あなたの終わりを眠りと共に   作:アメフラシ

8 / 38

 今更ですが誤字報告してくださった方、本当にありがとうございます、簡単な確認はしているのですが、見落としているところも多々あるようです。



最底辺と最高峰

 

「モルスと言います。今日から皆さんと一緒に学ばせていただきます」

 

 

 それは一目惚れだったかもしれない。

 二週間は勘違いしていたカストロと違い、翌日には男だと教えられたため冷めることを余儀なくされたその感情は最初は性欲にも近い純粋な恋だったのだろう。けれど、イアソンは普通に異性愛の人間であり、そして一目惚れされた男も同じであっただろうから、その純情はなかったことになった。

 当時、非常に若くまだ幼子であった彼は裏切られたように感じ、男にキツく当たっていたのだが、その時点でイアソンは力でも知恵でも勝つことができなかった。

 彼が更に不貞腐れて、学ぶことに意味を見いだせなくなるのは自然なことであった。自分と違って努力もせずにあれだけの強さと知識を持っているのだから、あれは特別な人間なのだろうという……自分は凡人だという諦観、顔を見るだけで忌々しいというのに慈悲とでもいうようにサボっている自分を捕まえて先生の元へと運んでいく無駄なお節介。

 男に勝てる部隊や軍隊の指揮、船を動かす航海術にのめり込み、幾つかの授業をサボるようになったのは幼い彼の精一杯の抵抗だったのだろう。

 ケイローン、幼い頃に両親と離ればなれになった彼にとっての「父親」が取られないようにするための、精一杯の抵抗。

 本人は決して肯定しないだろうその感情に気づくことができたのは、皮肉なことに彼が最も嫌うその男だけであった。

 

 

「イアソン、朝だよ」

 

 

 あの男が日常になり始めたのは三年経った頃、どれだけ嫌いなものであったとしても日常と共にあれば気にならなくなってきた。

 

 朝、彼の機嫌が良い時は布団から叩き起こされ、機嫌が悪い時も平等に布団から叩き起こされるようになった。本当に眠っていたのは最初の数日だけで、それ以降は寝たふりをしていたのだが、イアソン自身もそのような非合理的な振る舞いをしていた理由が理解できなかった。けれど、彼に首根っこを捕まれて食卓へ連れていかれる朝の騒がしさは決して嫌いではなかったし、川の方から聞こえてくる歌声に布団の中で聞き惚れる朝は彼のルーティーンの一部となり始めていた。

 

 朝食、ケイローンの作る料理は間違いなく完璧なのだろう。けれど、味という点においては男の方が間違いなく上等だった。計算して食べるアスクレピオスと好き嫌いせずに、少しだけ男の料理を食べる頻度が多い、カストロとは対照的にイアソンは好きなものだけを食べようとするため二人から烈火の如く怒られた。そのことも不愉快に思えないのは何故なのかとイアソンは思考することもあったが、特別優れているわけでもない自分の頭が哲学者の考えるような事象の答えを出そうとすれば日が暮れるに違いないと思い、すぐにそれを打ち切った。

 

 正午前、ケイローンはイアソンが立派な青年になることを望んでも、望んで鍛えることを乞われていない彼にそれを強要することができなかった。けれど、最低限の勉学の力と戦う力を身に付けさせようとはしていた。

 この運動はその名残である、今は目を閉じきってケイローンの攻撃を捌いている男に弓を射るように指示されたため嫌らしく踵を狙っているのだが、まるで当たらないため胴体を狙うことにしている。すると、大きく回避するように動くようになった。

 イアソンはこの三人でいる時間が嫌いではなかった。まるで舞のように攻撃を回避して反撃を行う男と対応できる最大の動きで攻撃を繰り出すケイローンの戦いは見ているだけでも美しいものであり、女神アテナに捧げるかのような鮮やかな光を放つ舞であった。

 

 午後、座学が行われることが多いがこの場合はカストロと一緒になることが多い。たかが三年の間に座学の大半を学び終えた男は、アスクレピオスと共に専門的な座学を学び始めているようで、動物を解剖したり薬草を調合したりと騒がしそうにしている。けれど、魔術に関しては全くと言っていい程上達していないらしく、武器をまともに使うこともできないことからケイローンは武器の座学は継続して行うようにして、どうしても無理なら高名な魔女に男の魔術の勉強を委託しようとも考えているらしいが、ケイローンで駄目なら誰だろうと無理だとも思われた。

 

 夜、ケイローンの授業の小テストを作って渡してくる男がいる。何度嫌だと言ってもその度に絶対に必要だと口を酸っぱくするほどに伝えてくるそれを鬱陶しいと思っているのは今もである。いつだったか忘れたが自分は王子だから王様になるんだと話してからはそれが激しくなった。

 男はイアソンが本気で学ぼうと思えば眠る前にしっかり終わると語っているが、今のところは少し遅くに眠ることを求められる。その抜き打ち小テストは二日前の内容を覚えているかという内容なのだが、ケイローンが語っていた部分と自分には今は伝わらないと思われているのか飛ばされている部分も含まれているため一回で満点を取ることは至難の技だ。一度だけそれができたことはあったが、その時は固い枕ではなく柔らかい男の膝に頭を乗せられ、美しい子守唄と共に眠ることとなった。朝は結局叩き起こされることになったのだが。

 

 そして、三年、また、三年と繰り返していく日常が途切れたのは男が私塾を卒業することになったからだ。何も特別なことはない、イアソンも翌年にはここを旅立つことになるのだから、それが自分より早かっただけだ。

 イアソンの心にはぽっかりと穴が空いたような気がした。朝に聞こえる喧しい声もなく、食事はケイローンのものだけとなり、夜に渡されていたテストもなくなった。

 決して好きではなかったその全てがなくなったことがイアソンにはどうにも寂しく思われた。

 そのことを打ち明ける相手もいないまま、彼の日常が過ぎていくことになる。その事を嫌でも自覚させるような寂しい夜、何をするにも身に入らない彼の部屋にケイローンが訪ねてきた。

 弟子がいなくなって寂しくなったからと現れたそれに、アスクレピオスやカストロが旅立った頃にはそんなことも言わなかっただろうと毒を吐けば、賢者は笑いながらに頷いた。

 彼ほど、特殊な弟子を取ることはもうできないだろうと呟いたケイローンはゆっくりと口を開いた。

 

 モルスという少年は利他的で、ヘスティアが気に入るのも納得できるような愛があった。

 決して本人は同意しないだろうが、きっとあなたのことを自分の息子のように思っていたのだろう。

 あなたに、どれだけ嫌われようとその歩みを正しいものであるようにしたいと願っていただろうし、あなたが真面目に座学を受けていたことを聞くと自分のことのように喜んでいたと。

 

 そこまで口にして、ケイローンは少しだけ思案し息を吸って吐き出す。

 

 私はあなたの父親として接することはできない、あなたの父親とも面識はあり、母親とも会ったことがある、そんな私をあなたが父親のように思っていてくれたのなら本当に申し訳ないことをした。

 そしてあなたはきっと、あの少年のことを母親のように思っていたのだろう。時にあなたの間違いを叱り、時にあなたの成功を喜び、時にあなたの失敗を慰めた。

 その姿に長く会うことのできなかった母親を重ねたのだろう。それは決して間違ったことではない、あの少年の利他的な行動にそれを感じるのは普通のことだ。

 そして母親からの愛というものを自然に思い、流してしまうのも自然なことだ。けれどイアソン、所詮は彼も赤の他人でしかない、その思いは断ち切ることを自然とするべき思いなのだ。

 しかしだ、だからこそイアソン、彼が期待してくれた『イアソン』という男をこのまま腐らせるのは惜しいのではないか。

 

 それだけ言い終えると返答を待つことなく賢者は部屋を去っていった。

 

 一年、たかが一年の間にイアソンはそこそこに立派なそこそこの青年になった。ケイローンに学びながらその程度かと笑う人々はいただろうが、イアソンは確かにそこそこの青年となりそこそこの英雄の道を歩み始めることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルケイデスが、ヘラクレスがケイローンの住み家を訪ねたのはヒュドラを退治してその毒を使った矢を作り出す前に先生の見識を借りたいと思いたったからである。

 実物は安全に持ち歩く手段がないため、手元にはないが自分に様々なことを教えてくれた彼ならヒュドラの毒を塗っても腐ることのない矢尻の素材を知っているかもしれない、そのような結論を出したヘラクレスは早かった。従兄が新しい試練を考える間に遠く離れたアルゴスからケイローンのいるピリオ山へひとっ走りしたのだ。

 

 早朝に到着したにも拘らず歓迎してくれたケイローンに感謝の言葉を口にして彼の見識を乞う。具体的な物は前例がないためわからないと語っていたが、可能性がありそうな物を幾つか提示した後、あなたの強力なら腐らせる前に相手の体に突き刺せば良いのではないかと酷く単純な答えを口にした。

 まあ、確かにそうではあるが戦場で毒を矢尻に塗るだけの余裕がないだろうと口にしてみれば、悪戯が成功したように彼は笑った。真面目な彼らしくないその悪戯に声をあげて笑う、そのまま太陽が昇り始めて昼の女神ヘメラが外に出たのだろう空は青く染まり、明るい陽射しが大地を照らし始めた。

 

 同時にケイローンを呼ぶ声が聞こえた。

 ああ、もうそんな時間だったかと口にして外に出た彼を追いかけるとそこには一人の少年がいた。

 

 それは天上の神々を思わさせるような美しい美貌をした少年であり、ほっそりとしていながら確かに鍛えられた肉体をした男でもあった。

 ヘラクレスは男も女もどちらもいけるタイプの人間だが、今までであってきたどの相手よりも可憐な容姿を持ったその少年に恋愛感情とは違う頂上の存在のような印象を抱いた。

 事実、少年はニュクスとエレボスの二柱の加護を受け取り、ニュクスの一族大半から見守られている彼は神に近しい存在であればあるほど畏敬の念が強まり恋愛対象として見ることができなくなるのだが、この時点でそれに気づいてしまえるヘラクレスはハッキリ言って例外な存在であった。

 そして、そのような相手との試合をするように口にしたケイローンの正気を疑いたくなったのは当然のことである。けれど、手加減にハンデもつけると言われ本人も同意したとなればヘラクレスが断ることはできなかった。普通に考えてゼウスと同格でありながら醜態を晒すこともない神に愛された存在と戦うなんてことは死刑宣告にも等しい……しっかりと手加減をするため、うっかりで体を動かさないように、ヘラクレスは本気で体を温めるようにした。ブンブンと腕を振り回し、先生にも協力してもらい柔軟をしたりとどのような怪物と戦うのかと思われるような入念な準備を行った。

 

 そして……

 

 

「さあ、モルス、準備はいいか?」

 

「……はい、大丈夫です」

 

 

 準備の際は鋭く尖ったような視線でこちらを見つめていた瞳を閉じて、小さな剣と何を守るためにあるのかわからないような小さな丸い盾を持って立つ少年の姿はとても戦うものの姿には見えない。

 けれど、ケイローンがこれを選んだということは俺が相手だろうと勝てるだけの「何か」があることだ。観察をしてもどうにも読み取ることができなかったそれに一応の警戒をしながら渡された棒を高く掲げる。

 

 

「それじゃあ、始めるぞ」

 

 

 地面に強く踏み込む、渡されたそれは少しでも力を込めて振れば簡単に壊れることになるようなボロボロのものであり、これが壊れた瞬間に敗北するため、一撃を与えるまでは満足に使うことはできない、それでいてこれを使っての攻撃しか許されていない。

 ならば、先手必勝で倒すのが良いだろうと考えて仕掛けてくる様子のない少年にそれをふりおろ……

 

 

「!?」

 

 

 咄嗟に横へ避けることができたのは幸運だった。

 高速で突進する俺の懐へ勢いよく飛び込んできた少年を殺さないように避けたことで生まれた隙を横凪の一閃が襲った。蚊に刺されたような痛み、ダメージこそなかったが驚きがあった。てっきり、狙うのなら棒の方だと思っていたが俺を直接狙ってくるとは、そこで生まれた隙を更に一閃、次は血管を切断されたのか少し血が出ることになったがそれでもダメージはないといってもいい、だが、ダメージではある。

 

 

「面白い」

 

 

 一度、後ろへ飛び退いて距離を取る。

 普段なら腕を振り回すだけで対応できていた懐へ飛び込む攻撃に翻弄されることになるのなら相手との交戦距離の差を利用して迎撃戦に切り替えた方が確実だろう。

 どっしりと構えて相手が痺れを切らすのを待つ、投げられる石礫や尖った暗器が自分の体を傷つける程の威力はない、ただ近づいてくるのを待つのだ。

 触ることさえ出きれば一瞬で相手を仕留めることができるのだから、今はひたすらに待つ。

 

 

 っ!

 

 

 痺れを切らしたのか、少年は俺の瞬きの瞬間を待ってこちらへ飛び込んできた。油断はない、何があったとしても一撃で終わらせる。

 少年にされたように横へ広く攻撃する、これを回避することができたのならそちらの勝ち、当たったのなら俺の勝ちだ。

 上に飛んで避けるのなら振り上げる、屈んで避けるのなら振り下ろす、その二択しか頭になかった俺の虚をつくように少年は勢いを殺し、瞳を大きく開いた。

 

「                  」

 

 それは空のように澄んでいて、海のように底知れない闇を秘めている青だった。気づいた瞬間にはそのまま振り抜かれるはずの腕が眠りについたように地面へと突き刺さった。

 それが自分の敗北であることを理解し、悟るまでに時間はかからなかった、この俺が小さな体躯の少年に敗北したのだ。

 

 確かにそれは敗北だった、人によっては卑劣とも思うような策もあった、けれど怒りや苛立ちはなく、この失くして久しい敗北の悔しさという感情を噛みしめる。

 いつからだったろうか、自分が人間ではなく怪物のように思われ始めたのは。いつからだろうか、どのような条件であったとしても自分の正面に立って戦う者がいなくなったのは。

 

 ヘラクレスは孤独だった。

 

 それは彼の血縁者や彼の友にも埋めることのできない絶対者の孤独であった。

 あの条件で自分に勝てる英雄は間違いなく多くいるだろう、けれど最初から露骨に棒切れを狙い、それを折ることに注力することになるのは目に見えている。

 だからこそ、こうやって策を練って自分を仕留めた眼前の少年のことをヘラクレスという英雄は酷く気に入った。

 少年は自分に勝てると思ってくれたのだ、ヘラクレスに勝つことはできないからと卑劣な策を選び正面から向き合うことをしない人間や棒切れになら勝てると判断するような消極的な人間とも違う、結果だけ見れば最後に棒切れが自壊するのを狙ったが、少年の視線はヘラクレスの首根っこにあった。何もなければそのまま首を切り裂いていたかもしれない。

 

 

「モルス、お前の勝ちだ!」

 

 

 このヘラクレスが敗北したのだ!

 

 彼がそのことを何度も自慢するように語ったことで遠い未来、ギリシャ最速の英雄に勝負を挑まれることになるのだが、それは次の機会に取っておくとしよう。

 





『運命の三女神の次回予告のお時間です』

『我々との対話によって一皮剥けたモルス』

『ヘラクレスに気に入られて順風満帆ですね』

『けれど遂にケイローンの私塾を旅立つことに』

『ヘスティアに頼まれてドラゴン退治に』

『そして別れた弟分との一年越しの再会』

『長い航海が幕を開けます』


 次回 冒険と青年期


『『『さて、今日も糸を紡ぎましょう』』』

どちらが先?

  • 一話完結のギリシャ異聞帯
  • 短編のオケアノス
  • 幕間の二人
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。