貞操観念逆転世界小悪魔思わせぶりムーブ 作:あかさたな
「で、どうしたの? 大事な話って」
「ん、まぁ……こういう話は、こっちからしないといけないかなと思いまして……」
「え?」
少年と少女が放課後に校舎裏。ここまで並べれば、誰でも想像がつくだろう。
「……悟、あたしこの一か月楽しかった。まぁ、あんたのこといろいろ巻き込んじゃったのは悪かったけど」
「ううん。僕も楽しかったから」
「あはは、そう? なら謝る必要なかったかしら」
「えーーー、せっかく今見直してたのに」
特に中身のない会話でも、それなりに親しい異性の間柄であれば笑いが生まれるものだ。二人は今まさにそういった雰囲気に包まれていた。
「で? 大事な話ってそれ? そのことなら、本当に僕も楽しかったから」
「あっ、いやそれもあるんだけど、それだけじゃなくて……」
「……? まだなにかあるの?」
少女は覚悟を決めるように深呼吸すると、意を決して口を開いた。
「あたし、悟が好き。この一か月で悟の色んなところ知って……もっといっぱい話したいと思ったし、もっと一緒にいたいと思った。だから……あたしと付き合ってください」
少女の瞳には不安が色濃く見てとれ、そしてそれはけして間違いではないと思われた。しかしそれとは裏腹に、この場に予定調和的な雰囲気がなかったかと言えば嘘になる。
誰が言ったか、告白というものは確認作業に過ぎない。
いわばそこに至るまでの過程で相手との関係性を過不足なく構築し、正しく現状分析をすることが出来れば、実際に告白して結果を確認するまでもないということ。
少女とてそれは重々承知しているのだ。2人で過ごした1ヶ月という期間。それは人間関係においては長いとは言い難いものではあるが、その間に2人で過ごした時間の濃さを鑑みれば、関係の構築は十分なものだと思われた。
少女はただ黙って返事を待つ。悟と呼ばれた眼前の少年ーーー田中悟は少女の様子から、これが冗談やからかいの類ではないと確信する。
悟はしばらく驚いたような様子を見せていたが、照れたような、どこかはにかむような表情を作った。
その姿を目の当たりにして、少女の心に安堵の念が僅かばかり生じたのも無理からぬことと言える。好意を伝えてきた相手に対して、照れた様を見せるというのは、つまりそういうことだからだ。
「それで……どう、かな?」
少女の再度の問いかけに、悟は一度口を開きかけたが、何かを思い立ったように口をつぐむ。
少女からすれば時が止まったかのような、永遠にも感じられる沈黙の時間。十分すぎるほどの逡巡。そして口は開かれた。
「あー、ごめん。僕そんなつもりじゃなかったんだよねー……。あゆのことは好きだけど、それは友達としてかな。これからも、仲の良い友達でいよ?」
◇ ◇ ◇
――――――女の子たちをどぎまぎさせて、その気にさせたあげく、告白されたら「そんなつもりじゃなかった。友達でいよ?」と言って、絶望にゆがむ女の子の顔が見たい。
田中悟には前世の記憶がある。一人の男として平凡な生涯を送り、若くして病没するという記憶である。とはいえ悟がその男と同一人物なのかといえばそういうわけでもなかった。あくまでそれはどこかの誰かが体験した記憶であり、悟自身のものではないのだ。例えるならそれは、よくできたドキュメンタリーを見るような感覚である。その男と悟の人格は決して地続きのものではない。
ではその記憶が悟に何ら影響を与えなかったのかといえばそれは当然否である。幼いころは前世の記憶と今世の記憶の区別がつかず、混乱してよく泣いていた。そんななかでも人間というのはいつしか慣れるものである。全く知らない赤の他人の記憶が自身の中に紛れ込んでいるという状況にさえ、人は慣れてしまえる生き物なのだ。
自身と男の記憶の区別がはっきりとつくようになった少年期、悟は男の経験した世界が自身の今いる世界とは異なる世界だということに気付いた。つまり男性と女性の社会的な役割とでも呼べるものが逆転しているのである。男の記憶では男性が外で働き、女性が家事をするというような家族形態が一般的であるようだった。しかし悟の周囲はむしろその逆。まるっきり担う役割と性別が反対なのだ。
悟は幼いころから一人の男が社会でもまれる記憶とともに生きてきたおかげか、その年齢にしては聡明な少年だった。思い当たる限りの歴史的事実や物理法則を調べた結果、男がいた世界と田中のいる世界は、人間という種の男女の立場だけが逆転してしまったようないびつな関係性にあるということを突き止めたのである。
さて、ここで一つの問題が発生した。それは悟が今世と前世の相違点を調べるために、前世の記憶を何度も反芻するように繰り返し思い出したことによるものだったのだろう。悟は『いけると思っていた異性に振られて絶望するも、何とか最後のプライドでそれを隠そうとするが、どこかいびつな笑みを浮かべるしかできない女の子』に性的興奮を覚えるようになってしまったのである。
前世でそのような女の子がいたのかといえば否である。その当事者は男自身なのだ。悟の記憶の中の男には幼馴染の少女がいた。男とその少女は比較的良好な関係にあり、小学校、中学校、高校とその関係は続いた。男は少女に気があり、当然少女にもその気があるのだと思っていたのだが、現実は残酷だった。もうそろそろいいだろう、と満を持して気持ちを伝えた男に待っていたのは、「え、××のことは友達としてしか見れない」という無慈悲な一言である。最初、悟はこの記憶を思い出すたびに激しい羞恥心に襲われた。それは恐らく男に対する共感性羞恥の一種だったのであろう。しかし何度もその記憶を思い起こすにつれ、次第に悟に一つの変化が生じた。つまり悟はその少女に憧れにも似た何かを抱くようになったのである。
―――――――僕も、こんな風に誰かの感情をぐちゃぐちゃにしたい。
ありていに言って、悟は変態趣味に目覚めた。
とはいえ、最初は悟の行為もそこまで酷いものではなかった。精々同世代の女の子を掌の上で踊らせて、暗い喜びに浸るぐらいが関の山だったのだ。しかしえてしてそういった趣味嗜好というものはエスカレートしていくものである。最初はそれで満足できていたものが、手慣れてくるとそれだけでは渇きをいやせなくなっていく。手玉にとる対象が一人から、二人三人と増えていき、その犯行の舞台は教室だけにはとどまらなくなっていった。隣の席の女の子をその気にさせるだけでは物足りなくなり、公園で見かけた女の子や、習い事先の女の子にまでその魔の手を伸ばしていく。
そして悟はたどり着いた。
―――――――相手の悩みを理解できる唯一の存在になって依存させ、自身に対する信頼がこれ以上ないというほどまで高まったところで振ると、最高に可愛い表情を見れる。
クズの境地はここまで至った。
◇ ◇ ◇ ◇
悟はその日もいつも通り自身の通う高校に登校した。朝から何人かの少女と会話し、好感度を上げておくことは忘れない。はっきり言ってもはや悟の性癖は、ただ女の子が振られて悲しい顔をするだけでは完全には満たされないほどに業が深くなっていた。しかしいつ誰が重い悩みを抱えるかは予測不可能なのだから、そのときに唯一の理解者になれるように日ごろから親しく接しておくことは重要だと悟は理解していた。
「おはよ、鏡原さん」
「……おはよう」
どこかむっすりとした様子で挨拶を返す少女。彼女こそが今悟に目をつけられている被害者予備軍なのである。この鏡原という少女、最近この学校に来たばかりの転校生なのだが、転校してきてから一か月、いまだに友達の一人も作ろうとせずに、休み時間は窓の外をぼーっと眺めている。さらには「お家の事情」で頻繁に早退するという、悟から見れば役満濃厚の少女なのである。
(絶対になにか悩み、あるいは厄介ごとを抱えているはずだ……)
悟は一瞬きらりと目の奥を光らせたが、それを悟られるようなへまは当然しない。悟から言わせれば、こんなことで裏を勘付かれるような真似をするのは三流のやることである。
(鏡原さん、僕の目は騙されないよ。君には
「その腕、どうしたの?」
鏡原の左腕には昨日まではなかった包帯が巻かれていた。それは長袖の制服に隠れて、わずかに袖口の隙間から見える程度だったが、悟からすれば一目瞭然であった。それを指摘されると、鏡原はほんの一瞬ぎくっとした顔をしたが、それはほんの瞬きほどの間に平静の表情に戻る。しかし悟の目にはその程度の欺瞞は通用しない。
―――――――――何かを隠したいなら、せめて顔に出すなんて初歩的なミスはしちゃだめだよ、鏡原さん。
「……昨日ちょっと怪我しただけだ」
「え、大丈夫? 今は痛くないの?」
「気にしなくていい」
「そっか、それならいいんだけどね」
悟はあえてこの話題にこれ以上踏み込まない。鏡原の性格上、これ以上の詮索はただ彼女の気分を害するだけだと判断したためである。
(ただの怪我じゃないのはばればれだよ、鏡原さん。ほんとに隠す気があるのかな?)
実は鏡原がこのような包帯を巻いてくるのは今日が初めてではない。今までにも何度かこういったことがあった。しかもそれは決まって早退した翌日なのである。手首までしか巻いておらず、少し長めの袖でその全容は隠れていたが、凡百のクラスメイトならともかく、悟の目をごまかすことは出来ない。
「ねぇねぇ、鏡原さんって何のスポーツが好き?」
「……特にない」
悟は鏡原のその答えには、わずかな逡巡が含まれていることに気付いた。
「え~、なにかあるでしょ? 教えてよー」
「…………強いて言えば卓球、とか」
「え、ほんと? 実は僕も興味あるんだよねー、今度教えて? 一緒にやろうよ!」
当然嘘である。悟は卓球に対する興味など微塵もない。今彼の頭にあるのは鏡原を依存させてやる、という邪心だけだ。しかし当然そんなことはおくびにも出さない。それを気取られるほど、悟は素人ではないのである。
「……まぁ、気が向いたらな」
「ありがとー!」
表面上は無邪気な笑みを浮かべながらも、しかし悟の心中は罠にかかった哀れな子兎を仕留める狩人のそれだった。
「あれ? でも鏡原さんって、
「っ…………いや、まぁちょっと腕動かすくらいなら、できるから」
ごめんね、と申し訳なさそうな表情をして再度謝りながらも、悟はここで一つの確証を得た。
(やっぱりそうだ。鏡原さんは体が弱いわけじゃない)
生まれつき呼吸器が弱いという理由で、鏡原という少女は体を動かす授業に関してはすべて見学していた。それは屋外、屋内問わずである。さすがの悟をもってしても体内の臓器の疾患の有無を看破することはできない。しかしながら―――――
――――――今の反応は、生まれてからこれまで激しく運動したことない人のそれじゃない!
好きなスポーツが卓球であるということを引き出しただけでは、ただ卓球観戦が好きという可能性も考えられる。しかし「一緒にやろう」という言葉に対して、「気が向いたらな」と返答するということは、少なくともある程度の経験があるということだ。悟は思考を巡らせる。
(そもそも怪しいと思ってたんだ。運動をしないっていう割には、君は筋肉質すぎるっ!)
鏡原の歩き方、スカートの下から伸びる長い足の引き締まり、肩の揺れ方、椅子に座る姿勢とそれから伺える背筋の発達。そのすべてが彼女が一般レベル以上の筋力、そしてそれを得るにあたった運動経験を有していることを示唆していた。ちなみに前世の世界では男の方が筋肉がつきやすいのが一般的だが、今世では性別による体力差というのはほとんど存在しない。
「そっかー。それじゃ、今度よかったら一緒に卓球しようね!」
裏の思惑は見せない。悟が鏡原に疑いの目を向けていることもその変態的な性癖のことも、一切は悟自身の胸の中で留まっていれば良いことなのである。
あくまでも無邪気に。純粋に。そこに他意はないのだと、後ろめたいことなど何一つとしてないのだと、悟は自己暗示にも似た強固な偽装、いわばペルソナを自身に被せる。
鏡原は一瞬自身の体のことについて、ひいては家の事情やその他の絶対に隠し通さなければならない事について探られているのか、と疑いの目を向けるが、悟の後ろ暗いところのない澄んだ眼差しから考え過ぎかと思考を改める。実際には何も考えすぎではない。
そんなこんなで鏡原との会話を悟が楽しんでいる時、1人の少女が教室に入ってくる。
悟はめざとくその少女の姿を認めると、その裏にあるドス黒い変態的な感情を包み隠すようにして、朗らかに声を上げた。
「おはよ、あゆ!」
あゆと呼ばれた少女はあからさまに動揺して肩を小さく上下に震わせると、悟の方をちらりと振り返った。
「あ……お、おはよう」
その笑顔はぎこちなく、誰が聞いても気まずさの色を感じ取れるその声色は、普段快活なパーソナリティを持つあゆという少女には相応しくないものに思われた。
しかしそれも仕方ないことと言える。昨日フラれたばかりの相手に、何も思うところなく元気に挨拶を返せる者がいるならば、それはやせ我慢か虚勢にしか過ぎない。
その様子に悟は深い達成感と充足感にも似た満ち足りた感覚を覚えた。
(……うんうん。この感じは何度味わってもやめられないね。特に羞恥と後悔のブレンドは最高だよ。人の自尊心が傷ついた瞬間ってのもいいけど、その傷が抉られる時ってのも味わい深いものがあるな!)
悟があゆや鏡原には気取られないように心中で深く頷いていると、悟と見つめ合う気まずさに耐えられなかったのか、あゆは早々に自身の席へと退散する。
こうして今日もまた悟の楽しい1日が始まった。