砂塵を巻き上げる風が吹き抜ける戦場。その中で、互いに睨み合う二人の視線が交錯していた。レオはシールドを解除し、反撃の準備を整える加古のハウンドを睨む。一方の加古もまた、冷静な表情を浮かべながら周囲を見渡し、次なる動きを模索していた。
次の瞬間、加古が浮かべたハウンドが宙を舞う。それが放たれると同時に、彼女は再びワープを行った。その転移先は、レオの左斜め後方──
『レオ君、今度は南南東、背後、130度くらいかな?距離は4メートル』
綿貫からの正確な指示が、レオの耳に届く。それは過去に何度も練習を重ねた結果生まれた連携だった。指示された位置と戦況を瞬時に把握し、視界に捉えていない相手に攻撃を仕掛ける。そのための
レオは加古のハウンドをシールドで防ぎつつ、仕掛けておいた
「上だぜ、加古」
その声が聞こえた瞬間、加古の表情がわずかに動く。一瞬の逡巡の後、彼女は上を見上げた。
だが、炎天下の眩しい太陽光が容赦なく彼女の視界を奪う。思わず目を細めた瞬間、月見の冷静な声が届く。
『視覚支援入れたわ』
その言葉と共に加古の視覚には補助が入り、状況が見えるようになる。そして映し出されたのは、急速に接近してくる
「なッ!?まさか、まだ残っていたの!?」
加古の心がわずかに揺れる。驚きと焦り。しかし、それを表に出す時間はない。即座にシールドを張り、迫り来る弾丸を防ぐ。上だけではなく、背後からも迫っていた弾丸もなんとかシールドで受け止めた。
だが、レオのトリオン量をふんだんに注ぎ込んだ
「ッ、ハウンド!」
加古はスコーピオンを片手に持ちながら迫り来るレオを見据え、咄嗟に片方のシールドを消し、反撃のハウンドを放つ。インターバル中のため、転移はまだできない。レオの中で冷静な計算がなされる。
(転移ができないうちに目を潰す)
レオはシールドを展開してハウンドを防ぎつつ、加古との距離を一気に詰める。鋭いナイフのように形作られたスコーピオンを振りかざし、頭を真っ二つにする勢いで斬撃を放つ。
だが加古も即座に反応し、後方へ跳ぶ。しかしそれでも完全に避けるには至らなかった。レオのスコーピオンは加古の両目を正確に切り裂く。
「やだ、酷いことするじゃない」
加古の声は冷たく響くが、その表情には僅かに悔しさが滲む。両目の上に真一文字の切り傷が刻まれ、黒い煙が噴出し、彼女の視界は完全に奪われた。
「これでもうワープは出来ないな」
レオの冷静な声が響く。加古の視覚情報は完全に遮断され、戦況は明らかに不利に傾いた。トリオン体であろうと目から情報を取り入れている以上、眼球を潰されて仕舞えばどうしようもない。
当然、目が見えない以上正確な射撃も移動もできない。
人は8割以上を視覚からの情報に頼っていると言われている。それが突然失われて仕舞えば、歩くのも覚束なくなるものだ。
バランスを崩した加古に向けて、レオはメテオラを放つ。咄嗟に加古はシールドを張るが、その位置はわずかにずれていた。メテオラは加古の体を大きく抉る。そして、それだけじゃない。
「ッ!?」
加古の胸に想定外の衝撃が走る。視界がない彼女には何が起きたのか分からなかったが、すぐに思い当たる節が浮かぶ。
(まだ残っていたの!?
そう、
「……すごいじゃない」
加古はわずかに笑みを浮かべる。そして、その言葉を最後にトリオン体が限界を迎えた。
【トリオン供給機関破損
眩い光と共に、加古の姿は消える。
戦場に一瞬の静寂が訪れ、レオは体に残るダメージを確認する。ハウンドやトラップによって削られた箇所から黒煙が上がっていた。それでも、まずは一点確保したことへの安堵が胸をよぎる。
しかし──
『レオ君、警戒!二宮さんと風間さんが来るよ!!』
綿貫の緊迫した声が響く。レオは反射的に振り向くと、バッグワームを解除した風間がグラスホッパーで急加速しながら接近してくるのが見えた。
「マジかよッ、クソが!」
レオは咄嗟にしゃがみ込んでスコーピオンの斬撃を回避する。しかし、空中で身を捻った風間はその勢いを利用してレオの背中を強烈に斬りつけた。
「お前には前々から言いたいことがあったんだ」
風間のその冷静な声とほぼ同時に、二宮のアステロイドが降り注ぐ。レオはシールドを張り、辛うじて爆撃を防ぐが、今度は隙間を縫うようにスコーピオンのナイフが飛んできた。
咄嗟に腕を前に出して防ぐが、ナイフは深々と突き刺さる。顔への直撃は防げたものの、次の一撃が待ち構えていた。
「歳上には、敬語を使え」
その言葉と共にグラスホッパーで反転した風間は、腕に突き刺さったスコーピオンの肢を強く蹴り付けた。ハンマーで釘を打ち込むかのように叩き込まれたそれは、容赦なくレオの顔面に突き刺さる。
「クッソ!!」
せめてコイツも仕留めたい。その思いでメテオラを放つ。しかし、風間は軽やかにグラスホッパーで跳躍し、その爆発を回避した。メテオラは辺り一帯を破壊するにとどまり、レオは膝をつく。
そして……
【戦闘体活動限界
光に包まれ、レオの姿もまた消えた。
* * *
『アリスちゃん、レオ君がベイルアウトしちゃった。でも加古さんを討ち取ったからとりあえず一点確保だよ』
『了解よ』
綿貫からの通信が入る中、アリスは冷静な眼差しで状況を整理していた。荒廃した市街地に響く爆撃音と、吹き抜ける熱風。その中で次々とベイルアウトの光が上がっていた。
(開始してまだ時間はそれほど経っていない。それなのにもう三人も落ちた。ウチのエースでもある兄さんが討たれたし、風間隊の要である風間もベイルアウト。そして、その風間を倒したのは二宮……。やっぱり、東隊が一番厄介)
緊張感が全身を包み込む中でも、アリスは鋭い目つきで前方を睨む。目の前では風間隊の森本と青木が息を合わせて迫りくる。森本のスコーピオンの斬撃を、アリスはレイガストをグローブのようにして受け止めた。その衝撃がトリオン体を震わせるが、躊躇はない。すぐに反撃の拳を森本の腹部に叩き込む。が、シールドで当然のように防がれた。続けざまに襲いくる青木の銃撃をもう片方の腕で受け流す。
「まぁじで硬いね、レイガスト!」
森本が軽口を叩きながら攻撃の手を緩めることはない。続けざまに青木が二丁拳銃のトリガーを引き、弾幕を張る。
「風間君が二宮君に落とされた。これで攻撃力の面ではウチがちょっと不利だね」
「そんなん今までもあったことじゃん! ウチらもうすぐ辞めんのに黒星増やして去るとかイヤだよ!」
森本が明るい声で返しながら再びアリスに斬りかかる。その瞬間、スコーピオンの刃とレイガストがぶつかり合い、鋭い火花が散った。その隙間から見えたのは、後方から狙いを定める三輪の姿だ。いつの間にやってきたのか、銃口がこちらに向けられている。
(それなら、それを利用させてもらうわ!)
アリスは咄嗟に動いた。瞬時に体をひねりながら殴打。その衝撃で森本を後退させ、銃撃のラインに送り込む。
「ッ!」
森本は僅かな遅れでそれに気づくと、即座にグラスホッパーを使用して跳躍。銃弾を避けて空中に逃れる。弾丸は森本の抜けた隙間を通り抜け、アリスの方へ飛んできた。しかし、それを見越していたアリスは、ベルトに挟んでいた瓦を盾代わりに取り出し、
錘が付いた瓦が地面に落ちる音とともに、アリスは再び三人の動きを見極める。戦況は完全に乱戦へと突入していた。
(スコーピオンにアステロイド、バイパー、それに
青木の銃撃を防ぎつつ、三輪が放った弧月を弾き返す。その三輪へ森本が間を縫って攻撃を仕掛けるが、それを狙ったアリスが森本に向き直る。全てが目まぐるしく動く中で一瞬、隙が現れた。
(今だッ!)
アリスの目が光る。三輪のバイパーで体勢を崩した森本の動きを見逃さず、レイガストを握った腕を全力で振り抜いた。重い一撃が森本の胴を捉え、その身体を大きく吹き飛ばす。弾き飛ばされた森本のトリオン体には大きなヒビが入った。
だが、それだけでは終わらない。森本に向けられた三輪の銃口がすかさず動き、弾丸を放つ。森本を守ろうと青木が駆け出すが、アリスが青木に向けてレイガストを投擲した。
「スラスターONッ!!」
「っ、妨害! 邪魔ッ!!」
青木は二丁拳銃でレイガストを受け止め、軌道を逸らすことには成功する。しかしそのせいで救援が遅れる。その間に、三輪のアステロイドが森本の体を撃ち抜いた。
青木の顔が歪む。視界に映ったのは、「やっちまったー!!」と叫び撃ち抜かれた森本の体が光に包まれる光景だった。
(次は、こっちの番よ!)
アリスは動きを止めない。グラスホッパーを使い、勢いをつけて三輪に接近し、シールドを避けるようにステップを踏み、渾身のストレートをその鳩尾に叩き込む。
「んぐッ」
鈍い音と共に三輪が吹き飛ばされる。その体は地面を弾むように転がり、住宅の塀にぶつかってようやく止まった。
(とんでもない威力だ……これがレイガストの破壊力か……)
三輪は顔を歪めながら、割れた顎のヒビに手を当てて立ち上がろうとする。しかし、ガクンと膝が沈む感覚に襲われた。
(ッ!?)
驚き、視線を下に向ける。と、そこには膝に付着した
「クソ、
いつの間にか撃ち込まれていたそれに気づき、舌打ちする。恐らく、殴り飛ばされた際、地面を転がっている間に付けられたのだろう。
体勢を崩した三輪に向かい、青木がアステロイドを乱射する。弾丸が次々と放たれ、三輪の周囲に爆発音と共にトリオンの閃光が散る。三輪は咄嗟にシールドを展開して防御態勢を取るが、その勢いに押され、一瞬動きが鈍った。その瞬間を見逃さず、アリスがスラスターを全開にしてレイガストを三輪へと投げ放つ。
「ッ!」
青木の弾幕とほぼ同時に飛び込んできたレイガストに、三輪は瞬時に弧月を振り抜いて軌道を逸らす。だが、鋭い金属音を立てて弾き返した次の瞬間、三輪の顔が苦悶に歪んだ。
「っ、また……!?」
強烈な重みが肩にのしかかる。三輪の肩口には、
「喰らわないわよ」
アリスは即座にシールドを展開し、蛇のように曲線を描いて襲いかかるバイパーを防ぐ。その光景を見た青木がすかさず狙いをアリスに切り替え、二丁拳銃から
「
足が重みでうまく動かない苛立ちと同時に、瞬時に状況を把握するアリス。周囲にいる二人、三輪と青木が共に
「三輪かッ!」
倒れたアリスの視界の先、銃口を向けていたのは三輪だった。体に二発の
だが、その刹那。
『アリスちゃん警戒! 二宮さんが到着するよ!』
『ああ、もう! 次から次へとッ!』
綿貫の通信が入る。アリスは苛立ちを隠せずに返答するものの、泣き言を言っている暇などない。視界の端には、二宮が放ったハウンドが迫ってきている。アリスはそれをレイガストで受け止め、防ぎながら機を伺う。
そのとき、通信が再び入った。
『遅くなってごめん、指定の位置に着いたよ』
『待ち侘びたわよ加瀬!』
待ち望んだ仲間、加瀬が指定された位置に到着したのだ。その位置は乱戦の場のすぐ近く、三輪が背を預けている塀の裏手にある建物内。狙撃手である加瀬は、視界を遮る壁の影からアイビスを構え、三輪を確実に仕留めるための体勢を整えていた。
加瀬は狙いを定める。三輪は
アイビスの引き金が引かれる。
轟音と共に放たれた一撃が、一直線に三輪を捉えようとした瞬間──
『三輪くん、今すぐ伏せて』
『ッ、はい』
オペレーターの声に従い、三輪は即座に身を伏せた。
「なっ!?」
「ぇ……」
『うっそ、何で!!?』
三人の驚愕の声がほぼ同時に上がる。
信じがたいことだった。
月見は位置が正確に掴めない加瀬、壁際に追いやられた三輪、そしてアリスの視線。この3つの点から予測したのだ。加瀬が室内から不意打ちで狙撃を仕掛けてくる可能性が高い、と。
結果、アイビスの狙撃は三輪の背中を掠めて背中を削り取るに留まる。そして──
反撃の狙撃が加瀬に襲いかかる。
三輪が避けたことで露わになった加瀬の位置に、別の狙撃手の一撃が放たれたのだ。その一撃を喰らった加瀬は、驚きの表情を浮かべながらベイルアウトを余儀なくされる。
「ッ、東ね!」
アリスは作戦を完全に潰された不快感を胸に抱きつつも、すぐに行動を開始する。東は加瀬が狙撃を放つ瞬間を待ち伏せ、その位置を正確に把握して即座にカウンターを放ったのだ。東と二宮、二人の猛者が近くにいる中で、アリスは自らに与えられた僅かな時間を直感で理解していた。
(東も二宮も近くにいる……もう数秒しかチャンスはない。それなら……やるしかない!)
これまでの練習の成果を発揮する時だ。アリスは左手のレイガストで迫り来る二宮のハウンドを受け止めつつ、右手を高く掲げた。その不自然な動きに、周囲の面々は疑問の表情を浮かべる。だが、次の瞬間……
「「アイビス!?」」
驚愕の声が重なる。アリスの右手には、近距離の戦場ではまず見られないアイビスが握られていた。
(やっぱり重いッ!)
トリオン体でも手に余るほどの重量だ。とてもじゃないが近距離戦で振り回せる重さじゃない。それでもアリスは一瞬の隙も見逃さず、重量で自然と下がる銃口が三輪を捉えた瞬間、引き金を引いた。
轟音が戦場を揺るがす。至近距離から放たれたアイビスの狙撃が三輪を真正面から襲った。
【戦闘体活動限界
光が三輪を包み、彼の体は白煙と共に消え去った。
(2点、取った……!!)
だが、気を抜く余裕はない。もう二宮がこの場にやってきているはずだ。確信にも似た予感が背中を冷たく撫でた次の瞬間、彼が戦場へと姿を現した。
「加古も三輪もやられたか……まあいい」
その声はいつものように平坦なものだった。彼はポケットに手を突っ込んだまま、アステロイドを撃ち放つ。その威力はまさに暴力的というほかない。周囲の建物は容赦なく粉砕され、爆発音と共に瓦礫が舞い上がる。
アリスはなんとか青木に二宮を引き受けてもらい、自身は退避しようと考える。だが、膝に撃ち込まれた
だが、
「っ、しまった!」
アリスは振動と共に足元から伝わる異様な感覚に息を呑む。今度は無事だった方の足が狙撃で吹き飛ばされていた。崩れた体勢でもなんとか頭部だけは守ったものの、両足を失ったことで事実上の戦闘不能状態に追い込まれる。
(これじゃあもう……でも、ただで負けるのは嫌!)
心中で悔しさを叫びつつ、アリスは意地で立ち上がろうとした。レイガストを杖代わりにし、ふらつきながらも上体を起こす。その姿勢のまま両手でアイビスを持ち上げ、狙いを定める。銃口の先には、悠然と構える二宮がいた。
「おりゃぁッ!」
アイビスのトリガーが引かれ、轟音と共に凄まじい弾道が二宮を襲う。だが、当然のように二宮は小さなシールドを二枚展開し、正確なタイミングでその一撃を受け止めた。アイビスの力をもってしてもシールドを完全に貫くには至らない。とはいえ、シールドを二枚張らなければ防げない威力に、二宮の攻撃が一時的に止まる。
だが敵がアリスのその隙を見逃すはずもなく、遠方から狙撃が放たれる。アイビスを両手で構え、レイガストを手放した彼女は完全に無防備だった。誰もがその一撃が彼女を仕留めると確信した。だが……。
鋭い閃光が目の前で止められる。狙撃を阻むようにシールドが展開されたのだ。そのシールドを張ったのは、青木だった。
「一点で負けるのは、嫌だから」
そう短く言い放つと、青木はアリスに目を向けることもなく、二丁拳銃をアリスに向けてアステロイドを撃ち放つ。その弾丸は寸分の狂いもなくアリスのトリオン体を撃ち抜き、一瞬でヒビが広がっていった。
「クソ、ムカつく……ッ」
悔しさを吐き出すように呟いたその声と共に、アリスの体は白煙に包まれる。
【戦闘体活動限界
こうしてアリスもまたベイルアウトした。これにより三条隊は全戦力を失い、A級昇格戦は幕を閉じた。
結果として、最後に二宮が青木を討ち取ったことで試合は完全に終了。最終スコアは、東隊が5ポイント、風間隊が2ポイント、三条隊が2ポイントという形で決着がついた。
初のA級クラスとの戦い。
三条隊は、確かな成果を残したのだった。
* * *
試合から数日後、ボーダー内のラウンジには三条隊のメンバーが揃っていた。中心にはリーダーのレオが座り、書類を手にして何かを考え込んでいる。その周囲にはアリスと綿貫、加瀬の姿も見える。
「総評としては要約すると……“やや運任せなところや荒削りなところが多く見られる。これから先、A級として過ごす中でその戦術と技術が洗練されていくことを祈っている”……か」
レオが読み上げた評価に、アリスは複雑そうな表情を浮かべる。その一方で綿貫は「まあ、そうなるよね」と言った様子だ。他にも渡された書類には全員でサインをし、無事に提出を終えた。その書類が受理されれば、数日後には三条隊は正式にA級部隊として認められる運びとなる。
そんな静かな空間に、軽快な声が響いた。
「お疲れ様ー! ぼんち揚食う?」
ラウンジに現れたのは迅だった。レオたち兄妹をボーダーに誘った張本人である彼は、手にぼんち揚の袋を持ちながら気軽に声をかけてきたのだ。
「いやぁ……にしても、無事にA級になれたようで何よりだよ。おれもこれで一安心」
「おま……アンタには見えてたんじゃないデスカ?」
ぼんち揚を受け取ったレオは、むしゃむしゃとそれを食べながら敬語混じりで迅に返答する。その奇妙な言い回しに迅は一瞬目を丸くした。
レオの日本語の発音は、多少怪しい部分はあるものの普段はそれほど問題はない。なのに敬語を使うとなると途端にカタコトになるのが不思議だが、恐らく使い慣れていないからだろうと判断する。
迅はそう考えて特に気にせず話を続けた。この敬語はレオが風間に「年上には敬語を使え」と注意されたことを思い出し、仕方なく修正した結果だった。
「いやいや、おれに見えるのは確定した未来じゃないんだよ」
迅はぼんち揚を片手に軽く笑いながら、そう切り出した。その表情には軽妙な雰囲気が漂うが、どこか真剣な響きも混ざっている。
「ほぼ確定している未来は結構先まで見えるんだけどさ、逆に予知で介入できるような不確定な未来は割と近いところまでしか見えないんだ」
彼の言葉を受けて、レオは考え込むような表情を浮かべながら答える。
「へぇ、と言うことはオレたちの未来は不安定だったのか……デスカ?」
その問いに迅は肩をすくめ、軽い口調で返した。
「そこそこ、かな?」
そう言って、迅は視線を空中に泳がせながら説明を始める。
「あの日、初めて祭りの会場でお前たち兄妹に出会ったときに見えた未来のうち一つに、お前たちがA級として活躍してる姿があったんだよ。それで声をかけた」
迅の目には、かつての記憶が鮮明に浮かび上がっているようだった。
「そしてその後、ボーダーに入ってから改めてお前たちを見たとき、見えた未来は二つだけだった」
そう言いながら迅は指を二本立てる。
「一つはお前たちがA級になってる未来。もう一つは……8ヶ月後にはボーダーを辞めてる未来」
「なるほど……デス」
レオは低く呟く。迅の視線は、まるでその極端な二つの未来を重ねて見ているかのようだった。
「かなり両極端だ。だからこそ、こう思ったんだ。きっと何らかの理由で、期限までにA級になれなかったら辞めるって決めてるんだろうってさ」
彼の声には、兄妹を想う気持ちが滲んでいた。
「だから結構心配だったんだよ。いくつかの未来では辞めちゃってるのもあったからな」
レオはその言葉を聞き少し考えると、ため息混じりに口を開く。
「ふぅーん……結構綱渡りだったんだな」
「やっぱりギリギリだったわよね」
アリスが静かに同調する。その声に綿貫が続く。
「私も思うもん、加瀬君スカウトしなかったらヤバかった場面多いよなって」
「そんな事ないよ……最後だって、俺は何にも出来なかったし。レオとアリスさんの努力の結果でしょ……」
加瀬が控えめに言う。だが、その言葉を否定する声がすぐに返ってきた。
「いや、あんただって努力したじゃない!」
アリスがそう言って「自己評価低すぎー!」と加瀬の背中をバシバシと叩く。レオはそのやり取りを聞きながら、目を細めて過去を振り返った。
確かに、綱渡りの場面は多かった。二宮や風間と絡むことになっていたら、時間を無駄にしていただろうし、バイパーの精度が低いままだったら太刀川や影浦、加古を相手取るのは不可能だった。加瀬がいなければ、敗北していた場面も確かに多かった。
「そうそう。おれとしてはお前達三条隊にはボーダーにいてほしかったからさ。影ながら応援してたんだよ」
迅が柔らかな声でそう告げる。
「何でアンタがオレたちに拘るんデスカ。他にも強い奴はいるし、放っておいても構わないだろう?」
レオの疑問に、迅は軽く首を振る。
「そうでもない。これは持論だけど、パワーアップはできる時にしておいたほうがいい。お前たちの戦力はきっとボーダーの未来の役に立つ」
迅の目が真剣さを帯び、言葉に力が宿る。
「おれのサイドエフェクトがそう言ってる」
その一言に、部屋の空気が少し重みを増した。だが次の瞬間、迅は表情を緩め、にっこりと笑う。
「ま、と言うわけで改めてよろしく、三条兄妹。それに綿貫ちゃんと加瀬もな」
迅は軽く手を挙げて場を締めるように笑った。その笑顔は柔らかくも、どこか安心感を与える力があった。
「まあ、よろしくデス」
レオがそうやって言葉を返す。その姿を見て、迅はうんうんと頷いた。そして腰を伸ばして立ち上がると、レオの肩に手を置いた。
「今までは気を張って急いでたみたいだけど、もう無事A級になれたわけだし……これからはもっと気楽にな」
その言葉を残して、迅はその場を後にした。扉が閉まる音が響いた後、しばらくの間、部屋には静けさが訪れる。
今までは最短距離を目指して急いでいた。だがもう急ぐ理由もない。“気楽にな”と言う言葉は、ストンとレオの胸に落ち着いた。
レオはコーヒーを飲み干すと、ゆったりと伸びを一つして、アリスに目を向けた。
「帰るか、アリス。父さんに報告しに行かないと」
「そうだったわね」
アリスは椅子から立ち上がりながら、軽く笑みを浮かべる。
「約束は守ったんだから、きっと驚くわよ。絶対できないと思ってる顔だったからね」
「そうだな、きっと驚く」
レオはアリスの言葉に静かに頷くと、荷物を整えた。そして、部屋にいる皆に一言告げる。
「悪いな。そう言うわけだからオレたちは先に帰るぞ」
「バイバーイ」
「はぁい、またね」
「ばいばい」
綿貫や加瀬たちがそれぞれに手を振る。その中で、レオとアリスも軽く手を挙げた。
「じゃあな、また明日」
そう言葉を交わして、二人はボーダーの建物を後にする。外に出た瞬間、夏の暖かな日差しが二人を包み込んだ。
柔らかな陽光が彼らの影を地面に長く伸ばす。その光景を眺めながら、レオはそっと息を吐いた。
(約束は守った)
その言葉は心の中でだけ呟かれる。自分に言い聞かせるようなその声に、達成感とほのかな安堵が混ざっていた。
「さ、帰ろう兄さん」
アリスは隣を歩くレオに目を向けると、そう声をかける。レオは小さく頷いた。そして二人は静かに家への道を歩き出した。
どこか穏やかな空気が流れる中、夏の蝉の声が遠くから響いていた。
三条兄妹の物語はこれで完結となります。
皆さまからの感想や評価、ここすき等が大きな励みとなりました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。