今日は良いことがあった。赤井はそう思う。良いことと悪いことの両方があって、悪いことも赤井としては結果的に良いものとなった。そして今、幸福の種が鞄の中にある。食事だ。しかも手料理だ。コンビニ弁当やファストフードなどとは異なる紛れもない手料理だ。そもそも腹いっぱいに食べさせてもらったので、赤井は胸が幸福の温度をしていた。
今日はこのまま、ゆっくり風呂に入って眠りたい。赤井は自宅アパートの扉の前に立ち、ドアノブを回し――開いていることに気付いた。それに、一瞬で凍り付く。
「お帰り」
酒やけを起こした低い声。
ドアを開けただけでもわかる酒気。赤井は慣れたものだが、酒に弱いものならこれだけで引っ繰り返ってしまうだろう。それほどのアルコール臭。赤井はそっと扉を閉じる。小さく「ただいま」と返して。ひとまず台所へ向かい、タッパーを冷蔵庫へ。それから、……仕方なく居間の方へと向かった。
向かわねば、この人は暴れる。この、赤井の父は。
赤毛の赤井と異なり黒髪の中年男は、居間で酒を飲んでいた。赤井は鞄を下ろしながら、当たり障りのない会話を試みる。
「長距離トラックの仕事、終わったの?」
「終わった。今夜は憂さ晴らしだ。……圭太、こっちに来い」
「――」
びくりと肩を跳ねさせる。けれど、赤井には抵抗する術を精神的に持たない。だから、差し招かれるまま、情欲の灯った暗い瞳に見つめられるのだった……。
「あぁ、お前はやはりあの女に似ているな」
昨日の赤井との出逢いは、黒川に好影響を与えていた。
まず栄養のあるまともな食事を摂ったのだ。これは数週間ぶりのことで、食材の在庫の確認もできた。今日は残業をせずに帰ろうと心に決める。スーパーの開いている時間に帰るのだ。今朝も比較的ごく普通の時間に起きて身支度を整えた黒川は、今日も駅へとやって来た。
そして、赤井を見かけた。制服の上からモスグリーンのモッズコートを羽織った、赤毛の少年。
「お早う、赤井」
「――あ、お早うございます。黒川さん」
不意に覚えたのは、違和感。何だろう、何かが違う。出逢って2日目の人間に対して抱く感想でもない気がしたが、黒川は尋ねた。
「なんかあったか」
赤井は、微笑みを保ったままだった。
「ちょっと寝不足かも知れません」
「10代のうちはいっぱい寝ておけよ。そう言えば持たせた飯はどうだった」
「あ、今朝食べました。美味しかったです」
「そうか、ならよかった」
黒川は、赤井の慣れ切った隠蔽をこのときは看破できなかった。
――コートの下、さらに制服の下。体についた夥しいキスマークや噛み跡など、透視能力者でもない黒川にはわからなかったのだ。
Next......