いつかどこかの悪夢
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―――
DIOを倒すこの旅は、多くの犠牲を支払って終わりを迎えた。
空条承太郎は己の母である空条ホリィの出迎えを受けた後、DIOとの戦いで受けた傷を治すために少しの間SPW財団の病院へ入院した。
そして無事に迎えた退院の翌日。
承太郎は日頃の素行の悪さや長期の欠席で留年が決定していたが、特に気にせず学校へ向かった。
「ジョジョ!おはよう!」
「おはようジョジョ!みんな心配してたのよ?」
「お休みの間はなにしてたの?ジョジョ!」
こうして取り巻きに囲まれていると普段なら特になにも感じないのだが、いまは少しだけ懐かしい気分になる。
なるのだが。
「ン……」
視線の先。見慣れた女子生徒が己の横を通り過ぎていく。
だが、彼女の隣にいるはずのもう1人の女子生徒の姿はなかった。
そんな調子で教室に入っていくと、しばらくぶりに姿を見せたものだから女子も男子も見境なく承太郎に群がっては休んでいた間のことを引っ切りなしに聞いてくるので、席についた後はクールぶって無視を決め込んだ。
あの旅のことはこいつらには話せないし話すつもりもない。承太郎の心の中にそっとしまっておくことに決めている。旅の道中で皆で撮った写真と共に。
「やっぱやべーよな、あの事件」
「あれってそもそも事件なのかな?」
「どう考えても事件だろ」
そんな折、教室の隅から別の話し声が聞こえてきて思わず耳を傾けた。そこで話していたのは元オカルト部の男女数人で、新聞の切り抜きと睨めっこしながら議論を交わしている様子だった。
「身元がさ……うちの2年の転校生とまさか1年の白鳥葵とはな……」
「白鳥葵って弓道部の有望株って言われてたあの……」
「新部長、ショックで休んでるらしいね……」
いまでも冷や汗がだらりと背中を伝う。
DIOとの決戦前にアヴドゥルとイギーが死んだ。
そして、己以外の全員がDIOに殺された。
花京院典明は貯水タンクに身を埋め、DIOに腹をぶち破られて死んだ。
白鳥葵は壁にナイフで磔にされ、DIOに血液を搾り取られて死んだ。
ジャン・ピエール・ポルナレフは道路標識を力一杯振り下ろされ、DIOに首を切断されて死んだ。
ジョセフ・ジョースターは止まった時の中ナイフで喉笛を一突きされ、DIOに血液を貪り尽くされ死んだ。
生き残ったのは空条承太郎、己だけだ。
「2年の転校生……花京院、だっけ?僕は花京院と白鳥が駆け落ちした末に事件に巻き込まれたと踏んでいるけど……」
「まあ、考えたらそれが一番妥当っちゃ妥当よな」
「場所がエジプトってのもなかなか妙よね。どうして2人はあんな場所まで行ったのかしら」
「あの日の夜のエジプト、特にカイロはヤバかったらしいな……車が突然暴走して歩道にいた人たちを次々に轢き殺したりとか……」
「死体が発見された場所や状況もちょっとしたミステリーだよな……2人は一体なにをしたんだ?」
その答えは己だけが知っている。
承太郎は耳を傾けながら、あの凄惨な現場を思い返す。
出血多量でショック死した花京院典明の死体は冷たくて、固かった。
腹にぽっかり空いた穴からは己が駆けつけた時には血液の代わりに貯水タンクの水が滴っていて、まるでそういう銅像のようにも見えた。
失血死した白鳥葵の死体。
生前のような柔らかくて温かな体温は既になく、顔は血を搾り取られて真っ白になっていた。
ただ、その目だけはしっかり見開かれていて、まるで星を見上げているかのように空を見つめていた。
己の手でその瞳を眠らせるように閉じてやったことは、いまもたったさっきそうしてやったかのように思い出せる。
2人の葬儀には出られなかった。
彼らの家族からしたら、己は名前も知らない札付きの不良だ。
出る資格なんてない。彼らを巻き込んで死なせたのは己なのだから。
「ジョジョ」
目を伏せながらオカルト部の話に耳を傾けていると不意に名を呼ばれハッとその目を開ける。見ると目の前にいる男子生徒が教室の扉に向けて顎をしゃくっていた。
「…………」
向けた視線の先。1年生のスカーフを巻いた女子生徒が承太郎を睨みつけながら立っていた。
「ジョジョ先輩。急に呼び出してごめんなさい」
女子生徒――斎宮香奈というらしい――は、屋上に続く階段の踊り場で承太郎と向き合っていた。
彼女、斎宮は今朝も通学路で見た白鳥葵の友人だ。いつも白鳥の隣にいたので外見は覚えている。
承太郎はなんとなく、己がなぜ彼女に呼び出されたのか察していた。
「ジョジョ先輩、葵のこと……なにか知ってますよね?だって、おかしくないですか?葵があんたに呼ばれて教室を出て行って……それから葵は学校にも来ないし家にも帰ってなくて……絶対おかしいですよね?」
――やはり。
ポケットに手を突っ込みながら斎宮の話を聞いていたが、予感は的中した。
「しかも葵が見つかった場所がエジプトって……花京院とかいう転校生も同じ場所で……関係ないわけなくない?あんた葵になにしたの?どうして葵なの!?」
――そんなの俺が聞きたいぜ。
斎宮が詰め寄って承太郎の学ランの袖を目一杯力強く握ってその巨体を揺らした。
「なんか言いなさいよッ!!なんで葵なのッ!?どうして葵が死ななきゃならなかったのッ!?黙ってないでなんか言ってよッ!!」
――そうだ。黙っているしかできないのだ。
話すことはできないし、彼女の叩きつけるような怒号をうるさいと一蹴する権利は己にはない。しかし何も知らないなんて嘘はつけない。それは彼らの死に対する侮辱行為だ。
だから、黙っているしかできない。
「返してよぉ……葵を返してよぉぉ……葵がいないなんてやだよぉぉ……」
――そんなの、俺だって同じだ。
白鳥も、花京院も、ポルナレフも、ジョセフも、アヴドゥルも、イギーも、もういないし会えないなんて。
己を見つめて笑うあの姿をもう感じることもできないなんて。
ただただ、2人分の雨が床を濡らすだけ。
―――
***
「…………ッ!!」
ガバッと勢いよく体を起こした。
砂漠の中にあった小さな村の民宿の部屋の中、承太郎は肩で息をしながら辺りを見渡す。
――とても嫌な夢を見た気がする。なのに、目が覚めたら霧散したかのようにその記憶は消えてしまった。
思い出そうとしても思い出せないのに、なぜか腕の辺りを強く掴まれたような感覚が残っていて思わずそこを撫でさする。
「……承太郎先輩?」
そこで不意に己を呼ぶ声が隣から聞こえてきてそちらに視線を向ける。
「……白鳥」
すぐ隣の布団から起き上がってこちらに手を伸ばそうとする白鳥の手をゆるく握る。
「手汗とかすごいですよ……嫌な夢でも見たんですか?」
サイドボードに置いたフェイスタオルで滝のように流れていた顔の汗を拭ってくれる彼女をいますぐ抱き締めたかったが、体にもタンクトップが張り付くほどの汗をビッシリかいていることに気付いてぐっと抑えた。
「見た……ような気がするが、消えちまって思い出せない」
この異常な量の汗がヤバいものを見たことを物語っている。ただそれだけしか感じ取れない。それが妙にもどかしい。
一方で白鳥もそんな状況に覚えがあってふと記憶を掘り返す。
「私も……ホル・ホースさんに首を絞められて気を失った時、なにか見た気がするけど忘れちゃってましたね……」
あの時は口の中に血の味と不快な感触が残っているような気がして気持ち悪かったのを覚えている。けれどもそれがなんなのかはいまだに分からない。
一番濃厚なのはスタンド使いによる攻撃だと思うが、確証はないがそれともなにか違うような気がしてならない。
「私と承太郎先輩が見た夢……なにか関係があるのかな……」
「さあな……ひでェ夢だということしか分からない。それこそ、"夢であってほしいこと"なのかもしれんな……」
承太郎はベッドから降りると脱衣所に向かって歩き始める。
「シャワー浴びてくる。起こして悪かったな」
ぱたん、と脱衣所の扉が閉まって白鳥だけが取り残された。
「……いや、寝られないって……」
一応布団には潜り込んでみるが、正体不明の悪夢の話を聞かされた後だとなんとも眠りづらい。
白鳥は承太郎が出てくるまで待っていようとサイドボードの灯りをつけて読書を始めた。
「おはよう、承太郎に白鳥くん。昨夜はしっぽりいけたかな?」
翌朝、ロビーに出てきて一番に見た顔はこのニヤケ面である。そのニヤケ面の主であるジョセフは2人に手配したダブルベッド部屋のことを思い返してさらにニヤけている。
「じじい……てめーが期待しているようなことはなにもなかったぜ」
「ええ?なんでェ?」
せっかくイチャイチャしやすいようにしたのに!と目を丸くさせながら唇を尖らせるジョセフを尻目に、承太郎もため息を吐く。
「それは……私が先に寝ちゃったから、です、よね…?」
「自覚があるくせにいちいち訊くな」
「す、すみません……」
スカートの裾を握っておずおずと原因を口にする白鳥とピシャリと言い返す承太郎。この図だけで少しは期待した承太郎、というのが想像できてジョセフは噴き出すのを必死で堪えていた。
「ンフッ……ンン、ゴホン!まあ、こないだは"
先日ジョースター一行を襲った"
彼は砂漠のど真ん中の逃げ場もない中、巨大な太陽のようなスタンドを使って砂漠の気温を上げまくって彼らを殺そうとしていた。厄介なのは太陽光を利用したレーザーのようなものでこちらを狙い撃ちすることも可能だったことである。
しかし、スタンドのパワーを持続させるために鏡で周囲を映し、本体が彼らを尾行するように移動していたので、そのカラクリがバレた後の処理は実に簡単だった。
とはいえ、睡眠不足で免疫力が落ちれば落ちるほどリスクは高まる。この旅は急ぎではあるが、移動手段は決して楽なものではなく戦闘もこなさなければならないので、休息や睡眠で健康を維持することもまた大切なことなのだ。
(しかし、そういうことが無理だった原因は他にもあるがな……)
正体不明の悪夢。
白鳥も以前見たという、記憶には残らないがなにか気持ち悪い悪夢。
あれはなんだったのだろうか。
(マジに内容は思い出せねーが……なにか……身に覚えがあるような気がしてならねェ)
掴まれた感覚が残っていた腕を撫でさする。隣でジョセフと話している白鳥も、そんな感覚があったのだろうか。
白鳥や己だけでなく、花京院やポルナレフ、目の前にいるジョセフはどうなのだろうか。昏睡状態のアヴドゥルも、もしかしたら同じような悪夢に囚われているのだろうか。
("夢であってほしいこと"……か)
たとえば、己以外の誰かが本当に死んでしまったりとか。
たとえばそれが、隣にいる恋人の白鳥葵や彼女と話して笑っている祖父のジョセフ・ジョースターだったら。
「どうしたんじゃ、承太郎。難しい顔をして……」
「おなか空いたんですか?」
そうやって2人に心配そうに顔を覗き込まれるまで、承太郎は先ほどの夢のことで頭が持ちきりだった。
「……そうだな。腹も減ったし、ポルナレフと花京院の分の朝メシもついでに買ってくるか。昨日のセスナの話の確認ついでにな」
承太郎は玄関口から見えるセスナを顎でしゃくってみせる。
あのセスナは昨日買い取ったものだ。また砂漠のど真ん中で襲われたらたまったもんじゃあない。それに、罪のないラクダをまた巻き込むのも気が引ける。スピードのあるセスナで移動すれば、大抵のスタンド使いは追いつくことさえ叶わないだろう。
ポルナレフと花京院はまだ部屋から出てきていないので、ひと足先に整備や仕様の説明を聞くため3人は宿の外へ繰り出す。
エジプトへの道はセスナでの移動が滞りなくいけばあと少しといったところ。
承太郎は妙な胸騒ぎを抱えつつもその一歩を踏み出したのだった。