星と鳥
東京のとある町。
白鳥 葵は今年の春に晴れて高校生になった。
「おはよー、葵」
「おはよう〜」
いつもの友達と横並びになって歩く通学路も、そこに連なる地味な制服姿も、もはや見慣れた景色となっていた。
その先に見える光景も。
「キャーッ!ジョジョ!」
「ジョジョ、おはよう!」
「おはようジョジョ!」
「わァ、ジョジョ先輩だ」
白鳥の友達も思わずその姿を見て声を上げる。その声に釣られるように白鳥も視線をそちらに移した。
空条 承太郎。
この学校では超がつくほど有名な札付きの不良だ。
3年生、その中でも一際目立つ195cmというまるでラグビーでもやっているかのような体躯。
近くで見たらその迫力だけで気圧されてしまいそうな、そんな男。
「うっとーしいぜッ、このアマッ!」
ガルル、と吠えるような狼に似た声。眼光も鋭く、睨まれただけで体中の毛が逆立って動けなくなってしまいそうなほどの迫力。
遠巻きに見ていた白鳥の方まで聞こえてきたその声に、彼女はビクリと肩を震わせた。
しかし―――
「キャーッ!あたしに今言ったのよ〜!」
「違うわよッ!あたしよ!」
承太郎の取り巻きの先輩女子達はそれでも喜んでいる。
相変わらずだなぁ、と思いながらその様子を眺めるのは日課になりつつあった。
「ジョジョ先輩、カッコいい……」
友達も蕩けた目を晒しながら彼を見つめている。
一方で、白鳥には怖い先輩という印象ばかりが根強かった。高身長、筋骨隆々、顔立ちも整っていて申し分ない。それでもやはり、白鳥には取っ付きにくい印象を持つ男だった。
己には合わないだけだ。だから、隣にいる彼女や取り巻きの先輩方を否定する気持ちにはなれない。
「いつも先輩達がいて近付けないけど……いつかジョジョ先輩をもっと近くで見てみたいな……」
下駄箱まで来ても友達は蕩けた目で妄想に耽っていた。それほどまでに、承太郎のモテ具合は半端じゃあない。現にこの子以外にも彼に想いを寄せる女子は白鳥のクラスには多い。
「じゃあなるべく早くしないとね」
「なんで?」
「3年生でしょう?ジョジョ先輩。卒業まで1年もないわよ?」
あ、と向かいから短い声が漏れ出る。
「そうだよ、そうじゃんッ!どうしよう〜!」
「フフ、がんばれ〜」
「葵〜!まじめに応援してよ〜!」
そんな笑い声がこだまする。
それが白鳥 葵の日常だった。
―――
(部活長引いちゃったな〜……早く帰らないと)
夕刻も薄暗くなり始めた空模様。
弓道部の大会も近いためか練習が長引き、白鳥は早足で家路を辿っていた。
大会の事は伝えてあるものの、あまり遅くなっては家族を心配させてしまう。それに――
「お嬢ちゃ〜ん」
「!」
公園の横を通り過ぎようとした時、そこから出てきた人物に突然前を塞がれて立ち止まる。
「な、……なんですか」
下卑た笑みを浮かべる男2人組。公園の中にもその仲間と思しき男2人がニヤニヤとこちらを見つめていた。
だから早く帰りたかったのに。
この辺りは治安があまり良くない。この小さな公園だって、子ども達の遊び場というよりは不良の溜まり場のような場所だった。だが、ここを通らなければ家に帰るには遠回りをしなくてはならない。だから白鳥は早く通り過ぎてしまいたかったのだ。
「用がないと声かけちゃあいけないかい?」
一歩後ずさるたびに2人組に詰め寄られ、進路を固定されていく。白鳥は意思に反して公園の中に入ってしまうと、中にいた1人に腕を捉えられた。
「きゃっ!」
「じゃあ今用事作っちゃおっかなァ〜」
一際体格のいい男はどこからかヌンチャクを取り出す。それを白鳥に向け、下半身を指した。
「い、嫌ッ!離してッ!」
白鳥は必死に腕を掴む手を振り払おうとしたが、男との力の差では敵うはずもなく、一層強く握られて顔を歪めるだけに終わってしまった。
やがてヌンチャクの先が下腹部に触れ、軽く擦られると言いようのない不快感が背筋を這う。
「イヤッ……!」
「へへっ!おれのヌンチャクも擦りてェなァァ」
「あっ!おれの分ものこしといてくださいよォ」
男達の下品な笑い声と共に、今度はヌンチャクの先が白鳥の滑らかな脚を這ってスカートを捲ろうとしていた。
(本当にイヤ……ッ!もうこうなったら……!)
白鳥は俯いて涙目になりながらも、"何か"を考えていた。
すると、その"像"がうっすらと彼女の背後に浮かび上がっていく。
青い弓と矢を持つ狩人のような"像"――それは下品な笑みを浮かべるヌンチャクの男の手元に弓矢を構える。
(少し掠めるだけ……それだけなら大事にならないはず……!)
そう。白鳥 葵にはある"秘密"があった。
それこそがこの"像"なのである。
生まれた時からずっとそばにいた、"彼女"――。
「おい」
刹那。
そこにドスの効いた低い声が響く。その場にいた誰もが振り向いてその主を見た。
「あ……」
195cmという屈強な体躯。見れば誰もが怯むような鋭い眼光。黒く長い学ランに特徴的な学帽。
一目見れば分かる。
「ジョジョ先輩……」
「んだテメェ。邪魔する気かァァ?」
白鳥の呟きを遮り、ヌンチャクの男は彼を見据える。
しかし彼の尋常でないオーラに少しばかり気圧されているのか、半歩後ずさっていた。
「あぎャァッ!?」
「!?」
突如、ヌンチャク男の隣にいた男が悲鳴を上げた。
弾かれたようにその男に視線を向けると同時に、その体が地面に倒れ伏す。よく見てみると、頬を強く殴られたのか顔が歪められていた。
「ひッ……!」
思わず白鳥まで息を呑む。次いで今度は白鳥の腕を掴んでいた手の感触が急に解かれると、その背後でメキメキッと軋んだ音が響く。
「ぎゃぁぁぁぁぁッ!!」
何が起こっているのか視線を向けなくても分かる。白鳥は腕の拘束が解かれ自由に動けるようになったというのに、その場から動けなくなっていた。
「テッ、テメェェーーッ!!何しやがった!!」
それは誰もが思った事だろう。
しかし次には男の持っていたヌンチャクが宙に浮く。
いや、宙に浮いてるんじゃあない――。
(あ、あれは……!?)
持っている。手が。ヌンチャクを持つ"手"だけがそこに見える。
鮮やかな紫色の、人ではない何かの"手"――。
そこから先の光景はあまり覚えていない。
目を瞑った黒い視界に、軋む音が響くだけだった。
「大丈夫か」
音が止み、砂利を踏む音と共に声が降りかかる。
いつの間にか座り込んでいた視界の低さから、声の主を見上げる。
空条 承太郎。言わずと知れた札付きの不良。
彼は腰を抜かしている白鳥の脇の下に手を入れ、赤子を立たせるかのように彼女を支えた。
「あ……大丈夫、なので……」
「そうか」
白鳥がやんわりと頷くと、承太郎はその手を離した。そして踵を返し、公園を出るために歩き始める。
「家はどっちだ。ついてってやる」
そうやって1人で歩いてく彼の背を呆然と見つめた後、なるべく周りを見ないようにしながらその広い背中を追うために脚を前へと踏み出した。
「あの……」
「こっちか」
「あ、はい。そうなんですけど……」
白鳥の歩幅に合わせて歩く承太郎の隣を歩きながら、その姿を見上げる。
すぐ隣まで来ると顔を見るのすら首が疲れてしまいそうな高身長。その体格差に息が詰まりそうな心地になりながらも、白鳥は話すタイミングを窺っていた。
「あの……ジョジョ先輩」
「なんだ」
切り出したはいいが、彼はさっきから一言ずつしか喋ってくれない。そんな無愛想な態度がより緊張を膨らませる。
しかし、それでも白鳥には訊いてみなければならない事があった。
「さっきの……本当にありがとうございます。本当に助かりました。でも……その……浮いてましたよね?ヌンチャク……」
「…………」
予想はしていたが、一言ずつでも応えてくれていた承太郎が口を閉ざした。やはり訊いてはいけない事だったのだろうか。
だが、どうしても訊いてみたかった。もし、彼の"秘密"が、私と同じ"秘密"であったなら――……そんな希望を持たずにはいられないのだ。
「いえ、浮いていたというか……"手"、もう一個出てきましたよね……?」
「……!」
だから、質問の仕方を変えてみた。すると、彼の顔がピクリと反応を示したように見えた。
「……見えるのか。お前」
不意に承太郎が立ち止まる。それに釣られるように白鳥も遅れて立ち止まる。
もしかしたら、この人になら打ち明けられるのかもしれない――
互いの内にそんな感情が芽生えていく。
「……見えました。だって多分、私も同じ"秘密"を持っていますから」
彼女は承太郎をくるりと振り返る。それと同時に影のように浮かんだその"像"に承太郎は静かに息を呑んだ。
狩人のような風貌の、人ではない"何か"……しかし、己と同じようなものを感じる。
だがそれは静かに彼女のそばに立っているだけで、それだけが己とは違っていた。
「……やれやれだぜ」
承太郎は静かに帽子の鍔を摘み、目を伏せていた。