「悔しい!超悔しいんだけど!ねぇ分かる!?加瀬!!」
個室に響き渡るアリスの声は、今にも爆発しそうな勢いだった。両手を振り上げ、椅子に座る加瀬に詰め寄るその姿は、いかにも“ムキー!”という擬音が似合う。
「わ、分かんないけど……」
「分かってよ!!」
加瀬は圧倒されながらも必死に答えたが、その答えはアリスの怒りを静めるどころか、さらに火に油を注いだ。
「あれ!あそこからわざとだったのよ!」
「……あそこってどこ?」
少し引き気味に問い返す加瀬を、アリスは鋭い目つきで指差した。
「右手を落とさせたところからよ!こっちを気分良くさせて、大振りの攻撃を誘うようにわざと体勢を崩して、全部全部最後の一撃のために誘導されてたのよ!超悔しいんだけど!!」
言葉をまくし立てながら、アリスは前髪を乱暴にかき上げる。その仕草には、本気で悔しがっている様子がありありと表れていた。
「そ、そう……悔しいね……」
「そう!悔しいの!!」
アリスの勢いに押されて加瀬は返事をするが、どう応じればいいのか分からず困惑するばかりだ。その後ろでは、レオが椅子にもたれながら満足そうなドヤ顔を浮かべている。
そんな様子を眺めながら、部屋の隅でジュースを飲んでいた綿貫はふと思った。“兄妹って悔しがり方まで似るんだな……”、と。
「……まあでも、良かったんじゃない?新しい攻撃の手段が見つかってさ」
いつまでもアリスを荒れ続けさせるわけにもいかないと、綿貫は言葉を投げかけて場を変えようとした。その言葉に、レオも軽く頷きながら答える。
「ああ、寺島たちが言ってたろ。レイガストは誰も使ってないって。情報が外に出てない武器はそれだけで強みになる。俺たちにとって有利だ」
「それに、レオ君でも反応できなかったあの速さ。完全に初見殺しになり得るわね」
綿貫が微笑みながら付け加えると、レオも同意するように顎を引いた。
「初見で避けられる奴、迅くらいしかいないんじゃねぇか?おい、アリス。それ鍛えろ、慣れろ」
「分かってるわよ!」
アリスは勢いよく指を突き出し、レオを真っ直ぐに睨みつける。そしてすぐに言葉を続けた。
「言っとくけど、今のノーカンだからね!私まだあのパンチに慣れてなかったんだから」
「負け惜しみか?」
「そうよ!悪い!?」
堂々と開き直るアリスを見て、レオは軽く鼻で笑った。そのまま指摘を始める。
「まだグラスホッパーとスラスター、それに合わせるパンチのタイミングが少しズレてる。初撃だって鳩尾を狙ったんだろ?」
「そうなの。でもブレちゃった」
「だからそれを合わせるんだ。トリオン体が現実の運動神経に影響される以上、当然力の伝わり方もまた大いに影響する」
「そうだねぇ。殴り方を知らない素人さんのパンチより、アンダージュニアチャンピオンのアリスちゃんのパンチの方が高い威力になりそう」
綿貫が補足するように口を挟むと、加瀬が驚きの声を上げた。
「ちょっと待って、チャンピオンなの……?」
驚愕する加瀬に対し、レオとアリス、綿貫の三人は、特に驚くこともなく軽く頷くだけだった。
「パンチ力に必要とされるのは重さ、速さ、加速度の三つだって言われてる。スラスターとグラスホッパーでこの加速度を異次元のレベルに持ち上げることが出来るはずだ。
また、パンチの効果を最大限に上げるためには大きな力を短時間でぶつける事が重要になる。正確なフォームで的確に芯を捉らえる素早い一撃は、エネルギーの伝達を最も効率的に行える」
「おっ、なんか難しい事言い出したな?」
「素人の拳ではこれらの動きが出来ていないからエネルギーが分散し、大した威力を出すことができない。その点アリスは経験者だ。トリオン体という特殊な環境下なら、男女の力差を補って余りある威力を叩き出せるはずだ。実際、オレの体にヒビを入れた訳だしな」
「レオ君やっぱり理論派だね?」
「そうやって小難しい事を考えてるから兄さんは格闘技向いてないのよ。私、殴る時にそんなごちゃごちゃ考えてないもの。反射よ反射。あと勘」
「分かってないなお前は。素人が我流でガムシャラに鍛えたところで強くはなれないんだよ。全てには理論と理由がある」
「2人とも良い事教えてあげるわ。こうやって偉そうに語ってるけど、兄さんはテコンドーでチャンピオンになったことないのよ」
「黙っとけ」
アリスの余計な一言をレオが一蹴すると、部屋に軽い笑いが広がる。
「まあともかく、アリスは次の試合までにそのズレをなるべくなくすよう努力しろ。なるべく早くその攻撃のやり方に慣れるんだ。次は難敵だぞ」
「分かってるわよ」
アリスはふてくされたように腕を組む。その様子を見て、綿貫はタブレットを手に取りながら呟いた。
「次の相手、太刀川隊がいるものねぇ……」
「太刀川隊、嵐山隊、影浦隊だろ?」
レオが確認するように呟き、綿貫は頷きながら言葉を続ける。
「何度見ても最悪な組み合わせねぇ。現状実力上位4チームが集まったって感じ」
「運が悪いのはもうしょうがない。やるっきゃないならやるだけだ」
レオは大きく伸びをして、姿勢を整える。その姿を見て、ようやくアリスも席につく。
「まだ時間余ってるし、軽く作戦会議しちゃおっか」
「そうだな」
綿貫とレオが提案すると、4人は自然とタブレットの画面に視線を集めた。それぞれの姿勢が少し前倒しになる。綿貫が操作するタブレットのスクリーンには、対戦相手となる太刀川隊の情報が次々と表示された。
「太刀川隊のことなら、この間出水に聞いたわよね」
「ちょっと悪いことしちゃったよね……」
「喋る方が悪いんだ。忘れろ」
レオはそう言って、太刀川隊のランク戦の映像を再生する。しかし、画面に映し出された試合内容は、相手チームとの力量差が大きすぎて、こちらにとって大きな参考にはなりそうもなかった。
「出水はまあ、シューターね。知ってたけど」
「トリオン量が厄介だが、それ以上にコイツはセンスがずば抜けてるな」
「アステロイド、ハウンド、バイパー、メテオラ……。出水は全部使ってるんだね……」
「フルアタックが好きみたいだけど、多分レイガストのシールドで防げるよね。レオ君の方がトリオン量は多いけど、そのアステロイドを食らっても問題なかったんだし」
「多分ねぇ~」
アリスが少し自信ありげに答える。だが、レオは画面に映る出水の立ち回りを睨むように見つめながら、口を開いた。
「と言うか、コイツは援護に回った場合の方が面倒そうだな。オレと一対一なら多分勝てるから、そうなるとありがたいんだが……」
「太刀川さんが厄介ねぇ」
綿貫は太刀川に関する最新の個人戦の記録をタブレットで呼び出し、画面に映し出す。そこには、どうやら強力な隊員たちを相手にする太刀川の試合結果がズラリと並んでいた。
「絶対レオ君狙ってくるわよ。この間個人戦誘われて断ったんでしょ?」
「あの時はお互い生身だったからな。全部フランス語で答えてたら“オッケーオッケー、ベリーサンキューマッチ”って、訳のわからないことを言って笑いながら去って行ったぞ」
「何がサンキューだったのかしらね」
「さぁ?」
レオの頭には、にこやかな笑みを浮かべて去っていく太刀川の姿が浮かんでいた。
「まあ太刀川は良い。来たら来たでオレが何とか頑張って時間を稼ぐから、その隙にお前ら2人で2点取れ」
「2点で良いの?」
「ああ」
レオは頷き、タブレットを指で操作しながら、状況を冷静に説明する。現状の各部隊の得点状況を踏まえ、必要最低限のポイントを算出したのだ。
「現状……三条隊が27ポイント、太刀川隊が26ポイント、嵐山隊が24ポイント、影浦隊が21ポイントだ」
そして、三条隊とB級3位の嵐山隊の点差は3ポイント。この試合で三条隊が2ポイント取れた場合の点差は5。これを覆すためには、嵐山隊が今回の試合で5ポイント以上取らなければならないが、このメンツを相手にして5ポイントを稼ぐのは不可能に近い。
「つまりこの試合で俺たちが2ポイント以上取れれば、上位2位に残ることが確定する。その状態でA級昇格戦に挑めるってわけだ」
アリスと加瀬が頷く。2ポイントという具体的な目標が提示されたことで、少し空気が引き締まった。
「オッケー、じゃあ頑張って2ポイント取ろうか」
「対太刀川、頑張ってね」
「もうオレがやる想定なのか……」
レオが眉を顰めると、アリスがタブレットを見つめながら問いかける。
「それで、トリマルは?私会ったことないんだけど」
「トリマルじゃなくて烏丸だよー」
「あ、本当だ。線が一本足りない……ややこしい漢字ね」
「烏丸君はオールラウンダーだねぇ。弧月とアサルトライフルを持ってるよ。弾はアステロイドとメテオラだね」
「へぇ、彼……シールドに加えてエスクードも持ってるんだ……」
「エスクード?レイガストの方が便利で強いわよ。硬いし。彼、時代遅れなのね」
アリスが得意げに語ると、レオは呆れたように視線を向けた。
「変えたばっかの癖にイキりすぎだろ。お前、昨日までエスクードだったじゃねぇか」
そう言って、レオは再びタブレットに視線を戻した。画面には太刀川隊以外の二つの部隊の情報が映っている。それらは以前戦った時から大きな変化が見られなかった。
「さて、今回舞台を選ぶ権利がある部隊は……」
「言ったね」
レオがそう話し始めた瞬間、綿貫がすかさず反応した。鋭い声の指摘に、レオは「あっ」と気づいた。自分が余計なことを口にしてしまったことを悟り、天を仰ぐようにして深く息をついた。
「言ったね。私お得意のダジャレを。ついに言ったね。つられた?ふふ、つられたんだね?」
「嬉しそうにすんな、うぜぇ」
「ふふふふふ」
綿貫が小さな勝利を満喫している横で、レオは苛立ちを隠せずに大きく舌打ちをする。それでも話を中断するわけにはいかないと、気を取り直して続けた。
「影浦隊だな」
「影浦って、あんま作戦とか練りそうなタイプには見えないけど」
「影浦がそうでも北添やオペレーターまでもがそうとは限らないだろ」
レオは冷静に答えつつ、タブレットに視線を落として影浦隊の戦績を確認している。その態度にアリスも考えを巡らせるように顎に手を当てた。
「あの思考を感知するサイドエフェクトの特性を活かすんなら、ゴチャついた方が良いわよね」
「となると市街地Bか工業地帯、もしくは森だが……まあ成るように成るさ」
レオは軽く伸びをすると、椅子から立ち上がった。その仕草には次の行動へ向けた切り替えの意志が表れている。
「とりあえず、試合までの10日間は練習を続けよう。オレは
「分かった」
加瀬は短く返事をし、レオの指示を受け入れる。一方で、レオは次に視線をアリスへと向けた。
「アリスはレイガストだ。ブレを最小限にして、スラスターにも慣れるんだ。単なる打撃では致命的なダメージを与えにくい以上、グローブのような形態もよく無いな。尖らせろ、刺せるように」
「私だけやること多く無い?」
アリスが少し不満げに眉をひそめる。それでも、その目には反抗的な意志よりも「やってやる」という気持ちが滲んでいるように見える。
「中途半端に成るくらいならどれか一つに専念でも良い。ブレをなくすか、スラスターに慣れるか、変形を上手くできるようにするか」
「全部できるわよ!舐めないでよね!」
力強く言い放つアリスに対し、レオは軽く答えた。
「そうか、頑張れ」
その適当とも言える返事に、アリスは一瞬ムッとしながらも気を取り直し、やる気に満ちた表情でさっさと仮想空間に戻って行った。その背中には、次の試合に向けて自分を追い込もうとする強い意志が見える。残されたレオたちは、それぞれの役割に向けて準備を整えるべく動き出した。
こうして三条隊は、次の試合までの10日間、ひたすら練習を続ける日々へと入った。
* * *
さて、あっという間に10日が過ぎ、三条隊の4人はランク戦のブースに足を踏み入れていた。既に作戦会議も済ませている。深呼吸をしてそれぞれ気持ちを整える中、加瀬が小さく呟いた。
「ああ……本当に太刀川隊がいた……ついに太刀川隊と俺が戦うなんて……」
前髪の隙間から見える瞳には、不安と憂鬱が入り混じった影が宿っている。
「まぁ太刀川さん超強いもんねぇ。私も緊張して手が震えて来ちゃいそうだよ」
そう綿貫は言うが、その手元では音ゲーを正確無比に操作し、フルコンボを達成しているのが目に入る。ゲームが終わると、彼女は「よっし!準備万端問題なし!」と伸びをして笑顔を見せた。
「オレには手が震えそうには見えねぇけどな」
レオはそう言いつつ、加瀬のため息混じりの緊張と、やたら楽しそうな綿貫の様子から視線を外し、隣のアリスに目を向けた。
「アリス、レイガストにどんくらい慣れた?」
「正直まだちょっと微妙よ。殴るだけじゃあ一撃では倒せないじゃない?だからグローブみたいな部分を言われた通りに尖らせようとしたんだけど……」
アリスは言葉を続けながら、ボクシングのシャドーのような動きをして見せる。その手つきにはどこか迷いが感じられた。
「うまく変形出来ないのよ……」
ため息をつくアリス。
「デフォルトの形とは大きく違うじゃない?スコーピオンみたいに切り掛かる訳じゃなくて、私のジャブに合わせて突き刺す形にしたいんだけど、毎回刃の形を同じに出来ないから微妙にブレちゃうのよね」
「それでも刺さればダメージにはなるだろ?」
「刺さるか分からないわよ?だってパンチの動き自体にブレが生じる訳だし、流石に避けられちゃうかも」
「常に刃の形状にしておいたらどうだ?」
「それも考えたんだけど、中途半端な攻撃になるくらいなら、確実にダメージを与えられる打撃に専念した方が良さげな感じよ。グローブの形状が一番やりやすいし、刃を振るような大振りな攻撃は隙になるしね」
アリスの脳裏に、モールモッドとの戦闘訓練の光景が浮かぶ。刃の形状にしたレイガストを突き刺した結果、抜くのに一瞬時間がかかり、そこに生じた隙を突かれた記憶だ。B級上位の部隊を相手にこの隙を許してしまうのは致命的になる。また、刃物形状の切り払い攻撃は確かに強力だが、打撃と違って攻撃の間合いが長く、回避されやすいという欠点もある。
「それなら、打撃戦に専念した方が良いでしょ?私は基本サポート係。取れそうなら取るけど、点にがめつくならない方がいいと思うわ」
「そうか」
「そういう事。まあ、隙を見つけたら兄さんとやった時みたいにブレードモードに切り替えて積極的に取りに行くわよ」
「分かった」
そのタイミングで、綿貫が声をかけてくる。試合開始の時間だ。
全員がトリオン体へと換装し、所定の位置に立つ。
【転送まで24秒】
アリスは握った拳を軽く振り上げて「よし!」と気合を入れる。レオは冷静にその場に立ち、加瀬は深呼吸を繰り返して緊張を解きほぐそうとしていた。
【B級ランク戦 転送開始】
機械的なアナウンスと共に、3人の姿が仮想空間へと消えていく。
そして転送が完了し、レオは目を開けた。体を包み込むのはひんやりとした湿気を帯びた空気だった。
「なるほど、そう来たか……」
小さく呟きながら視界を見渡す。そこに広がるのは灰色がかった光景。街灯が霧の中でぼんやりと揺らめき、その光が辛うじて周囲15メートルほどを照らしている。だが、それより先は濃い霧に阻まれてほとんど何も見えない。
【舞台 市街地C 夜 霧】
夜の闇が街全体を包み込み、さらに霧がその闇に溶け込むように漂っている。静けさが辺りを支配し、わずかに聞こえる街灯の音が一層不気味な印象を強める。湿気が肌を覆い、視界の制限がプレッシャーとしてのしかかるようだった。
【試合開始】
「クソみたいな舞台だぜ」
レオは悪態をつき、ぼやけた光景を改めて睨むように見つめた。