【完結】殺帝の子   作:ねをんゆう

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30-2.女神イシュタルの変わった毎日

「イ、イシュタル様……なんだい、その格好は」

 

 

「っ………あまり、見るでない……」

 

 

「「「「えっ………」」」」

 

 

「見るなぁぁ……」

 

 

「「「「えぇ……」」」」

 

 

 神ヘルメスがアイシャ・ベルカに提案して行われた、神イシュタルとの契約切り。

 ギルドや女神フレイヤに突き出す前に。転職しようにも改宗することさえ出来ない元イシュタル・ファミリアの団員達のためだけに、これは執り行われた。

 

 ……とは言え、元団員の彼等が神イシュタルと再び顔を合わせることを密かに恐れていたのは確か。なんならそのまま天界に送還されていればいいとさえ思っていたのに、何故かこの女は生き残っていたのだから。また魅了でもされたらどうしようかと、ヘルメスから『そこは絶対に大丈夫だ』と念を押されなければ拒否していた者さえ居ただろう。

 

 

「ぅぅ………み、見るなぁ……こんな私の姿を、見るなぁぁ……」

 

 

 (((こんな魅了の仕方あるか……?)))

 

 

 これこそ神々の言うギャップという奴なのかもしれない。いつもはあれほど偉そうに踏ん反り返っていた女神が、今こうして目の前で顔を真っ赤にし、涙さえ浮かべながら縮こまっている。

 

 信じられない。

 

 そもそも誰だ?

 

 こいつは本当に女神イシュタルなのか?

 

 そんな色々な疑問が団員達の頭に過ぎり、そのあまりの様子に危うく庇護欲さえ出て来てしまいそうになる。

 

 

「ヘルメス様、確かにアンタはアタシ等に大丈夫とは言ったが……何があったらこうなるんだい?」

 

「いや、驚いているのは俺も同じだ……再教育中とは聞いていたんだが、まさかここまで変わるとは」

 

「再教育?……誰かは知らないが、よくあの傲慢女をここまで仕立て上げたもんだ。眼を疑ったよ」

 

「……変わったのが容姿だけなら、俺も驚くくらいで良かったんだけどな」

 

「え?」

 

 

 白を基調とした厚手のセーターに、スリットさえ入っていない長めのスカート。露出の全くない服装だけでなく、装飾品も首に掛かっている小さなネックレスだけ。しかも化粧は元の美貌を際立たせる程度のことしかしておらず、香水さえもLv.4のアイシャの嗅覚でもキツくないほどに薄く爽やかなものだ。長い髪も丁寧に切り揃えられ、しかし以前のように色々と付けている訳でもなく自然体で、心地の良い香りを醸し出しながら前の方で軽く結ばれている。

 

 本当に誰なんだお前は。

 

 きっと誰もが今この場でそう思っている。

 

 アイシャがヘルメスと互いに微妙な顔をしながらそんな話をしていると、早速元団員達の改宗の手続きが始まる。とは言え背中の恩恵を主神たるイシュタルが少し弄る程度の話ではあるのだが。

 

 ……そこでアイシャは、更に驚く光景を見ることになった。

 

 

 

 

「……その、すまなかったな。レナ」

 

 

 

「え?…………えぇっ!?」

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 あの女神イシュタルが、謝った。

 

 子供達のことなど蟻程度にしか思っていなかった、あの女がだ。

 

 

「許してくれとは言わん、これは私のただの自己満足だ。それでもお前達には迷惑をかけた……いや、これから先もかけることになる。全ては私の考えが足りていなかったからだ」

 

「え、あ、えぇ!?こ、これ私どういう反応をすればいい!?」

 

「好きに言えばいい、咎めることはしない。……ここ数日で、本当に色々と考えさせられた。本当に色々と頭に叩き込まれた。私が如何に愚かで、無知で、傲慢で、考えたらずで、無能で、ゴミで、クズで、カスで、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で、下品で…………」

 

「怖い怖い怖い怖い怖い!!!なんかイシュタルさま壊れちゃってるってぇ!!」

 

 

 突然目から光を消してブツブツと呟き始めてしまった女神イシュタル、その姿はどう見ても普通ではない。ヘルメスの言っていた再教育、それの成果がこれなのだろう。

 彼女は以前のように脚を組まない、以前のようにふんぞり返らない、顎を上げて見下さない、手を腰に当てて威張り散らさない。

 

 

「……私のして来たことは、全て間違いだった」

 

「……!」

 

「私のして来た全てを、言い訳の余地がないほどに徹底的に否定された。その時に何をすれば良かったのか、0から100まで全て指摘された。私は見事にそれとは真逆のことをし続けていた。……私の頭は、他者を導くにはあまりに未熟だった」

 

「イシュタル様……」

 

「……何の罪滅ぼしにもならないが、私の財産はお前達の好きにするといい。まあそれほど残っていないがな。私もこれからまたやり直す」

 

「やり直す……?」

 

「ああ、見ての通りだ。"美の女神"を名乗るに相応しい存在になるために、何もかもを変えていく必要があると分かった。……本当にこの方向性でいいのか、未だに疑問はあるのだがな」

 

 

 レナの恩恵に触れながら、イシュタルはそう言って弱々しく苦笑う。自嘲する。けれどその笑みは団員達が一度も見たことないくらいに攻撃性がなく、柔らかなもの。

 ……言葉一つにしてもそうだ。以前のような他者に突き刺すような口調ではなく、ゆっくりと、そして柔らかな口調に矯正されている。けれどところどころで以前の雰囲気が出てしまうのは、やはりまだ矯正途中だからなのだろう。あと何故かところどころで恐怖が滲み出ているのは、もう知らない。

 

 

「……私は」

 

 

「うん?」

 

 

「……私は、似合ってるって、思うかな」

 

 

「……!」

 

 

「その、今のイシュタル様の格好も、お姉さんみたいで良いと思う。前の時より話しやすいし、そっちの方が好きかも」

 

 

「……そうか」

 

 

「だから……うん。本当は今日これっきりで、もう会わないようにしようかなって思ってたんだけど……えへへ、ちょっとだけ気が変わっちゃったかも」

 

 

「……!」

 

 

「またさ、頑張ったところ見せて欲しいかなって。イシュタル様がどんな風に変わるのか、ちょっと楽しみになっちゃった」

 

 

「……………………………………レ、ナ」

 

 

「え、えぇ!?イシュタル様が泣いたぁ!?な、なんでぇ!?」

 

 

 レナの言葉にポロポロと慎ましやかに泣き始めたイシュタルを見て、流石のアイシャも口を挟めなくなる。

 それはもう『今更になって何を言ってんだい』とかなんとか打つけてやりたい文句はいくらでもあった。春姫を犠牲にして、それでも勝ち目の薄いフレイヤ・ファミリアとの抗争を画策したり。それ以前にフリュネをLv.5だからと言って好き勝手させて、その被害を自分達は受けていた。今後も闇派閥と関わりがあったせいで、自分達もその影響は受けるだろう。決して無関係とはいかない筈だ。

 

 それでも。

 

 

「……神は不変だって聞いたんだがね、あそこまで変わるもんなのかい?」

 

「いやぁ、ううん……まあイシュタルは割と純粋なところがあったしな」

 

「は?あれが純粋?頭腐ってんのかい?」

 

「いや、純粋からかけ離れた存在ってのは分かるんだが……まあ、なんて言うか、美の女神としての悩みってのもあるのさ。本当に何の悩みもなく生きている存在なんて、神にも居ない」

 

「……悩みねぇ。あの女神サマが何に悩むんだか」

 

「少なくとも、今みたいなことを言われたことはなかっただろう」

 

「……」

 

「とは言え、それも元を辿れば自業自得なんだが……別に受け入れる必要もない。引っ叩きたいなら引っ叩けばいい。むしろ優しくし過ぎればまた付け上がるから、適度に叩いて泣かせてやってくれ。……彼女の教育者からはそう言われているよ。魅了と雰囲気に流されず、ちゃんと恨みは晴らしておけってさ。それがきっと誰のためにもなる」

 

「……はっ、その教育者ってのは相当優秀な奴らしい。今度個人的に挨拶させておくれよ、仲良くなれそうだ」

 

「それはどうだろうなぁ……」

 

「……?」

 

 

 今のイシュタルを見れば分かる。

 完全に雰囲気が清純寄りに走り始めていることを。これは確実にその教育者の趣味が入っているだろう。仕草や化粧も、威厳というものからかけ離れている。むしろこう、可愛らしく、純真で、性格もそちらの方に矯正されているのではないだろうか。彼女が本来持っていた自信や自尊心も粉々に破壊されているし……

 

 

「いや、でもこれはこれで良いのが流石だな……」

 

 

 美の女神として美貌は確かであり、プロポーションも抜群。あんな性格をしていても、だからこそ良い!と自分から踏まれに行くような神も多く居た。そして彼女は踏んでくれたから、尚更に需要はあった。

 

 ……けれど、基本的に美の神というのは自分に自信を持っている。高飛車な言動もデフォルトだ。しかし今のイシュタルにはそれが(出来)ない上に、そうしていた過去があるというのもまた男心を擽るところ。

 

 

「……よし、やっぱりフレイヤ様には黙っておこう」

 

 

 ほぼ確実にぶん殴られるだろうけど。こんなにも面白いものを見てしまったら、今後の変化にも期待せざるを得ない。

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、流石に改宗をせず残ってくれるアマゾネスまでは居ませんでしたか」

 

「すまん……」

 

「いえ、まあそこは元より単なる希望でしたので。戦力にならなければ断るつもりでもいましたから。……むしろ罵倒だけでなく、多少とは言え応援の言葉があったことに驚きですわ。それほど彼等にとって、イシュタル様の変わりようは驚くべき事だったのでしょう。良かったですね」

 

「……いや、お前のおかげだ」

 

「おや、これは珍しい。何か悪い物でも食べました?」

 

「わ、私とて分かっている。以前のままの自分であの場に立っていれば、私は石さえ投げられていただろう。……悔しいが、全てお前の言った通りだった。こちらの私の方が彼奴等は嬉しそうだ。ヘルメスでさえ私に気を向けていた、警戒以外の」

 

「まあ、今のイシュタル様に警戒すべきところなんてありませんもの。それに可愛いですし」

 

「かっ、かわっ!?」

 

「わたくしが1から10まで指導したのです、可愛らしいに決まっているでしょう。舐めないで下さいな。……まだまだ磨き足りない所だらけですが、今の調子なら女神フレイヤに並び立つのも時間の問題でしょう。それほどに劇的な変化をしています。……ふふ、教育しがいのある良い素材をお持ちですわね」

 

「おお……!」

 

 

 以前のイシュタルの姿のままなら、『やるではないか』とでも言うような雰囲気で上から目線で驚いていただろうが。今のイシュタルはまるで本当に子供のように嬉しそうに驚く。変な余裕を見せることもないし、そもそも余裕というものが今の彼女には殆どない。

 

 ……そうなるように、一度心を粉々にへし折られているし、価値観をズタボロにされて泣かされている。取り敢えず一度子供のように大泣きするまで、徹底的に精神的に追い詰められている。他者が見ていたら普通にドン引きするような酷いこともされている。

 

 

 (意外と染まり易いし、流され易いのが良い……成果さえ出れば、それが正しいと思い込む。心酔する。あの性格も美の女神としての成功体験の末に生まれたものなのでしょう。恐らく彼女の不変の本質はそこ。これは思いの外、いい拾い物をしてしまいました)

 

 

 そうしてグラナは彼女の横に座ると、魔道具ハデス・ヘッドを被っていたせいで潰れてしまっている彼女の髪をとかしはじめる。少し気恥ずかしそうに、けれど黙ってされるがままになっているイシュタル。

 

 ……これもまた飴の一つだ。こうして定期的に世話を焼き、肌を触れる。今の状況では他に会話の出来る相手の居ないイシュタルは、いくら厳しくとも、時々こうして優しく接してくれるグラナに益々心酔していくという手法。

 

 それに何が酷いかと言えば、彼女は本当のことしか言わないこと。その上で別にそこまで屑でもないということ。変化は素直に褒めるし、可愛いと思っているのも事実。それが嘘ではないと分かってしまうからこそ、益々信用してしまう。

 

 つまりはまあ、子供達の嘘が分かるという性質を、逆に利用されているのだ。天界の神々からすれば、本当に面白い光景だろう。別に天界に居なくとも面白いのだが。

 

 

「ただ……その、な?」

 

「ん?なんです?」

 

「一つ、その……流石にどうにかして欲しいことがあるのだが」

 

「なんでしょう」

 

「……『性行為』の禁止は、まあ、分かる。私も理由を聞いて最後には納得したことだ、約束は守る」

 

「あれだけ懇切丁寧に説明しましたからね、破ったら見捨てます」

 

「ただ……流石に『自慰行為』の方法まで指定するのは、なんとかならないのか……?」

 

「なりません、道具を挿入することは許しません。その代わり指は許します。不浄の穴も禁止です」

 

「わ、私は性欲が強い方なのだが……」

 

「だからこそでしょう。別に何時間没頭しようとも構いませんが、他者に見られても最低限の品格は保てるようにしなさいな。以前のように短棒使ってガッポガッポやっているところを見せ付けられても困りますわ」

 

「い、言うなぁあ!それは絶対に外で言うでないぞ!」

 

「言われたくないのなら、もう少し可愛らしい行為をなさい。自分で自分の首を絞めたり、喉の奥まで指を入れるといった行為も禁止ですからね」

 

「しない!!お前は私を何だと思っているんだ!」

 

 

 なお、言うまでもないがこれらもまた教育者の趣味である。というか、いくら声を掛けても出て来なかった彼女の部屋に押し入って、そんな滅茶苦茶な光景を見せ付けられたグラナは、性的な部分であっても教育し直すことを決めたのだ。

 

 彼女の性欲が強いことは分かっているが、いくらなんでもあんな姿であんなことをしていたのを見逃す訳にはいかない。いくら処女でなくとも、限度がある。激しさを求めるにしても、せめて指でやれ。それなら多少の可愛げもあって、処女厨のグラナでも我慢出来る。

 

 

「お前のせいで私は最近……せ、"性行為“という言葉を発することさえ躊躇うようになっているのだぞ」

 

「それは何より。電撃のお仕置きが効いているようですね」

 

「あれほど男女構わず喰らい尽くした私が、今更どの顔を下げて性行為は禁止されていると言えばいいのだ……」

 

「そもそも女の身体など安売りするものではありません。高く売ろうと画策すれば、適切な時期に相応の容姿があるだけで……特に最初の一度など、容易く数百万の値さえ付けられることを理解しています?」

 

「……そんな値を付けるのはお前だけだ」

 

「わたくしはむしろ処女は保護すべきと考えておりますので。……まあ、これまでのことはさておき、今日からの生まれ変わった貴女の身体は安売りしないことです。それは金だけではなく、手札にもなり得るのですから」

 

「!」

 

「快楽に溺れた獣に品などあるはずもないでしょう?辛くとも我慢なさいな。別にすること自体を禁止している訳でもないのですし」

 

「……分かった」

 

 

 いや、それはきっと違う。

 

 彼女の指導はとても"辛い"ものではあるけれど、同時にとても"楽"なものでもある。

 

 誰かの言うことを聞いていれば、それだけで成功出来るのなら。これほど楽なことはない。彼女の言うことを聞いていれば成果が出る。それを知ってしまって、溺れている。自覚がある。

 改めてこの立場になってそれが分かったし、そのような存在になることの難しさを知った。他者を導くことの難しさを思い知った。自分は他者を導くことなど一度たりともまともに出来ていなかったし、導くに相応しい存在でもなかったことを理解した。

 

 

「……グラナ・アリスフィア」

 

「?なんです、珍しく名前なんか呼んで」

 

「お前は凄い奴だ、私が認める」

 

「はぁ、褒められても碌な反応を返せませんが」

 

 

「お前は欠落したものを、自分の力だけで補っている」

 

 

「……」

 

「お前はきっと、人間として何か重大なものを欠落しているんだろう。異常性もある。だがそれを自身の力で補い、隠し、振る舞っている。こうして見れば普通の人間だ」

 

「……貴女がそれほど勘の強い神だとは思っていませんでしたが」

 

「勘ではなく、接して思った事だ。寝食を共にした相手のことくらいは分かるつもりだ」

 

「なるほど、それは失念していましたわ」

 

 

 また、目を閉じる。

 これもまた彼女の癖の一つだと、イシュタルは知っている。自分に都合の悪いことがあると、彼女はこうして目を瞑る。けれどそれは決して目を逸らしているのではなく、どうすべきか考えるために意図的に目を閉じて思考を回す方に集中していることも知っている。

 

 ……けれど、時々そうでない理由の時もある。それが今この時。こうして目を見返す時。決して逸らさせることなく、しっかりと目を合わせた時。

 

 

「さて、そろそろわたくしも勇者様達に怪しまれる頃ですし、ここへ来ることも難しくなるでしょう。闇派閥との決戦も近い。……まあシャクティ様がもう勇者様達に話してしまっている可能性もありますが、そこは気にしなくとも構いません」

 

「……そうか」

 

「学ぶべきこと、鍛錬すべきことについては全てここに纏めてあります。生活についても問題ないでしょう、ヘルメス・ファミリアの団員がこれまでと同じように物資を届けてくれます。わたくしも偶には様子を見に来ますので、気にせず続けてくださいな」

 

「分かった」

 

「それから……」

 

「?」

 

 

「……必ず、女神フレイヤに勝ってくださいな」

 

 

「!」

 

 

「一度負けた貴女が、あの女神をギャフンと言わせる。それに意味があるのです。わたくしは本当に貴女に期待しています」

 

 

「……言われずとも、あの女には勝つ。お前の期待は裏切らない」

 

 

「ふふ、であれば口調の方もそろそろ直して欲しいのですが。まあ今日のところは構いません。……それでは、また数日後にでも」

 

 

 つくづく思う。

 彼女は本当に相手にやる気を出させるのが上手いと。それが打算のある一言であるとしても、そんな風に言われたらやる気を出さざるを得ないだろう。掌の上で踊らされていると分かってはいても、動きたくなる。

 

 

「私の性格からしても、お前のような女を目指したいものなのだがな……何故お前はよりによってこんな服を着た女に仕立て上げようとするのか。絶対に向いていないと分かっているだろう」

 

 

 一瞬組みそうになった脚を反射的に戻して、イシュタルはゆっくりと立ち上がる。

 

 ……今日まで見えなかったものが、見えるようになってしまった。見えるようにされてしまった。そうすると自分が見ていない間に犯してしまった間違いを認識してしまって、愕然として。そこを起点に心を粉々に砕かれた。精神的にも肉体的にも追い詰められて、最後には子供のように泣かされた。

 

 それはその日まで味わったことがないほど、なんならフレイヤに負かされたあの日を超えるほどに本当に酷い屈辱であったが。魅了の力が無ければ自分はその程度の存在でしかないということに嫌でも向き合わされた。

 そしてまたそれを起点に、また見えるものが広がった。気付けば上ばかりを見ていた自分の視界は下ばかりを見るようになったけれど、今はそれで良いとも思っている。

 

 

「フレイヤ……お前は何処まで見えている……?」

 

 

 今は憎悪より、その興味の方が強い。自分と同じ美の女神でありながら、在り方の違った彼女は、一体この世界をどのように見ているのか。何を思って生きて来たのか。その興味が確かに心の内にある。

 

 

「だが、先ずは勝たなければな。……んん、そうではなく。か、勝たなければ、なりませんね?か?」

 

 

 慣れない口調に自分を強制しながらも、指示書に書かれたように、野菜の皮を剥き始める。以前ならば絶対にやらなかったそんなことも、今はしなければならない。

 料理も、掃除も、洗濯も、まだ慣れてはいないけれど、全部自分でやっている。料理だけはどうしても手伝って貰っていたが、努力と教育の末に簡単なものなら出来るようになった。……成長している。それを実感出来る。

 

 

 ……なんとなく、方向性が間違っている気もするけれど。

 

 将来また眷属を作る時、それは絶対に役立つスキルでもあるからと。彼女のそんな言葉を信じて、イシュタルは今日も懸命に努力をする。指に大量の切傷を作りながらも。少しずつ、けれど真面目に。

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