星見る鳥の夢   作:斎草

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上陸、シンガポール

 

 昔々、スマトラという国の王子が新しい領土を求めて航海に出た時、白いたてがみの獅子――シンガの住む島を見つけた。

 王子はその島を"シンガプール"と名付けた。

 

 世界中の船やタンカーが行き交う海峡の国――

 自由貿易によって西洋と東洋が溶け込む多民族国家――

 その名も"シンガポール"。

 

 

 貨物船のタラップを降りると長い船旅だったからか、白鳥は地面に降り立つなりフラリとよろける。

「おっと。気を付けな」

 それを承太郎は素早く手を取って引き寄せる。

「ありがとうございます、承太郎先輩」

 ぺこりと頭を下げるが、いつもならすぐに離される手がこの時は繋がれたまま承太郎はいつものようにヌシヌシと歩き始めていた。

(ええー……!き、気まずい……!)

 こうなっては何か話さなくては、という焦りが募る。前を歩いている花京院達は特にこの様子を気に留める事もなくジョセフが向かうホテルまでの道中話に花を咲かせていた。

「白鳥、あの量の朝メシで足りてるのか?」

 何か、何か、と話のネタをぐるぐる考え込んでいたが、承太郎が不意に切り出したのを聞いてハッと頭を上げる。

「あ、え?あさごはん……」

「トースト1枚に申し訳程度のサラダで足りてるか?メシなら付き合ってやる」

 彼が指差す先にはまだ仕込み中の札が掛かった飲食店がいくつか点在していて、ホテルで少し休んだ後でと誘っている様子だった。

「な、……足りてます。私、食べる量調節できるので」

「シンガポールのメシに興味がないと?」

「…………」

 つくづく思うが、彼の言い方は時に少し意地悪だ。

 ああ言えばこう言うし、言い返せば涼しい顔で受け流す。彼のそういうところがずるいと思う。

「……もう。素直にごはん行こうって言えばいいじゃあないですか」

「お前の返答を窺ってみたくてな」

「なんですかそれェ……」

 食の事でからかわれるのは初めての事ではないが、毎回むくれているのだから察してくれても良いのではないか。

 白鳥は常々そう思っているが、承太郎は一向に改める気はないらしい。

「で?実際どうだ?」

「……行きますよ、行きます。2人で、ですか?」

 むくれながらの同意の後に続いた言葉に承太郎がコクリと頷くと、白鳥は少し間を置いてから頬をほんのりと赤く染める。

「じ、じゃあ〜……デート、です、ね」

「…………あ?」

 色付いた顔を逸らしながらぽそりと呟かれた言葉に承太郎はしばし目を丸くさせた。

 デート。白鳥葵と。

 己が言い出した事なのに、意図せずそうとも取れる誘いになってしまった事にようやく気付いて小さく舌打ちしてしまった。

「なっ、舌打ちって!勘違いしないでください、先にからかってきた承太郎先輩をからかい返しただけですッ!」

「はあ?それはそれで問題だろうが」

「なにがですか?まさか意識しちゃったんですか?」

「あ?どこをどう見ればそう見えるんだ?あァ?」

 途端にやいやいと言い合いを始めてしまった白鳥と承太郎の方を振り返り、花京院とポルナレフは苦笑いを溢していた。

「なーんか始まっちゃったぜ?あれ、花京院はどう見るよ?」

「喧嘩するほど仲がいい、とも言うしね」

「実際仲良いだろ〜、あれは」

 喧嘩していても繋がれた手は互いに一向に離す気配がない。

 介入の余地はないとこの場は判断して、花京院とポルナレフはその声を聞きながら再び前を向いて歩を進めた。

 

 

 今日一日はホテルに泊まり、エジプトへの進路を立て直す。

 海路ももう使うのは現実的ではない。船に乗るたびに破壊されては漂流なんてこちらの命がいくつあっても足りない。一行は陸路を選択せざるを得ない状況だった。

「アンちゃん、1人で大丈夫かな……」

 窓から見下ろす異国の景色を眺めながら白鳥はため息を吐く。

 アンは5日後にシンガポールで父親と落ち合う予定らしく、結局ホテル代は一行が受け持つ事になった。一緒にいるとまた危険な目に遭うため、階層の離れた場所の部屋を与えたわけだが。

「俺たちといるよりかはマシなはずだぜ」

 ベッドに仰向けになりながら承太郎は白鳥に視線を向ける。

 今回の部屋割りはジョセフとアヴドゥル、花京院とポルナレフ、そして承太郎と白鳥、という風になっていた。やはりこちらもそれぞれが階違いである。当日では空いている部屋も限られているため、この4部屋しか借りる事ができなかった。致し方なく白鳥を誰かと同室させる事になったのだが、満場一致で承太郎という事になってしまったのである。

(やれやれ……こいつはなかなかヘビーだぜ)

 あいつらは分かってて仕組んだのだ。余計にタチが悪い。

「承太郎先輩、朝ごはんついでにまた買い物行きません?よく考えたらタイツの替え、もっとほしいなって……」

 そんな承太郎の心情など露知らず、白鳥はカバンを持つと催促するように扉の前まで移動し始める。そんな彼女を見てベッドから起き上がり、承太郎もついていこうとした。

「女はなにかと物入りでご苦労なこったな」

「そうですよ、先輩も覚えといた方がいいですよ」

 サラッと軽口を叩く彼女に僅かに目を見張る。

 先ほどもそうだが前はこんな事、口が裂けても言わなそうだったのに言うようになったもんだ。口喧嘩もお手のものである。当然、こんな旅ではいつまでもか弱い乙女ではいられないだろうが。

「ああ、覚えといてやるよ」

 それでも、彼女の事は変わらず好いている。むしろ、己が気に入ったのはこういう彼女なのだろう。

 あの日見た気高い白鳥のような凛とした佇まい。それと照らし合わせれば、こちらの方が案外しっくりくる。

 

 そんな風に思いながら共に部屋を出て行こうとした時、突然部屋に置いてある内線がけたたましい音を鳴らした。

「なんだろう……先輩なにかした?」

「俺が用もなく人を殴ってるような言い方するんじゃあねェ」

 訝しげにしながらもベッドに腰掛けて承太郎が受話器を取ると、白鳥も音漏れを聞こうと顔を寄せる。

『承太郎ッ!白鳥くんッ!』

「なんだじじいか……」

『なんだとはなんじゃ!』

 受話器から聞こえてきたのはジョセフの声で、敵のスタンド使いの仕業ではない事に一旦は安堵の息を吐いた。

『まあいい。ポルナレフ達の部屋にスタンド使いが現れたッ!5分後に彼らがワシらの部屋に来る。お前達もこちらに向かうように!』

「は?おい待てじじい!……切りやがった」

 ジョセフは承太郎の静止も聞かずに一方的に内線を切ってしまい、やれやれと受話器を置く。

「というわけで朝メシと買い物はお預けだ」

「仕方のない事です。また今度ですね」

 存外近かった白鳥との距離に身を引きながらも承太郎は立ち上がり、彼女も続いて腰を上げる。

 とにかくジョセフ達と合流しなくては。部屋から出て彼らのいる部屋に行こうと廊下を歩く。

「ここは6階だし、エレベーター使った方が早いですね」

 彼らの部屋は12階。階段を使うには遠すぎる。承太郎と白鳥はエレベーターがあったところまで歩いていくが、妙な違和感があり互いに疑問符を浮かべてしまっていた。

 

「……白鳥」

「……はい」

「さっき部屋に来る時、エレベーターまでこんなに距離があったか?」

 行けども行けども、続くのは変わり映えしない廊下。床の模様も、壁の素材も、天井の灯りさえも、一向に変化がない。

「もうとっくに着いてて、なんなら通り過ぎてるまであると思いますけど……あ、れ……?」

 不気味な違和感と焦燥感。部屋の番号すら先ほどから自分たちの番号しか見ていない。

 脳内がチカチカと焼き切れそうな中、ふと視線の先の壁から何者かが飛び出してきたのが見えてハッと息を呑んだ。

「あ……!花京院先輩!?」

「え?あれ?白鳥さんに承太郎じゃあないか。なぜここに?」

 呼び声にこちらを振り向いた花京院に2人して小走りで近付いてみると、どうやら彼はそこの階段からここまで上ってきた様子だった。しかし記憶上こんな廊下のど真ん中に階段なんて存在していなかったように思えて、更に疑問符が浮かぶ。

「なぜ、はこっちのセリフだ。お前いまどこから来た?」

「ポルナレフさんは?一緒じゃあないんですか?」

 

 そうだ。花京院はポルナレフと同室のはずだ。そして今まさに自分達はポルナレフと落ち合うためにジョセフとアヴドゥルの部屋に向かっている。

 なのに同室のはずの花京院がここにいる。しかもこの様子だとポルナレフが襲われている事を知らないらしい。

 

 案の定花京院は不思議そうな顔をしながら手に持っていた紙袋をがさがさと揺らしていた。

「僕はポルナレフがあの量の朝食じゃあ足りないと言っていたから、部屋に入る前に軽食の買い出しに行っていたんだ。カヤトーストだよ、2人も食べるかい?」

 状況に似つかわしくない穏やかなトーンの声音は今の2人にとって不気味以外のなにものでもなかった。

「そんな事言ってる場合じゃありませんよ!そもそも先輩、おかしいと思わないんですか?」

 食べ物の事に見向きもしない白鳥の様子が明らかに普通の状態ではない事に花京院も疑問符を浮かべながら改めて周囲を見渡してみる。

 何の変哲もない廊下だ。先ほど己もこういう廊下を歩いてきた。

 しかしその前の承太郎の言葉を思い返し、ハッと小さく息を呑む。

「確かに……僕はなぜここに?僕は今2階から3階に続く階段を上ってきたはずなのに、続きの階段はないしこんな半端な場所に出るはずが……」

「いや。そもそも俺たちは部屋を出てから階段を上っても下りてもいない。ここは6階のままなはずだぜ」

 明らかに状況が食い違ってしまっている。こんなのは幼稚園児でも分かる事だ。

 

 ――3人はここで出会うはずがない。

「まさか……これもスタンド攻撃……」

 

 誰もがそれを疑った刹那、グニャリと床が波打つように歪み3人は体をよろめかせた。

「うわッ!」

 花京院は尻餅をつき、承太郎は己の胸にもたれこんできた白鳥を支えながら自分も倒れないように壁に手をつく。

「あの船のエテ公、生きてやがったのか!?」

「そんなはずないです!オランウータンがこんな街中にいたら確実に大騒ぎですよ!」

「じゃあこれは一体…!」

 瞬間、耳鳴りのような不快な音が頭の中に響き、ギュッと目を瞑る。

 どれくらいそうしていただろうか。長かったように感じるし、ほんの一瞬の事のようにも感じる。

 

 そして――

「……なん、だ、こりゃあ……」

 耳鳴りがやみ、目を開けた承太郎は思わずその光景に目を疑った。

「ううん……一体なにが……」

 己の腕の中にいる白鳥も目を開いた瞬間、唖然としながらその光景を眺める。

 

 廊下。そう、廊下だ。

 だが、唐突に階段が生えていたり曲がり角が出来ていたりと先ほどまで見ていた廊下とは何もかもが違っていた。

 まるで、それはそれは巨大な迷路のような。

「花京院?」

 すぐ目の前にいたはずの花京院の姿が見当たらず、2人してきょろりと周囲を見渡す。

「承太郎!白鳥さん!」

「花京院先輩!?どこですか!?」

 声がした方角すら分からない空間で呼びかけてみるが、一向に花京院の姿は見当たらない。

「どうなってるんだ?まるで迷路だ…!承太郎!白鳥さん!どこだ!?」

「それはこっちのセリフだ!てめー今どこにいる!」

 承太郎は白鳥の手を握りながら一歩一歩確かめるように廊下を歩く。先ほどまでのグニャリとした気持ち悪い感触はない。しっかりとした床だ。

「あの、手……」

「俺じゃあ不服か?悪いが今は離さねーぜ。また空間が歪んだ時……恐らく互いに触れていなければ、花京院みたいにはぐれるかもしれねーからな」

 おずおずと声を上げながらも手を引かれるままについてくる白鳥を顔だけで振り返る。間髪入れずに返された言葉に彼女は驚いたように目を見張った様子だったが、ギュッと今一度離さないように握れば、彼女も控えめに握り返してくれた。

「あ……はい。そうですね。こんなところではぐれたら、また会えるかどうか分からないですもんね」

 花京院がどこにいるかもいまだに分からない状況に白鳥も不安に感じていたが、ヌシヌシといつもと変わらぬ様子で前を歩く彼の背中はいつだって頼もしい。

(不服だなんて思ってないのに……ホント、言い回しがいちいち意地悪な人だな)

 そんな悪態を心の中でつけるくらいには、安心している。それでも己に合わせてくれる歩幅や、絶対に離すまいと握る手から滲んでくる汗で彼の心情が伝わってくる。

(先輩は……私のこと……)

「白鳥」

 そこまで考えた時、不意に名前を呼ばれて顔を上げる。

「お前が俺のことをどう思っていようが……お前のことは俺が守る」

 帽子の鍔に隠れていて、彼の表情は見えない。ただ、ギュッともう一度汗で滑りやすい手を握り返した事だけは分かる。

「……私だって、承太郎先輩のこと守ります。今の私にならできます。もっと頼ってくれていいんですよ?」

 そうだ。もう守られるだけの私ではない。彼らと肩を並べて戦う事を選んでここまで来たのだ。

 彼はきっと、表に出さないだけでいろんな気持ちを背負ってる。それを少しでも軽くしてあげる事が己にはできる。

 だって、同じような能力を持っているのだから。

 白鳥がニッと口角を上げてみせると、その言葉に反応した承太郎はゆっくりとそちらを振り返りながら立ち止まった。そして、繋いだ手をぐいっと引っ張る。

「わっ…!」

「……なら、きっちり隣歩きな」

 白鳥を隣に立たせ、再び歩き出す。今一度歩幅を合わせ、彼女が並んで歩けるようにしてやると、すぐに隣に彼女が追いついてきた。

「頼りにしてるぜ、主将」

「もちろんです!……あと主将はもうやってないので」

「俺たちの主将だ」

「それは荷が重いといいますか……」

 得意げな表情をしたかと思えば急にしおらしくなってみせたりと、やはり彼女の表情を窺うのは楽しい。

 承太郎はフッと笑いながら幾分軽くなった脚を動かし、迷宮のような廊下と再び向き合った。

 

 

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