家出した時に出会った初恋のお姉さんが自殺した 作:パルメザンチーズの化身
体を包む暖気。同級生達のやかましげな声に、瞼が開く。
ぼんやりと目に飛び込んで来る教室の明かりと、視界を満たす一つの色。
窓越しに、空一面の鼠色が見えた。
音を聞く限り未だ雨は降っていないようだが、今朝よりも雲の色が重たい。
降り出すのは時間の問題だろうし、それはきっと土砂降りだろうと、寝惚けた頭が予想する。
───帰り、どうしようか。
折り畳み傘位は持参しているが、そんな大雨に耐えられるほど頑丈な代物じゃない。
十中八九、ずぶ濡れで家路に着くことになるだろう。
こういう時、世の一般家庭は家族に送迎を頼めるのだろうが、生憎と俺は一人暮らし。
あー……憂鬱だ、主に洗濯面が。
どこかの企業が『全自動家事やってくれるよ君一号』とか開発してないのだろうか。
「……はぁ」
深い溜め息が一つ溢れた。
しかし無い物ねだりをしても仕方が無いと、夕方まで降らない事を祈りながら空を睨みつけたところで、前の席から声がかかる。
「なんだよ、もう居眠りは終わりか?東條」
珍しかったからもう少し寝ていても良かったのに、と続けたソイツの方へ顔を向ける。
明るめの茶髪と、着崩した──寒さのせいか控えめにだが──制服。
人好きのしそうなイケメンフェイスを此方に向ける男が一人。
名前を、黒崎秀人。
真性の性格の悪さを、有り余る顔面偏差値と立ち回りの巧さで補っている末期のジェンガみたいな男だ。
本来ならお近づきになりたくない手合なのだが、なんだかんだと交友関係は続いている。気質だろうか。
俺は机に預けていた上半身を起こして、軽く伸びをする。
関節がポキポキと音を立て、身体がほぐれていく。
「あー……いつから寝てた?」
「ざっと三時限目の半ばってトコだな。ちなみに今は昼休みの終わり付近だ」
「てことは───げ、マジかよ。二時間以上眠ってたのか」
「ははは、グッスリだったぜ?なんせ八原先生がキレながら怒鳴ってるのに身じろぎ一つしなかったし」
「……最悪」
そういえば四限は古典の授業だった事を思い出し、げんなりする。
古典の八原といえば、昨今珍しいヒステリック持ちのおばさん教師だ。
授業の難易度は並。わかりやすさも並。ただし怖さは天井知らず。
そんなだから生徒達からの人気はなく、かく言う俺も苦手だった。
授業自体は真っ当にやるからと、目だけ付けられないようにしていたのだが───。
「そりゃあもう。例えるなら一方的な核戦争って感じだったね。
架空戦記も真っ青なレベルで落とされる爆弾がまるで効いてないんだからな。ま、お前の場合は聞いてなかった訳だが」
「はぁ…………それで、その後は?」
「安心しろって!この俺様が代わりに言い訳しといてやったからよ」
「───嘘、だろ……?」
絶望から顔を手で覆い、天を仰ぐ。
なんだこれは。現実か?まだ夢の中なんじゃないのか?一縷の望みにかけて目の前の男を殴り殺すべきか?
すでに遅い。もう駄目だ、もう終わりだ、もう死ぬんだ。
───ああ、即ち人生とは苦痛に満ちている。
「東條、その反応はねーだろ……」
確かに、今の俺の行動は友達を相手にしたものとして最低と言えるだろう。
だがそれは、相手が黒崎秀人でない場合に限る。
実際、俺達の間に友情と呼べるものは少なからず存在する。
俺はこの男を好ましく思っているし、だからこそこうして会話をする。
しかし悲しいかな。信用とはそれらとは全く別の尺度にあり、この男のそれは最低値を記録していた。
曰く、黒崎に対し隙を見せたが最期。破滅の未来が待っている───。
この学校で流れる与太話は、この悪魔の危険性を存分に周知させていた。
故に。今回のコイツは、あることない事八原に吹き込んだに決まってるのだ。
「……詰んだ。次に八原と会う時は冤罪と余罪が同時に生えだした挙げ句、社会的に抹殺されるんだ」
「東條は俺をなんだと思ってるんだ??」
「ヒトヅラした真性の悪魔」
「おっしゃ表出ろストリートファイトの時間だ」
「いや……だって、なぁ?」
普段の自分の行いを振り返ってみてほしい。
「モテを僻んで多人数でお前ボコした一年の時の先輩は?」
「連中の親の会社に圧力かけて、ひとりひとり丁寧に他県に飛ばした」
「お前相手に四股仕掛けたサッカー部マネは?」
「ヤの付く自由業さんに一週間貸したら転校した」
「───言い訳はあるか?」
「…………」
気に食わない男あれば薙倒し、勘に触る女あればはっ倒す。
最悪なことに、良い所の出のコイツにはそれが出来るだけの力があった。
男女平等に悪平等、触れるもの皆傷つけて嗤う。その姿は正に邪智暴虐。ディオニス皇帝も真っ青である。
それを近くで見てきた人間からすれば、あんな反応も仕方がないと思わないか。
「だ、だがよ?今回ばかりはマジで何もしてないんだ、信じてくれ。
確かに一瞬邪な気は湧いたけど、ちゃんと踏み留まったって」
「本当かよ……」
「本当本当。なんかの検定勉強で忙しいらしくてーってな感じにさ」
───焦ってこそいるようだが、嘘をついている気配はない。
どうやら本当に弁明しておいてくれたらしい。
となると黒崎を疑っていた事実に罪悪感が一瞬だけ湧くが、普段の行いを鑑みて次の瞬間には掻き消えた。
「てかさ、珍しいよな」
「……?なにが」
「お前の居眠りだよ。東條の寝てるところなんて修学旅行以来に見たぜ?」
「昨日の寝付きが悪かったんだ、きっとな」
「へー、でもその割には幸せそうな寝顔だったな?」
「……意地が悪いぞ、黒崎」
さも当然のように人の寝顔なんか拝みやがって。
クソ、次授業中に眠る時はうつ伏せになるべきだな。いや、居眠りなんてしないに越したことはないんだが。
────余談だが、俺は大学受験は指定校推薦で受けようと思っているため、授業態度にはそれなりに気を使っているつもりだ。なので二度目はないと思いたい。
「いい夢でも見たんだろ?教えろよ───エッチな夢だったんだろ????」
「圧。圧がすごい」
「年頃の男子高校生舐めんなよお前、エロい事だけが生命線だぞ」
「急に生き生きしやがって……さてはそれが目的だったろ」
「ははは、なんのことやら」
下手な口笛を吹きながら、目線を逸らす黒崎。
余程俺の寝顔はだらしがなかったと見える。
確かに見た夢は───あれ、なんだったか。
軽く二度三度頭を捻ってみるが、その詳細は綺麗さっぱり消えていた。
「……悪い。夢の内容がもう思い出せねぇ。良い夢だったのは、そうだと思うんだが」
「嘘だろおい、庇った甲斐がなくなるじゃねーか!」
「そもそもお前は俺の夢に何を期待してるんだよ……」
───キーンコーンカーンコーン───。
黒崎がぐちぐちと文句をたれ始めた辺りで、教室前方のスピーカーから予鈴が鳴る。
五限まで残り十分の合図。
それと同時に空きっ腹が存在の主張を始める。
「そういや俺、昼食べてねーわ」
「あー、三限から寝てたわけだしな、そりゃそうだ。購買は……もう閉まってる頃かね」
「………」
「………」
「はい黒崎せんせー!」
「どうした東條三年生」
「食べ物を恵んでください!」
「幼児退行乞食とは恐れ入ったぜ」
うるせぇ、なりふり構っていられるかよ。
育ち盛りの高校生が昼飯を抜いて生きていけると思うのか、否である。
このままの状態で授業に突入すれば、空腹で何も考えられなくなるに決まっている。
よって乞食だろうが何だろうが、この飢えを乗り切れればそれが正義だ。
「そうだな……あ、携帯食料があるぞ。ほら、チョコ味」
「うおお、マジかよ助かっ───へ?」
差し出された携帯食料を取ろうとした手が空を切る。
「でもお前、俺の事を無実の罪で疑った訳だしな」
「いや、ちょ。そこをなんとか!」
「どうしよーかなー??」
「マジで頼むって!このままじゃ授業中にくたばるって!!」
嫌らしい笑顔を向ける黒崎。
あのイケメンフェイスをどうすればここまで歪められるというのか。
誠に遺憾ながら靴でも舐めようか、等と本気で考え始めた折。
「ははは、冗句、冗談、冗漫だよ。
……だからそんな怖い顔で机の下の俺の靴を見ないでくれ」
「良かったよ冗談で済んで。あのままなら俺の奥義が発動していただろうな」
「怖えーよ。なんで俺が脅される側なんだよ……ったく、ほら」
今度こそ、と差し出されたソレを取ろうとしたところで───。
───♪
無機質なスマホの着信音が鳴った。
青筋を立てながら、黒崎の目を見る。──お前だな?
黒崎も親指を立てながら此方を見た。──てへぺろ。
「───ファイトしようぜ……キレちまったよ、久々に」
「上等だオイ……冤罪に傷ついた心の落とし前、つけてもらうぞ」
二人同時に席を立ち、軽く手首を解す。
なんだなんだとクラスメイトがこちらを見ているが、あんな有象無象共どうだっていい。
男が一度勝負と決めたなら、そこはもう戦場なのである。
「根に持つ男め。そんなだから悪魔呼ばわりされるんだぜ?」
「エロい夢の一つも見れねー負け犬がに吠えるなよ」
「童貞風情が。舐めた口を聞いてんじゃねえよ」
「苛立ってんなぁ、腹でも減ったか?」
煽り合いも程々に、二人同時に大きく息を吐き、構えを取る。
それは古来より伝わる、伝統的な決闘の一つ。
百戦錬磨の猛者も、無知すら知らぬ弱者も、この決闘においては誰もが勝者となり得、また敗者となり得る。
正真正銘の真剣勝負でありながら、本人達の実力の介在する余地は限りなく少ない。
駆け引きもない今度のモノなら尚の事。勝利の女神の微笑むままに。
───故に。勝負は、恐らく一瞬で決まるだろう。
「行くぜ?」
「いつでも」
拳が、振り下ろされる。
「「最初はグー!じゃんけん───」」
◆◆◆
「クソっ……なんであそこでチョキが出るんだよ!」
「うめー、空腹に喘ぐ敗北者の前で食うメシうっめー!」
端的に言って、俺は運命のじゃんけんに敗北した。
パーが若干出やすく、チョキが若干出にくいという統計の元勝負に挑んだものの、あえなく轟沈。
二度と統計学なぞ信じるかと心に決めた瞬間だった。
「あ、そうだ東條」
「……なんだ?ソレの食レポなら、俺はもう聞きたくないぞ」
「違うって。というか、俺は昼ちゃんと食べてるからこれ以上は入らねえや。残りはやるよ」
「あざす」
手渡された細長いブロック一個半。
薄いチョコレート味のそれを、水で一気に流し込む。
別段と膨れた気はしないが、午後の授業くらいなら保つだろう。
「てか、そうじゃなくてさ。さっきので思い出したんだが、授業中にスマホ鳴ってたぞ、お前」
「え?なんかのソシャゲの通知とか?」
「いや、電話の着信音。それもトークアプリじゃない方」
「えぇ……なんだそりゃ」
言いながらスマホを取り出し確認する。
着信履歴を見ると、知らない番号からの呼び出しが入っていたことが見受けられる。
それが一度なら、ただの間違い電話だと切り捨てられるのだが───。
「三つも入ってる……」
「あー、そういえば何回かに分けて鳴ってたな。心当たりある?」
「……いやぁ、ないかな」
履歴を見るに多少なり時間を開けてから、掛けなおしている。
間違い電話という線は無いだろう。
だが生憎と、この電話番号への見覚えもない。
となればイタズラ電話だろうか?それが一番納得がいくが、どうもしっくりと来ない。
「東條。最後の着信、留守電入ってねーか?」
「うお、マジだ」
画面を覗き込んだ黒崎の言葉で、短い留守番電話の記録に気付く。
別に無視しても良かったが、短時間でかけ直し続けた辺り緊急の何かしらかもしれない。
教室前方の時計にチラリと目をやり、授業開始まで時間に余裕があることを確認。
「ちょっと出てくるわ」
「ん、いてらー」
軽く手を上げてから、席を立った。
廊下まで出ると、人の少なさも相まってかその室温は二段ほど下がったように感じられた。
身震いを一つして、出たばかりの温い教室を恋しがる。
今すぐにでも戻りたいが、その前にこのメッセージを片付ける必要がある。
スマホに記されていた番号には、やはり覚えがない。
「これで新手の詐欺だったら笑えるな」
三分足らずの短い記録。
……その再生ボタンを押した。
『─────』
初めに聞こえてきたのは、小さなノイズだった。
それは複数人分の足音と、喧々諤々とした人々の声。
それから、電話口に荒くなった息遣いを感じる。
車の走行音らしきものは聞こえない。……街中、というわけではないのだろうか。
そんな状態が五秒ほど続く。
せっかちにも、こんな具合の音声が継続していくだけなのか、等と思い始めた頃。
『───東條満さんのお電話で、よろしいでしょうか』
突然に、自分の名前を突きつけられた。
思わず返事を返そうと口を開いて、これが留守電ということを思い出した。
どうやら、本当に俺を俺と知っていて掛けてきた電話のようだ。
勿論、同姓同名の別人が目当ての場合を除いて、だが。
『あぁ、そっか。意味ないのか。……東條さんのお電話という前提でお話します』
記録の中の声は、どうもノイズが強く判りづらいが恐らく女性の物だろう。
しかし……ふーむ。
声の主が女性としても、やはり心当たりは思い浮かばない。ただ、謎が深まっただけだ。
こうなると、イタズラ電話をしていると見るのが妥当なのだろうか。
けれど、直感的に、こう、なんというか。
───この声からは、道楽とは違う、切羽の詰まった気迫を感じる気がした。
『三日前に自殺しました、私の姉の遺書にて貴方様の名前が記されておりました』
「……はぁ?」
今度は声を堪え切れずに、疑問符が飛び出してしまった。
なに、死人の遺書に俺がいたって?どこの三流サスペンスだよ。
は、全く笑えるな。
「ったく………結局イタズラかよ」
それどころか、この分じゃ詐欺なのかもしれない。
ため息を吐きながら落胆する。それは主にさっきまで本気で頭を回していた自分に対して。
こんな事なら教室で暖房の元温んでいればよかったと、心底から後悔の念が押し寄せた。
「当てになんねーよなぁ、俺の直感」
八つ当たり気味に、音声を止めることもせず直接削除ボタンに指を動かす。
そして、指先が液晶に到達する、その刹那。
───電話口から紡がれた言葉に、時が止まる感触を覚えた。
……後にして思えば、ここが分水嶺だった様に思う。
タッチの差だったのだ。たとえそれが不幸であったとしても。
ほんの一瞬、削除の項目に指が届いてさえいれば、俺は。俺は───
『───故人の名前を、水戸森真奈と言います』
……こんな事、知らずに済んだのに。
「───、は」
バキリ、スマホが歪む音と共に、脳内が壊れたラジオに置換される感触がした。
ぐるぐる、ぐるぐると同じ言葉が巡りはじめる。
──しんだ?
──死んだ。
──だれが?
──彼女が。
──かのじょって?
──水戸森真奈だ。
──しんだ?
──しんだ。
ぐるぐる、ぐるぐる。
狂ったような思考回路。壊れてしまった論理回路。
その全てが、先の言葉を否定しようと暴れ、のたうちまわっている。
───だが。残された理性は、しかしその言葉を受け入れていた。
走馬灯のように走る一つ一つの要素。
見知らぬ番号。………知らない筈だ。
自身の名前。………知られている筈だ。
強張った声。…………当然の筈だ。
嗚呼。その全てが、彼女の死を肯定していた。
『突然の事で事態の把握も覚束ないかと思います』
そうかもしれない。
彼女の死を否定する自分と、肯定する自分がいる。
どちらが正しいのか、それは学校の廊下ではわからない事だろう。
『本日の午後より、おね……真奈の葬儀を執り行います。都合がお合いでしたら、以下の住所へ───』
普段よりもずっと冴えた頭は、簡単に住所を覚え切った。
『ご都合が合わない場合は、また別途日程を』
声半ばで、停止させる。
……行かなければ。
扉を開き、教室へと足を踏み入れる。
眠気の誘われるような心地良い暖かさが見を包むが、生憎今はどうでもいい。
自分の席へ一直線に向かう。
「おお。おかえ………」
椅子に座ることもなく、カバンをとって最低限のものを詰める。
「え、何してんのお前。そろそろ五限だぞ」
「黒崎。俺は早退する、諸々の説明頼んだ」
「早退って。は、マジ?」
答える時間も惜しんで、早々に踵を返す。
進路に幾らか響くだろうが、この際そんなものは些事に過ぎない。
今はただ、行かなければ。
この短時間で、都合三度目の開扉。
先程から人気のなかった廊下だが、授業直前の今、もはや誰一人姿はない。
冷たい足音を生みながら、昇降口へと向かう。
三階から二階へと続く階段の前についた時、やかましい足音が背後にやってきた。
どうやらそいつは息を切らしているらしく、荒い呼吸が耳へ届いた。
「と、東條!」
「……どうした、黒崎」
「お前、本当に大丈夫なんだろうな!」
「……何がだよ」
「な、なにがって……お前のその目だよ、目!
なんつーか、お前。今にも死にそうなんだよ!」
「……別に、大した問題はない」
面倒なので、安心させるべく適当に笑顔を浮かべる。
すると何故か、黒崎は目を見開いて歯を食いしばった。
人の顔を見てする表情じゃないだろうに、それは。
「話はそれだけか?なら、もう行くぞ」
「……最後に。どこに行くのかだけ、教えてくれないか」
「決まってるだろ。
───確かめに、行くんだよ」
本当に、彼女が死んでいるのかどうかを。
黒崎はもう何も言わなかった。
それを確認して、この場を後にする。
階段を下り、靴を履き替え、校門を飛び越える。
辺りを見回せば、三百メートルほど先から空のタクシーが走っていた。
それを捕まえ、指定の住所───火葬場の場所を伝えてから乗り込む。
少しと経たずに、車窓からの景色が後方に流れ始める。
それを確認して、座席の背もたれに体重を預け、目を瞑る。
……どうか。どうか、嘘でありますように。
そんな、叶わない願いを祈った。
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