結局のところ、レフィーヤ・ウィリディスは無事に27階層から生還した。フィンという増援と、フィルヴィス・シャリアの献身、そしてヘルメス・ファミリアとの連携。
あれほどに絶望的な状況にあったにも関わらず、死傷者は少ない。しかしヘルメス・ファミリアから死者が出てしまったことは間違いなく、レフィーヤも自身の未熟さを再度自覚することとなった。
……のだが。
「あの……そろそろ私、精神疲弊(マインドダウン)も回復したんですけど」
「そう、それはなによりですわ」
「……その、だからこんな風に看病してもらうのも」
「良いではありませんか。あれだけ心配させられたのです、少しくらい楽しませてくださいな」
「うぅ、恥ずかしいです……」
「それにしても、最近は物価も高くなったものですね。まさか差し入れの果物がここまでするとは」
もう自分で起き上がることも出来るというのに、こうして食事や果物を口に運ばれている。世話を焼かれている。
帰って来てから彼女はずっとこの調子でレフィーヤの側にいるのだ。それでも仕事はしているし、相変わらずアキも酷使されている。
「……」
「?なにかありましたか?」
「あの、ですね……今回の件で、改めて自分の未熟さを実感したと言いますか」
「なるほど」
「私はまだ並行詠唱も出来ないし、近接戦闘も役に立たない。後衛なのに指揮も取れなければ、精神力も弱くて魔力の操作も危うい……本当に、駄目だなぁって」
「それで、どうされたいのですか?」
「……私、強くなりたいです」
「強く、ですか」
「手伝って、くれませんか……?」
真剣なレフィーヤの表情、そこにあるのは『後悔したくない』という想いなのだろう。彼女の憧れているアイズはどんどん成長していて、24階層での戦いでも活躍していたというのに。自分は未だ何も変われていない。そこに焦っているというのもある。
「……なぜわたくしに?これでもレフィーヤさまと同じく、未だLv.3の身です」
「オラリオでLv.3になった私と、都市外でLv.3になったグラナさんとの間に大きな差があることは、私にだって分かります。……もし貴女が本気で強くなろうと思ったのなら、きっと直ぐに差を付けられてしまう」
「……」
「私には貴女のように優秀な頭がない、努力も足りていない。それでもアイズさん達の役に立とうと思うのなら、自分の長所を伸ばすしかない」
「そうでしょうね。今更レフィーヤ様が指揮の勉強をしたところで、需要はないでしょう。将来的には必要な能力とは言え、今直ぐに活躍したいのであれば、能力をより尖らせるのが一番早い」
「……でもきっと、私が私のやり方で努力しても意味がない。それでは今までと変わらないから。だからグラナさんの力を借りたいんです。グラナさんなら、私の間違ったやり方を正してくれるんじゃないかなって」
「……なるほど」
強くなりたい、追いつきたい、レフィーヤのその強い気持ちは分かる。だがこの件に関しては正直、グラナとレフィーヤの方針は合わない。なぜならグラナはレフィーヤが死地に飛び込むのを良しとしていないから。
なんなら弱いままの方が都合が良い。せめて闇派閥の一件が終わるまでは、実力不足のままで居て欲しい。そう考えている。
「……非常に残念ですが、この件について協力することはできません」
「ど、どうして……!!」
「というより、わたくしが動けないのです。具体的には次の遠征まで、わたくしはこの館から出ることが出来ない」
「え……?」
レフィーヤは驚く。
まさか思わなかっただろう。彼女が未だにそんな立場に居たなどと。けれど未だに彼女に自由はない。1人で外に出ることさえも、許されてはいない。
「それと、次の遠征もわたくしは不参加です」
「な、なんでですか!?」
「遠征の最中、わたくしには別の役割が命じられています。ガネーシャ・ファミリアと協力して、とある任務を行わなければなりません」
「任務って……」
「正直、その準備のためにもレフィーヤさんの修行に費やせる時間がないのです。そしてその任務のために、館から出ることも出来ない。……目立つ訳にはいかない」
「そんな……」
だからレフィーヤに協力することは、そもそも出来ない。それは決して悪意ではなく事実だ。
グラナにだって余裕はない。一歩間違えれば自分が死ぬだけでなく、レフィーヤにも危険が及ぶ。失敗は許されないのだ。神を相手に立ち回ることになる以上、根回しも普段以上のものが要求される。
「ですのでレフィーヤさまも、遠征が終わるまではどうか、わたくしのことを誰にも話さないように。それは相手が同じ団員であってもそうです」
「そ、そこまでですか?」
「失敗すれば、わたくしは死にます」
「!?!?」
……そんなとんでもないことを、グラナはまるで当たり前のことのように言った。レフィーヤにとっては心臓が止まりそうになるくらいに衝撃的な、そんな話を。
「貴女は、貴女はいったい、何をさせられているんですか……!?」
「それを話すことは出来ません。……ただ、何れ嫌でも分かるでしょう。無関係ではいられませんから」
「でも!どうしてグラナさんがそんなことを!?まだ入ったばかりじゃないですか!!それとも!!………それ、も、貴女が外から来た人だからですか……?」
「というより、出来る人間が他に居なかったのです。これを十分に成せる人間は、勇者様か、わたくしか。他に十分な候補が居なかった。あまりにも求められる成果が高過ぎますので。……となると、当然わたくしがやるしかないでしょう。消去法です」
「だからって……!」
「それに、やっていることは変わりません。成果を得るために命を賭ける、遠征と同じでしょう?」
「……」
「わたくしも、これは必要なことだと確信しておりますから。そのせいでレフィーヤさまのお手伝いが出来ないことだけは心苦しく思いますが、これも将来のレフィーヤさまのためになる。そう思えば一時の我慢くらい出来るというもの」
「……新人団員に、させることじゃないと思います」
「特別枠ですから。不自由を承知で受け入れた立場、不満などありません」
「っ」
「そもそも、死ぬつもりもありませんので。いつものように最低限の手を広げて、必要なものだけ掠め取る。上手くやりますとも」
「……はい」
なんとなく、なんとなくレフィーヤは分かった。
きっと彼女が求められている立ち位置は、切り捨てることの出来るフィンなのだと。フィンの予備という立場だけでなく、フィンの身代わりにもなる。フィンしか出来ないようなことも出来る彼女は、故に容易くそれを押し付けられる。
……もしかしたら、自分も知らないうちに、彼女はこれまで何度もそんなことをさせられていたのではないかと。レフィーヤは想像してしまう。
「私に……私に何か、できませんか……?」
「無事に帰って来ていただければ、それだけで。笑顔で『帰りました』と言っていただけるだけで、わたくしは十分です」
「……それなら、グラナさんも言ってください」
「?」
「グラナさんも、私が帰って来たら『おかえりなさい』って言ってください」
「!」
「約束してください……!」
「……分かりました。約束しましょう。笑顔でお迎えいたしますわ」
「絶対ですからね!」
レフィーヤのそんな姿に、目を細める。
突然に手を掴まれた時にはあまりの驚きに一瞬息が止まるほどの思いであったが、そんな驚きさえも塗り潰される。本気の表情、向けられる目、彼女の全てが今自分の全てを貫いている。
(ああ……守らなければ……)
熱が湧き上がる。
脳が焼かれる。
心臓が高鳴る。
身体が震える。
(進めなければ……計画を……)
彼女の動きを止めていた疲労が吹き飛んだ。
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神ヘルメスは中立の立場を維持し、どの派閥に属することもなく、しかし決して不干渉である訳でもない。
中立という立場を良いことに自身の気のままに全ての派閥に関わり、その物事の行末を自分の望む方向へと導いている。……そんな印象を受けた。
「……というのが、勇者様と作り上げた想像図と今後の計画になります。良い機会なのでシャクティさまにも説明させて頂きましたが、よろしいでしょうか」
「……」
「……」
「……」
「……すまない、1つ確認させてくれ。これを俺に伝えることを、勇者(ブレイバー)は承諾しているのか?」
「いえ?わたくしの独断です。ヘルメス・ファミリアに協力を要請することさえ伝えておりません」
「「「大問題じゃない(です)か!!!」」」
神ヘルメスとその眷属のアスフィ・アル・アンドロメダ、そして付き人のシャクティの3人は、ガネーシャ・ファミリアの拠点の一室で揃って大声を上げた。
それはそうだろう。なにせこんな話、少なくとも主神であるロキが認めていることが前提でなければ話すべきではない。それはこんな、団長であるフィン・ディムナにも黙って……
「お前!こんな、いくらなんでもな……!!」
「ふふ、これでは流石に報告出来ませんわね。シャクティさま」
「っ、それが目的か!!」
「冗談です、わたくしはただ無駄を省きたかっただけですから」
「無駄……?」
「今更ヘルメス・ファミリアが闇派閥と関わっているのかどうかなど、そのような無駄なやり取りで時間を浪費したくなどない」
「「「!」」」
「何を勘違いしているのか知りませんが、わたくし達にはとにかく時間がないのです。なんなら今直ぐにでも都市が滅んでもおかしくない」
「……そこまで言うのか」
「もしわたくしが闇派閥を率いていたのなら、想定される闇派閥の現戦力を保持していたのなら、前の遠征の時にオラリオを殲滅しています」
「っ」
「敵に理念も遊びも思想も無ければ、少なくともバベルは既に容易く倒壊していると捉えて頂きたいのです」
それまで彼女の突飛もない行動に驚いていた3人であるが、今は顔を強張らせて口を閉じている。目の前に広げられた大用紙。そこにはグラナが今判明している部分の概ねの繋がりだけを記してある。しかし少なくとも神ヘルメスであれば、それだけで多くを察することが出来る筈だ。
……そして同時に、目の前の女の価値についても。ウラノスから直々に協力するよう要請された、その理由まで。
「さてシャクティさま、1つ前提を置いておきます」
「……なんだ」
「これからロキ・ファミリアの遠征が終わるまで、貴女は否が応でも報告書に嘘を書くことが多くなるでしょう」
「っ」
「ギルド、ガネーシャ・ファミリア、ヘルメス・ファミリア……今動かせるあらゆる手段を使い、一気に調査を進めます。遠征が終わり次第、直ぐにでも敵中枢を叩けるように」
「馬鹿な!!何が起きるか分からないんだぞ!!何処に敵の目があるのかも分からない!!フィン達の帰りを待つべきだ!!」
「今がグラナ・アリスフィアという女の影が最も薄いのです」
「!」
「今この瞬間を無為に過ごすなどという下策、どうして取れるでしょう。わたくしには守らなければならない方が居ますのに」
「………」
シャクティを説得している間にも、彼女は次々と用紙に情報を書き込んでいく。アスフィはその様子に圧倒され、ヘルメスはただ只管に書き込まれる情報に目を向け、その全てを頭の中へと叩き込んでいた。
……この様な時にあっても、彼女は時間を惜しんでいる。その姿にシャクティも否定が出来ず、唇を噛むばかり。
「アスフィさま、貴女は"神秘"のアビリティを持つアイテムメーカーであるのだとか」
「え?あ、はい」
「であれば、幾つか作って頂きたい物があります。これ等は神ディオニュソスの調査に使用する物ではなく、地下拠点侵攻時に使用するものです。しかし早急な準備をお願いしたくあります」
「調査には使用しないのですか……?」
「ええ、そちらについては良い方法を思い付きました。この手段であれば、殆ど他所への委託という形で済みます。……もちろん、要所で動く必要はありますが」
「……フィンからの頼み事はついでということか」
「本命の1つです、こちらを雑に済ませることは許されません。全てに全力で取り組みます」
「……」
その辺りで漸く、神ヘルメスが顔を上げる。
アスフィやシャクティと話していたことも、彼ならば聞いていたという前提でグラナも向き合う。グラナ・アリスフィアはヘルメスのことを疑ってなどいない。その理由さえも説明する必要がないと、無言で語っている。
「……1つ聞かせてくれないか?」
「どうぞ」
「君はこの先、俺達ヘルメス・ファミリアをどう使うつもりだ?」
「……最前線での戦闘、それ以外の全てを」
「っ」
「最前線での戦闘、『以外』の『全て』か」
「神ヘルメスの略歴を見て、ヘルメス・ファミリアの大凡の方向性については予想してあります。"神秘"持ちのアイテムメーカーに、何より情報と行動力を必要とする神としての立ち振る舞い。……そこに24階層での騒動も含めて考えれば、最低限の戦闘能力を保持しつつ、実のところは貴方の暗躍に団員達が付き合わされている形でしょう。そしてそれを成すに必要な能力も、当然保有している」
「……すごいな、書類上の情報だけでそこまで分かるのか」
「もちろんギルドから事前情報も頂いています。……それと、流石にこのレベル申告は嘘でしょう?よくもまあ見逃して貰えていますね」
「はっはっは、これは勇者が目を付ける訳だ。うちに来ないか?楽しい仕事が出来るぜ」
「いえ、申し訳ありませんが。わたくしには既に心を捧げた方が居ますので」
「……まさか、ロキにか?」
「レフィーヤ・ウィリディスさまです」
「……どうしてそうなった」
「誰にも分からない……」
「いえ、まあ、確かに"千の妖精"は我々を助けてくれましたが……」
ヘルメス・ファミリアの内情については既に知られているらしく、それ故に求めることもまた決まっていたらしい。そしてこういった人材と出会うことも多いヘルメスでさえ、目の前の少女に対しては普段とは違う心持ちで接している。
(勇者に匹敵する?馬鹿を言うなよウラノス、曖昧な言い方で危うく勘違いしかけた。能力の振分が違うだけで、総合値なら同等だろう、これは)
今もなおガリガリと彼女の手は何かを書き続けているし、書き込まれる情報量とその内容にヘルメスは冷汗を流す。
「……これ、どこまで本気なんだ?」
「全て本気ですが」
「いや、だからと言って……勇者であってもこんなことは考えないだろう。誰を引き込むって?」
「文字通りです」
「言葉で言ってくれ。正直、俺でもこれは本気で馬鹿げているとしか思えない」
「はあ、まあ構いませんが」
「女神イシュタルを引き込みたいのです」
「……せめて嘘だと言ってくれ」
本計画の最終目標、女神イシュタルをこちら側に引き込む。そんな頭のイかれた計画を前にして、流石のヘルメスでさえもアスフィとシャクティと同じ反応を示していた。
女神イシュタル。
歓楽街を支配する娼館ファミリアであるイシュタル・ファミリアの主神であり、女神フレイヤと同じ美の女神である。もちろん魅了の力を使うことが出来、しかし同じ美の神として比較されることが多いからか、フレイヤのことを強く妬んでいるという悪癖がある。
それどころか最近では、嫉妬が行き過ぎて闇派閥に関わっているのではないかとさえ噂もある始末。どうやったって面倒な存在であり、確実に手を出すべき相手ではない。関わることさえも考え直すべき相手だ。
……どころか彼女を取り込もうなどと、ヘルメスからしても正気の沙汰ではない。
「さて、ここからはまた根回し根回しの時間です。皆様のお力、存分に使わせていただきますわ」
女は笑った。