最初に私が売り飛ばされた見世物小屋は、とある男神の運営する小さなファミリアでもあった。
まだまだ未熟で世界の何も知らなかった私は、けれど屈辱という感情くらいは知っていた。そしてその場所は、己という人間に徹底的な屈辱を与えた。
見世物となる存在に自己は必要なく、その心を壊すことで反意を防ぐ。そんなクソみたいな方針を取っている、クソみたいな男神の仕切るファミリアだった。
私が人生で最初に殺した存在は、その男神だ。
その後、恩恵を失った眷属達を皆殺しにした。
容易い話だ、単に毒を盛っただけなのだから。
夕食時に薄い毒物の入った水を飲んでいた眷属達は、体内に残留していた毒物によって、主神を失い、恩恵を失った瞬間に、既に全身に行き渡っていた毒物に一瞬にして侵され、苦しみ抜いて死亡した。そんな容易い話だった。
そう、容易かったのだ。
神を殺すのも、その眷属を殺すのも。
自分という人間は、あまりにそれを容易く出来るということを知った。
『グラナ・グレーデは神を殺せる。そしてその死後、確実にその魂を、自らが殺した神々によって陵辱される。それは決して逃れることの出来ない運命だ』
そんな当たり前のことを胸を張って言い切った男神も居たが、彼もまたその1月後に天界で自分を待つ神々の列に加わった。その男神が周辺国で女児を中心とした奴隷商売を営んでいた事など知っていたからだ。奴が女児達にしていた事を、逆に全てしてやった。それは怒り狂っているだろう。楽しくもなんともなかったが。
……そして皮肉な話、私はそんなクソみたいな神々と妙に縁があった。
目的もなく行く先々でそんな神々と出会い、それを解決する事が自分には出来てしまう。だから当たり前のように、それを成す。きっと天界には自分の魂が昇ってくるのを今か今かと待ち望んでいる神々の列が出来ているだろうし、それほどの列を作れるくらいには多くの神々を、しっかり陵辱してから天界へと送った。
……正直、そんな将来を思っての恐怖はあったけれど、それを抑え込む術も持っていたから。きっとこれこそが自分という人間に課せられた役割なのだと自覚して、淡々とその役割をこなした。自分には何の利益も無かったが。
『この森、そんなに好きになってくれたんですか?』
それはそんな活動をしながら辿り着いた、とあるエルフの森で言われた言葉。丁度あの見世物小屋の関係者に追われていた事もあり、それを利用して匿って貰った、ウィーシェの森で出会ったエルフの女性に尋ねられた。
……確かに、綺麗な場所ではあった。そこに住まう者達も美しく見えた。世間の知識を取り入れるためにと立ち寄った場所ではあったものの、もう少し長く居座りたいと。そんな思いを一瞬でも抱いてしまうくらいには美しい場所だった。そんな思いも直ぐに抑え込んでしまったが。
だってそこに、打倒すべき神はいなかったから。
神を殺す事が出来る人間は、自分以外には余程居ない。この世界にはそんな自分を欲する者達が多く居る。そして自分という人間に望みや目的など何もない。
故に全ての感情を抑え込み、淡々と神を送還し、その眷属達を殺害する。時にはファミリアの崩壊を画策し、小さな国や町そのものを破綻させる。そんな事を繰り返した。見方によっては母親に勝るほどの大罪人、それが自分だった。
『貴女は、いつでもここに帰って来ていいのです。政治をする必要もありません。……ここは貴女の故郷なのですから。民の1人である以上、俺が必ず貴女を守ります』
不要な気遣いだ。
最早あの国で自分のすべきことは何もない。
自分が居たところで争いの火種にしかなるまい。
『いつでも帰って来て。ウィーシェの森はエルフだけじゃない、世界のみんなの故郷なんだから。何年後でも、何十年後でも、何百年後でも、私達エルフは貴女を待てるわ』
そのつもりもない。
あの場所に自分の居座る理由はもうない。
余計な穢れを呼び込むことになってしまう。
『もう……私のこと、好きじゃなくなっちゃいましたか……?』
さて、それもどうなのだろう。
もう何も分からない、衝動で滅茶苦茶になっている。
でも、負い目は感じている。それは確かだ。
(感情とは、これほどまでに面倒なものでしたっけ……)
また封じ込めてしまいたい。
これほどに処理をするのが面倒なものだったとは、暫くの間だが忘れてしまっていた。腹の底から湧き上がる殺害衝動と快楽だけでも気が狂いそうなのに、これまでの人生の中で味わって来た過去とそれに付随した未処理の感情が、気を抜けば押し潰されてしまいそうなくらいに流れ込んでくる。
……だが、これが人間だ。
ならば受け入れるしかあるまい。
どれほど気の滅入る過去と感情であったとしても、本来は自分で処理していなければならなかったものなのだから。その全てに向き合うしかないだろう。それこそが責任というものだ。成した行動の責任は背負わなければならないし、付いてくる苦痛も受け入れなければならない。
『お前はつくづく"女王"の才に恵まれているな、いっそ残酷なくらいだ』
自分が何をしたいのか分からない。
だが、すべきことは分かる。
自分の生まれ持った欠陥と、環境と、才能と、立場と、役割と……それら全てがまるで示し合わしたかのように、行くべき場所を指差している。
ゴルゼという小さな国の女王という役割では、きっと収まらない。あのまま女王として居座れば、自分は確実に他国の占領にまで手を出していた。自分の存在を察して追いかけて来た闇派閥の残党さえも飲み込み、ゴルゼのために恐ろしい数の命を奪う存在となっていた。
ならばより大きく、より困難な世界に行かなければならない。せめて対等な存在の居る場所に。……悲しいことに、母親にその器は無かったが。その点を"勇者"には救われた。気に食わない人間ではあったが。
……ただ、それでも私は"女王"だった。
本当に残酷に。
"女王"という名の歯車として、より多くの罪無き人々を救うことの出来る選択肢を淡々と取る。夢など無くとも、憧れなど無くとも、それを出来るのが自分だけであるのなら。それをしない理由など何処にもない。
私は人類の女王になる。
罪無き人々を拐かす悪しき神々を排斥する存在として、仮に全ての神々を敵に回すことになったとしても。この身を持って秩序を正し、彼等を解放しなければならない。
……もう、女王ではない自分を引き留めていた物も無くなってしまったのだから。このスキルを持ってしても抑えきれないほどの幸福と感動を、生まれて初めてそれほどに強い正の感情を与えてくれた存在を、私は失ってしまったのだから。
溜まりに溜まった負の衝動が暴れ狂う。
淡々と見て来た民達の死顔が懇願する。
どうか自分達を解放して欲しいと。
どうかあの邪神達に鉄槌を下して欲しいと。
そしてそんな懇願を、自分の中の黒い衝動は肯定していた。他の全てを塗り潰すような黒は、迷いなく自分を押し上げる。血に濡れた玉座のある、その方向へ。
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「………ん」
「あら、早いのね。もう起きたの?」
「イシュタル、様……?」
「机の上で鼻血を出しながら力尽きてる貴女を見つけたから、少し膝を貸してあげただけ。でもまだ5時間も寝ていないし、もう少しこうしていてもいいんじゃない?」
「……追い込んで、いるので」
「そう……だからと言って、物理的に頭を冷やしながら作業をするのは異常よ。早死にしたくないのなら気を付けなさい」
「……ええ」
今もズキズキと痛む頭を抑えながら、ゆっくりと身体を起き上がらせる。ふと横を見れば赤黒く染まった紙の束。幸いにもそれほど大切なものでもないので構わないが、あれが全て自分の血なのだと思うとやっていられない。もう少し鼻の粘膜が強ければ良かったのだが、悲しいことに昔から暴力には晒されて来た身。それほど綺麗な体でもなければ、強い身体でもない。
「どう考えても無茶のし過ぎね、そこまで急ぐ必要があるの?」
「……わたくしとて、フレイヤ・ファミリアを相手に余裕で勝てるとは思いません。どれほど短期間で膨大な仕込みをすることが出来るのか、敵の認識を欺くにはそこが重要なのです」
「……そう」
「あんな怪物共の集まりを叩き潰そうなどと、普通に考えて正気の沙汰ではありません。こちらの戦力は敵とは比較にもなりませんし、猛者なんて3回殺しても生き返って来そうな怪物ですわ。それに時間をかければシャクティ様達が駆け付けるでしょうし、こちらの縛りが多過ぎます」
「なんというか……これだと仮に殺生石の件が上手くいっていても、私達は負けていたのでしょうね」
「まず間違いなく負けていたのでは?獣化を考えれば猛者はLv.8級でしょうし、他もLv.6という括りの中でも上級揃い。いくらステイタス的に互角になっても質と経験が違います。切札が1枚しかないどころか、それを前提を揃えるために使ってしまうのですから。それでは勝てません」
「……そうね」
だからそう。
Lv.8の"猛者"を10回殺せるくらいの手札を揃えて、ようやく実感を握っていいくらいだとグラナは考える。個人的にはそれでも心配なので、時間ギリギリまで努力するつもりだ。いくら強力なステイタスを手に入れたからと言っても、そもそもそれが無かったことを前提に策を作るのが一番確実。
「グラナ、貴女はフレイヤのこと嫌い?」
「……別に、それほどでは。眷属達は魅了に掛かっている訳ではないですし、その在り方も結局のところ悪ではないのでしょう。ただ我儘なだけ」
「それならどうして、ここまでのことを?」
「彼等には悪いと思いますが、主張を通すための前提を整えるのに邪魔であり、かつそれが最も容易く民に認めさせる方法ですので。……必要なのです、成果が。我々の目的が決して戯言などではないと示すための機会が」
「……」
しかしここまで来ると、フィンのような睡眠を多少であれば無視できるようなスキルも欲しかったと思ってしまう。恩恵が今以上に成長することは無くなってしまったので、それも叶わぬ夢となってしまったが。
自分という人間にしか出来ない役割も多く、その自分の活動出来る時間が限られるというのがあまりにも惜しい。今は他者を育てる時間もなく、正攻法を取ることも出来ない。考えれば考えるほど……
(……?どうしてわたくしは、これほど焦っている?)
一瞬頭をよぎったりそんな疑問は、それこそ先ほどイシュタルが質問した内容と同じもの。けれど直ぐに理由は頭の中に追い付いてくるし、思考の処理と理解の定着が追い付いていないことを自覚する。
衝動を解放した影響で思考の処理が割かれてしまっていて、それも効率の悪化に繋がっている。アミッドにも注意されたことがあるが、それが悪化しているのだろう。事前に買い溜めして持ち込んでいた例の茶も凄まじい勢いで在庫が減っているし、最早味も分からなくなって来た。何の意味もないと悟ったので、今は冷えたままに机の上に置かれている。
(いや、そもそも衝動の処理を今並行してやる意味がある?どうして思考と時間を割いてまでそれに手を付けている?……非効率が過ぎる、意味が分からない。別にそれは全てが終わってからでもいいのに)
『その衝動を今処理したい』という衝動が止まらない。それを上手く操作しようとするのは、今は難しい。
(ああ、思い出した。この衝動をある程度まで処理しておかないと、衝動を掌握する際に若干の支障が生じるんだったか。……少し溜め込み過ぎた、今のままでは普通に抑制するのにも苦労する。もう少し自分の騙し方を考えないと)
しかしこれだけの衝動をただ無駄に消費するのも勿体無い。この手札を維持するためにも、爆発しない程度に感情を処理していないとならないのだった。そんなことさえも忘れていた。……異様な事だが。
(……計画を遅らせるしかないか)
疲労が溜まっているのは言うまでもない、特に脳と精神に。普段はこんなことはしないが、休息の必要性も分かっている。明らかに今の自分はおかしい。こんな状態で何かを組み立てたところで何の意味もない。むしろ余計な手間が増えるだけだ。……時間を延ばすほどに神の勘に引っかかる可能性は高くなるが、背に腹は代えられない。
「イシュタル様、もう少し寝ますわ」
「そう、それはいいことね。ほら、こちらにどうぞ?」
「……もう一つお願いがあるのですが、少し神威の抑えを緩めて貰っても?」
「緩める?……つまり、神威を強めて欲しいの?」
「ええ、【神憎本能】を発動させたいので。あれで『治力』と『精癒』の強化が出来ます」
「へぇ、なるほど。そういう使い方も出来るのね。案外、言葉通りに神を憎悪するだけのスキルでもないのかしら」
「……全ての神を憎悪している訳でもないので」
「そうね、貴女は心が広いものね」
「?」
「ううん、いいわ。好きに使いなさい。何時頃に起きたい?」
「……では、あと3時間ほど」
「5時間ね」
「……それで構いません」
「ええ、おやすみなさい」
「……」
なんだか人格や性格を真似させているだけだった筈なのに、どんどん元の彼女からかけ離れて来ているイシュタルに押されながらも、眠りにつく。
こうなるように仕向けたのは自分とは言え、ここまで簡単に変わってしまった彼女を見ると、正直少し心配になってしまうところもある。まあ彼女からしてみればガチ泣きさせられるくらい酷いことを散々に言われた上に、実際に彼女の言う通りにすれば色々と自分の想像していなかったような結果を得られたので、当然なのかもしれないが。こんな風に寝顔を晒して首を絞められないだけ、感心する。