“今日は、会長を待っていて本当に良かったわ。”
自分も帰路につくべく迎えの車へ歩み寄りながら、かぐやはしみじみとした満足感を噛みしめていた。
“恋人同士って、こんなにも多くのことを語り合えるのね。”
実時間にしたら、ほんの15分たらずの語らいだった。たったそれだけの立ち話の間に、怒ったり、泣いたり、微笑み合ったりしてしまった。3時間の待ちぼうけをなんの苦とも思えない、濃厚で報われたひと時だった。
これもまた、白銀と一緒にいることでかぐやに与えられた、ちいさな奇跡のひとつなのだろう。
「やっと、ご帰宅ですか。待たせすぎですよ、もう。いい加減、先に帰っちゃおうかと思ってたところ。」
運転手ではない声にそう話しかけられて、かぐやが驚きで目を見開いた。
「早坂!?…じゃなかった、愛さん!! なぜここにいるんです!?」
早坂愛は、もうかぐやの侍従ではない。主人でもない相手の帰りを遅くまで待っている義務はないはずだ。
「そりゃあ…かぐやのことがちょっと心配だったからに決まってんじゃん。友だちとして、ね。」
早坂が当たり前のことのように口にした答えに、かぐやは瑞々しい感動を覚えていた。契約関係や損得と関わりのない、まっさらな親切を人から受けるというごく普通の経験が、かぐやにはまだ乏しいのだ。
「ふふふ、愛さんったら。侍従じゃなくなっても、私にはとことん甘いのね。」
「そこは、素直にありがとうって言うトコっしょ?」
「はいはい。ありがとうございます。」
「よろしい。で、会長くんとちゃんと話はできたの? なんか揉めてるみたいだったケド?」
「それはもう、実に有意義だったわよ。知ってる、愛さん? 会長、将来は宇宙飛行士になるのが夢なんですって! とっても素敵じゃない!?」
「えぇー…。高校生にもなって、それはどーかなぁ? 昭和の小学生みたい。」
早坂が、げんなり顔で辛辣な感想を述べた。彼女は生粋のリアリストなのだ。長年、自力で稼いでため込んだ貯蓄の額が4000万円を超えているのは、伊達ではない。
「はぁー。お金にしか幸せを見出せない仕事人間だった人は、これだから困るわ。おかわいそうに。」
「誰のせいですか、誰のッ!? いつかひっぱたきますよ、マジで!?」
さすがにブチ切れそうになる早坂だったが、かぐや相手ではまともに話は通じないという厳然たる事実を思い出して、すぐに矛先をひっこめた。
「まー、かぐやがステキだって思ってんなら、別にそれでイイけどさ…そんなにフワフワ浮かれてて大丈夫? それこそ、宇宙に行くのと同じくらい大変になるかもしれないんだよ、かぐやのスタンフォード行き。わかってる?」
「もちろん。会長にも、随分と心配させてしまってたみたい。だから、よーく話し合っていたのよ。」
「それで?」
白銀との語らいの内容を、かぐやが手短にまとめて語り聞かせた。
聞かされた早坂の顔が、みるみる険しくなっていく。
「いやいや、ダメじゃん、結局はノープランとか! 会長くんの言ったとおりっしょ!? マジでありえないから!!」
強い怖れを含んだ必死の表情を浮かべて、早坂がかぐやを真っ向から非難する。
「前からアホだアホだって思ってたけどさ!? やっていいアホと、悪いアホがあるって!! かぐやがそんなんじゃ、わたし安心して普通の女の子できないじゃない!? もう少ししっかりしてくださいよ、このアホ!!!」
「ちょっと、愛さん!? いくらお友だちだからって、そんなにポンポンとアホアホ言わないでちょうだい!?」
「わたしが言ってやらずに、誰が言ってくれるってゆーんですか!? かぐや様のことを誰よりも理解している者として、わたしには責任が…!」
「まあ、早坂。ずっと、そんなふうに想ってくれてたのね?」
「うっ、いや…ま、それなりには。」
「じゃあ、なんで今はわからないのかしら? なんだかんだと口では言っていても、この私が完全に無策のままでいられるわけはないって。」
「あー……。すでに陰謀は始まってるんですね? ド汚いのが。」
「人聞きの悪い言い方しないで。具体的な手はまだなにも打ってないのは本当よ。ただ、いろいろと考えを巡らせてはいるわ。私の…習性みたいなものね。」
「それを聞いて、ちょっとだけ安心しました。やっぱり、かぐや様はかぐや様ですね。」
「そう言われても、素直に喜べないのはどうしてかしら? …ともかく。」
思慮深く、そして決意に満ちたかぐやの視線が、星々が散る美しい夜空を傲然と見上げた。
「会長の夢も、私のささやかな幸せも、四宮の家なんかに邪魔はさせないわ。会長は、会長らしいやり方で私に奇跡を示してくれたんですもの。私も、私なりのやり方で応えてみせたいの。」
「はあ…。そこまで真剣に考えてるんなら、わたしがこれ以上口をはさむコトはないなー。ま、がんばって?」
「なにを他人事みたいに言ってるの、愛さん? あなたにも当然、協力してもらいますから。」
「は? なんで?」
「友だちでしょ?」
「とんでもない厄介ごとに平気で巻き込もうとするのが、友だち?」
「いいじゃない。あなたには当分遊んで暮らせるお金があるんだから、ちょっと手伝うくらいの余裕があるはずよ。」
「四宮家の資産に比べたら、はした金もいいトコなんだケド…。うーん…。ま、知恵くらいは貸してあげてもいっかな。」
「そう言ってくれると信じてました。では、あなたも車に乗って。さっそく相談に乗ってもらいたいから。会長にはとてもお話しできない、いろーんなコトをね?」
「うわっ、暗黒ガールズトークってカンジ? マジ、ウケるー。」
その言葉とは裏腹に、全然目が笑ってない早坂を後部座席に押し込むと、かぐやも颯爽と後に続いて乗り込んだ。
延々と待機をさせられていた運転手が、内心の不満をおくびにも出さない無表情で、送迎車を静かにスタートさせた。
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“…そうよ。私だって、戦って見せる。”
車窓を流れていく夜の街並みの灯りを眺めながら、かぐやは密かに悲痛な覚悟を固めていた。
“たとえ、どんなに怖くて不安でも。たとえ、行く手を阻む障害が、とても私の手に負えないものであっても。”
そう。
実のところ、父や兄たちを相手になんらかの勝機をつかむ算段など、かぐやにありはしなかった。元来の臆病さや、これまでの人生で染みついた無力感のせいではない。奮い起こした決意を杖にして、しごく冷静で客観的な目で改めて現実をしっかり見据えてみても、やはり四宮家は途方もない魔窟であり、末娘たるかぐや個人が歯向かってどうこうできる代物でない事実は、微塵も変わらなかった。
つまり、かぐやが白銀と早坂に対して見せていた傲慢なほどの自信と不敵さは、すべて虚勢だったのである。
“きっと、私は何度も打ち負かされるでしょうね。”
自分でも驚くほどに淡々と、かぐやはそう認めていた。この先、幾度も苦汁を飲まされ、望まない妥協や回り道を強要され、白銀との仲を一時的に引き裂かれることだってあるかもしれない。
だか。しかし。それでも。
“私は、いつまでも戦うわ。なにがあっても、けっして諦めずに、戦い抜いてやるから。”
かぐやに断言できるのは、それだけだった。
それだけが、彼女にとっての生きる目的だった。
「…かぐやも、そんな顔をするようになったんだね。」
かぐやにぴったりとに身を寄せて、彼女の顔を覗き込みながら、早坂が感心したように呟いた。
「えっ? どんな顔してました?」
「なんていうか…すごく大人びた顔。そんなかぐや、わたしも初めて見た。」
「なによ、それ。じゃあ、愛さんの目には私が今まで子供に見えてたの?」
「ええ、そりゃもう。わがままで、甘えん坊で、かわいそうな迷子でしたよ、あなたは。」
「ふうん。」
否定も肯定もせず、かぐやはまったりと気だるげな笑みを浮かべた。
「あれ? 怒らないんですね?」
「愛さんにいまさら怒ったって、しかたがないもの。その代わり、あなたには見届けてもらうわ。」
「なにをです?」
早坂の問いかけに、かぐやが万感の想いを胸にこう答えた。
「やっと居場所を見つけた迷子が、自分の運命とどう戦って行くのかをよ。」
それは、静かな宣戦布告であった。
四宮かぐやの果てしない戦争が、これから始まるのだ。