白鳥はジッと鏡を見ながら恐る恐る額に貼ったガーゼを取る。
あれから――ダンを成敗した後――承太郎は花京院のハイエロファントの糸を伝って4人と合流した。
「承太郎先輩!ひどい怪我…!!」
「いいや、俺のは大したモンじゃあねェ。先にお前だ」
町外れのガゼボの下、承太郎は駆け寄ってきた白鳥の肩を掴んでその前髪を退ける。すると案の定肉の芽がくっついているのが見え、すぐさまスタープラチナを出現させて摘出に取り掛かった。
(結構痛かったな……まだちょっと血が滲むかも……)
じんわりとした赤が見える。本当なら入浴は避けるべきなのだろうが、汗もかいたしいろんなところを触られた感触があってシャワーと一緒に流さないと気持ち悪い。
先ほどの町では承太郎がダンにやらされて万引きの疑いをかけられたために、そこから少し離れた隣町で宿を取ることになった。ダンのこともそうだがエンヤ婆のこともあって皆疲労困憊といった様子である。
「白鳥」
そこで脱衣所の扉が不意に開いて承太郎が顔を見せる。例に漏れず2人は今回も同じ部屋になっていた。
「うわぁッ!承太郎先輩ッ!ノックくらいしてくださいッ!」
「ッ!すまねぇ……」
――タイミングが悪かった。白鳥は既に制服を脱いでいて上下共に下着姿であり、彼女は咄嗟に胸の辺りを両腕で隠して彼もまた顔ごと視線を逸らす。
しかしやはり彼女が心配な承太郎はヌシヌシと彼女の方に踏み出し、その前髪を退けて傷痕の様子を見た。
「せ、先輩……」
「……やっぱりまだ良くねェな。あとでやり直してやる」
こんな目立つところ、痕が残ってほしくない。
承太郎は花京院やポルナレフの時よりもデリケートにこの傷を扱うつもりらしく、そっとその周りを指先で撫ぜてから前髪を戻す。すると、白鳥も彼の頬の傷に当てがわれたガーゼにそっと手を添えた。
「承太郎先輩のも、あとでちゃんとやり直しますね。私のために、こんなに……」
万引きの疑いを掛けられた時、その店の店主や身内からひどい暴行を受けたと聞く。彼らからしたら悪事を働いたのは承太郎であるため正当な行為であるといえるが、実際は濡れ衣を着せられただけだ。しかもそれが間接的に白鳥を守る行為でもあったために、彼女も罪悪感を抱いている。
承太郎はそんな白鳥の己の頬を撫でる手を優しく握り、首を緩く横に振った。
「……気にするな。お前を守れたことだけは良かったと思っている。早くシャワー浴びてこい」
そうやって彼女の手を離させ、承太郎は足早に脱衣所を去っていった。
(お前を守れたことだけは、か……)
シャワーを浴びながら白鳥は思い返す。
初めて承太郎と話したあの日。あの日も同じようなことを言われたのを覚えている。あの時は気にしなかったが、いま思ってみればあの頃から承太郎は白鳥のことを知っていた風であった。たまたまなのかもしれないが、家への道順もほぼ合っていたし。
花京院と仲良くなった日も、彼となにをしていたのか気になっていた様子でもあった。
(承太郎先輩は、私のどこが気に入ったんだろう……)
あの日以前では己と承太郎との間に接点はなにもない。何が彼の心を射止めてしまったのか、それがよくわからない。
わからないが。
(私も、いつの間にか承太郎先輩となら…って思うようになってたし……やっぱりそういうものなのかな……)
結局それを相談する機会がないまま、また承太郎と相部屋になってしまった。本当ならエンヤ婆の民宿でポルナレフに相談しようと思っていたところだったのに。
キュッとシャワーの蛇口を締めて浴室から出、タオルで体を拭いてから寝間着に袖を通して髪を乾かしていく。そんな時間でさえ承太郎のことで頭がいっぱいだ。
「白鳥。ガーゼ当て直してやるから来い」
髪を乾かし終え部屋に戻ってくると、椅子を引っ張ってきた承太郎が早々に白鳥に手招きしてそこに座らせ、自身も向かいに用意した椅子に座った。
「先輩、そんなに急がなくても……それに血は止まってるし」
「そのまま傷を見せびらかして歩くわけにいかねーだろ。それに万が一がある」
苦笑いしつつもおとなしくしている白鳥の額の傷に、承太郎は医療キットから取り出したガーゼと医療用のテープを使って処置を施していく。その大きな手が額に触れるたびに胸の奥底がキュンと鳴くような気がして、白鳥は視線を彷徨わせながら指先を弄っていた。
こんなの、まるでこちらまで意識しているかのようだ。
そうは思うのに、いまさら無視できないこの感情に揺さぶられることしかできない。
「…………白鳥」
処置を終えた手が額から頬に降りてくる。あたたかな指先がそこを撫で、滑り落ちるように彼女の手を握った。
「お前にとって俺はどういう存在だ?」
そう問いかけてきた彼の視線は俯いていて、そっと白鳥の手を指先で撫ぜていた。
「……あのダンに言われた。ガサツで横暴な俺は白鳥には相応しくない、ってな」
「え……」
白鳥が顔を上げて見ると帽子の鍔に阻まれて表情は見えなかったが、己の手を握っている手が少しずつ冷えていっているような気がしてそっとその手を握り返す。
「そんな……あいつは全然わかってないです!承太郎先輩は優しくて頼りになって、強くて、カッコよくて……いつだって私の一番星です!」
予想よりもワーッと捲し立てられたことに一瞬気圧された承太郎は身をのけぞらせたが、すぐに戻ってくると彼女の手を今度は逃がさないように指を絡めて握った。
「なんだ、その一番星ってのは」
「あ、え、えっと……その……」
クスリと笑みを零し、もごもごと言い淀む白鳥の口からどんな言葉が飛び出してくるのか期待せざるを得ない。
この想いが己だけのものではないことを、早く証明してほしい。
「私の中で一番、とにかく一番なんです、承太郎先輩は……」
「イチバン?イチバン、なんなんだ?わからねーなァ」
――だから多少の意地悪は許してくれ。
尻すぼみな声と紅潮していく頬がなんともいじらしい。
自然と口角が上がりニマニマと目を細めてしまっているのを、目の前の白鳥葵は色付いた頬を膨らませながら見つめている。
「い、いじわる、です。もう……いじわるばっかり!」
ムキーッ!とでも言いたげに座ったまま脚を地団駄のようにばたつかせていて、ついに承太郎から笑い声が漏れ出した。
「フッ、フフッ!暴れてごまかそうってか!今回ばかりはうやむやにはしてやらねーぜ、さすがにな」
寝間着のショートパンツを履いた素足に手を添えて暴れるのをやめさせ、目を伏せた後で承太郎はジッと白鳥を見据える。
「白鳥。ハッキリ言うぜ」
曇りひとつないまっすぐな眼差しを、その緑掛かった力強い瞳を、白鳥も息を呑み背筋を正して吸い込まれるように見つめる。
「俺はお前を愛してる。どんな時もお前のことを心の底から信頼している。この身に替えても守りたい。失いたくない。……そう思っている」
再び彼女の小さな手を両手で包み込むように握りしめる。
「この旅が終わった後も……俺の隣で共に歩んでほしい」
空条承太郎は思う。
こんな風に誰かに己の気持ちをまっすぐに伝えたのはいつぶりのことだろう。
己は口下手だし、感情を表現するのも得意とは言いがたい。あのポルナレフやジョセフが少し羨ましくなるくらいだ。
花京院に嫉妬したり、ダンに相応しくないと言われた時もガラにもなく戸惑った。
それでも白鳥葵は先ほどのように己のことをそう言ってくれるのだ。
承太郎がいい。承太郎が一番。
そう言ってくれる。
「私……も、」
少しの沈黙の後、不意に白鳥はか細い声でそれを破った。
「私も、承太郎先輩のこと……お、お慕いして、ます。いつも一番に考えてしまうのは、あなたのことです。いつだって、これからだって、ずっと一緒にいたい……私も、そう思っています」
顔を真っ赤に紅潮させながら一生懸命に声を振り絞り、言葉を選んで紡ぐその姿がたまらなく愛おしい。
承太郎は白鳥の脇に手を差し入れてそのまま持ち上げると、己の膝に座らせてぎゅっと優しく抱き締めた。
「……ありがとよ」
一言、そう囁いて彼女の肩口に顔を埋めてみる。せっけんの香りとほんの少し感じる彼女の匂いが鼻腔をくすぐって離してくれない。
「承太郎先輩……」
白鳥も彼の胸板に顔を埋めながら背中に手を回してぎゅっと抱きつく。
「……先輩も早くお風呂入った方がいいですよ」
「あ?」
しかし、ぱっと顔を上げたかと思うとスンッとスカした顔で言い放ったので承太郎も思わず顔を上げて眉間に皺を寄せる。
「血と汗と砂とタバコの匂いです」
「てめー……いまいい雰囲気だっただろ。自分からぶち壊しにいくタイプか?よくそこまで嗅ぎ分けられるな」
呆れながらビンッ!と先ほど当てたガーゼに向けてデコピンをかますとすぐに「ぎゃっ!」と声が上がった。
「な、なにするんですかッ!まだ治ったわけじゃあないんですよ!?」
「いーや、お前の無駄に硬ェ頭なら平気だね」
「どういう意味それェ!」
額を押さえ、涙目になりながらぷくーっとむくれてしまうその姿が怒っているはずなのに可愛らしく見えてしまって、承太郎は眉間を指で押さえて息を吐く。
「ったく……やれやれだ。わかったよ、風呂に入ってくる。まだ寝るなよ、いいな?」
彼女を膝から降ろしながら言い置き、返事を待たずに承太郎は足早に脱衣所に向かっていき扉を閉めてしまった。
それをぽかんとしながら見送った白鳥は自分の身にいましがた起こったことを思い返し、熱でも出たかのように耳まで顔を真っ赤にさせてベッドにぼふっと顔から突っ込んだ。
「ヤバい……ヤバいヤバいヤバいヤバい……」
枕を抱き締めてはグーで殴って悶えるのを繰り返しながら先ほどの言葉を反芻する。
(咄嗟にごまかして離れちゃったけど冷静に考えなくてもヤバすぎる…!!どうしてこんなことに…!!)
もちろん、これで晴れて己と承太郎が恋人として付き合うことになったのは嬉しいし幸せな気持ちでいっぱいだ。
しかし、いままで恋愛とは無縁だった己には刺激が強すぎる。そして雰囲気が甘すぎる。胃から砂糖を吐き出してしまうかと思った。
そうだった。そうだったのだ。
(私は……私は……初めてすぎて耐性がないんだ!!)
いままでだって承太郎とくっつくことはたくさんあったし触れ合いも初めてじゃあない。だが、こうして改めて意識して触れるとブワッと体が熱くなって心臓がうるさく聞こえるのを感じてしまった。逆に承太郎が平気なのが不思議なくらいだ。
(どうして承太郎先輩が私のことを気に入ってるのか聞きたいと思ってたけど……いま聞いたらきっと頭がパンクしちゃうわ……)
枕に顔を突っ伏して、だらりと体の力を抜くと疲れからか途端に眠気が襲ってくる。承太郎に寝るなと言われたばかりなのに、もう眠ってしまった方が体も心も楽なんじゃあないかと思ってしまう。
「承太郎先輩のバカ……アホ、大好き星人」
「ふーん?バカでアホで大好き星人ときたか」
突如上から降ってきた低音に反射的にガバッと体を起こすとそこには案の定承太郎がいて、バスタオルで髪を拭きながら見下ろしている姿に思わず「ひえっ」と声が漏れる。
「は、早すぎませんか、お風呂」
「絶対寝ると思っていつもの2倍早く済ませた。逃さねーからな」
ベッドの上に胡座をかき、白鳥を持ち上げて再び上に座らせ密着する。
「どうだ。もう変な匂いはしないはずだぜ」
胸板に彼女の顔を押し付けると「むーっ!」と声が上がるが無視してぐいぐい後頭部を押さえつけた。
(と、とんでもない人だ…!!心臓がもたない!!)
ひょっとしてこの空条承太郎という男、とんでもなく不器用な人な気がする。
白鳥はなんとか離してもらおうともぞもぞ身じろぎするが、下腹部に触れる彼の熱が高まるのを感じて抵抗できなくなっていく。
「おい、どうした?なんか言えよ」
「む、むぐぐ……」
せっけんのいい香りと僅かに残る彼の匂いが余計に思考を鈍らせる。ついに苦しさで彼の肩をばしばし叩くとようやくそのことに気付いたのか、ぱっと胸板から顔が離されて新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込めた。
「悪りぃ、言いたくても言えなかったか」
「も〜〜〜っ…!!」
言葉とは逆に悪びれもない様子の承太郎に白鳥はもう一度むくれる。
それすらもやはり愛おしい。
結局はそう結びついてしまう己の思考に、承太郎は密かに自分に呆れた。
(大好き星人、ね……)
またトンチキなことを言ったなと思ったが、あながち間違いでもないのかもしれない。
「――と、いうわけだ」
翌朝。
承太郎は朝食の席で隣の白鳥の肩を抱きながら昨晩の顛末を他のメンツに話していた。
「……あーー、そーかそーか……そーなのか」
「なんだその反応は……嬉しくねーのか」
いままで囃し立てておきながらポルナレフの反応はよろしくない。彼はだるそうに眉間に皺を寄せてテーブルに肘をつきながらコーヒーを啜る。
「いや、嬉しーぜ?けどォ……正直"やっとかよ"って気持ちの方がデカいっつーか……」
「僕は安心したよ。これで承太郎も白鳥さんも、お互いの気持ちに悩むことがなくなったんだなって」
「わしもじゃの〜。めでたいことじゃあないか!こんな旅の最中ではちゃんと祝うことができないのが残念なくらいじゃ!」
大きくため息を吐くポルナレフに割って入るように花京院とジョセフは微笑ましそうに目を細めて仲睦まじげな2人を見つめていた。それを見れただけで承太郎と白鳥もホッとする心地になるのを感じる。
「なっ、なんだよ!俺だって嬉しいっつったろ〜ッ!?そんな目で見んなよッ!」
唯一不満げだったポルナレフにジトッとした視線が一同から送られ、彼はあたふたと慌ててテーブルを軽く叩きながら捲し立てる。
「ふーん?とか言って、もう1人の妹のように感じてた白鳥さんが遠くに行ったみたいで寂しいんじゃあないのか?」
「おまっ、花京院!それは言わない約束だろォ!?」
「えっ、そういう風に思ってたんですか?私のこと……」
テーブルに両肘をつき、組んだ手に顎を乗せてしたり顔で見つめてくる花京院に抗議の声を張り上げたポルナレフだったが、すぐさま白鳥につつかれて観念したようにこめかみの当たりをポリポリと掻いた。
「……お前を見てるとつい世話焼きたくなるんだよ。……悪りぃかよ」
恥ずかしそうに顔を真っ赤にさせながらこちらの様子を窺う彼をきょとんと見つめていた白鳥は、やがて意味を理解してクスリと笑みを見せた。
「いいえ、悪いなんてことないです。むしろ嬉しいですよ、ポルナレフさんがお兄ちゃんなんて」
「白鳥のお兄ちゃんにしてはひょうきんすぎると思うが?」
なぜか会話に割って入ってきた承太郎はポルナレフに対してゆっくりと首を横に振る。
「は?承太郎、てめーにはいま話してねーだろうが」
「お前が白鳥の兄ならいずれ俺の兄になるんだろ。嫌だね」
「はァァァ〜〜っ!?いまなんつったこいつ!気が早ェ上に生意気なッ!」
ついにガタッと音を立てて椅子から立ち上がるポルナレフと対照的にゆっくりとコーヒーを啜る承太郎は意に介さずといった風に目を伏せる。静かな煽りを見せられてポルナレフはキーッ!威嚇するように歯を見せてテーブルを軽く叩いた。
「く〜〜ッ!お高く止まりやがって!白鳥、お前はこんな風になるなよ!」
「えっ、あ、はい…?」
ぷんすこ怒りながら向かいに座る2人を交互に指差し、白鳥にまるで本当の妹のように諭す姿に花京院とジョセフまで噴き出す。
そんな朝の一幕は命懸けの旅をしているとは思えないほどに微笑ましい光景だった。