選ばれたマップは、市街地Cだった。
このマップは山の斜面に作られた住宅地で、一言で言えば階段状に住宅が並ぶ地形だ。住宅が段々に積み重なるように建てられており、最上部へ行くには必ず道路を横断しなければならない。もし最上部にスナイパーが陣取っていれば、道路に出た瞬間に狙撃されるリスクが高い。そのため、全員が高台の確保を目指さざるを得ないのだが、下からは建物が視界を遮り、上の状況を把握することが困難になる。この地形が、市街地Cをスナイパー有利のマップと呼ばせる所以だった。
しかし、今回は霧が立ち込めている。視界はおよそ15メートルが限界で、それ以上先は濃霧に覆われて何も見えない。ぼんやりと街灯の光が浮かび上がる程度で、人影や建物の大きな輪郭すら視認できない状況だ。
「厄介なことになったな」
『スナイパー有利なマップだけど、これじゃあ狙撃するのはすっごく難しいね。トリオンの光を狙いたいところだけど、どうかなぁ……』
綿貫の悩むような声が通信越しに届く。それに加瀬が応じた。
『やれるだけやってみるよ』
レオは通信を聞き流しながらマップを確認する。転送された隊員の位置はかなり分散しており、自分はマップの最上部、いわば階段に例えるなら最上階にいる。そしてその下には3人、さらに下に加瀬ともう1人の姿が映る。その1人はバッグワームを着用していたため、嵐山隊の佐鳥であることがすぐに分かった。そのさらに下にまた別の3人、そしてその下にアリスがいて、その下に残りの2人。
全体的に散らばった配置だが、自分が最上部を確保したという事実に、レオは密かに優位性を感じていた。
「ふっ、ははは!これ勝ったろ!」
『レオ君そういうのフラグって言うんだよ。やめとこう?その悪役みたいな笑い方』
上を確保したことで三条隊が優位に立った。前回の不運を思えば、今回は運が味方しているように思える。自然と笑みが漏れるのを止められなかった。
「悪いな綿貫、オレは今難聴だ。フラグとかそういうのはよく聞こえなかった」
『ばりっばりに聞こえてるじゃん』
綿貫は呆れたような声を返しながらも、マップ上でレオに弾道の補助ルートを示す作業を進めていた。それを受け、レオは笑いながらメテオラとバイパーを組み合わせる準備をする。そして綿貫がタイミングを計って指示を出した。
『よし!今だ!』
「OK、
綿貫の合図に合わせて、
『おっと!レオ君警戒!1人真っ直ぐそっちに向かってるよ!』
「まあそりゃ、誰だって上取りに来るよな……」
スナイパーに上を奪われるのは厄介だが、バイパーを自在に操るレオが上を取るのもまた厄介な状況だ。故に、ここにいるのがレオだと察した者がいれば、速やかに潰しに来るのは当然と言える。
(位置的には加瀬の援護が可能だな……)
そう考えたレオは、一旦近くの建物の屋上へと移動した。普段ならば高所に出るのは狙撃の危険があり避けるべき行動だが、霧が視界を遮るこの状況では、トリオンの光を発していない対象を狙撃するのはほぼ不可能だ。この条件を活かし、高台から周囲の様子を慎重に伺う。
そんなレオの目に飛び込んできたのは、ぼんやりと霧の中で揺らめくトリオンの光だった。光の形状は独特だ。細長く二本に伸びるそれは、まぎれもなく弧月の二刀流。レオは息を飲んだ。
「ぅわ……」
眉を顰めずにはいられない。その光が意味するところは明白だ。この試合、いやボーダー全体を見渡しても、このトリガー構成で戦う人物はただ一人しかいない。
(早速太刀川かよ……)
本来なら、このマップで自分が最上部を確保できたのは幸運だと捉えていた。濃霧に紛れながらバイパーを用いて狙撃と妨害を繰り返すつもりだったのだが、この状況ではその作戦は破綻する。レオは舌打ちをすると即座に通信を開いた。
『作戦変更だお前達。オレとアリスは合流しない』
『OK、時間稼ぎよろしくね兄さん』
『頑張って』
指示を受けた2人は迅速に動き出す。アリスと加瀬が自分たちの役割を果たすべく散開していく様子をマップで確認しながら、レオは建物から飛び降りた。
濃霧の中、太刀川の光が揺らめきながら近づいてくるのが見える。元々、太刀川が近くに居て釣れてしまう可能性も想定し、レオが時間を稼いでいる間にアリスと加瀬が得点を稼ぐというプランもあった。だが、いざ目の前に現れると、その難易度に思わず顔をしかめてしまう。
(まあ、こうなるのは想定内……なんだけどな)
改めてマップを確認すると、さらに厄介な状況が浮かび上がる。自分の下にいた3人のうち、1人が下方へ向かい、もう1人は上へと迫っている。その動きに違和感を覚え、頭の中で可能性を整理する。
(スナイパーでもない奴が積極的に上へ来る理由……そんなもん一つしかないよな)
『これ絶対影浦君だよね?このマップの動きを見る限り、上3人には勝手に戦わせておいて、下では下の面々がそれぞれ得点を狙うって感じだな』
「オレにとっては最悪のパターンだな、酷い労力だ。太刀川と影浦を同時に相手しろってか?」
『おっ、フラグ回収お疲れ様。聴覚は回復した?やれそう?』
「絶好調だぜ。やれるだけやってやるさ」
腹を括ったレオは、上がってくる太刀川と影浦の視界にトリオンの光が映らないよう、建物の影へと身を潜める。慎重に呼吸を整えながらバイパーのキューブを浮かべる。
そしてマップの情報を頼りに、上がってくる太刀川と影浦に向けて半分ずつ弾丸を射出した。弾丸は複雑な軌道を描きながら進み、相手の動きを妨害する。だが、それだけでは決定打にはなり得ない。
(やっぱちゃんと撃たなきゃダメか……)
舌打ちをして建物の影から飛び出す。今度は大通りに身を晒しながら、相手に自分の位置を示した上でフルアタックを仕掛ける。太刀川が近くにいるため、弾丸の割合を7:3で振り分け、太刀川の動きを長く封じるよう調整する。
『あと10秒で影浦君が間合いに入るよ!』
綿貫の声が耳に届いた瞬間、レオはそちらへ視線を移した。そして次の瞬間、目を見開く。
霧の中で、うねる刃が自分の首元を狙って迫ってきていた。影浦が操るものならスコーピオンの筈だが、このような形状に変化できるなんて聞いた事がない。
(こんなもん知らねぇぞ、訳わかんねぇ事すんな!)
なんて我儘を頭に浮かべつつ、咄嗟に右手に浮かべたキューブを消し、足先からスコーピオンを生成する。渾身の力を込めて蹴り上げると、辛うじてその刃を弾き飛ばす。
『あ!今度は太刀川さんがくる!警戒警戒!』
「チッ、次から次へと……!」
左手に残しておいたバイパーの弾丸を分割して撃ち、影浦を牽制する。その間に視線を反対側に向けると、太刀川の楽しげな笑みが霧の中に浮かび上がった。
「旋空弧月」
その言葉と共に、太刀川が両手に持った弧月を振り払う。拡張された斬撃が濃霧を切り裂きながら迫ってきた。
レオの体勢は悪い。影浦のスコーピオンを蹴り飛ばした反動で、足が伸びたままバランスが大きく崩れている。この状況では通常の動きでの回避は不可能だ。
だが、レオの運動能力は常人より遥かに優れている。
無理矢理体を捻り、両手を地面につけて跳び上がると、二つの斬撃の隙間へと身体をねじ込む。生身であれば確実にどこかを酷く痛めてしまうような動きだが、トリオン体ならば何の問題もない。
不安定な体勢のまま、片手でシールドを展開して影浦のスコーピオンを受け止める。そして、もう片方の手でバイパーを射出した。
複雑に変化する弾道が二人を押し返し、距離を取らせることに成功する。レオは身を捻って猫のように上手く着地をすると、荒い息を吐きながら構えを整えた。
「なんだ、走って上がってったのは妹じゃなくて影浦だったか」
太刀川が濃霧の中で弧月を構えたまま呟く。余裕のある笑みを浮かべ、その態度には揺るぎない自信が滲んでいる。
(本当に……ムカつくくらい余裕だな……)
レオは心中で舌打ちをした。だが、この状況で動揺を見せるわけにはいかない。太刀川のような相手に隙を見せれば、その瞬間に押し切られるだろう。そして、影浦もまた同じように苛立ちを抱えていた。
(妹とこのクソが合流して、上が要塞みたいになっちまったら最悪だと思って急いだが……これはこれで最悪だぜ)
鋭い敵意が影浦に突き刺さる。視界に映る太刀川の威圧感は、濃霧に紛れてなお圧倒的だった。だが、影浦はすぐに態勢を整える。この状況に来てしまった以上、彼の選択肢は一つしかない。
この乱戦を潜り抜け、なんとか点を取って生き延びる──
「レオと、影浦だっけか」
二人に順番に鋒を向けながら太刀川が笑う。その口元には戦闘を楽しんでいるような余裕が滲んでいる。
「B級に落とされて雑魚ばっか相手してきたけど、今回はちょっと面白そうだぜ」
その言葉に、レオは抑えきれない苛立ちを覚えた。
(舐め腐りやがってッ)
だが、感情に飲み込まれる暇はない。太刀川が姿勢を低くし、今まさに攻撃に移ろうとした瞬間、レオは即座に行動を起こした。
「メテオラ!」
その声と同時に、キューブが浮かび上がる。その様子を見た影浦が瞬時に反応し、攻撃を仕掛けようとするが、レオの動きが一手早い。レオは迷うことなく、メテオラをそのまま地面に向けて炸裂させた。
──ドガァンッ!
爆風が濃霧を吹き飛ばし、土煙が一帯を覆い尽くす。突然の凶行に、太刀川も影浦も目を見開いて驚いたが、慌てて跳び退ることで回避に成功した。
(これで距離を確保するしかない)
そう判断したレオは、爆発を固定シールドで防ぐ。追撃するように放たれた旋空弧月の斬撃も、固定シールドでなんとか防ぐ事ができた。その後すぐに割れた無惨なシールドを解除し、土煙が晴れるのを待たずにその場から離れ、住宅の塀の上に飛び乗った。そして、次の攻撃の準備に移る。
追い付かれる前に、
だが、二人の反応が完了する前に、レオの
「
その声と同時に、トリオンの爆撃が流星のように降り注ぐ。
──ドォンッ!!
強烈な弾丸が地面や建物を次々と砕いていった。爆発が続き、一帯は土煙に包まれた。影浦はその中を的確に動き、弾丸の隙間を縫うようにレオの元へと接近していく。一方、太刀川は冷静だった。グラスホッパーを使い、大きく後方へ退避すると同時に、迫りくる
(こいつ、本当に反応がバケモノじみてやがる)
複雑に曲がる弾丸すら叩き斬る太刀川。その的確な対応にレオは苛立ちを隠せない。
(同じ手は使えねぇ……またメテオラで爆発を起こすのは無理だ。邪魔される。それに合成弾を作る余裕も、もうない)
その間にも太刀川は距離を保ちながら旋空弧月を放ってきた。その斬撃は鋭く、レオとその足場の塀を狙い撃つように飛来する。
「チッ……!」
レオは身を低くして斬撃を回避するが、二撃目が足場を破壊した。足元が崩れ落ち、体が一瞬浮き上がる。その隙を見逃さなかったかのように、今度は影浦のうねるスコーピオンが再び襲いかかった。
(マジでこれ何なんだッ!)
レオは咄嗟にシールドを斜めに貼り、その斬撃を逸らす。しかし、影浦の動きはそれだけでは終わらない。その場で即座に反転すると、踵からスコーピオンを生やし、鋭い蹴りを放ってきた。その攻撃をシールドを分解して防ぎつつ、スコーピオンで切り掛かる。影浦は同じようにスコーピオンの刃物を使うとその攻撃を受け止めた。鍔迫り合いのようにせめぎ合う。
その時、影浦がわずかに目を見開く。それと同時に、彼は後退の動きを見せた。
(何だ……?)
危機感知能力を利用して何かを察知した影浦の動きを見たレオは、自分も即座にその場を飛び退く。そして、先ほどまで二人が立っていた場所を、太刀川の旋空弧月が一瞬で薙ぎ払った。
間一髪の回避だった。
「おいおい、俺のことを忘れんなよな。放っておかれたんじゃ傷つくぜ」
何でもないような口調で言う太刀川。レオは思わず眉を顰めた。。
(まだ5分も経ってねぇってのに……10分稼ぐってのは、流石に厳しいかもしれないな……)
鋭い息を吐きながら、レオは次の一手を考える。
(せめて太刀川に1発浴びせるくらいはしてやりたい……だが、一筋縄じゃいかねぇよな)
太刀川と影浦、どちらも圧倒的な実力を誇る強敵だった。次の行動一つで状況が決まる。レオの集中力は極限にまで高まっていた。
(オレの一番強みはやっぱりコレだろ)
レオは己を鼓舞するようにそう考えた。迷いはない。片手にバイパーを生成し、即座にそれを射出した。そして、次の瞬間にはすでに後退の動きを見せている。
その動きを見た太刀川が笑い、影浦が憤怒の声をあげた。
「お、逃がさないぜ」
「待ちやがれクソ金髪!」
二人は即座に追跡を開始する。それを確認したレオは、バイパーをこれまで以上に細かく分割した。その数、合計で216発。それらを3つずつセットにして、72の複雑な弾道を描きながら撃ち出す。
濃霧の中、光の弾丸が無数の曲線を描きながら飛び交った。トリオン量の多いレオの弾丸は、細かく分割されていても脅威だ。その攻撃に太刀川と影浦は即座にシールドを展開したり、周囲の建物を利用して回避を試みる。
──ドンッ!ドン!ドカァン!
弾丸が建物や地面に命中し、次々と爆発を引き起こす。破片が舞い、霧の中で響く破壊音が混乱をさらに煽る。しかし、この濃い霧では、弾道の精密な制御が思うようにいかない。いくつもの弾丸が標的を外れ、無駄に建物を破壊していく。
(チッ……だが、止めるわけにはいかねぇ)
レオは舌打ちをしながらバイパーでの攻撃を続けた。接近戦に持ち込まれれば、自分が圧倒的に不利になる。そのことは痛いほど理解していた。一方、影浦と太刀川は逆に、接近戦で一気に畳み掛けようと隙を伺っている。
暗闇と霧に包まれた夜の街で、3人の攻防が繰り広げられる中、突然太刀川がバッグワームを着用し、マップから姿を消した。その瞬間、レオの表情が険しくなる。
(バッグワームか、ムカつくが正しい判断だぜ……これじゃマップを頼りにした攻撃はできねぇ。でも、やめるわけにもいかねぇだろ)
おおよその位置と動きを予測し、バイパーを撃ち込む。光弾が雨嵐のように降り注ぎ、建物や道路を次々と破壊していく。しかし、肝心の二人には一発も命中しない。
弾丸がシールドにぶつかる音と、爆発の余波で舞う瓦礫の音が交錯する。レオは頭をフル回転させ、敵の動きを追おうとするが、その集中を破るように綿貫の声が聞こえた。
『レオ君後ろ!』
「ッ!」
レオが振り向いた時には、すでに太刀川が背後を取っていた。バッグワームでマップから姿を消し、グラスホッパーを使って一気に間合いを詰めてきたのだ。
弧月が首を狙って横薙ぎに振るわれる。
(ヤベぇッ!)
レオは反射的に大きく体を反らしてその一撃を回避。だが、間髪入れずに太刀川の左手が弧月を振り下ろしてきた。
(まだ、負けねぇッ!)
左手で地面に触れ、体をひねりながら、その攻撃を止めるために左足で蹴りつける。刃ではなく弧月を握る拳を正確に蹴り上げたことで、その斬撃を防いだ。
「おお!やるじゃないか!」
太刀川が楽しげに声を上げる。しかし、レオはその隙を突こうと再び片手でバイパーを生成し、射出しようとした。だが、太刀川は先手を取る。レオが足を置いて着地しようとした場所にグラスホッパーを生成し、レオの体を弾き飛ばしたのだ。
「うわっ!?」
突然の浮遊感に、思わず驚きの声をあげるレオ。追い討ちの旋空はなんとかシールドで受け止めたが、撃ち出そうとしていたバイパーは制御を失い不発に終わる。放たれた弾丸の半分は宙に飛び散り、あらぬ方向へと拡散してしまった。
だが、人間万事塞翁が馬という言葉があるように、不幸が幸福に転じることもある。飛び散ったバイパーの一部が偶然、バッグワームを着て霧の中で潜み、不意打ちを狙っていた影浦の肩をかすめたのだ。
偶然にも飛び散った弾丸には敵意も害意もない。完全に想定外の攻撃が影浦の肩を抉り取ったのだ。
影浦の肩からトリオンが噴き出し、わずかながらも彼の動きが鈍る。飛び散ったバイパーのせいで潜んでいられなくなった影浦は致し方なく飛び出していく。
「チッ……!」
そうして、舌打ちしながら即座にスコーピオンを両手で生成し、それを太刀川に向けて投げつけた。鋭い刃が霧を切り裂いて飛んでいくが、太刀川はそれを弧月で切り払う。それを見るや否や、今度は即座にうねる斬撃で攻撃を仕掛けた。
「それ、初めて見たな。どうやってんの?」
太刀川がその攻撃を受け流しながら笑みを浮かべて問いかける。だが、影浦は当然それを無視する。そして再びスコーピオンを振るい、うねる斬撃を太刀川に叩き込んだ。
太刀川は斬撃を防ぎつつ、間合いをとるために反撃の旋空を放つ。そんな二人の攻防の最中、再びレオのバイパーが雨のように降り注いできた。
(チッ……マジでくそ鬱陶しいぜ!)
影浦はシールドを貼りつつ、すぐに後退を余儀なくされる。複雑に飛び交う弾道に視線を走らせながら、心中で思考を巡らせる。
(うん、あっちから落とすべきだな)
グラスホッパーで後方に跳躍した太刀川もまた、次の一手を考えながら影浦と同じ結論に至る。レオが作り出す雨のような攻撃は、彼らの動きを縛るには十分すぎる効果を発揮していた。だが、果たしてどこまで続けられるのか──