死体。
目の前に死体があった。
「アヴドゥル……本当に……」
「そんな……」
アヴドゥルだった――死体のそばに膝をついてしゃがみ、承太郎も冷や汗を浮かべ、白鳥は口元に両手を当てて目に涙を浮かべていた。
ジョセフが合流した時にはすでにそんな状況だった。
「いや……まだじゃ。まだだ!諦めるのは早いッ!」
ジョセフはアヴドゥルに駆け寄り2人と同じようにしゃがみ込むと、まずは手首や首に触れて脈を確認した。
「弱々しいがまだ脈はあるッ!応急処置をするぞ!白鳥くん、衛生用品の準備をッ」
「えっ、あ、はい!」
ジョセフが指示を出し、白鳥が鞄から医療キットを取り出すのを見て承太郎はもう一度、次は己のスタンドでアヴドゥルの脈を確認する。
(……確かに僅かだが脈がある。俺としたことがここまで気が回っていなかった。冷静になれていなかった)
仲間の死を目の当たりにして、ここまでショックを受けたことに承太郎は自分でも驚いていた。旅に出る前は無感情とまではいかないものの、他人に対してそこまで感情を向けることはなかったからだ。――白鳥に対しては別だったが。
「承太郎先輩も手伝ってください!私ひとりじゃあアヴドゥルさんを支えられなくて…!」
その白鳥の声でハッと意識が戻ってきて視線を向けると、ジョセフがいなくなっていて彼女ひとりがアヴドゥルの傷の手当てをするために彼の上体を持ち上げようとしていた。
「じじいはどうした?」
「SPW財団に連絡するって、公衆電話に。ここは目立つので路地の方で手当てしましょう」
2人で協力してアヴドゥルの体を持ち上げ、野次馬の視線を受けながらも大通りから人気のない路地裏に運ぶ。ぐったりとしたその身を壁に寄り掛からせてから医療キットを改めて広げた。
アヴドゥルの傷は2箇所、背中と額。背中の方は刃物による刺し傷で、額はなにかで抉られたかのような奇妙な傷があった。
「この傷、なんなんでしょう……ちょっと弾丸のようにも見えますけど……」
脳天を弾丸で貫かれようとしたが刃物による攻撃で体勢を崩したのか、致命傷には至らなかった――ということなのだろうか。だとしたらホル・ホースと"
白鳥が額の傷を消毒し、止血のため包帯を巻き付けていくのを、承太郎は背中の方の傷を手当てしながら見つめる。
ここまでの旅の間、仲間の傷の手当ては主に白鳥がやっていた。承太郎も何度か手当てを受けたことがある。最初はぎこちなかったが、いまはもう完璧なようで己が包帯を巻くよりもずっと手際が良くて丁寧だ。
「承太郎先輩の傷も一緒に手当てしちゃいましょうか」
「ん……」
アヴドゥルへの応急処置を終え、そのまま彼女が承太郎に向き直ると彼は学ランを脱いでズボンを捲る。
「ポルナレフさんと花京院先輩、大丈夫でしょうか……」
2人は今頃どうしているだろうか。あれから紐状になったスタンドから花京院の声は聞こえない。問い掛ければ答えてくれるのかもしれないが、もし、もし彼らの返答がなかったら。
そう考えると恐ろしくて、ゾッと背筋が冷たくなる。
「あいつらなら大丈夫だ。無駄にしぶといだろ、あの2人」
そんな白鳥の不安を払拭するように承太郎は目を伏せながら思い返す。
あの2人は承太郎のラッシュを受けても、はたまたアヴドゥルの炎を一身に受けても、なぜか翌日にはケロッとしているくらいには体が丈夫らしい。ちょっとやそっとじゃあくたばるようには見えない。
白鳥もそれを思い出したのか、くすりと笑みを溢して消毒を終えた傷口に包帯を巻きつけていく。
「それもそうですね。そうじゃなきゃ、この旅は難しいです」
「だろう?この旅はケッコー無茶苦茶だからな、実際」
飛行機は墜落するし、船に乗れば爆発したり偽物だったり、ケーブルカーは床が抜けるし。列車が脱線しなかったのは奇跡だろう。
2人してくすくす笑いながら医療キットをしまおうとすると、承太郎がその手に己の手を重ねて阻止した。
「待て。お前の傷がまだだ。服とタイツを脱ぎな」
「……はい?」
2人の顔から笑みが消え、片や真剣に、片や引き気味の顔で互いを見つめる。
「……自分でやるからいいですよ」
「肩はさすがにやれねーだろ。俺がやってやる。脱ぎな」
「先輩。自分がなに言ってるか本当にわかってます?」
白鳥のジトッとした目が依然承太郎に向けられ、彼はやれやれと帽子の鍔を下げた。
「そういう反応をされるのも理解した上で言っている。だがここは日本じゃあねェ、インドだ。そのままにしておいたり、テキトーやるわけにいかねーだろ」
インドの環境はお世辞にもあまりいいとは言えない。放っておいて傷が化膿でもしたらもっと大変なことになる。鍔を直し、白鳥をジッと見つめるその瞳には心配の念が読み取れて、彼女は少しの沈黙の後にため息をついて己の服に手を掛けた。
「……わかりました。でもあんまりジロジロ見たりしたらハントレスが黙ってませんからね」
「……ああ。気に障るようなら串刺しの針山にしたってイイぜ」
白鳥は後ろを向くと制服の上を脱ぎ、キャミソールを纏う肌を晒す。スカートのままタイツを脱いでいくと白い脚が覗き、承太郎は思わずゴクリと喉を鳴らした。
「お願いしますね」
後ろ髪を前に流し、白鳥はチラリと承太郎を顔だけで振り返ってから前に向き直る。
言った手前、テキトーなことはできない。承太郎は覚悟を決めてピンセットで摘んだ脱脂綿を消毒液に浸し、彼女の二の腕に手を添えながら処置を施していく。
(今後、こいつが戦うたびにこういった傷が増えていくのかもしれないのか……)
あたたかな白い肌に似つかわしくない痛々しい赤。同年代の少女にはまずない傷痕。もしかすれば、痕が残ることもあるかもしれない。
それでも、彼女はこの旅において戦うことを望むだろう。己にできることは、そんな彼女のそばにいて守ることだ。
(それに、俺はこいつの傷もまとめて愛せる自信があるからな……)
包帯で覆った傷をそっと撫でると、白鳥は不思議そうな顔で彼を振り返った。
「どうしました?先輩」
「……いや。なんでもないぜ」
日に日に気持ちが大きくなっていく。もうこれは誰にも、己にも止めることはできない。
だがそれでいい。彼女を想う時間が愛おしいから。
「……承太郎先輩。ありがとうございます」
脚の傷の処置も終え、承太郎が医療キットを片付けていると制服とタイツを纏い直した白鳥がぺこりと頭を下げた。
「俺からやったことだ。礼を言われるようなことじゃあねェ」
こんな言い方しかできない自分が本当に不器用だと思う。だから気付いてもらえてなかったというのに。
それでも彼女は頭を上げて微笑むのだ。
「先輩の優しさは、ちゃんと伝わってますからね」
白鳥葵はそういう女だ。
それから少ししてジョセフとともにSPW財団の医療班が到着すると、アヴドゥルは彼らの病院に搬送されていった。
「このまま彼は死んだということにしておいた方がいいじゃろう。敵がそのように認識しているなら、その方が都合がいい」
「じゃあ、もう一緒に旅はできないんですか?」
白鳥は車を見送った後、残念そうに眉を下げながらジョセフを見る。
アヴドゥルもいて、初めて全員揃ったと言えるのに。ポルナレフが帰ってきたら元通りだと思っていたばかりに、気持ちが落ち込んでしまう。
ジョセフはそんな彼女を慰めるようにポンと頭に手を置く。
「なぁに、心配いらん。アヴドゥルには別のことをしてもらおうと思っている。それに彼はわしらにとって必要な存在じゃ。その用事が済んだら合流してもらおうと思っておるよ」
もちろん、アヴドゥル本人が大事をとって故郷に帰ると言うのなら引き留めるつもりはない。しかし彼のことだ、傷が癒えたら同行すると言って聞かないだろう。
白鳥もジョセフの言葉を聞いてようやく安心したのかホッとしような笑みを浮かべて小さく頷いてくれた。
「よし。花京院とポルナレフに合流しよう。スタンドの糸はまだ繋がっている……辿っていけばいいだけだ」
陽の光を浴びてキラリと緑色に光る細い触手を3人で辿っていく。
ジョセフは承太郎と白鳥についていくような形で彼らの後ろを歩いていたが、ふと白鳥の立ち位置が承太郎の後ろではなく隣になっていることに気付いて頬を緩めた。
(いつの間に足並みが揃うようになったんじゃな……白鳥くんも前より堂々としているように見える)
ここから見る彼女の背中は、小さいながらも自信に満ちている。旅に出始めの頃とは別人のようだ。
承太郎の方も幾分固さがなくなって彼女の隣を自然と歩いているように見える。
(ひ孫の顔を見れるのも近いかもしれないのう……)
実際、ジョセフも2人の関係の進展については興味津々である。なにしろジョセフは承太郎の祖父なのだから興味があって当たり前だ。そしてもしこの2人が付き合って結婚する運びになるのであれば全力で祝うつもりでいる。白鳥葵は可愛いしいい子だしよく食べるしで申し分ない。
人知れずニマニマと目を細めていたジョセフだったが、すぐ近くでパァン!と銃声のような破裂音が連続で響いてハッと頭を上げる。
「近い!すぐそこだッ!」
前の2人が駆け出すのに合わせるようにジョセフも走り出す。
すると向こうの曲がり角から人影が飛び出すのが見えて、一瞬「あっ!」と声を上げそうになった。
「グピィ〜〜ッ!!」
だが、その人影が悲鳴のような声を上げる方が一瞬早く、目の前の承太郎が拳を突き出していてすぐに彼が人を殴ったのだと認識したが、その相手を再確認して彼を咎めるのをやめた。
「ホル・ホースさん!?」
「げげ…!!アオイ!?ってコトは……」
地面に倒れ伏したホル・ホースは彼女の姿を確認し、サッと血の気が引く心地になる。
この拳の威力、連想できるのは1人しかいない。
「よお。また会えたな、エセカウボーイ。ようやく殴れてスッキリしたぜ」
「じ、承太郎…!!」
情けなく裏返したか細い声しかもはや出てこない。
ホル・ホースは1人ではなく、2人でコンビを組んで戦う方が圧倒的に得意なのだ。"
「承太郎!白鳥さん、ジョースターさんも!」
「みんな無事だったか!」
「花京院にポルナレフ!やれやれ、やっと会えたぜ」
再会の挨拶もそこそこにギラリと睨みつけられ、ホル・ホースは追い詰められた小ネズミのように震え上がるほかなかった。
「ア、アオイッ!そいつらを説得してくれッ!なんでも奢ってやるからッ!頼む!!」
ホル・ホースはすぐさま白鳥に視線を向けて懇願するが、彼女はまるで情けない哀れなものを見るような目で彼を見下ろしていて、承太郎の学ランの袖をギュッと握り締める。そんな彼らを見た花京院は呆れたような笑みを浮かべて肩をすくめた。
「卑怯にもアヴドゥルさんを後ろから刺したのは"
片や怯えた目を晒し、片や厳しい目を向け、すぐ隣に視線を上げてみると今にも手が出そうなオーラを纏っている。
決定権を委ねられた白鳥はゴクリと固唾を飲んだ。
「それなら……"全員でボコる"、というのはどうでしょうか?」
言い慣れない乱暴な言葉が空気を震わせ、またその場にいた誰もがそんな言葉が彼女の口から飛び出してくるとは予想外で目を見張った。
「……ハッ!気が合うなァ、白鳥。俺もそれがいいと思うぜ……ボコるなんて表現はちと生ぬるいがよォォ〜〜」
ポルナレフが一歩前に出てくるとチャリオッツを出現させ、その剣の切っ先がホル・ホースに向く。
「俺からの判決はこうだ……"死刑"ッ!」
まさに剣がホル・ホースを貫こうと一直線に奔る。
その瞬間のことだった。
「ッ!?」
突如、ポルナレフの脚に何かが絡みついてきて彼は咄嗟にスタンドを引っ込めてしまった。
「お逃げください、ホル・ホース様ッ!」
次いで白鳥とは違う別の女の声が響き、ポルナレフの脚に絡みつく力がグッと強くなる。
「な、なんだァァーーッ!?この女は〜〜ッ!!」
全員の視線が彼の脚に絡みつく色黒の女に向く。現地の人らしい出立ちの女はジッとホル・ホースだけを見つめていた。
「ホル・ホース様ッ!わたくしには事情はよくわかりませぬが、いつもあなたの身を案じておりまする!それがわたくしの生きがいッ!お逃げください、さあ早くッ!」
「こっ、このアマッ!なに考えてやがる!は〜な〜せ〜ッ!」
ポルナレフが脚をブンブン振り回して女を離れさせようとしたが、彼女はひしっ!と掴まったまま一歩も譲るつもりはないらしい。
「あっ、ホル・ホースさんがッ!」
白鳥の声に彼女が指差す方向に目を向けると、ホル・ホースは既に馬に跨っていて今にも走り出そうとしているところだった。
「よく言ってくれた、ベイビー!おめーの気持ち、ありがたく受け取って生きのびるぜッ!」
白鳥は慌てて弓矢を構えるが、彼は余裕そうに微笑む。
「アオイ、お前には撃てっこないさ!なぜならッ!」
ホル・ホースはポケットから何かを取り出したと思うと、それを下手投げでぽーん!と高く放る。何を投げたのか確かめようと全員が空を見上げ、白鳥はその正体を認識するとハントレスの弓矢を引っ込めて空に手を伸ばし、キャッチした。
「なにやってんだ白鳥ィッ!!」
「だ、だって!食べ物は粗末にできませんよ!!」
広げた手の中から顔を覗かせたのは個包装された飴玉で、ポルナレフは思わず素っ頓狂な声をあげる。
「だからお前はバカ女なんだって!!」
「バ、バカじゃありませんッ!落ちたらバッチィじゃあないですかッ!」
「いいんだよ!あんな奴の飴玉なんか最初からバッチィっつのッ!!」
ギャンギャンと喧嘩を始めてしまった白鳥とポルナレフを見て、ホル・ホースは手を叩きながら高らかに笑い声を響かせる。
「ぎゃはははッ!こいつぁ傑作だ!アオイ、やっぱあんたはおもしれー女だぜ!また会おうッ!あばよッ!」
馬の手綱を握り直しながらそれに乗ってこの場を離脱していくホル・ホースを、一行は見送ることしかできなかった。
「白鳥、その飴玉貸しな」
短くため息をつき、承太郎が白鳥に向けて手を差し出すと彼女は言われた通りに飴玉をその大きな手に乗せる。
すると彼は飴玉をスタープラチナに指で摘ませ、ゴチ!と押し潰した。
「あああ〜〜っ!!」
「こんなの俺がいくらでも買ってやる。そんな声出してンじゃあねぇぜ」
そのまま無惨にも飴玉はスタンドの指で砕かれていき、最終的に粉状になったものを個包装から解いて地面に捨て去ったのだった。
「さあ!エジプトへの旅を再開しようぜ!」
返された包み紙を手に途方に暮れている白鳥を尻目に、ポルナレフは気を取りなおすようにパンっ!と両手を叩く。
「いいか?DIOを倒すにはみんなの心をひとつにするんだぜ。ひとりでも勝手なことやらかすと、ヤツらはすぐつけ込んでくるからな。いいな!」
そう言ってポルナレフは次の進路へと足を向ける。彼の様子に一同唖然とした様子だったが、白鳥が彼のそばに寄るとその手を両手で握りしめた。
「ポルナレフさん!それって……また一緒に旅をしてくれるってことですか?」
ポルナレフは振り向き、彼女を見つめる。どこか不安そうな、しかし期待するような瞳は僅かに揺れていて、体ごと彼女に向き直るとその手を握り返した。
「俺は……妹の仇を取るためなら死んでもいいと思っていた。けど、アヴドゥルが俺を庇って、ああなって……あいつやお前の気持ちがわかったよ。こうなったいまじゃあ遅すぎるかもしれねーけどよ……」
いまでも思い出すだけで目の前がぼやける。瞬きすればこぼれ落ちてしまいそうでポルナレフは顔を俯かせたが、やがてしっかりと白鳥葵を見つめるために顔を上げた。
「俺は生きるために戦う。あいつの、アヴドゥルの分も背負って俺は旅を続けることに決めた。……こんどは冗談でも忘れたなんて言わねェ」
ギュッと手を握る力が強くなったのを感じて白鳥は目を丸くさせたが、安心したように微笑むとポルナレフを優しく見つめた。
「その背負ったものは、私たちも分け合ってみんなで背負います。だから、無理せず頼ってくださいね」
本当はアヴドゥルは生きているのだが、彼の矜持のためには黙っていた方がいいのかもしれない。それに、アヴドゥルが旅を続けられる状態になるのかはまだ未知数だ。
一行はポルナレフを先頭にするように、次の目的地へと歩みを進めていった。