揺らぐ方舟~接待:『虎の手』~   作:凍結済み

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一・五話 鉄板ステーキ

 両親はあたしが八歳の時に死んだ。

 

 裕福ではなかったけれど、温かい家庭だった。工場働きで収入も少ないくせして、父さんと母さんの一番の関心事は毎年のあたしの誕生日。その日だけはこの世のどんな人たちよりも自分が幸せだと思えたものだ。

 

 今でも鮮明に思い出せる。身体の芯からじんと温めてくれるような感覚を。父さんと母さんが調理されて作られたステーキの美味しさを。

 

 鉄板ステーキ。両親が八歳の誕生日祝いに連れて行ってくれた初めての高級ステーキ店。

 

 そこであたしの両親はシェフから食材に選ばれた。

 

「これから大変かもしれないけど頑張るのよ」

 

「俺たちの子なら出来るさ。なんてたってロキのパパとママは『貴舌』に認められたんだからな」

 

 二人はいつもの如くあたしに優しく微笑む。当時のあたしには父さんと母さんがただ喜んでいる事しか分からなかった。

 

 二十三区の裏路地では食人文化が浸透していることも。

 

 『貴舌』と呼ばれ、巷で尊敬されている食の評論家の事も。

 

 シェフに食材として選ばれることが栄誉だということも。

 

 耳を塞ぎたくなるような悲鳴が途切れた後、すぐ出てきたステーキが両親を材料にしていたことも。

 

 何も知らなかった。

 

「君は良い親御さんを持ったもんだねえ。まさか自分たちを最初に子供に食わせるよう懇願するなんてね」

 

 シェフのその一言はステーキを心ゆくまで堪能してほっと一息をつくあたしを瞬く間に絶望へと叩き落した。

 

 両親が戻ってこない理由。さっきの悲鳴。不可解だった事実が説明されてしまう。分かりたくなかった事実を理解してしまう。

 

 あたしは吐いた。気持ち悪くて仕方なかった。吐いても吐いても物足りなくて。空腹に腹の虫が鳴るまであたしは吐いた。

 

「おやおや、駄目じゃないか。食べ物を粗末にしちゃ。しかも君の両親だろ? もっと感謝して食べなきゃ駄目だろ?」

 

 呆れたようにシェフがあたしを一瞥した時、途端にあたしの頭で様々な感情がせめぎあった。罪悪感。困惑。怒り。悲しみ。

 

 だけど幼いあたしには何よりも恐怖が膨れ上がり、他のどれをも押しつぶした。死にたくない。そのただ切なる願いだけがあたしを動かす。だけど逃走を図ろうとしたあたしをシェフは前に回って、引き留めた。

 

「おっとどこに行くのかね? 今日からここがあんたの家だっつうのに」

 

 訳が分からなかった。シェフの言動も表情も。怖くてたまらない。でも逃げ道が塞がれたあたしに出来ることは一つ。

 

「こ、殺さないで…。帰して。あたしを家に帰してください…」

 

 ただ懇願すること。恐怖の原因に縋って、祈る。この世界では余りにも無意味な行為。事実、無意味だった。だってシェフが返したのは。

 

「大丈夫だよ、安心しな。あんたの料理人としての素質はあたしが保証してやるから。その代わりみっちり教え込んでやるから覚悟しな」

 

 あまりにも噛み合っておらず、そして最悪な回答だったから。…自信たっぷりなウィンクが添えられた。

 

 その笑みがたまらなく恐ろしくて、機嫌を損ねればいつ自分の命が飛ぶか不安でたまらなくて。あたしは憎悪と悲哀を呑み込み、彼女の愛情を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 薄暗い路地裏で大の大人が情けなく、泣きはらし、鼻水を垂らして、喚き散らしている。

 

 情けないというのは私の主観じゃない。客観的な絵面がだ。だって、男はたった十歳のあたしに地べたへ頭を擦りつけて懇願しているんだもの。

 

 だけど彼には恥も外聞も捨てるに充分な理由があった。あたしは肉切り包丁を持っていて、彼の右手はとうに切り落とされているのだから。

 

「や、やめろ! そ、そうだ! カ、カネだ! カネならいくらでもやる! だ、だから、命! 命だけは!」

 

 男の叫びがこだまする。だけどここは二十三区。日常的に幾多もの悲劇が繰り返される場所。

 

 己が悲劇だけを見つめなければ、あっという間に路地のシミへと呑み込まれてしまう場所。

 

 故に彼の痛切な叫びはどこまでも響きながら、誰からも聞き入れられない。

 

「お兄さん、活きが良いね。きっとおばさんも喜ぶよ」

 

 あたしは笑って、彼の腹に包丁を突き刺した。笑うしかなかった。じくじくと疼く胸の痛みを、男の命と共に散る絶叫を、笑い飛ばすしかなかった。

 

 六年間。あたしはシェフ、メイおばさんに料理人として修行をさせられた。

 

 調理器具の正しい使い方。肉の良い塩梅の焼き目。材料に合った味付け。

 

 素材の見極め方。人を誘拐する手管。抵抗された場合に備えた戦闘技術。人を一番苦しめて殺す方法。

 

 メイおばさんはあたしに何から何までを教えた。あたしは何から何までを再現させられた、想像させられた。あの日、父さんと母さんがあたしのテーブルに出されるまでの経緯を。

 

 この時手に入れた戦闘技術が十二歳という異例の若さでフィクサー免許を取得できた理由で、今日まであたしを生かしているというのだから、失笑するしかない。

 

 意外にもメイおばさんはあたしを学校へ通わせてくれた。最初は友達が少なかったけれど、後の方になるにつれ増えていった。即ちあたしが異常な価値観に順応していくにつれて。

 

「ロキは良いよね~。毎日、天下の料理人様のステーキを毎日味わえるんだもの。休みの日とかど~せ一日三食ステーキなんでしょ~。はあ、わたしも料理人の家に生まれればよかったなあ」

 

 アヤが溜息を吐く。あたしは堪らなくなって、得意げに自慢する。

 

「へへん、いいでしょ。今度、アヤも家に来なよ。あたしの友達って言えば喜んで振舞ってくれるはずだよ」

 

 アヤは呆れたと言わんばかりに頭へ手をやった。

 

「そういう時はそんなことないよ~って言って、慰めるもんだよ」

 

 本音はそうだった。だが、そう言っても、否定され、拒絶され、一層嫌われるのが関の山だ。だからこそあたしは、堂々とするしかない。

 

「事実なんだから仕方ないでしょー、へへへ」

 

アヤはそこでいっとう深いため息をつくのであった。

 

 六年間。あたしは常識を押しつけられ続けてきた。

 

 周囲からはいつも羨望と嫉妬の入り混じった視線で見られていた。『貴舌』の手料理を毎日食べられるなんて、なんて素晴らしい日々なんだろう、って。

 

 その視線が腹立たしくて、低学年の時は怒りと悲しみを周囲にぶつけては呆れられる日々。

 

 いつしかあたしは自分自身が異常なのだと思うようになり、やがてそれは確信へ。中学年に上がる頃には、メイおばさんの事を自慢げに話すようにさえなった。

 

「よくお食べ、ロキ。おっきくなって立派になるんだよ」

 

 メイおばさん特製のステーキがテーブルに差し出される。鼻腔をくすぐる香り。じゅう、と至る所から溢れる肉汁。ナイフとフォークで一切れ取ると、タレが鉄板の下に垂れ落ち、蒸発し、香りを沸き立たせ、いますぐにでも肉にがぶりつきたい衝動に駆られる。

 

 そして料理の材料について想像が膨らんでいく。

 

 すぐに思考を打ち切り、思い切って咀嚼すると、旨味が口いっぱいに広がった。その実像たる肉汁はあたしの口で飛び散り、暴れ、思う存分、舌先を美味という名の暴力で嬲っていく。

 

 まるで舌が肉を焼く鉄板そのものになったようだった。

 

 嚥下した時になってようやく、正気を取り戻したように、薄気味悪さを感じる。その訳は自己嫌悪か、生理的嫌悪感か、あたしにはもうわからなかった。

 

「うん…。美味しいよ! もしかしたら今までで一番かも!」

 

 気持ち悪さを誤魔化すために絞り出した感想を聞いて、メイおばさんの顔がぱぁっと明るくなる。

 

「そりゃ、よかった! 今日は新しい薬品を使ってみたんだよ! あんたが言うなら、看板メニューのレシピにしても良さそうだね!」

 

 六年間。人肉料理を食べ続けてきた。あの地獄の日々からどうにか抜け出して、十年以上の歳月が過ぎたというのに、舌にはすっかりメイおばさんのステーキの味が染み込んで離れない。

 

 きっかけがあるたび、ありありと思い出す。あの味を。あの日々を。抑圧せざるを得なかった感情の数々を。

 

 カーテンから射し込む光に、目覚める。安宿特有のすえた匂いが鼻を刺し、ほっとする。あの六年間は、肉がこんがりと焼けた香ばしい匂いで目覚めていたものだ。とうに過去として割り切った日々が今更、蘇ってきたのは、彼女を連想したからだろう。喪失感と絶望と共に。

 




トールちゃんを落としたい場合、極力、肉の話題は避けましょう。

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