星見る鳥の夢   作:斎草

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恋人

 

 パキスタンはカラチ。

 霧の町を出たジョースター一行は人口600万人を誇る首都までやって来た。

 

「ここで今度こそちゃんとしたホテルを取ろう。この婆さんの記憶も念写しないとイカン」

 速度を落としたランドクルーザーの後部座席でジョセフは隣でまだ気絶しているエンヤ婆を見る。

 白鳥がスパイを頼んだホル・ホースという男を思い返してみるが、安易に信用できない――というのは第一ではあったが、白鳥に対する無礼を謝罪してきたことに関してだけ言えば律儀な男だという印象はある。あの男は白鳥に対してだけは協力的な素振りであったため、それについては彼女に任せることに決めた。

 そんな白鳥をチラリと見てみれば、承太郎に抱えられながら2人して仮眠を摂っている。ホル・ホースという2度しか会っていない男にすら彼らの仲を認知されているのに、この2人はまだ付き合っていないらしい。気長に彼らの仲を見守るつもりだったジョセフすらそろそろじれったく感じてしまうところではあった。

「いつになったら付き合うんじゃ、まったく……」

 ぽつりとジョセフが独りごちると、花京院とポルナレフもぴくりと反応を示す。

「お互い気持ちに気付いてはいるけれど、こんな状況じゃあ言うタイミングがないんじゃあないですか?」

「次々敵が襲ってくるしよォ。そんなんじゃあいい雰囲気にもならねーし」

 告白するにしてもタイミングや雰囲気は大切だ。どさくさに紛れて告白したってうやむやになる可能性の方が高い。常に警戒を強いられるこの状況は、本当ならのんきに恋愛なんてしている場合ではないのだ。

 あと一歩というところなのに。普通の青春を送っていたならもうくっついていたかもしれない。

「というかもう、お互い付き合ってると思い込んでるのかもしれない」

「ハハッ!それはさすがにねーだろ!」

 花京院の言葉にポルナレフが声をあげて笑う。思慮深い2人に限ってそれはない。

「おっ!さっきジョースターさんと白鳥が話してたケバブ売ってる店あるじゃ〜ん!食ってこーぜ!」

 少し遠くに見えた看板にポルナレフが興味を示したことで、この話は一旦終わりになった。

 

「ケバブ、ケバブ……」

 ポルナレフたちに起こされた承太郎と白鳥はケバブ屋にて値切り交渉中のジョセフの後ろ姿を眺める。

 白鳥はケバブを食べるのが相当楽しみだったらしく承太郎の腕の中でそわそわと体を揺らしていて、そんな様子を惜しげもなく見せてくれるようになった彼女に一同は微笑ましく思っていた。

「白鳥さん、前は自分の大喰らいをあんなに恥ずかしがっていたのに、最近は隠さなくなったね」

 まるで小躍りしているかのようにも見える白鳥の動きを見ながら、花京院は思わず声を掛ける。すると彼女は動きを止めて、途端に不機嫌そうにむくれてしまった。

「だって、恥ずかしがるとみんなもっとからかってくるし……だったら堂々としていようって決めたんです」

 だからいまの私はごきげんです、とでも言いたげに再び小躍りし始める白鳥。その様子がなんとなくダンシングフラワーにも見えて、それと白鳥が頭の中で重なった瞬間承太郎は思わずプッと吹き出してしまった。

「おい、あんまり俺の目の前でそういう動きするんじゃあねぇぜ。笑っちまう」

 既に笑ってしまっているが、みんな笑っているから不自然ではない。この旅が始まってから、己はこんなに笑えるのかと感心すらしてしまう。

 このメンツとつるんでいる時間は心が穏やかになるし楽しい。承太郎は心の底からそう思っていた。

 

 しかし。

 

「おいッ!みんな!婆さんが目を覚ましておるぞッ!!」

 値切り交渉が成立したらしいジョセフが車に向かって声を張り上げたのを聞き、中にいた誰もが弾かれたように後部座席中央に座るエンヤ婆に視線を移す。その目はカッチリ見開かれていて、何かを見つめながらワナワナと唇を震わせていた。

「わ、わしはなにも喋っておらぬぞッ!な、なぜお前がわしの前に来るッ!このエンヤがDIO様のスタンドの秘密を喋るとでも思っているのかッ!?」

「えッ!?」

 エンヤ婆は何かに怯えるようにガタガタと体まで震わせながら一点を見つめていて、一同は声をあげてその視線を辿る。

 そこには今しがたジョセフが相手していたケバブ屋の店員がいて、彼はゆっくりと身につけていたサングラスとクーフィーヤを外して黒髪と顔を晒した。

 刹那、エンヤ婆の目や口から細い触手のようなものが何本も飛び出してきて、承太郎たちは彼女から離れるように慌てて車の中から抜け出す。

「なッ!なんだこれはーーッ!!」

 あまりにも突然の出来事にのたうち回って車から転がり出てきたエンヤ婆から今一度距離を取る。

「なぜきさまがこのわしを殺しに来るーーッ!!」

 どうしてこんなことに。このままではエンヤ婆が死んでしまう。しかし、いま近付けば縦横無尽に暴れ回る触手が危険すぎて巻き込まれかねない。

 ただ呆然とその光景を見つめることしかできないジョースター一行に、あの店員が一歩一歩と近付いてきた。

「わたしの名はダン。鋼入りの(スティーリー)ダン。スタンドは"恋人(ラバーズ)"のカードの暗示。君たちにもこのエンヤ婆のようになっていただきます」

 ダンは不気味な笑みを口許に張り付けながら悶えるエンヤ婆を見下ろす。

「なんてことをッ!この婆さんはてめーらの仲間だろうッ!」

 まるで公開処刑とでも言わんばかりの光景に思わずポルナレフは声を荒げる。DIOという男はどこまで冷酷なんだ。仲間であるはずの、しかも近しい存在であろう彼女を殺すだなんて。

 そうこうしているうちにエンヤ婆の顔は目も口も分からないほどに触手でめちゃくちゃにされていて、その凄惨な様子は思わず目を背けたくなるほどだった。

「うそ……うそじゃ……DIOさまがわしにこんなこと……するはずが……」

 それでも譫言のようにエンヤ婆は呟く。

「DIO様は決して何者にも心を許していないということだ。あなたは負けた。負けた者をどう信用しろと…?だからわたしが口封じをさせていただきます……」

 ダンがそれに答えてやると触手はますます動きを激しくさせ、まるでエンヤ婆の頭部を内側から侵食しているかのように蠢く。

「あの方がこんなことをするはずがない……わしに肉の芽を植え付けるなんて……DIOさまはわしの生きがい……信頼し合っている……」

「肉の芽…!?」

 聞き覚えのある言葉に一同は目を丸くさせた。

 肉の芽。かつて花京院とポルナレフに植え付けられていた洗脳細胞だ。言われてみればこの触手も見覚えがある。承太郎が肉の芽を摘出した時も同じ触手が彼の体内に忍び込んだことがあった。

 ポルナレフがチャリオッツを使ってエンヤ婆から伸びる触手をスパスパッ!と切り刻むと、太陽光を浴びたその触手がシュワシュワと音を立てて塵になっていく。

「太陽光で溶けた…!!間違いない、これは肉の芽だッ!」

 肉の芽を摘出した後に浴びせていたジョセフの波紋にも太陽光と同じエネルギーが流れている。

「いかにも!よーく観察できました。それはDIO様の肉の芽を成長させたものだ。このわたしがエンヤ婆の体内で成長させたのだ」

 ダンはパチパチと手を叩きながら無理矢理肉の芽を断ち切った彼らを称賛したが、皮肉にしか映らない。

「エンヤ婆。あなたはDIO様にスタンドを教えたそうだが……DIO様があなたようなちっぽけな存在に心を許すわけがないのだ。それに気付いてすらいなかったようだがな」

 ブルブルと顔中を血塗れにしながら痙攣するエンヤ婆の表情は驚愕に満ちていた。もう虫の息といったところか、震え以外はぴくりとも動かない。

「婆さんッ!!DIOのスタンドの正体を教えてくれッ!!」

 それでもジョセフは喰らいつくようにエンヤ婆を抱き起こして揺すった。

 ここまでするということは、やはりこのエンヤ婆こそがDIOに一番近い存在なのだ。ここでチャンスを逃すわけにいかない。

「今のでわかっただろうッ!DIOという男に期待し信頼を寄せたのだろうが、これがDIOなのだッ!!あんたの考えているような男ではないんじゃッ!!」

 承太郎たちも思わずごくりと固唾を飲み込む。

「わしはDIOを倒さねばならんッ!!頼むッ!言ってくれッ!!言うんだッ!!」

 それをダンは静かに見つめていた。

 やがてエンヤ婆がはくはくと唇を動かす。そのか細い声に耳を傾けるようにジョセフは顔を寄せる。

 

「DI…O…さま、は……このわしを、信頼してくれている。……言えるか」

 緩く拳を握り、最後の最期にエンヤ婆はそれだけ言い残して息を引き取った。

 

「なんてことだ……ッ!!」

 それを確認した直後、ジョセフはギッと歯を食いしばりながら地面に拳を叩きつける。

 DIOのことは結局聞けずじまいではあるが、それと同時にDIOの恐ろしさとエンヤ婆の誇り高き忠誠心に心がぐちゃぐちゃに掻き乱されていく。

 

「くっくっくっ……ふっふっ……」

 そこに、喉奥で押し殺したような不気味な笑い声が響く。視線を向けてみるとダンがそこのテーブルでまるで他人事のように紅茶を嗜む光景があり、承太郎たちはギリッと彼を睨みつけた。

「ああ……どこまでも悲しすぎる婆さんだったな。だがここまで信頼されているというのもDIO様の魔の魅力というものだがな」

 最低だ。この男だけは許してはおけない。

 ジョースター一行はザンッ!と彼の前に立ち塞がる。

「俺はエンヤ婆に対しては妹との因縁もあって複雑だが……てめーは殺す」

「私も……怖い目に遭わされたけど、こんなことは許されるわけがありません」

「5対1だが躊躇しない。覚悟してもらおう」

「立ちな」

 5人で取り囲み凄むが、ダンはカップを置くだけでそこから動こうとはしなかった。

「おいタコ!カッコつけて余裕こいたフリするんじゃあねェ。てめーが掛かってこなくてもやるぜ」

「どうぞ。だがきみたちはこの鋼入りの(スティーリー)ダンに指一本触れることはできない」

 その言葉についに承太郎が痺れを切らし、光の速さでスタープラチナを出現させると彼に力一杯のボディーブローを喰らわせた。

「オラァッ!!」

「ごぶっ!!」

 たちまちに吐血しながらダンの体が吹っ飛ぶ。

「うあッッ!!」

「ッ!!」

 しかし、承太郎は隣にいた白鳥が呻き声をあげながらその場から姿を消したのを視界の隅で捉えて、彼女が消えた方向へ思わず振り返る。

「白鳥ッ!?」

「白鳥くんッ!?」

「白鳥さんッ!?」

 他の3人も振り返り、慌てて彼女のもとへ駆けつける。

「どうして白鳥まで吹っ飛ぶんだ!?おい、大丈夫か!?」

 ポルナレフが白鳥を抱き起こすと、ダンと同じように吐血しながら痛みに悶えていて再びダンを視界に入れる。

恋人(ラバーズ)……最弱で、恐ろしい……」

 白鳥は痛みでヒューヒューと細く息をしながらもハンカチで口許を拭いホル・ホースから教わった情報を思い返す。

 彼から伝え聞いたのはそれだけだったが、身を持って知るこの痛みは間違いなく承太郎の拳の威力、あるいはそれ以上だ。そしてダンと同じような己の体の動き。

 最弱。それはジョセフの隠者の紫(ハーミット・パープル)のように戦う力を持たないという意味なのか。ということは、戦う力以外のもっと脅威的な能力をそのスタンドは持っているということだ。

 そこから導き出されるその能力はまさに"最も恐ろしい"。

「このわたしが懇切丁寧に自分の能力を説明してやろうと思ったのに……喧嘩っ早い男だ。そのせいできさまは自分の恋人を殺すところだったんだぜ、承太郎……」

 ダンは痰を吐くように口内に溜まった血液を吐き出し、何が起こったのかわかっていない様子で立ち尽くしスタンドの像を探る承太郎を見据える。

「フン。探してもわたしのスタンドはすぐには見えないよ。おい、そこの小僧」

 彼が道端で掃除をしている少年に視線を移し、ヒラリと紙幣をチラつかせる。

「駄賃をやるからその箒でわたしの脚を殴れ」

 紙幣を少年の足下に投げるが、突拍子もないことを突然言われて少年はダンと紙幣とを戸惑ったように見比べる。

「殴れッ!!」

 そんな様子をじれったく思ったのかダンが怒鳴りつけると、少年は意を決したように彼の左脚を箒の柄で思いっきりガツン!と殴った。

「ぎゃあッ!!」

「し、白鳥ッ!!どうしたッ!?」

 しかしまたしても白鳥が声をあげ、左脚を押さえて悶えるようにポルナレフの腕の中でのたうち回る。

 その様子を見て承太郎はドクドクと警鐘を鳴らすように心臓が鼓動を打ちつけるのがすぐ耳元で聞こえてくるように感じた。

 目の前で白鳥が危機に晒されている。しかも1回は確実に己のせいだとわかる。それがショッキングで彼女に駆け寄ることすらできない。

「わかった……わかりました……い、痛みは神経から伝う脳の信号……なんらかの方法でこいつは私の脳に細工をしている…ッ!!」

 幸いいまのは箒で叩かれただけなので痛みはすぐに収まり、白鳥は自分の身に起こったこととホル・ホースからの助言を照らし合わせてダンの能力を推理し、バン!と叩きつけるようにダンを鋭く指差した。

「ご明察!賢いね、ミス白鳥。種明かしとしようか」

 それに怯むことなく、彼は先ほどと同じく称賛するようにパチパチと彼女に拍手を送る。

「わたしのスタンドは体内に入り込むスタンド。さっきエンヤ婆が死ぬ瞬間、耳からあなたの脳の奥深くに潜り込んでいったのさ。ミス白鳥」

 スタンドと本体は一心同体。そしてそれは逆も然りだ。本体であるダンが痛みを感じれば、スタンドもそれを感じて白鳥の脳の中にあるそれぞれの神経を刺激させる。それはダンが受けた感覚よりも数倍強くして白鳥の感覚に異変をもたらすことができるのだ。

「しかも"恋人(ラバーズ)"はDIO様の肉の芽を持って脳に入っていった!脳内で育てているのさ……エンヤ婆と同じように内側から食い破られて死ぬのさ」

 それを聞き、白鳥はゾッとする心地になって頭を押さえる。

 この頭の中で肉の芽が大きくなる。エンヤ婆と同じになる。しかし脳に入り込んだスタンドなんてどうやって倒せばいいんだ。

「ちなみに伝わる"感覚"は"痛み"だけじゃあない……こういうことだってできる」

 悄然と視線を落とした白鳥だったが、ダンのそんな声が聞こえたかと思うと胸元に違和感を覚えてビクッと体が跳ねる。

「あ…っ、や……っ」

「し、白鳥さん…?」

 胸を腕で覆い隠し、上擦った声をあげながら小刻みに震える白鳥の顔を花京院は覗き込もうとするが、彼女はふるふると首を横に振りながら顔を下に向けた。

「み、みないで……っ」

 耳まで真っ赤にさせた彼女のか細い声になにをされているのかすぐに思い至って花京院たちは目元を吊り上げながらグルンと勢いをつけてダンの方を振り向く。

「ん〜〜!自分でも触らなきゃあならないのがネックだが、可愛いコがこうしてわたしに翻弄される姿を見るのは悪くないな」

 ダンが白鳥を見つめてうっとりしながら自分の胸を撫で回している。その様は何も知らなければただの変質者だったが、彼らにとってはそれ以下のゲスだった。

「承太郎ッ!!」

 気付けば承太郎はダンに詰め寄って力任せに襟首を掴んでいた。強く握った拳を振り翳し、いまにもダンを殴りつけようとしている。その瞳は怒りでけもののようにギラついていた。

「待て、承太郎ッ!落ち着くんだッ!ここで殴ったらまた白鳥さんに危害が及ぶッ!!ヤツの思うツボだッ!!」

「うるせえッ!!こんなものを見せられて黙っていろというのか、花京院ッ!!」

 ダンを殴る寸でのところで花京院が承太郎を押さえつけるが、その怒りは尋常ではなくジョセフも加勢して彼とダンとを無理矢理引き剥がす。

「花京院の言うとおりじゃ、落ち着け承太郎ッ!落ち着いて対策を練るんじゃッ!」

「黙れじじいッ!!てめーにそんな対策が思いつくのか!?言ってみやがれッ!!」

 承太郎は2人の制止を振り切るかのように吠えながら腕を振り回している。

 その様子をポルナレフは白鳥を支えながらハラハラと見つめていた。

 

(私……私のせいで、みんなが……)

 その光景を見た白鳥の脳裏にインドでの出来事がフラッシュバックする。

 振り払われる手と、目覚めないアヴドゥル。

 不安だった私の手を握ってくれた彼の大きくて優しい手が、いまは仲間の手を振り払おうとしている。

 

「じ、承太郎先輩…!!」

 白鳥の震えた声がその場にいる皆の耳に届き、全員が彼女の方を向く。

「わ、私……!だ、大丈夫、です、から……!!」

 だけど、自分でも分かる。

「大丈夫、大丈夫……!」

 口角が上がっているだけで、ぜんぜん上手く笑えていない。

 

 ――ブチッ。

 

 それを見た承太郎は、ついに脳内で何かが焼き切れた。

 

 

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