翌朝。
ホリィが用意してくれた朝食を食べた後、白鳥は登校の準備を進めていた。
昨日はいろいろあった。承太郎に呼び出されたかと思いきや、急に操られた敵と戦う事になったり。その敵と友達になったり。承太郎の家にこうして泊まったり。
ゆっくりは出来たが、学校に行こうという気分には正直ならない。
「白鳥さんは学校に行くんですね」
開けっぱなしにしていた障子からひょっこりと花京院が顔を出して支度途中の白鳥を見る。彼は今日は念の為学校を休むそうで、こうしてゆっくりしているようだ。
「はい。家にもそう言ってあるので……先輩はちゃんと休んでくださいね」
「ああ、そうさせてもらうよ」
互いに穏やかに微笑み合う。
昨晩はあの後2人でスタンドの事や家族の事について話し合った。どうやら花京院も生まれついてのスタンド使いらしく、同じようにスタンドが使える人間と出会ったのはDIOを除くと承太郎と白鳥が初めてだったようだ。
『同じスタンド使いでなければ、心の根の部分まで分かりあう事は出来ない』
花京院はいままで友達を作らなかった。己の周りにいる"彼ら"は本当の理解者には至らないからだ。
友達を作らない事を家族から心配された事もあったが、彼にとっては家族ですら本当の理解者とは言えなかった。
だから、こうして白鳥葵と心穏やかに会話ができた事が、本当に心から嬉しかったのだ。
「白鳥」
そこに承太郎の姿が現れ、白鳥は鞄を持って立ち上がる。
「はい」
「行くぞ」
彼は白鳥がこちらに来るのを横目に、花京院に視線を向ける。
「花京院。お前ももう歩き回って平気なのか?」
「ああ。心なしか肉の芽がなくなってから体が軽く感じるよ」
その場で軽く腕を回してみせる彼を見て、承太郎もフッと穏やかな笑みを零す。承太郎なりに心配していたらしく、その肩をぽんぽんと叩いた。
「あんまり無理するなよ。ぽっくり死なれちゃ夢見悪ィからな」
「はははっ!そんな簡単に死ぬほどヤワじゃあないですよ、僕は」
承太郎のスタンドのラッシュを受けても一晩でここまで回復しているのだ。確かにヤワではないだろうが。
しかしこうして戯れあっている様子は普通の男子高校生にしか見えない。至って普通の和やかな朝だった。
「白鳥。お前、昨日の夜は花京院となにやってた?」
だから、承太郎と2人で廊下を歩いている時に唐突にそう尋ねられて白鳥は少し驚いた。
「なにって?」
「廊下で話し込んでただろう。風呂に行く時にたまたま見掛けたんでな」
「ああ……」
昨日の夜、この廊下であった事を思い返す。
いきなり謝られて、そして友達になって。今になって思うと本当に奇妙な事である。
「昨日の事、謝られたんです。すごい丁寧に深々とお辞儀されてびっくりしちゃいました」
「ほう……」
苦笑いを零しながらもどこか楽しげな白鳥を見下ろす。
「謝っているだけ、のようには見えなかったが」
昨晩見掛けた白鳥と花京院は楽しそうだった。己は彼女の怯えた顔しか見た事がなかったのに、彼はいとも簡単に彼女と笑い合ってみせた。
それを目にした時、承太郎は胸の奥底が黒く煮え立つような心地になり、目を背けるように早足で風呂場へ向かったのだ。この感情をすべて洗い流すために。
なのに今もそうだ。彼女は困った風を装いながらも楽しげだ。
それがなぜだか面白くない。
「どうしたんですか?先輩……」
白鳥は承太郎がなぜこんな事を険しい顔で訊くのか疑問に思った。
己と花京院が話していた事なんて、承太郎にとっては関係ないし些細な事ではないのだろうか。追求するほどなにか彼にとっては引っ掛かりを感じる事だったのだろうか。
「もしかして、心配してくれてるんですか……?」
「…………」
この感情は果たして"心配"なのだろうか。
もっと深く澱んだ"なにか"なのではないだろうか。
「……まあ、そんなところだ」
しかし承太郎は推測しておきながらそれを認めたくなかった。白鳥の言葉に強引に同意するように首を縦に振ってみせると、彼女はおかしそうにクスリと笑みを零す。
「もう。承太郎先輩だって、さっき花京院先輩と話してたの楽しそうでしたよ。心配するような事はなにもないはずです」
彼女の言う通りだ。花京院はもう正気だし、なにより己が肉の芽を引っこ抜いたのだ。寝込みを襲ってくる事もなかった。間違いなどあるわけがない。
「……そうだな」
承太郎はため息を吐きながら学帽の鍔を摘む。よもや己の感情に振り回されるなどと。
いままで抱いた事のなかった感情に自分自身でも呆れながら玄関で靴を履く。
「……?」
しかし立ち上がった時、違和感を覚えた。
「どうしました?」
「いや……」
既に靴を履き終えて外に出た白鳥が、いまだに玄関から出てこようとしない承太郎を振り返り首を緩く傾ける。彼はその場から何かを待っているかのように廊下の奥をジッと見つめていた。
(いつもならあいつが……)
そう。いつもならホリィがここでいってらっしゃいのキスをしてくる。それを毎朝"やめろ"と嗜めながら玄関を出る。承太郎は口では嫌がりながらも、内心はそれでホリィの様子を確かめていた。
それにいくら白鳥の手前とはいえ、ホリィは彼女の事を大層気に入っているようだし見送りくらいはしに来るはずだろう。
「ホリィさんッ!?」
「!!」
そこにアヴドゥルの彼女を呼ぶ声が少し遠くの方から聞こえ、承太郎は靴を脱ぎ捨てると家の中へ駆け足で戻っていった。
「えっ!!ちょ、承太郎先輩ッ!!」
白鳥も慌ててその背中を追う。しかし承太郎の方が遥かに足が速く追いつけそうにない。
(でも分かる……!!ホリィさんに何がッ!!)
白鳥から見ても承太郎のホリィへの接し方は一見邪険でありながらもそこには確かに愛情がある。ホリィもそれを分かってて彼の態度を否定しない。
だからこそ彼のこの反応なのだ。
どんどん遠くなっていく承太郎の背は、曲がり角を曲がるたびにその姿を捉えられなくなっていく。
「きゃっ!」
「うわっ!」
そこで不意に開いた障子から身を乗り出した誰かとぶつかり、白鳥は反動でその場に尻餅をついた。
「すみません、大丈夫ですか!?」
「か、花京院先輩……!」
彼も少しよろめいた後にハッとして白鳥に手を差し伸べ「怪我はありませんか?」と彼女を立たせる。ひとつ頷きながら体勢を整えた彼女を見て一安心した後、少し遠くに位置する部屋を見つめた。
「さっきのアヴドゥルさんの声……台所の方から聞こえたようですが」
「私もそれを聞いて……でも承太郎先輩が先に行っちゃって」
先ほどの大きな足音は承太郎のものだったのか。花京院はひとり納得したが、次の瞬間その台所に位置する場所からドンッ!!と大きな物音が響く。
「とにかく行ってみましょう」
一体何が起きているのだろう。
2人は頷き合うと、それを確かめるために早足で台所へと向かっていった。
台所に辿り着くと、そこでは既にアヴドゥルとジョセフと承太郎がホリィを囲んで佇んでいた。
それを花京院と白鳥は廊下で遠巻きに見つめる。
「!ホリィさんの背中……」
白鳥はハッと息を呑む。
今はジョセフに抱えられ気を失っている様子のホリィ。その背中側の服の隙間から、植物の蔦のようなものが伸びているのが見える。
「あれは……スタンド、ですか」
ジョセフの抱える手。それを透けているかのように蔦は貫通している。
スタンドはスタンドにしか触れられない。たとえスタンド使いであってもそれは同じ事。本体の意思なくしてはスタンドからは人に触れる事も出来ない。
「"抵抗力"がないんじゃあないかと思っておった……DIOの魂からの呪縛に逆らえる力がないんじゃあないかと……」
空条承太郎のスタンドが発現したのはDIOという男とジョースター家の因縁に纏わる現象だった。
それが本当であるならば、その母親であるホリィにもスタンドが発現しても何もおかしな事ではない。
しかし、ホリィは穏やかで平和的な性格だ。呪縛への抵抗力やスタンドそのものに対する精神力が足りず、スタンドの存在がマイナスに働いてこのように高熱を出して倒れてしまった。
「言え、対策を……!」
承太郎の顔には珍しく動揺の汗が滲んでいた。
無理もない。身内がこんな事になって心が動かないほど彼も非情な人間ではない。
ホリィを抱えながら咽び泣くジョセフにも、それは十分すぎるほど伝わっていた。
「DIOを見つけ出す事……ッ!DIOを殺してその呪縛を解く以外に方法はないッ!」
それこそがホリィを救う唯一の方法。
たったひとつのシンプルな方法だった。
「しかしわしの念写では奴の居場所までは分からん……何度映しても暗闇ばかり。コンピューター解析も試みたが出来なかった。とてもじゃあないが特定は出来ん」
ジョセフは悔しながらに胸元から一枚の写真を取り出す。それを白鳥と花京院は遠巻きに見た。
暗闇の中、こちらに背を向けて立っている金髪の男が写っていて、首筋には星型のアザ――ジョースター家に受け継がれる証が浮かんでいる。
そう。承太郎がいつしか話してくれた、彼の先祖であるジョナサン・ジョースターの体を乗っ取った――
「!……間違いない。あれはDIOだ」
花京院も直接会っている。彼こそがDIOなのだ。
「これが……DIO」
白鳥もその姿を目に焼き付ける。写真だけでも凄みを感じてしまうほどのオーラがある。きっと実物を直接目にしたら、こんなものでは済まないだろう。
「おい、待て」
不意に承太郎がジョセフの手から写真を抜き取る。そして己のスタンドを出現させると、その手に写真を握らせた。
「ひょっとしたら俺のスタンドの視力なら、この暗闇を分析できるかもしれねぇ」
承太郎のスタンドがジッと写真に視線を向けて目を凝らしている。その様子を誰もが信じられないといった様子で見つめていた。
どんなに高性能なコンピューターでも解析できなかった暗闇を、こいつが解析するだって?
普通なら到底、いや、信じるどころか鼻で笑ってしまうかもしれない。
「DIOの背後の空間に何か見つけたようだな。スケッチさせてみよう」
それなのに、この空条承太郎という男にはそんな不安すらかき消してしまいそうな自信と信頼を持ててしまうのだ。
承太郎が今度はメモ用紙と鉛筆をスタンドに持たせると、その像はとんでもない速さで闇の中に見つけたものを書き写すべくペンを走らせる。
一分もしないうちにそれは完成し、皆でそれを覗き込む。そこにはまるで図鑑にでも載っているかのような繊細な線で描かれた――
「ハエだ!空間にハエが飛んでいたのかッ!」
「待てよ、このハエは確か……見覚えがある!書庫に行ってきます!」
すかさずアヴドゥルがバタバタと部屋を出ていく。
「気になりますね。僕達も行ってみませんか?白鳥さん」
花京院はアヴドゥルが出て行った廊下を横目に、白鳥の腕を掴んでグイッと引き寄せる。
「今はご家族だけにしてあげましょう。アヴドゥルさんの調べ物が終わり次第、合流すればいい」
そんな風に花京院が耳打ちするのを聞いて、白鳥は改めて承太郎達を見た。
ジョセフの腕の中で苦しそうに肩を上下させているホリィ。
悔しそうに眉間に皺を寄せながら目を伏せるジョセフ。
帽子の鍔のせいで表情はよく見えないが、ギリッと歯を食いしばっている承太郎。
「……そうですね。私も気になります。アヴドゥルさんについていきましょう」
いくら屈強な彼らであっても、身内だけで気持ちの整理をする時間だって必要だ。
白鳥と花京院も部屋を出て、アヴドゥルが向かった書庫へと歩みを進めていった。