「書類が1枚……書類が2枚……」
「ア、アキが死んでる……」
「な、何があったらこんなことになるのよ……」
「アキさんがこんな風になってるの、初めて見ました……」
小遠征から帰って来たレフィーヤ達が見たのは、食堂で突っ伏しながらラウルに介抱されているアナキティの姿。
なんだかプスプスと煙でも出しているのではないかというその姿は、普段からキビキビと2軍筆頭としての役割を熟している彼女の姿からは想像出来ないようなものだった。
「レフィーヤ……あなた、凄かったのね……」
「え?え?な、なにがですか?」
「あれだけの量の仕事を、顔色1つ変えずこなしていたなんて……」
「……?私はいつも、食事を運んだりメモ用紙を取って来たりしているだけですよ?」
「え?」
「え?」
ここにあったのは、アキの勘違い。
アキは今日までずっと、今の自分ほど忙しくはなくとも、レフィーヤも同じようにこうして彼女の手伝いをしているのだと思い込んでいたのだ。しかし実際にはそんなことはない。むしろレフィーヤは一緒にお茶を飲みながら和やかにお話ししていたくらいで。こんな風になるくらい忙しいことなど1度もなく……
「……あぁ、だからこんなに、使われたのね」
「ア、アキィィィィ!?」
アキは悟った。
きっとここ数日これほど自分がこれほどにこき使われたのは、レフィーヤが帰って来る前に大半の仕事を終わらせるためなのだと。そしてレフィーヤが帰って来たら、また和やかな時間を過ごすために、自分はこれほど働かされたのだと。
「にしてもあの女、マジで優秀だったのね……」
「ティオネ達は一緒に18階層まで行ったんじゃないの?」
「一緒には行ったけど、イマイチよく分からなかったのよ。まあ初めてのダンジョンで難なく動いてたし、頭が良いのは分かったんだけど」
「実力はどうだったんすか?」
「それもレフィーヤとアイズしか見てないんだよねぇ」
「い、いえ、私も殆ど見れていないので、実質的にアイズさんしか……」
「それで?そのアイズはどうしたのよ」
「リヴェリアと一緒にまだ深層〜、もう帰って来てるくらいかなぁ?」
「なら結局、何にも分からなかったんすね」
「………うーん」
まあ、実際それはそうだ。彼女について今回の遠征で恐らく誰よりも知ったのはアイズであり、ティオネとティオナは殆ど離れて行動していた。なんならずっとフィンと何かを話していたし、ティオネにとって彼女に対する良い印象というのは殆どないだろう。
……それでも。
「まあ、なんて言うか、本当にレフィーヤのことだけは特別扱いしてるってことは分かったわね」
「……やっぱりそう?」
「あんな必死な顔も出来るんだ、って驚いたくらいだし。あと明らかにレフィーヤの前だと印象が違う」
「そ、そうですかね……」
「そうよ。アンタがアイズと何処かに行ったって話をしたら、物凄い勢いで走って行ったんだから。びっくりしたわよ」
結果としてレフィーヤは殺されかけ、敵はアイズ単独では敵わなかった。故に彼女の判断は間違っていなかったとは言え、普段あれほど達観している女がレフィーヤのこととなると目の色を変える。それは何も知らないティオネ達から見れば、あまりにも異様だ。別に悪いこととは言わないが、しかしそれにしても……
「アキはどう思ったー?ずっと一緒に居たんでしょ?」
「……簡単に言えば、団長と同じことを、違うやり方でやってる人ね」
「アキまでそう思うの……?」
「ティオネは嫌がるかもだけど、実際そうだから仕方ないのよ。……多分、直接やり合えば思考戦でも団長の方が強いとは思う。ただ問題なのは、あの人は殆ど何にも縛られてない」
「縛られてない……?」
「英雄になりたいとか思ってない」
「「「!」」」
「だから人を騙すし、脅すし、偽る。平気で嘘も吐くし、人の思いも利用する。そういう手段の豊富さもあって、団長と対等の目線で話してる」
「レフィーヤは生き辛そうって言ってたけど……」
「……でも、なんかその言い方だとイマイチこう」
「1番の問題は、小物じゃないのよ」
「?」
「最悪の一線は超えないし、小悪党にもなってくれない。別に美学とかがある訳でもないのに……余裕があるせいか、妙に大物に見える」
「……着いて行きたくなる背中、ね」
「なにそれ?」
「レフィーヤとアイズが言ってたのよ。団長と同じ背中をしてるって」
「……まあ、結果的に着いて行ってた私は否定出来ないか。年下に敬語まで使って」
「け、敬語……」
そんな風に話していたからだろうか。
噂をすれば影が差すとは言うが、本当に珍しく、噂の本人が食堂に顔を出す。そして隣に居るのは当然のようにフィンであり、その背後に苦笑うロキと頭を抱えるガレスの姿。どうやらリヴェリア達はまだ帰って来ていないらしい。様子から見ても、少し遅めの昼食と言ったところが。
「あら、こんにちはレフィーヤさま。皆様もごきげんよう」
「私達はオマケかっつーの」
「あ、あはは……」
「えっと……大丈夫っすか、ガレスさん。珍しく疲れた顔してますけど」
「これが大丈夫な訳があるか、ここ最近毎日毎日働き詰めじゃわい。……ラウル、お主も手伝わせるからな。アキと同じくらいの顔色になることを覚悟せい」
「うぇぇええ!?まじっすか!?」
ここ数日。地下水路を掘ったかと思えば、それを埋めさせられて。ようやく帰って来たかと思ったら、今度は拠点の中庭を掘るなどと言い始め。そうなった経緯も説明されたものの、最早頭に入れることさえ拒絶したくなるようなとんでもない話の連続。
今回の闇派閥の件については、まだファミリア内でも公にはしていない。役割上アキとアイズは知らざるを得なかったが、反面ベートやティオネ達はこれを知らない。
そして力仕事ばかりのガレスのサポートに、ラウルもここに入れることが決まった。今はとにかく誰にも悟られないように動く、内情を知っている人間を絞る。それを徹底していた。
「団長〜♡よければ午後から一緒に買い物でも……!」
「あはは、気持ちは嬉しいけれど暫くは難しいかな。少しやること、というか、やらないといけないことが増えてしまってね」
「……またこの女のことですか」
「何を勘違いなさっているのか分かりませんが、わたくしとしても不本意ですわ。叶うのであれば、わたくしだってレフィーヤさまと買い物に行きたいと思っていましたのに」
「そ、それはまた時間がある時に……」
はじめてフィンの気持ちが分かったと思ってしまったレフィーヤであるが、取り敢えず今はその話は良い。それよりも問題は、一度レフィーヤに優しい笑みを浮かべた後、すぐ様に表情を戻してアキの方に目を向けた、その一連の流れ。
目を向けられた途端にビクンッと体を跳ねさせ、背筋を伸ばすその様子には、流石のフィンでさえも苦笑いさえ出来なかった。ほんの数日でここまで関係を叩き込まれたなどと、誰も信じたくはないだろう。
「ではアキさま、今日はこちらの書類と手紙をお願いいたします」
「て、手伝いはもう終わったのでは……」
「貴女がとても優秀な方でしたので、わたくしの方から勇者様にお願いさせて頂いたのです。……もう少しお借りしたいと」
「ひんっ」
「手紙も書類もいつも通り、まだ封はしてありません」
「だ、団長が帰って来たのなら、もう私が確認しなくても……」
「ふふ、何を言っているのだか。勇者様が5秒これに目を通すより、貴女が5分目を通す方が得られるものはよっぽど多いでしょう?貴方の育成のためにも、より効率的な手段を取るのは当然のこと」
「あうあう……」
「さてさて、アキさまも良い加減に書類を読み慣れて来た頃でしょうし。そろそろ作る方にも挑戦してみましょうか。……一先ずは、アキ様が作成されていた私に関する勇者様への報告書について。つい先ほど添削しておきましたので、戻って来たら説明の為の時間を作りましょうか。今日も暇はありませんわよ」
「う、うわぁぁあん!ラウルぅぅ!!」
「アキが壊れたっす!?」
「さ、流石に可哀想でしょ……」
密かにアキが作っていた、グラナに関するフィンへの報告書。しかしそれは何故か今、監視されていた本人の手元にあり、離れていても分かるくらいに大量の付箋と赤字による訂正が入っている。
それを見た瞬間にアキの心はとうとう決壊し、ラウルに抱きつきに行ってしまった。それはまあそうだろう。この場に居る誰もがアキと同じ立場にはなりたくない。ラウルさえもそうである。なんならフィンだって……
「君は……なかなか厳しい上司みたいだね」
「ふふ、何を他人事のように。指示をなさったのは貴方でしょう?勇者様」
「……うん、その言い方だと僕がアキに嫌われてしまうからやめて欲しいかな。教えてあげて欲しいとは言ったけれど、そのやり方まで指示した覚えはないよ」
『信じてたのに!!』というような顔をアキに向けられて、流石のフィンもこれには真剣に弁明した。笑って話せることではなさそうだったからだ。
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夜、月夜の下で明かりも点けず、湯上がりの身体で温かな茶を嗜むと言うのも一興というもの。
……ここ数日は、本当に色々と忙しかった。というより、やることも考えることも多かった。常に頭を回していて、流石に頭痛に悩まされて来た頃合。
「わたくしは勇者様とは違い凡人なのですから、もう少し優しく扱って貰いたいものですわ」
そんな誰かが聞いていたら微妙な顔をしそうな独り言を呟きながら、それでも目元を難しい顔をして解す様子に、疲労していることだけは間違いないのだろう。
まあそもそも、書類の把握と手紙の配送なんかにアナキティが走らされていたということは、その分だけグラナが筆を走らせていたということと同義。そしてそれは既存の知識を学ぶような勉強でもないのだから、彼女の頭は常に動き続けていた。少なくともアキ以上に疲労が溜まっているというのは、どう足掻いても事実だ。
「……正直、別にオラリオがどうなろうと、どちらでもいいのですが」
仮に闇派閥の暗躍によってオラリオが滅びたとしても、それはこの街に住む者達の怠慢でしかない。それこそグラナがロキに話したように、ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアがいがみ合っているのは愚かしい事ではあるけれど、そもそも世界は既にそんな状況ではないということを彼等は分かっていない。
融和を図るどうこうの問題ではなく、そうせざるを得ないのにしていないというのが事実だ。
闇派閥の中にはきっと、本当にオラリオを恨んでいる者達も居るだろう。理不尽ではあるが、恐らくそういった人間は今後も益々増えていく。オラリオが今の形である限り、それは仕方のないことだ。
「それなら1度くらい痛い目を見て、改めて自分達の立場を見つめ直すべき……そういう意味では、闇派閥の方に肩入れしたくはあったというのに」
それが本音。
闇派閥とオラリオ、両方の立場と意見を知り、どちらに付くのかを決めようと考えていた。そして現状のオラリオを見るに、自分は闇派閥側に付くべきだと、今でもそう思っている。無能な統率者が居るのなら、自分が残党を乗っ取り、そのままフレイヤ・ファミリアとロキ・ファミリアを叩き潰す策もまた頭の中にはあった。
「それなのに……ああ、本当に嬉しい想定外」
そんなことがどうでも良くなってしまうような出会いが、そこにはあった。
「……正直、最早オラリオどころか世界さえどうでもいい。しかし世界が存続していなければ、彼女は輝けない。であればこの努力は必要なもの」
あらゆる優先順位がひっくり返った。
それまで多少なりとも世界の将来を憂いていた気持ちは完全に二の次となり、今は世界を守るためではなく、彼女を守るために生きている。
「一先ず……現状の闇派閥は潰すべきですわね」
ここ数日で集めた情報と、そこから導いた概ねの全容。
少なくとも闇派閥はモンスターを操る術を持ち、Lv.5を超える人外と関係を持っている。そして謎の宝玉によって階層主級のモンスターに進化させることが可能であり、闇派閥の拠点はオラリオの地下全土にまで広がっている可能性がある。
……力を持ち過ぎている。
そして方針が破滅的で、意味がない。
これほどの戦力があるのであれば、オラリオと戦争することさえ可能。運用法を間違わなければ、容易く大量殺戮をすることが出来る。なんならバカでも拠点を崩すだけでその上に住む者達を容易く殺戮することが出来る。しかしそれを使ってやろうとしていることが、恐らく大概イカれている。言ってしまえば、無駄。少なくともグラナの価値観としては。
「ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアを叩くことはさておき、オラリオを滅ぼされるのは流石に困りますわね」
何をどう考えたらそんなことをしようと考えられるのか。頭のイかれた馬鹿の考えることはよく分からない。そんなことをして、次に死ぬのは自分達だろうに。
「まあ、問題はフレイヤ・ファミリアの方でしょう。ロキ・ファミリアに融和を図る意思があっても、フレイヤ・ファミリアは増長している。……闇派閥を壊滅させることは既定路線として、こちらも一連の流れの中に取り入れたいですわね」
彼女の安全を確保するために最も容易い方法は、ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアの融和である。どのような形であれ、それを成すだけで世界の情勢は大きく変わる。なんなら彼女が戦う必要さえなくなるだろう。
「フレイヤ・ファミリアを崩す……」
ロキ・ファミリアに助けを求めざるを得ない状況を作り出し、それを弱みに都市防衛の協力を取り付ける……そこまで考えてグラナは一度その案をグシャグシャに丸めて捨てる。もちろん頭の中で、処分した。
「それよりも女神フレイヤをどうにかするべきでしょうね」
魅了の力を持つ最大派閥の主神。
眷属全てが彼女のために努力を積み重ねており、彼女の信仰者は都市外にも相当数が居る。しかし彼女本人は非常に奔放であり、我儘だ。暗黒期には都市防衛に協力していたとは言え、今は完全に無関心を貫いている。……もちろん、必要になれば動くのだろうが。
「その時になったら動けばいい、そんな愚かしい認識を叩き潰す」
こうなると闇派閥に協力し、ロキ・ファミリアが遠征に向かっている最中に、フレイヤ・ファミリアの本拠地周辺を崩落させるという手を使いたくなる。吹き飛ばしたっていいだろう。
「………………………………………ああ、もう面倒ですわね。やっぱり闇派閥は乗っ取りましょうか」
その方針は、それくらい簡単に決まってしまった。
「取り敢えず、幹部陣と現在の主神は皆殺し。適当な神を見繕って闇派閥を新生させましょう。……レフィーヤさまを守るためにも、敵対組織をそのまま奪った方が容易いですしね。女神フレイヤにも一度痛い目を見ていただきましょう。その眷属共々」
今日はもう触れるつもりではなかった紙とペンを取り出し、勢いのままに筆を走らせる。小さく点けた明かりの下、次第に出来上がっていく想像図。
……その中心に居るのはもちろん、1人のエルフの少女。
「ふふ、やはり"わたくし"はこうでなくては……はてさて、いったいどんな神を象徴として持ち上げるべきか。昔を思い出して楽しくなってきてしまいますね」
グラナ・グレーデ、殺帝の子。
彼女は決して、誰かの下で尽くすようなことは出来ない。少なくとも今の立場について彼女が大人しく従じ続けるようなことは、決してない。