さよなら、ヘイロー ~キングの母娘の物語~ 作:salierii
私とよく似た顔をしたウマ娘が、レースを走っている。
その娘(こ)は、スタートと同時にすっと前につき、先頭を逃げる鹿毛のライバルの背中を睨んだまま、2~3番手の好位をキープして走り続ける。
朝方まで雨が降っていたその会場はひどい重バ場で、レースを走るウマ娘たちの脚が地面を蹴る度に泥水が跳ね散り、彼女たちの華やかな勝負服をみるみる汚していく。
だが、私と同じく「ヘイロー」という4文字をその名に持つあの娘だけは、いつまでも汚れたように見えない。そのひときわ華麗な勝負服も、気高く誇りに満ちた顔も、泥にまみれることはない…。
観客にそう錯覚させるほど、先行策を採る彼女の走りは堂々としており、ひたすらに優雅で美しい。
テレビ画面の前で、私は思わずため息をつく。もう何度も見ているはずのレース映像なのに、色褪せることのない感傷で胸がいっぱいになる。
純粋に、誇らしい気持ち。
悔しい、という複雑な想い。
そして──さめざめとした悲しみ。
ウマ娘たちが第4コーナーを回って、最後の直線へと入る。
ずっと先頭を逃げ続けているウマ娘が疾走する姿が、アップで映し出される。その横顔には、勝利への自信と決意が漲っている。
私くらいの知識と経験があれば、その表情だけで彼女がただの逃げウマ娘ではないことがわかる。やみくもに逃げを打っていたのではなく、ハナを走りながら巧妙にペース配分をして、このレースをひとりで支配していたのだ。その計算高さと底知れぬ度胸に、私はついセイウンスカイさんのことを追憶してしまう。
しかし、彼女の後方に陣取りつづけていたあの娘にとっても、ここまでのレース展開は完璧だった。誰にも邪魔をさせずに、滑らかに小さくカーブを曲がり続け、じっと脚を溜めてライバルの背中を追ってきた。
彼我の差は、1バ身半から2バ身。十分に射程距離の範囲内だ。
「──ヘイロー、加速する! じりじり差を詰めていく!! やはりこの2人の一騎打ちかッ!?」
実況の興奮した大声。だが、ここで逃げウマ娘が思わぬ意地を見せる。それまでの不敵な表情が消え失せ、歯を食いしばって粘っている。
それに食らいつくあの娘の顔もまた、猛り狂うような凄惨なものになっている。それを私は、美しいと感じる。身内の立場からこんなことを言うのはおこがましいが、本当の美人とは険しく張り詰めた表情こそ、もっとも美しく見えるものなのだ。
"行け"と、私は心の中で叫ぶ。
"がんばれ!"と、性懲りもなく祈ってしまう。
そして。
デッドヒートを繰り広げる2人のずっと後ろから、ついに彼女がやってくる。
「おおっと、ここで外から! 外から、ものすごい脚で上がってきたのは──!!」
実況が高らかに叫んだその名がまるで聞こえたかのように、あの娘が一瞬だけ背後に目をやろうとする。
しかし、そうする間もなく、第3のウマ娘は、すでにあの娘の横に並びかけている。
腕と腕がぶつかってしまいそうなほど近くを、その差しウマ娘が交わしてゆく。じりっ、じりっと、一完歩ごとにあの娘に追いつき、追い越してゆく。完全に前に出られるまでの数秒間が、あの娘を応援している私には何十倍もの長さに感じられる。
きっと、あの娘自身もそうだっただろう。あれほど密着していたら、相手の息遣いや気迫を嫌というほど感じ取っただろう。相手の圧倒的な強さを、身をもって思い知っただろう。
胴体を鋸引きされるような痛みをあの娘に残してから、その驚異的な末脚は先頭を駆ける逃げウマ娘も、ゴール手前ぎりぎりで差し切って見せる。
大歓声に沸く場内に向けて、高らかに腕を突き上げる勝者の笑顔が、テレビ画面いっぱいに映し出される。屈託のない明るいその笑顔が、どうしてもスペシャルウィークさんに重なってしまう。
だが、私の目は画面の端に釘付けになっている。
そこには、3着に終わったあの娘が、小さく映りこんでいる。全身泥まみれで、悄然と立ち尽くしている。あれほどまでに眩しい輝きを放っていた優雅さも気高さもすべて掻き消え、敗者そのものといった惨めな姿でただうち震えている。
「へっぽこ」と、私は声に出して呟く。
「このへっぽこウマ娘。」
そう言い終わらないうちに、熱い涙が私の頬を流れ落ちる。
誰もいない暗い部屋で、私は手のひらで顔を覆って、おいおいと泣き始める。
誰の目も気にする必要がないから、思う存分、好きなだけ泣いていられる。
私は、キングヘイロー。
これは、私たち母娘の物語だ。