「よ、ようやく解放された……」
結局あの後子供たちからうんざりするほど歌とダンスを披露され、白鳥は半ば逃げるようにお金を彼らに渡した後すぐにこの路地裏に逃げ込んだ。
「ジョースターさんからもらったお小遣い、ほとんどあげちゃったぁ……」
壁に寄り掛かり、ぐったりと体育座りを決め込んで膝に顔を埋める。こうでもしないと解放されそうになかった。仕方ないとはいえ、無一文は心細い。加えていま、異国でひとりぼっちである。心許なさはさらに拍車をかけるばかりであった。
「承太郎先輩……」
無意識にその名が唇から滑り落ちる。大きくて頼もしい背中がすぐに思い浮かんで、恋しさで瞳に涙が溢れる。
「どうしました?お嬢さん」
刹那、男の声が突然降りかかってゆっくりと顔を上げる。
「迷子になっちまいました?」
金髪にテンガロンハットを被りタバコを蒸す、まるで西部劇に出てくるガンマンのような風貌の男。彼はしゃがみ込んだ白鳥の視線に合わせるように膝を曲げ、その顔を優しげな笑みを浮かべながら覗き込んでいた。
「あ、えっと……」
「おお、申し訳ない。俺はホル・ホース、旅の者さ。現地人のように物乞いはしないから安心しておくれよ」
明らかに身構えた白鳥に対し、男――ホル・ホースは先に名乗り上げてから白鳥の瞳からこぼれ落ちた涙を指でそっと拭った。
「泣いている女の子を放っておくなんてできなかったのさ。あんた、名前は?どうしてこんな場所に?」
ホル・ホースはだいぶ憔悴している様子の白鳥に優しく言葉を掛けていく。
「あ……葵……葵、白鳥……」
「アオイ。いい名じゃあないか。顔立ちからして東洋人か?」
「日本、から……と、友達と……来て……」
「へえ〜、なるほどなるほど。その友達とはぐれちまったのかい?」
白鳥の辿々しい言葉を汲み取っていき、ホル・ホースがようやく事情を突き止めてみせると、小さくこくりと頷く。それと同時に彼女の腹の虫がついにグーっと根を上げて、サッと恥ずかしそうにお腹を押さえる仕草に彼はフッと表情を綻ばせた。
「そーかそーか。けど、アオイにはいま腹ごしらえが必要そうじゃあないか?せっかく日本から遥々来たんだ、本場のインドカレー食わんと始まらんだろ!」
ホル・ホースは立ち上がり、当たり前のように白鳥に手を差し伸べる。白鳥も心細さゆえか、自然と彼の手に己の手を置いて引かれるままに立ち上がった。
「で、でも私……さっき子供たちにお金、ほとんどあげちゃって……」
「イイ〜イイ〜!イイってことよ!ここはひとつ、2人の出会いの記念に俺からの奢りってコトで!」
そのまま手を引かれ、白鳥はホル・ホースと共に路地裏から出て表の通りに繰り出していく。
改めて見渡してみれば、このインドという国はいままで巡ってきた香港やシンガポールとは全く違う文化圏である事は明白だ。道行く人が身に纏う衣服や、混沌とした町並みは見ているだけでクラクラする。
気付けばギュッと両手でホル・ホースの手を握っていて、彼はそんな白鳥を見ては優しくその手を握り返した。
「アオイ、不安か?確かにここいらは日本とは全然違うからなァ〜。しかも土地勘だってないだろ?1人は誰だって不安さ」
ホル・ホースは適当な店に入り、白鳥に席を勧めて自分も椅子に腰掛けながら彼女を見つめる。
(こりゃあラッキーだぜ。まさかここでジョースター御一行の女にサシで出会えるとはな。これは俺的にはチャンスだ)
ホル・ホース。
タロットの"
DIOの命令で遥々インドまでやって来たこの男はほくそ笑む。
(俺は女に嘘はつくが、女を殴ったり痛めつけたりなんてマネは絶対にしない。なぜなら美人だろうがブスだろうが女を心から尊敬しているからだ。もちろんこのアオイにも危害を加えるようなことは"俺は"絶対にしない。断言するぜ)
「ホル・ホース、さん」
「ん?」
メニューを見つめていた白鳥が不意に声を掛けてきて刺客の形を潜ませながらそれに応える。
「その……メニューが上手く読めなくて。ホル・ホースさんのおすすめがあれば、それを頼みたいんですけど……」
しかしおずおずと恥ずかしそうにメニューを差し出す姿を見て自然と表情が綻ぶのを感じてしまい、ホル・ホースはドンと大げさに己の胸を叩いてからそれを受け取った。
「ああ、任せな!このホル・ホース様がとびっきりのカレーをご馳走するぜ!」
(しかしあのジョースター御一行の女だっていうからどんな筋肉ゴリラ女かと思えば、スゲー可愛いじゃあねェか!いい意味で騙されたってヤツだ!)
もちろん、本当に筋肉ゴリラ女だったとしても態度を変えるつもりはないが。
しかし命令で来ているのを忘れてしまいそうなほどの浄化率は、まるでよく慣らした小動物と触れ合っているかのような心地。なぜ彼女があんなむさ苦しい連中とつるんでいるのか理解不能である。花京院でギリギリというところだ。
ここで彼女を落としきれれば必ず役に立つ。ラッキーなことにいまの白鳥葵は仲間とはぐれてとても不安な心境のようだ。優しく丁寧に接し続ければコロッと落ちるに違いない。
敵の中に自分を助けてくれるであろう切り札があるのは圧倒的に強い。
ホル・ホースの目的はそれだった。
注文を終えて改めて目の前の白鳥を見てみれば、彼女は落ち着かなそうにそわそわと体を揺らしていた。
「ありがとう、ございます……」
「イイってことよ。不慣れなんだろ?誰でも最初はそうさ」
手を伸ばして彼女の頭を優しく撫でてみると、その双眸が僅かに揺れているのが見えてそっと覗き込んでみる。
「わ、私……友達と早く合流しないといけないのに……」
「そーだな〜。今頃あんたのコト探し回ってんじゃあねーかなァ。だとしたらよォ、こっちも下手に動き回るより、こういう分かりやすいトコで待っていた方が効率イイぜ?」
ホル・ホースは敢えて窓際の外からもよく見える席を陣取った。これも作戦だ。
そう、敢えて見つけてもらうのだ。隠す必要なんてない。逆に隠してしまえば彼女は警戒して心を閉ざしてしまう。
それにホル・ホースにはある確信がある。だからこうして余裕でいられるのだ。
「白鳥ッ!!」
「白鳥さんッ!!」
ほら来た。
ホル・ホースは彼女の名を呼びながら血相を変えて席まで駆けてきたふたつの人影に視線をやる。
「承太郎先輩!花京院先輩!」
その姿を見た白鳥は途端にパッと表情を明るくさせ、それを受けて承太郎と花京院もホッと胸を撫で下ろしていた。
「よかった、無事で!」
「花京院がハイエロファントの触手をお前の脚に触れさせ、追尾してくれていた。おかげですぐに見つけられたぜ」
なるほど、そういう事か。ホル・ホースは予想より早い合流にゆっくりと頷く。だが、そんな彼に厳しい視線が2人から向けられていた。
「テメー……こいつになに吹き込んでいた?」
「場合によっては看過できませんが」
この2人の反応で分かる。白鳥葵はとても大切にされている女の子だ。彼らだけでなく、ジョセフやアヴドゥル、ポルナレフにとってもそうだろう。
だからこそ、利用価値があるのだ。
「ち、ちょっと待ってください!この人は迷子になった私にとても親切にしてくれたんです。悪い人じゃあないですよ!」
ほォ〜らね。
ホル・ホースの予想通り、白鳥は彼を庇ってくれるのだ。
にやりとテンガロンハットの影でホル・ホースは口角を釣り上げてから、申し訳なさそうに男2人に向けて顔を上げる。
「まぁまぁ、そうケンカしねーでくださいよォ。あんたらが心配になるのも分かるぜ。見ず知らずの男と2人きりなんて危険な匂いしかしねーモンさ」
愛想笑いを浮かべつつ財布から先ほど頼んだインドカレーの代金をテーブルに置いて彼は席を立った。
「無事に友達と合流できたようだし、俺はクールに去るぜ。アオイ、インド楽しみなよ!」
彼は白鳥にだけはニカッと爽やかに笑う。そうやって一方的に去っていく背中を3人で見送ったのだった。
「さっきの野郎……馴れ馴れしく"アオイ"だとよ。図々しいと思わねーか、花京院」
「えっ、そこなんですか……まあ、確かに外から見た時も白鳥さんに触れていて"なんだコイツ"と思ったが」
向かいで本場のインドカレーに舌鼓を打つ白鳥には聞こえない声で、承太郎と花京院は眉間に皺を寄せる。
どうも先ほどの男、なにか引っ掛かるものがある。白鳥への接し方もそうだが、どこかその行動は本心ではないように感じてしまうのだ。尤も、味方に擬態した刺客もいたために神経質になっている、と言われてしまえばそれまでではあるが。
それでも、なにかあの男の存在は不自然に思える。
「白鳥さん。ああやって優しくして、後から危ない宗教に勧誘したりするような輩もいるから気を付けた方がいいですよ」
「というより、俺たち以外の人間をそうホイホイ信用するモンじゃあねェ。少なくとも、この旅の間はな」
あの群衆に囲まれた時、白鳥にまで気を回せなかった自分たちにも確かに非はある。だが、簡単に店に連れ込まれる彼女も彼女だ。今回は飲食店だったから良かったのものの、ホテルにでも連れ込まれたらと思うと生きた心地がしない。
「ご、ごめんなさい……不安で仕方なかったとはいえ、今思えば知らない人に着いていくのは浅はかだったかもしれません……」
さっきホル・ホースを庇ってしまったことですら、愚かな行為だと今になって思ってしまう。白鳥はスプーンを持つ手を止め、しゅんと萎れた花のように俯く。
「反省しているならいいんだよ。次からは僕らのうちの誰かと一緒に行動しよう」
今回は不可抗力な部分もあったが、大抵は2人以上で行動していれば未然に防げる。
花京院が微笑むのを白鳥はおずおずと見つめて、こくりと縦に首を振った。
(今ごろあのアオイは承太郎たちに諭されている頃だろうなァ〜)
ホル・ホースはカルカッタの郊外まで歩を進め、ふとその雑踏を振り返る。
都市部に渦巻く凄まじいエネルギー。彼女はそれに気圧され、疲れきっていた。精神的にも弱っていたのは誰が見ても一目瞭然というところまできていた。
(あの女の性格上、そんな時に親切にされた経験があれば後ろ髪引かれる感情が生まれるモンよ。多少は警戒されるカモしれんが、振り切るのは難しいだろうよ)
もちろん、放っておけなかったというのは本心に近いし和まされた部分もあるわけだが。だからこそあの女は絶対にモノにしたい。ホル・ホースはそう考えていた。
(さァ〜て。J・ガイルのだんなの方もそろそろ準備してる頃かね。一番最初に殺る奴はすでに決めている)
今回手を組む男と落ち合う場所にどっかり腰を落として、ゆっくりとタバコをふかす。
あのジョースター一行が束になったらどんなスタンド使いであろうと無謀な戦いになることは明白だ。特に圧倒的なパワーを持つ空条承太郎や、炎を自在に操り何もかもを焼き尽くすモハメド・アヴドゥルは単体でも厄介である。
だから1人ずつおびき寄せ、離れさせてから殺す。
先ほどホル・ホースが絆したであろう白鳥葵も、仲間と連携した時が一番強い。
だが彼が直接誘い込んで強制的に1人にさせれば大して脅威ではないし、あとは相方がやってくれる。
彼女はもう逃げられない。仲間を殺すところさえ目撃されなければ、彼女はホル・ホースへの情を捨てきれないからだ。
(まずはジャン・ピエール・ポルナレフ。テメーからだ。J・ガイルのだんなに一番用があるだろうからよォ〜)
今回手を組んだ男。
両手とも右腕の男。
ポルナレフの妹の仇である男。
そんな男がこの地にいるとわかった時、ポルナレフはどう出るだろうか。
ホル・ホースはその様子が目に浮かぶようで、愉快そうに口角を吊り上げていた。