さよなら、ヘイロー ~キングの母娘の物語~ 作:salierii
さて───
意味不明なタイトルについても回収して、さわやかなエンディングを迎えたように見えたでしょうけれど、このお話はもう少しだけ続くの。
あら、お忘れかしら? プリンセスはまだ、クラシックの年を終えただけなのよ? 読者の皆さんが1流のトレーナーならば、ウマ娘の本当の戦いはシニアになってから始まるって、当然ご承知よね?
「ママ!」
年が明けたお正月の朝。
久しぶりに我が家で過ごしていた娘は、パジャマを着替えもしないまま、私のところに飛び込んで来た。
「あら、おはよう、プリンセス。あけましておめでとうございます。」
私が丁寧に新年のご挨拶をしたのも無視して、彼女はいきなりこう叫んだ。
「わたし、決めた!今年の1戦目に、高松宮記念に出る!!」
「ふうん。まあ、去年の冬は調整でレースに出なかったし、今年いちばん早くに開催されるGⅠをまず狙うのも悪くないわね…って、えええェェェッ!!!?」
ノリつっこみのような驚き方をしてしまってから、私は猛烈な勢いで反論をまくしたてていた。
「あなた、どういうつもりなの!? 1,200ⅿだなんて、今までと全然違うフィールドだって、わかってるの!?」
「わかってる!」
「いいえ、わかってない! 中長距離とはまったく別物なの。マラソンと短距離とじゃ、戦い方はまるで違うんだから!」
「知ってるし!」
「とにかく無茶よ! それも、プロフェッショナルが集まるGⅠでいきなり勝とうだなんて!!」
かつて、自分がお母様に言われた反論と、そっくりそのまま同じ言葉を口に出している私がいた。しかし、クラシック参戦を宣言されたときのような葛藤はもうなかった。私の反論は真っ当に正しい。それに、私の場合とは違って、娘は堂々たるステイヤーなのだ。
そんな私の揺るぎない反対も、プリンセスにはまるで通じなかった。
「なに言ってんの、ママ。プロが集まるから、挑戦しがいがあるんじゃない。ほら、王道距離じゃ、めぼしい相手は全員ブッ飛ばしたし? 次は短距離に殴りこもうかなーって?」
「……。」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだった。もし私に品格と優雅さが欠如していたら「短距離を無礼(ナメ)るなよ、このガキ!」と凄んでしまうところだ。
「じゃ…じゃあマイルにしなさい! ヴィクトリアマイルがあるわ。」
「ヴィクトリアマイルは5月じゃん。それじゃ遅いー。」
「そんな…。」
「それにね、ママ。わたし、どうしても勝ちたい相手がいるの。」
「えっ。」
「だから、高松宮記念じゃないとダメ。」
娘の断固とした発言に、私は内心ギョッとしていた。
今までおくびにも出していなかったけれど、もしかしてプリンセスはずっと彼女のことを…?
「とっ、とにかくダメ!」
複雑な想いを吐き出すように、私はそう叫んでいた。
「なんでー!?」
「ダメったらダメ! ママ、絶対に許さないから!!」
「ひどーい! ママのバカ!!」
「おいおい。新年早々、なんの騒ぎだ~?」
私たちの大声を聞きつけて、夫がのっそりとやって来た。彼もパジャマのままだった。父娘そろって、家ではズボラなのだ。
「パパーッ! あのね、ママがひどいんだよ!!」
興奮する娘の要領を得ない事情説明を根気よく聞き終えた夫は、もっとも肝心な質問を口にした。
「ふんふん、それで? プリンセスが勝ちたい相手って、誰なんだい?」
「ママよ!」
「はああぁぁぁッ!!?」
私は、変な声で絶叫してしまった。内心で覚悟していた答えとは、まるで違っていた。寝耳に水というのも、まさにこのこと。
「あ・な・た! なによ、それ!? ママのことなんて眼中にないって、ずっと言ってたじゃないの!?」
そうだ。プリンセスには、自分のように母親の背中を追ってほしくなくて、私は常に心を砕いてきた。だから、競技者を目指し始めた頃も、クラシック路線を決めたときも、「なぜ?」と問いかけてきた。
そして、「プリファイになりたいから!」「ダービーウマ娘になりたいから」と、この子はたしかに答えたはずだ。
「そんなの、ウソに決まってるじゃん! ママのコト、意識しないワケないでしょ!? ママがイヤがると思って、隠してただけだよ!!」
あっ…。めまいが…。
長年の、私の陰ながらの苦労は、いったい…。
「わたしは高松宮記念も勝って、すべての距離でママより上だってコト、証明するから。長距離じゃ勝った。皐月賞では負けたケド、ダービーでは勝ったから中距離でも負けてない。」
なっ、なっ、なにを言ってるの、プリンセス!? あなたのダービー10着と私の14着を比べても、それは勝負とは呼べないわ。ただの、どんぐりの背比べよ。
そんなことまで、あなたはずっと意識していたの?
私は愕然として、つい夫の顔を見やった。
目が合った途端、彼はニヤッと笑った。その表情に、私はカチンときた。私の気も知らないで、ずいぶんと面白がっているご様子だ。
「…いい、プリンセス? よく聴いて。」
夫のムカつく笑顔のおかげで冷静さを取り戻した私は、姿勢を正してお説教モードに入ることができた。
「菊花賞ウマ娘には、その責任があるの。世代の長距離覇者として、シニアでも栄誉にふさわしい走りを見せる義務がある。大勢のファンの皆さんが、中長距離で走るあなたの姿を待ち望んでいるのよ? その期待に応えなければ、授けられた菊の王冠を汚すことになるわ。」
「わかってるってば! だから、秋の天皇賞には出走するよ。ママと同じ1着になってみせる。それから、ジャパンカップだって有馬記念だって、なんだって出てやるもん。」
私がとうとう「GⅠを無礼(ナメ)るな!!」と怒鳴ってしまうより先に、娘がこんな捨て台詞を吐きながら逃走した。
「だけど、9月まではわたしの好きにするから!」
「あっ! 待ちなさい、プリンセス!」
パジャマ姿のまま家を飛び出していく娘に、私は必死にこう問いかけた。
「9月までって、スプリンターズステークスにも出るつもり!?」
返答はなかったが、言い返してこなかったということは、イエスなのだろう。
「…行っちゃったなぁ。」
のほほんと呟く夫の隣で、私は頭を掻きむしった。
「んもう! なんて自分勝手で強情な子なの、まったく!!」
「この母にして、この娘あり。」
「なんですってぇッ!?」
「おおっと、口がすべりました…。さ、急いで着替えなきゃな。プリンセスのコートって、どこにしまってあるんだっけ? ああ、忙しい忙しい。」
小走りで逃げていく夫の背中を睨みながら、私は大きくため息をついた。
いいでしょう、プリンセス。
あなたがそのつもりなら、私も受けて立つわよ?
その日、夫が帰宅したのは、夕方になってからだった。
「とりあえず、寮に戻したよ。ママの顔は見たくないってさ。」
「ふん…。元旦なのにご苦労さま。お夕飯の準備をしましょうか?」
「うん、ありがたいね。おせち料理が恋しかった。」
夫とふたりきりで、朝からお預けになっていたおせちに箸をつけながら、私は今日で何度目かのため息をついていた。
「ややこしいことになってしまった、って顔だね?」
「ええ、まあ…。シニア級の大事な2戦を、脚質が向いていないレースに費やすなんて、愚の骨頂だわ。あなたが止めてくれなかったせいよ?」
「ウマ娘本人の意志を、あくまで尊重するのが僕の信条だから。」
「わかってるわ。だから私は、菊花賞に出られたのよね? あなたは内心、反対していたのに。」
「そういうこと。…今度はプリンセスの意志を、きみが尊重してあげる番じゃないかな?」
「ええ。高松宮記念には挑戦させてあげるわ。」
「ほう?」
本来なら、同日の大阪杯か翌月の天皇賞・春に出走するべきだ。せっかく長い距離を走り抜く素質を持っているのだから。でも、親の願いなんて子供自身の決断の前には無に等しい。
たとえそれが、愚かしく思える決断であっても。
「1,200mのGⅠで負けて自分の限界を思い知れば、あの子もさすがにスプリンターズステークスは諦めるでしょう。そうしたら、宝塚記念を狙えるし、天皇賞・秋も余裕を持って臨めるから…。」
「万が一、プリンセスが勝ったら?」
夫の挑発めいた質問に、昆布巻きへ伸びていた私の箸が止まった。
「その場合は、こころよくスプリンターズステークスにも送り出してあげるんだろうね?」
「いいえ、あの子が高松宮記念で勝つことはないわ。」
昆布巻きを噛みしめながら、私は断言する。
「短距離レースには、あの子の想像も及ばない強敵がいるんですもの。」
「へえ。…今から楽しみだな。」
夫のいつものニヤニヤ顔を無視して、私はおせち料理を次々と平らげていった。