ジョースター一行の乗った救命ボートはしばらく海を気ままに漂っていたが、運良くシンガポール行きの貨物船に救助されて乗せてもらえる事になった。
敵のスタンド使いに遭遇する事もなく、目的地に着くまで束の間の休息を過ごしていた。
夜も更けてきた頃合い。
白鳥は早めに休んだせいかふと目が覚めてしまうと、隣で眠っているアンを起こさないようにそっとベッドから抜け出して夜風を浴びようと甲板まで出てきた。
「……あれ?」
ぐっと伸びをした直後、視界の端に何者かが佇んでいるのに気付いてそっと近づいてみる。
「……花京院先輩?」
「おや、白鳥さん。きみも目が覚めたのかい?」
彼――花京院は手すりに寄りかかりながら海を眺めていたようで、白鳥に声を掛けられるとゆったりとそちらを向いた。
「はい。なんだか変な時間に起きてしまって」
「奇遇だな、僕もそうなんだ。こうして2人で話すのはジョジョの家に泊まった時以来だね」
いろんな事がありすぎたせいかそんなに時間の経っていない事のはずなのに、あの時、肉の芽の呪縛から解き放たれたその日の晩の事を思い返す。
あの日は白鳥と2人でいろんな事を話した。家族の事や学校の事、そしてスタンドの事。
花京院は生まれついてのスタンド使いだった。物心ついた時から、常にそばに
しかしスタンドはスタンド使いにしか見る事ができない。周りのクラスメイトはおろか、己の両親にすらその姿を見る事は叶わなかった。
『同じスタンド使いでなければ、真に分かりあう事はできない』
花京院は幼い頃からそう思っていた。
己は周りとは違う。決して非スタンド使いを見下しているわけではないし、周りから拒絶や疎外される事もないが、確かな隔たりを感じる。それは両親に対しても同じだったが、せめて彼らにとって良い子であろうと本心を隠していた。
「そうですね。あの日はまさか、こんなに途方もない旅に出るなんて想像もつきませんでしたけど」
己の隣に来た白鳥はくすくすとおかしそうに笑っている。
白鳥葵も生まれついてのスタンド使いだ。
しかし、己とは何もかもが違っていた。
彼女は同じようにスタンド使いである事を隠してはいたが、弓道という生きがいもあるし友人もいる。両親は仕事が忙しいようだが、不仲というわけではないらしい。彼女はスタンド使いでありながら、結構上手く世渡りしてきたようだ。
それくらい己も器用だったらよかったのに。
花京院はたまに、白鳥を見てそう感じていた。
「そうだね。白鳥さんは……帰ったらきっと何かと大変だろうな」
己ももちろん両親に多大な心配を掛けている事は間違いないだろうが、白鳥は違う。両親も、友人も、部活の仲間もいる。部活の大会もあると言っていたような気がするし、白鳥ほどの腕ならエースを張っていてもおかしくない。
「はい、いろんな人に迷惑掛けちゃってると思います。自覚はある分タチ悪いですかね……」
「僕だったら血相変えて探し回るだろうな……ホント、悪い子だよ」
あはは、と苦笑いを溢す白鳥に釣られて花京院も困ったように笑う。
「いいな……白鳥さんは」
しかし口をついて出てしまった言葉に、白鳥は不思議そうな顔を花京院に向けた。
「なんでですか?」
「心配してくれそうな人がたくさんいるからさ。僕は友達、いないし」
引っ越してくる前も、花京院には友達と呼べる人が周りにはいなかった。
皆スタンド使いじゃあないから。本当の自分を理解できないから。
だから、口を開く事はあっても心までは誰に対しても開けなかった。それを案の定、両親は心配して担任の教師にまで相談していたと云う。
思えば両親には迷惑を掛けっぱなしだ。彼らはそんな己に気を遣っていたのか、旅行にたくさん連れて行ってくれた。香港もそうだし、エジプトも。
エジプト。
『恐れる事はないんだよ』
『友達になろう、花京院くん』
「…………ッ!!」
思わず口許を手で押さえる。つい先ほどの事のようにその声は頭の中で響いた。
DIO。己に肉の芽を埋め込んだ男。甘く脳内に直接響くかのような優しいその声音を不意に思い出して、吐き気すら催すような不快感が襲ってくる。
「だ、大丈夫ですか、先輩!船酔いですか?薬飲みますか?」
顔色が悪い花京院の背を白鳥は優しくさする。その手越しに彼が震えているのを感じて焦りながら水を持ってこようと踵を返そうとした。
「待ってくれ!待って!白鳥さん」
己から離れようとする白鳥の手首を咄嗟に掴む。驚いたように花京院を振り返ると、強張った笑みを顔に貼り付ける彼がいた。
「僕は大丈夫……大丈夫さ。船酔いなんかこれっぽちもしてない」
首を横に振りながら彼女を引き寄せ、再び己の隣に立たせる。今の花京院には彼女が気を遣ってくれているという事よりも、彼女がこの場から去ってしまう事の方が大きかった。
「先輩がそう言うなら……でも、ホントにキツくなったら言ってくださいね?」
白鳥もそれを感じ取ったのか、彼に寄り添うようにそっと佇んでいた。
「……私、こうやって誰かと旅をするのって初めてなんです」
少しの沈黙の後、白鳥は不意にそう切り出した。
「あ、もちろん修学旅行とかは行った事あるんですけど。なんていうのかな……仲間同士、で……っていうか。だからワクワクしてるんです」
控えめにそう紡ぐ白鳥の方に、花京院は丸くさせた目で視線を向ける。彼女は指をもそもそと恥ずかしそうに弄びながら海を眺めていた。
「仲間……」
「えへへ……変、ですよね。私達、かなり危ない旅をしているのに」
はにかんだ瞳が海から花京院に向く。視線がしっかりかち合うが、花京院はしんと動かずに白鳥を見つめ続けていて彼女の頭に無言の疑問符が浮かぶ。
「仲間……仲間、なのか。僕らは」
「えっ?」
気付けば花京院は彼女に一歩踏み出し、手すりの上で組まれていた小さな両手を片手で握っていた。夜風で少し冷えた互いの手が重なった事に、白鳥は「わっ」と思わず小さく声を上げる。
「僕らは"仲間"……そう、なのかな?」
だが、そんな事など気に留めていない彼の眼差しは確かめるような、そうであってほしいというような期待が込められているように感じて、白鳥はしばし動揺していた頭を落ち着かせるように目を瞑った後で双眸をやわらかく細めた。
「当たり前じゃあないですか。私達は目的を共にした、"スタンド使い"という共通の力を持った"仲間"です」
そうか。きっとこれが、花京院典明がずっと欲しかったものなんだ。
「だから、もうひとりじゃあないですよ。花京院先輩」
朝日が水平線の向こうから顔を出し始め、水面がキラキラと輝きを纏う。
それは花京院典明の心と同じだろうか。彼は呆気に取られながらも、静かに雫を瞳に湛えていた。
「よお〜、お二人さん!いい〜朝じゃあねェの!」
「なんだ。てめーらも目が覚めたのか?」
「ポルナレフさん!承太郎先輩も!」
声のした方に白鳥は振り返り、その姿を確認して「おはようございます」と頭を下げている。花京院もハッとしたように目元を指で拭いながらそちらに向き直って同じように挨拶をした。
「おはよう、ジョジョ。ポルナレフも」
「2人でなにやってたんだよ〜?手を繋いで見つめ合ってるように見えたぜ〜?」
ポルナレフは早速花京院をからかおうと一方的に肩を組んではニヤついた顔を彼に向ける。言われてそんな雰囲気だった事にやっと気が付き、花京院はサッと青ざめながら承太郎に視線を向けた。
「いや!違うッ!ジョジョ、決して白鳥さんとどうこうあったわけじゃあ……!!」
おたおたと声を裏返して弁明しようとする花京院だったが、当の承太郎はキョトンと不思議そうな表情を浮かべていた。
「なに慌ててやがる。……お前の事は信頼しているつもりだぜ、花京院」
「え……」
いつもより柔らかな声音で紡がれた言葉に、花京院は思わず目を見張りながら小さく声を上げる。
「ええ〜〜ッ!ジョジョ!俺はァ!?」
同時にポルナレフも目を丸くさせ、次には納得がいかないといった様子で眉間に皺を寄せていた。
「てめーはだめだ」
「なんでだよォォ〜!同じ仲間だろ〜ッ!?」
「だめだ」
つーんと顔を背ける承太郎。ポルナレフはまさかそこまで拒否されると思っていなかったのか、目にうっすらと涙すら浮かべながら肩を組んだままの花京院を揺さぶった。
「なんでェェ〜!?花京院からもなんとか言ってやってくれよォ〜!!」
「うわっ!わっ!?」
承太郎を指差して花京院に同意を求めるポルナレフ。
白鳥はそんな男3人の様子を呆気に取られたように見つめていたが、なんだかその光景が和やかに見えて思わずプッと吹き出してしまった。
「白鳥ィ!笑うな〜ッ!」
「いや、ふふ…!すみません、なんだかおかしくって、つい……!」
鈴が転がるような笑い声。その声に釣られて、目を丸めたままだった花京院も同じように吹き出した後でケラケラと笑い始めた。
「あはは…ッ!!確かに、承太郎がだめだと言うならきみはだめだね、ポルナレフ!」
「花京院ッ!お前までェ〜ッ!!」
笑い声を響かせる白鳥と花京院。それに対して目元を吊り上げながら地団駄を踏むポルナレフ。
「……やれやれだぜ」
承太郎はそう呟きながらも、帽子の鍔の陰で口角を上げていた。
「なんじゃ〜!?若いの達はみんな早起きだなぁ!」
「なんだか楽しそうじゃあないか?皆で何を話していたんだ?」
そこにジョセフとアヴドゥルも合流してきて若者達が笑っているのを微笑ましそうに傍観していた。
「あ!!聞いてくれよジョースターさんッ!アヴドゥルもッ!ジョジョが花京院はいいけど俺はだめだって意地の悪い事言うんだぜ!?」
かくかくしかじかとポルナレフはそうなった経緯を2人に喋り始める。しかし――
「いや、それはだめに決まってるだろう。お前はな」
「だめじゃな」
「なンでッ!!」
彼らは顔を見合わせた後今一度ポルナレフに視線を向け真顔で言葉を返し、思わずポルナレフはその場でズッコけ、それがまたこの場に笑い声を響かせる結果に終わってしまった。
「さ!くだらん事は置いといて、目的地のシンガポールはすぐそこじゃ!」
ジョセフの指差す先、朝日に照らされたシンガポールの街並みが水平線から顔を出し始めている。
まだなにか文句を言っているポルナレフを尻目に、他の面々は船を降りる準備のため船の中へと戻っていった。
「ところで白鳥。お前、なぜ花京院が良くてポルナレフがだめなのか、分かってて笑ってたのか?」
道中、ふとした疑問を白鳥に投げかけてみる承太郎だったが、白鳥は首を傾けていた。
「いえ、ぜんぜん分かんないんですけど……でも、なんだか見てて面白かったのでポルナレフさんには悪いんですけど笑っちゃいました!」
そうやってはにかむ白鳥の姿を見て、承太郎は「やれやれ」とため息を吐く。
「お前、ケッコー変わったな。……俺は気に入っているが」
ちょうど己にあてられた船室の前に着き、釣られて立ち止まる白鳥の頭に雑に手のひらを乗せてから扉を開けて中に入る。
確かに花京院の事は信頼している。だがあのような、喩えるならドラマのワンシーンのような迫り方は己にはできない。嫉妬の要因は主にそこだった。
(嫉妬、か……)
最近になってそれを受け入れ始めた。白鳥も花京院もポルナレフも、きっとそういった感情を互いには持っていない。白鳥に至っては己の気持ちにすらまるで気付いていない。
(どうすれば……)
(どうすればもっと承太郎先輩と仲良くなれるかな……)
白鳥も自分の船室に戻って荷物を整理しながら考える。
アヴドゥルの占いとアドバイスでは"自分からもっと歩み寄ってみるのはどうか"という事だったが、きっかけがなかなか掴めない。
またチャンスが巡ってくるだろうか。白鳥は先ほど雑に撫でられた頭に手を置いてみる。
(気に入ってる、か……)
その言葉が嬉しくて、つい表情が緩んでしまう。
「ねーちゃん、なんかいい事あった?」
その声に頭を上げると、ベッドに座って暇そうに足をぶらぶら揺らしていたアンがニマニマと目を細めていた。
「ジョジョのことでしょ〜?」
「な、なんでわかるの?」
ピタリと考えていた事を当てられてしまった事に素直に目を丸めていると、彼女は得意げな表情をしながらも肩をすくめる。
「気付かない方がおかしくない?もう付き合っちゃえばいいのに!」
その言葉に白鳥は少しの間考え込む。急に真顔になってしまった彼女にアンは地雷を踏んだかと内心戸惑ったが、やがて閃いたように彼女はハッと息を呑んだ。
「付き合ったらもっと仲良くなれるのかな……」
「えっ、どういうこと?それ」
「いや、でもそういう意味では好きじゃあないしな……それは先輩に失礼よね……」
「えっ、むしろ違ったの?」
ある意味爆弾発言とも取れる事をブツブツ呟き始めた白鳥を見て、アンですら承太郎に対して同情の念を抱いてしまっていた。
(ジョジョ……あんた意識されてないよ……)
このように。
さまざまな思いを乗せて、貨物船は海を渡る。
シンガポールはすぐそこだった。