補うためには相手の自分から届かない距離からの攻撃を耐えながら懐に飛び込む必要があります。

 やり方はネメシス辺りに教わったのかと問えば、教わったのは喧嘩のやり方だけだと、つまりはどれだけ攻撃を浴びようと相手を仕留めるような戦い方ということですね。少し矯正すれば実戦でも通用する悪くない手段です。

 

 伸ばされた腕を取って快活な笑みを浮かべた少年は、未来の英雄と呼ぶに相応しい明るい雰囲気を身に付けてこちらの手を強く握り直しました。

 

 

 

「ここは……えーと……」

 

「そこの答えはオリオンだ。こんなことを学んだところで、なんの意味があるか……早く終わらせて血止めの薬草の知識でも学んだ方がずっと役に立つ」

 

 

 目の前の少年は間違いなく医学の発展に役立つ存在だと僕の直感は告げていた。特別な根拠があるわけではない、最初に顔を合わせた時も隣にいたカストロが童貞丸出しの照れを見せていたことの方が余程よい見せ物になっていた。けれど、先生との、ケイローンとの戦闘訓練で生傷ひとつも作ることなく、自分に怪我を見せに来ることもないというのは明らかに異質な事象だ。

 そもそも傷がつかない体質なのか、ケイローンを相手にしながら無傷で戦うことのできる傑物なのか、自然治癒能力が圧倒的に高いのか、できれば最後の推測が正解であることを祈るが、どれが正しかったとしても医学の発展に大きく貢献することになるだろう。外傷という疾患を受けつけつけない体質を他の人間に付与することができれば、ケイローンに無傷で勝利する肉体のバランスを理解することができれば、肉体が回復する過程を詳細に知ることができれば、確かに医学は数歩先に進むこととなる。

 

 そんなことを考えていたある日、僕の目の前で少年が深い傷を負う機会が生まれた。パンクラチオンの試合で勢い良く転んだ……これだけだと大したことないように聞こえるが、肉が割け骨が見えるような大怪我を負うこととなった。既に陽が落ちていたため、視界が闇になれていなかったのだろう。

 ズタズタに引き裂かれた患部を治療するために動こうとした先生の影が重なる前にその傷は完治していた。体が過去へ戻るかのような形で再生していた。異常だ、それでいて素晴らしい。

 パンクラチオンの試合で間近で確認することもできたが、それは偶然ではなかったようで、どのような小さな傷であろうと影によって患部が覆われるか、夜の訪れと共に再生が始まり、その肉体は完璧なものへと変化するのだ。

 その過程を直接見てみたいと思うのは自然なことだろう、医学の発展のために力を貸せと依頼すれば、かなり長い間思考した後に、私が眠っている時に限定してその肉体を調査する許可を貰った。

 そこらの自称医学の道を歩む人間よりずっと医学に貢献している、そうやって言葉をかければ寝てる時だけですよと大きな声で叫ばれた。仕方のない奴だ、とはいえ、痛覚があることがわかったのは良いことだ。先生に幾度殴られようと立ち上がる姿を見ていると、常にアドレナリンが分泌しているか、脳内麻薬によって中毒になりかけているのかとも思っていた。

 

 

「今日こそ、勝つ!」

 

「手早く済ませるぞ」

 

 

 パンクラチオンの試合の夜、いつもより働いた対価として、指を切り取った後の夢の中に夜の女神から次やったら殺すと脅されたのは驚きだった。となればあの自然治癒は夜の加護という力に由来したものなのだろうか、夢の中を研究室として使わせることと引き換えに止めると口にして、あの力はお前の加護かと尋ねれば、構わないと虚空に扉を作り、あの加護は私の夫のものだと質問に返答した後去っていった。

 

 ……総評だが、少年、モルスは比較的利口な弟弟子であり、治療を頼まれたら安値で治療してやっても構わない相手だ。

 魔眼の異質さ、精神の強さ、加護による自然治癒、どれを取っても医者として興味深い存在である。それでいて潔癖な部分もあるため、部屋に入れることを躊躇する必要もない。友人として、弟として接するなら良き関係を作ることのできる男だ。

 願わくば、今はイアソンに向けられているお節介な一面が、僕に向かないことを祈っておこう。

 

 

 

「モルスと言います。今日から皆さんと一緒に学ばせていただきます」

 

 

 可憐な美少女がそこにいた。

 先日、ポルクスの顔を見ていなければその場で卒倒するような美少女が、むさ苦しい男たちの集うこのケイローンの私塾に現れたのだ。絶世と呼ぶに相応しい小さな顔立ちと触れれば壊れてしまいそうな細い腕、隣に座るアスクレピオスも面白いものを見たと喉を震わせた。事実、この場所を訪れるのは戦うことを習いとする英雄の息子か、アスクレピオスやイアソンのような孤児である場合が殆どであり、間違って迷い込むには危険すぎるこの場所に男以外が現れることは滅多にない。

 故に、ディオスクロイの片割れである大英雄の一角であり美形の人間など見飽きているカストロであったとしても、汗臭い男たちの庭から、花のような香りを持つ少女が現れるというある種の幻想から逃れることはできなかった。

 これがアマゾネスのような荒々しい女ならば、納得と共に微妙な表情をするしかなかったのだろうが……

 

 

「あ、カストロさんも食べますか?」

 

 

 ケイローンと共に台所に立ち。

 

 

「ここ、解れてますよ」

 

 

 破れそうな洋服を縫い。

 

 

「水浴びするのはいいですけど、服を流されたりしないでくださいね。イアソンが三回くらいやらかしてますから、必要はないと思いますけど一応はお願いします」

 

 

 洗濯をこなしながら歌う声は荒々しい獣であったとしても眠りつかせる一級品。

 

 ギリシャ中を探したとしてもこれ程までに器量の良い娘はいないだろうと言っても過言ではないような聡く美しい少女であった。

 それでいて、一応はこの私塾で訓練をしていたイアソンを片手間に倒し、ケイローン先生の激しい訓練に耐え得るだけの強さも秘めている。

 妹のポルクスが並みの男よりも強いことから、カストロは強い女性というものへの嫌悪感はない。ギリシャの男が望む完璧な女性、後に現れるヘレネとは違う形のそれなのであろう。

 そして、少女はカストロの本当の母であるネメシスの甥であるという事実が、カストロの中にあるお兄ちゃんパワーを増幅させ始めた、あまりにも無防備すぎるその姿に守らねばという意識が芽生え始めたのである。確かに女の子が唐突に現れたのなら異性として意識してしまうものなのだが、それが無防備すぎるとなれば心配になってくる、しかも、年齢はまだ六歳というのだから妹として見てしまうのも仕方ない。

 

 

「……」

 

「……こちらから仕掛けるぞ」

 

 

 ある日、パンクラチオンの試合にて。

 

 

 埋まらないリーチの差を、拳の雨をショルダータックルで受けながら突撃してきた妹弟子の顔を蹴り上げた瞬間に外れた目隠しの奥の瞳に照らされた瞬間、カストロは意識を失った。そこで生まれた隙に叩き込まれた拳によって試合の勝者が決まったらしいのだが……。

 

 

「お疲れ様です」

 

「ああ……」

 

 

 試合終わりの水浴びで一緒になったことで、カストロの新しい妹が弟に変化することになるのだが、それはそれとして危険だと理解している彼のお兄ちゃん遂行能力は日を重ねるごとに増していくのだった。

 





『運命の三女神の次回予告のお時間です』

『後に同じ船に乗る仲間たちと進行を深めるモルス』

『ケイローンからも気に入られているようです』

『そんな彼に新たな出会いが訪れます』

『イアソンとの日常』

『ヘラクレスとの出会い』

『そして旅立ち』


 次回 研鑽と少年期


『『『さて、今日も糸を紡ぎましょう』』』

どちらが先?

  • 一話完結のギリシャ異聞帯
  • 短編のオケアノス
  • 幕間の二人
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。