翌朝。
いつもより早く目が覚めた白鳥は身支度を整えるとロビーへと足を向けた。
今日から長い船旅になる。昨日の夜に承太郎と入ったドラッグストアで船酔い薬も買っていたが、あまり家族揃って旅行に行った事がない白鳥にはどんな程度の揺れなのか予想がつかない。
「……あ」
溢れる朝日の中、既にロビーの椅子に座っているその姿を視界に入れる。彼は視線を感じたらしい、彼女の方に目を向けて軽く片手を挙げていた。
「よお、お嬢さん」
「ポルナレフさん。おはようございます。早いんですね」
「それはあんたも同じだろ?」
肉の芽による洗脳が解けた状態のポルナレフはニカッと人の良い笑みを浮かべ、隣に腰掛ける白鳥とすかさず肩を組んだ。
「わっ!」
「へへっ!日本の女の子ってちいちゃくて可愛いな〜!まるで妹のようだぜ〜ッ!」
そうやって頭を撫でてくる手つきは意外にも優しく、そして心地よい。だから余計に複雑な気持ちになってしまう。
あんな話を聞いた後だったから。
―――
昨晩、承太郎と白鳥が買い物から帰ってきた直後にポルナレフは目覚めた。その報せを受け、彼らはひとつの部屋に集まっていた。
「時にムッシュ・ジョースター。実に奇妙な質問をさせていただくが……あなたは食事中でも手袋を外さないな。まさかその左腕は右腕ではあるまいな?」
それは本当に奇妙な質問だった。左が右だなんて事、普通はありえないからだ。現にジョセフの左の手袋はしっかり左手用である。
「……50年前の闘いによる名誉の負傷じゃ」
ジョセフがゆっくりと手袋を外すとメカニックな義手が姿を露わにさせる。少し聞いた話では彼もまたジョースター家の宿命なのか、承太郎と同じような歳の頃に壮絶な死闘に身を投じていたのだった。
「……失礼。余計な詮索であった。許してくれ」
「いいや、気にしておらんよ。しかし一体どうしたというんだね?」
恭しく頭を下げるポルナレフにジョセフは首を横に振ってみせるが、彼の奇妙な質問にはどんな意味があったのか。
ポルナレフは意を決するように呼吸をし、やがてその口を開いた。
「妹を殺した男を探している。顔は分からない。だがその男は両腕とも右腕なのだ」
話は遡る事、3年前。
フランスのとある雨の日。ポルナレフの妹はその友人と一緒に学校から帰宅する途中だった。
そんな折、道の端に男が1人、背を向けて立っていた。その男は雨なのに傘をさしていなかったが、不思議な事に透明なドーム状の膜のようなものでも張られているかのように雨がその男の周りだけ避けて滴っていた。
その男の姿を2人が認識した時、突然その友人の胸がカマイタチにでも遭ったかのように裂けて血が噴き出した。
そして次にポルナレフの妹がその男から辱めを受けて殺された。男の目的はただそれだけだった。
「それが九死に一生をとりとめた妹の友人の証言だった。男の顔は見ていなかったが、両腕とも右腕だった……と」
周りは誰もその証言を信じていなかったが、ポルナレフにはその男が"スタンド使い"であると直感的に分かっていた。なぜなら彼もまた、生まれついての"スタンド使い"であったからだ。
「俺は誓った!我が妹の尊厳とやすらぎはそいつの死をもって償わなければ取り戻せんッ!俺のスタンドがしかるべき報いを与えてやるッ!」
そんな中、一年前、ポルナレフはDIOと出会った。
彼はDIOの持つ水晶の中にあるものが映ったのを見たのだ。――両腕とも右腕の男の姿を。
「
DIOの声は甘く優しく、ポルナレフの心を包んでいった。
「きみは悩みを抱えている。苦しみを抱えている。今の水晶の像がきみの悩みなんだね?力を貸そうじゃあないか……この男を探し出してやる。だからわたしにも力を貸してはくれないだろうか?」
苦しみも、不安も、なにもかもを丸ごと包んでくれる。共感してくれる。
ポルナレフはそのまま肉の芽を植え付けられ、命令のままに承太郎達の命を奪いにここまでやって来たのだ。
―――
「な〜にを辛気臭い顔してんだよォ!女の子は笑ってるのが一番なんだぜ?」
「へ……っ!?」
ポルナレフはそんな事を思い返して眉間に皺を寄せていた白鳥の両頬を片手でむにっと挟んだ。きっと彼には白鳥が何を思っていたかなんて筒抜けなのだろう、優しい眼差しを向けながらも困ったように眉を下げていた。
「白鳥、俺は大丈夫さ。あんた達がいてくれる」
復讐を誓ってから3年。ポルナレフはずっと1人で抱え込みながら旅を続けていた。そんな彼の心の中にDIOは忍び込み、そして都合のいいように操っていた。
だがもう彼には白鳥や承太郎達がいるのだ。目的は違うが、目指す場所は同じ。恐らく復讐の相手をDIOは既に見つけて仲間にしているだろう。DIOを辿っていけばそこに辿り着く事ができる。
「おはよう白鳥さん。ポルナレフも。今朝は早いんだね」
そこに花京院の声と足音が響き、2人はそちらに顔を向けた。――が。
「あ、おはようござい、ひ!?」
確かに視界に映したのは花京院典明その人であったのだが、その背後に凄みのあるオーラを纏った空条承太郎の姿もあって思わず白鳥は上擦った声をあげながら肩をビクリと跳ねさせていた。
「おおー……これはこれは。朝から元気なのはそこの番犬もじゃあないかね?」
「あ?誰が番犬だ?」
ヒュゥ、と口笛を吹きながら白鳥と一方的に肩を組んでいた腕を避けて肩をすくめる。そんな2人を囲むようにポルナレフの隣に花京院が腰掛け、白鳥の隣に承太郎がずっしりと腰を下ろした。
「昨晩はよく眠れたか?」
「えっ。ああ、はい。おかげさまで……」
何事もなかったかのように話し掛ける承太郎と、驚きつつもしっかり受け応えをする白鳥。そんな他愛もない話から、2人は徐々に会話に花を咲かせ始めていた。
「なあ〜、花京院。やっぱジョジョって白鳥の事……」
「やはりポルナレフも同じ事を考えていたのか……」
その様子を見てポルナレフが花京院にこそっと声を潜めて話し掛けてみると、どうやら彼もそのようで2人して頷き合う。
「昨晩承太郎がなかなか部屋に戻ってこないからどうしたのか訊いてみたら、どうやら逢引きだったようで」
「へえ〜ッ!オクテの割にやるねェ〜ッ!」
「おい、聞こえてるからな」
「地獄耳〜ッ!」
***
少し遅れてジョセフとアヴドゥルも合流し、一行はチャーターした船が停泊している港へと向かっていた。
「いやしかし、白鳥があの量の朝食をぺろりと平らげたところなんて――」
「もうその話はよしてください、ポルナレフさん!」
朝食がてら入ったレストランで今度こそ花京院に頼んで香港の定番料理に舌鼓を打った。しかしポルナレフは白鳥の食べっぷりがよほどツボに入ったらしい、先ほどからその話を引っ張り出しては彼女の真っ赤な顔を愉しんでいるようだった。
「ポルナレフ、さっきからその話ばかりじゃあねーか。いい加減ウルセェ」
「いいじゃあーねぇか!よく食べる女の子だって俺は大好きさ!承太郎もそうだろォ〜?」
嗜めようとした承太郎の二の腕辺りにうりうりと肘をなすりつけるポルナレフ。それをすかさず承太郎はギロリと睨みつけた。
「おお〜、こええこええ!」
「あァ?思ってもねぇ事を……」
「わかった!わかったって!」
それでもポルナレフはにやにやとした愉快そうな笑みを崩さない。チッと承太郎が舌打ちするのを白鳥はハラハラしながら見つめていた。
「すみませーん、カメラのシャッター押してもらえませんか〜?」
そんな調子でちょうど港に着いたタイミングで、承太郎にそんな声が降り掛かる。そちらに視線を転じてみると、女性の2人組がカメラを持ちながら期待のこもる瞳で承太郎を見つめていた。
(すてき!きっかけ作っちゃお!)
眼差しに込められた感情がいまなら読み取れる。空条承太郎という男は、立っているだけで魅力を放ってしまう人間なのだ。
――とうの本人は不本意な様子だが。女性達が騒げば騒ぐほど、承太郎の眉間には皺が刻まれていく。
「あの海を背景におねがいしまーす!」
「やかましいッ!他の奴に言えッ!!」
このように。
ガルル!と狼のように吠えるその姿はまさしく猛犬そのものだ。しかし白鳥の記憶上、たとえ彼が猛犬のごとく吠えようが――
「まーまー、写真なら私が撮ってあげますよ、お嬢さん方」
――そこにすかさず入り込んできたのがジャン・ピエール・ポルナレフという男であった。彼はニヤつきながら承太郎と女性の間に割って入ると差し出されていたカメラを勝手に受け取り、女性達の肩に腕を回しながら波止場に誘導していく。
「君綺麗な足してるから全身入れよーねぇ!」
「いいねー!シャッターのボタンのように、君のハートも押して押して押しまくりたいなぁ〜!!」
大きな独り言を撒き散らし、ポルナレフは困惑しながらも微笑みを浮かべる彼女らの写真を頼まれてもいないのにバシャバシャ撮りまくっていた。
「白鳥くんへの対応を見るに女好きとは予想していたが……まさかここまでとはな」
「まるで頭と下半身がはっきり分離しているかのようじゃなぁ……」
アヴドゥルや花京院はもちろん、ジョセフすら呆れた目線を送りながら見守っている。
「……やれやれだぜ」
あんな奴と白鳥を2人きりにしてたまるか。
承太郎は帽子の鍔を摘みながら、同じように呆れた視線を電柱頭に向けている白鳥を背に隠す。
ポルナレフ加入してからというもの、より一層賑やかな旅になりそうであった。
女性達と別れ、ジョセフがチャーターした船に乗り込む。
ここからシンガポールまで丸3日は海の上と云う。ホテルでしっかりと休息を取り、ポルナレフの事も無事解決したので戦力については申し分ないだろう。それにこの船の船員の身元は既に昨日調査済みだ。敵のスタンド使いが乗り込んでいるという可能性もない。
「…………」
潮風に髪を靡かせながら、白鳥は広大な海をデッキの手すりに両腕を置いて眺める。
今頃日本では彼女が忽然と姿を消した事で大騒ぎしているだろう。両親は勿論、友人や部活のメンバーも血相を変えているところだろうか。
しかし己が今どこにいるのか、彼らに報せる事は出来ない。そうすればもっと大きな騒ぎになるのは目に見えているからだ。
「よお、白鳥お嬢さん。まーた浮かない顔して、船酔いか?」
突然耳に入ってきた軽薄な雰囲気を纏う声のした方に視線を向けてみると、やはりそこにはポルナレフがいた。彼は白鳥に向けて軽く手を振り、隣まで来ると一方的に肩を組もうとしたが、寸でのところで手を引っ込める。
「おーっと……触んない触んない。番犬の視線を感じるからな」
その言葉にチラリと背後に視線を転じると、承太郎が少し離れた位置にあるビーチチェアに座りながらジッとこちらを見つめていた。
「別に分かった上でちょっかいなんて掛けるつもりねーんだけどよォ!横取りなんてシュミじゃあねえし」
「あの、なんの話ですか?」
ペラペラと1人で勝手に喋るポルナレフにさすがについていけないのか、白鳥は眉間に皺を寄せながら彼を見上げる。その怪訝そうな表情にポルナレフは呆れたようにため息をついていた。
「あのなぁ……花京院が言っていたが、あんたも大概だな」
「ええ……」
突然絡まれて、今度は突然呆れられ。白鳥は困惑するしかなかった。
「まっ、そういう話をするために来たんじゃあねえんだ。あんたが心配でよ」
ポルナレフはさっさと話題を変えてしまうと手すりに背を預け肘を置き、彼女を見下ろす。
「あんたは見る限りじゃあ育ちもいいし誰が見たっていい子ちゃんだ。とても家出なんてするようには見えん。あんたの周りは今頃大騒ぎ。そんな事考えてんだろ?」
図星をつかれ、ギクッと白鳥の肩が揺れる。その様子をタバコを箱から出しながら見て、ポルナレフは息を吐く代わりに咥えたそれに火をつけた。
「……別に、考えんなって言いたいんじゃあねえぜ?いい子ちゃんがそう考えるのは至極真っ当だからな。けどォ〜……」
目を伏せて堪能した煙を吐き出し、再び視線を隣にいる少女にやるとツンとその頬を指先でつついた。
「あんまし考えすぎんなよォ?考えすぎると目的を見失っちまうだろ?……あんたがそうしてでも見つけたかった物を、ちゃーんと見つけてから帰んなきゃ意味ねェんだから」
己が妹の復讐を果たそうと旅に出た時、周りは止めなかった。だが、彼女はそうではないだろう。今一緒に旅をしているメンツの中にも、彼女を引き留めた者がいるはずだ。
しかし、それを押し切って彼女はここまで来た。そこには並々ならぬ事情と覚悟があるのだろう。
「抱えきれなくなったら誰でもいいから言えよ。あんたみたいなのはそれが一番いいと俺は思うぜ」
そうでなければ、吐き気すら催すような邪悪な者に心の隙間につけいれられる。己がそうだったように。
「このポルナレフ様が言うんだから間違いねぇ」
幸い彼女の周りにはたくさんの相談相手がいるじゃあないか。それだけでも彼女は恵まれているのだ。
ポルナレフはニッと目を細めながら白鳥の頭に手を置いて撫でる。――妹にそうしてやっていたように。どこか似ているから、つい世話を焼きたくなってしまう。
「確かに……そうなのかもしれませんね。考えていても、ここまで来てしまった以上仕方のない事です」
白鳥もどこか肩の荷が降りたような安堵した様子で頬を緩め、撫でられる心地よさに身を委ねる。
強引に見えて、でもどこか優しげで。その仕草だけで彼は彼の妹の事を心の底から愛していたのだと分かる。自分にもこんな兄がいたらなぁ、と思ってしまうほどだ。
「ありがとうございます、ポルナレフさん。おかげでなんだか気が楽になりました」
「お、そうかい?そりゃあ〜良かったぜ。その代わり、俺も悩んじまったら頼らせてもらうぜ、白鳥」
ぽん、と軽く叩くように撫でてポルナレフは彼女の頭から手を離す。「任せてください!」と大きく頷く彼女の微笑みは、やはりどこか妹にそっくりで自然と頬が緩まるようだった。