『グラリネーゼ・フローメル』!!
『ヴァリアン・ヒルド』!!
穿つ超速の光の流星。
爆ぜる極大の雷の砲撃。
黒雨を浴び、互いにどれほど苦痛で表情が歪もうとも、原因たる大獣の首筋にその刃を突き立てる。Lv.6級の魔法や打撃を容易く凌ぐ尋常ならざる胆力、2種の呪詛による最悪の責苦。推定Lv.7に匹敵する呪いの化身は、第一級冒険者2人掛かりと言えど正面からの攻略は不可能に近い。
……しかし、そんな相手に対しても彼等は死力を尽くし、バルカ・ペルディクスの成れの果ては視界を塗り潰すような2つの極光によって焼き尽くされた。
最後の言葉はない、死の意識さえ与えない、そもそも既に意識というものが存在しない。呪詛に取り憑かれ、呪詛を操り、呪詛に生きた哀れな罪人の末路は、そんなものだった。暗闇の中で生き続けた人生が、光の中で終わる。そんな皮肉。
「ぜぇ、ぜぇ……クソ、野郎がァ……!!」
「チッ、やはり解呪しない限りは呪詛は消えんか……そもそも、この赤光の呪詛の発生源は、奴ではない……!」
バルカの放出していた黒雨は、触れた人間の精神力と体力を凄まじい勢いで削り取る。それは第一級冒険者であっても意識を強く保たなければ狂ってしまいかねないような濃密な呪い。その上で最大威力の魔法を放ったことで、2人は既に満身創痍となってしまっている。
……そしてバルカが死んでも、地に溜まる黒雨は消えない。その黒雨による苦痛も消えない。これを治せるような人間は限られているが、その可能性のありそうな人間もまた何処にも見当たらないのが現状。
「っ、やはりそうか……」
「アァ?なんの話だ」
「この赤光の呪詛、同様の効果を持つ魔法と二重で発動されている……呪詛の存在感に紛れてはいたが、単純に効果も二重になっている」
「っ!?ざっけんじゃねぇ……このバカみてぇなデカさの魔法陣が二重だと……?」
身体が重い、力が入らない、魔力が纏まらない。その原因は、単なる疲れや黒雨だけのものではない。動けば動くほどに酷くなる違和感、まるで何かに縛られているようなこの感覚。特に戦闘スタイル的にも動き続けていたアレンは限界だ。
……そして既に、その正体も互いに分かっている。
「結界魔法、結界呪詛……効果は共通して『
前例が殆どないほどの希少魔法。
それが呪詛ともなれば尚更だ。
そしてそんなものがフレイヤ・ファミリアの拠点を更に上回るほどの広さでこのクノッソス3階層には二重で描かれている。これほどの結界を構築するのであれば、相応の魔力や苦痛が必要だったであろうに。
そんなものの支配下にフレイヤ・ファミリアの眷属全てが立っているとするのなら……
「アレン!結界魔法の存在をオッタルに伝えろ!!このままでは全滅するぞ!!撤退以外に選択肢は無い!!」
「チィッ!!舐めた真似しやがっ…………アァ?」
「っ!!!避けろ!!」
「ッ!?」
ゴシャッと、耳を塞ぎたくなる様な悍ましい音と共に、つい先程まで目の前に居た筈の猫人の姿が消え失せる。
代わりに現れたのは、人の体ほどの大きさを持つ巨大な黒剣。黒金に染まりながらも赤い血に濡れるそれは、疲労困憊であったアレン・フローメルを容易く彼方へと吹き飛ばしていた。
……しかし意外にも、その黒剣を拾い直したのは1人の女。
身体は巨大、その骨格から大凡彼女が誰であるのかは分かる。しかし以前より明らかに痩せており、その瞳には光がない。そして、その女にしては妙に"品"の様なものがある。着ている衣服も、姿も、立ち振る舞いも。
そして当然、その実力も。
「………【
ヘディン・セルランドの意識があったのは、そこまでだった。最後に目に映った光景は、その女が片手で引き摺っていた見慣れた4人の小人族の姿。
つまりはそう。既に幹部の大半が敗北しているという、酷く受け入れ難い事実……
「実のところ、私はそれほど強くなる事は叶いませんでした。恐らく同僚達の中で、女王を除き最もその実力を伸ばしたのは【
「……くっ、ぅ」
「とは言え、私もまた順当な強さを手に入れました。否、瑕疵たるこの身を活かす事のできる最善で最悪の魔法を手に入れる事が出来た。……"グレアローズ"、範囲内の対象全てに私の感覚を共有する魔法。ただそれだけの魔法」
「なん、なんだ……これ……」
「ふふ、酷いでしょう?最悪な気分でしょう?ですが私は生まれたその瞬間から常にその世界で生きて来たのです。……同じ条件下で、たとえ貴方が相手だとしても負ける筈がない」
視界の全てが灰色に染まる。
人々の声が耳障りな雑音に聞こえる。
口に含むもの全てが異物に感じられる。
香りさえも分からない。
……それなのに、人の流す血だけが異様に美しい赤に見える。負の感情のこもった他者の血だけが、瞳に映る世界を色付けてくれる。それがヴィトーが生まれ持ってしまった、生来の破綻。
"グレアローズ"という魔法は、自身の周囲に紅の空間を展開し、その範囲内の人間全てに自身の感覚を共有するという魔法だ。つまりはその紅の世界に踏み込んだ者は例外なく、ヴィトーと同じ破綻を味わうことになる。普通の人間であればまともに動く事さえ出来なくなるほどの、地獄の世界を。そして正常な世界を知っているからこそ、破綻を知らないからこそ、その苦痛はより強くなる。
……彼が生まれ持ってしまった破綻は、グラナのものよりよっぽど酷い。
「殺しはしません、最早それに意味はありませんから。……むしろ必要なのは、あなた方が負けた上に、命さえ奪われなかったという屈辱の事実。ここで容易く殺してしまえば、我々の戦いが死闘であったと誤解されてしまう」
「っ……」
「つまりは勝ち方……仮にそれが奇襲であっても、僅か6名でそれを成し遂げたとあれば、人々の受け取り方は変わるものです。戦闘の詳細など無関係に。そこが重要なのです」
同じ規模のファミリアであれば、『奇襲をするとは卑怯な』と言われるような行いでも。少人数であれば、『奇襲とは言え、たった6人でフレイヤ・ファミリアを倒したのか……』という解釈に変わるもの。
そう、彼女は言った。
正面からまともにぶつかれば勝てないが、やり方を選ばなければ他者を認めさせることはできない。両者を成立させるためには、そのバランス感覚を養う必要がある。
正面から戦うことなく、かつ周囲も認めざるを得ない状況。敵を過大に仕立て上げ、味方を過小に見積もらせる。
つまりは、万全ではなくとも全ての戦力が揃っている状態で奇襲を仕掛け、幹部陣を1人足りとも殺さない形で幕を引く。当然ながら主神に対する最低限の尊重も必要だ。そんな理想論に近い事を、彼女はこうして実現した。ヴィトーの心酔は増すばかり。
「そして何より……屈辱と血に塗れた今の貴方の姿は、この上なく美しい。私は最高の気分ですよ。これから先、今の貴方と同じ格好をした数多の神々の姿を、この目に焼き付ける事ができるのですから。これ以上の幸福もない」
「……破綻者、め」
「私からすれば当然の話で、結論でしかないのですが。……では聞きましょう。女神に拾われた貴方と、女王に拾われた私に、一体何の違いがあると?」
「……」
「破綻者であっても、大罪人であっても、あの方は私に悪道以外の道を下さった。正道ではなくとも、この破綻した身で奪う以外の事が出来る未来を下さった。……分かりますか?神々でさえ見捨てたこの私に、彼女は与えてくださったのだ!このような瑕疵を、世界に不可欠な存在にすると!彼女はそう仰った!数え切れないほどの罪を作り、血を浴びたこの私をだ!この喜びが、この感動が!お前達に分かるのか!!」
「……」
……分かる。
分かってしまった。
他でもないヘグニには、分かる。
妖精の孤島『ヒャズニング』で戦王として担ぎ上げられ、その道を生きていくしかないと思い込んでいたヘグニを、フレイヤは救い出してくれた。一族から解放され、役割から解放され、自身に新たな世界を齎した女神に、ヘグニは魂からの忠誠を誓った。
目の前の男もまた、きっと救われたのだ。
1人の女に、新たな生き方を示して貰えた。
思い込んでいた生き方以外の世界に連れ出された。
心酔し、忠誠を誓った。
自分にとっての、唯一で、全てとなった。
「……ではまた、いずれ何処かでお会い致しましょう。その時は、こうして対峙するようなことがなければ良いのですが」
消える意識の中、ヘグニが最後に見たのは男の背後から近付いてくる女の姿。……かつて"殺帝"と呼ばれた女が、意識を失ったヘイズを担いでそこに居た。
驚異的な回復魔法によって不死の様に何度でも立ち上がる筈の女が、衣服をそれほど傷付けられることもなく容易く。恐らくは呪道具によって首を掻っ切られ、魔法そのものを封じられてしまったのだろう。
「オッタル……」
彼女の脱落にファミリアの壊滅を予想してしまったヘグニが最後に思い浮かべたのは、"最強"である筈のその男の姿。せめて女神だけでも守って欲しいと、そう願う。そしてそれはきっと、ヘグニ以外の眷属達も同じだった筈だ。
強さ以外に能のない男が負けてしまったら、本当にお前には何が残るのだと。そんな普段から直接ぶつけている様な暴言を、心の底から叫んでいた。
「ですが普通に考えて、"最強"に対する対策をより万全にして来るのは当たり前のことでしょう。……頑張るべきは、それ以外の方々でしたね」
しかしそんな彼等の思いを、女は腕の中から女神を下ろしながら叩き切る。横に立つ腕を失ったミノタウロスに回復薬を浴びせながら、目の前の光景を当然のことであるように興味なさげに見つめる。……座り込んだ女神とは、対照的に。
「……どうして、オッタルが」
「さて、どうしてでしょう。それを懇切丁寧に説明するつもりもありませんので。ただ彼が既に"獣化"をしている上に魔法も使用していることは確かです。……本当に、揃いも揃って」
グラナはゆっくりと、倒れたオッタルの元へ近寄っていく。アステリオスは動かない、フレイヤも呆然としたままだ。7年前もそうであったが、今回もまたフレイヤはオッタルが負けるなどと少しも思っていなかったのだから。
……何があろうとも、彼だけは勝利を得ると。その末に自分が負ける事はないと。絶対の自信を持っていた。それがあったからこその余裕だった。
「どうせまだ起きているのでしょう?狸寝入りはそろそろ十分なのでは?」
「…………ぐ、ぅっ………」
「ほら起きた。あとこれを何回繰り返したら真に意識を失ってくれるのでしょう?殺す、殺さないの線引きが分かり難い相手はこれだから苦手ですわ」
全身を血に濡らしながら、最強は立ち上がる。
すぐ近くに蹲み込み、呆れる様な表情でそんな姿を見つめる女の目の前で。怒りの炎を目に灯しながら、女神への熱を瞳に宿しながら。
「ですので、考えました。何度打ち倒しても起き上がるのであれば、いっそのこと立ち上がったところで無意味な状況を作り出してしまえばいいと」
「ッ、ァァア!!」
半ばから折れた大剣を、全身全霊を持って振るう。
一切の躊躇なく、無防備な姿を見せている女の首筋目掛けて。確実にここで敵を殺害するのだと、その決意を持って彼は武器を振るったのだ。
「……端的に言えば、貴方を取るに足らない弱者という立場にしてしまえばいい」
「なっ……」
「貴方達が散々にして来たことでしょう?……弱者に価値はなく、力が無いというだけで横暴の下に晒される。その弱者に、貴方達は今こうして成り下がった。ただそれだけのお話」
「オッタルの攻撃を……指で……」
その攻撃にそれほど目を向けることもなく、女は指先2本で"最強"の攻撃を受け止める。それはまるで、子供の我儘を適当にあしらう母親のように。"最強"の筈の男の一撃を、まるで虫でも払うかのように。
……つい先程まで戦っていたアステリオスでさえ思わず唸りを上げるほどに、簡単に。
「言うまでもなく、わたくしが"最強"です」
「なっ……」
「わたくしが女神と遊んでいても、あなた方は負けた。そして貴方は今、どうやっても自分では勝てないことを悟ってしまった。……さて、どうでしょう。貴方の立ち上がる理由が『女神への忠誠』以外に無くなってしまうくらいに折れてくれていると良いのですが」
「ぅっ」
正に今、それを口にして立ち上がろうとしていたオッタルの心を突き刺される。
今も目の前でニコニコと笑みを浮かべている女、しかし今はそれが酷く恐ろしく見える。オッタルには何も分からない。何が起きているのか、この女が何を企んでいるのか、何を思っているのか。
分かるのは精々、自分のステイタスが何らかの理由で低下してしまっているということ。そして慌てて獣化したところで、それを取り戻すには既に遅い状況になってしまっていたということ。……つまり、今の自分は。
「……泥を啜る事には、慣れている」
「慣れている、ねぇ……」
「……何が言いたい」
「その割に、貴方にとって最も大切なものを奪われることなく今日まで生きて来れたのですから。不幸中の幸いに恵まれたのですねぇ、と」
「っ、フレイヤ様に何をするつもりだ……!!」
「それを知ったところで。弱者であり、敗者である貴方に何か関係があります?」
「答えろ!!」
「言う訳がないでしょう?……ふふ、本当に馬鹿な人達。少し力を持った程度で調子に乗るからこうなるのですよ。せめてもう少しロキ・ファミリアの歩み寄りに素直に向き合っていれば、こうして付け込まれる隙も無かったでしょうに」
「そ、れは……」
「泥の味を知っている?自分が強いだけではないと言いたかったのですか?それとも元弱者故に、弱者の気持ちが分かるとでも?……面白い事を仰いますわね。よければ、もう一度同じ言葉を言って貰えます?とても面白かったので」
「……」
グサリ、グサリと、心を刺される。
泥を啜って這い上がってきたという事実に、僅かではあっても誇りを抱いてしまっていたという事実を。そして強者となったが故に、自分が僅かであっても余裕を持ってしまったという事実を。そして何より……泥を啜って来たことは事実であっても、自分を叩き伏せて来た者達は揃って、自分にとって最も大切なものだけは奪わずに居てくれたことを。
「あなた方は自尊心を持ってしまった。真に何かを守りたいのなら、なりふり構ってなどいられない筈なのに。黒龍という明確な危機から目を逸らし、ダンジョンという明確な悪意から目を逸らし、女神を理由にして自分に拘った。……であるなら、躾をしなければならないでしょう。あなた方のその"自尊心"のせいで、大切な物を奪われてしまったのだと。刻み付けなければ」
「やめろ!!」
「もしロキ・ファミリアが闇派閥の企みに気付いていなかったら、今頃オラリオはどんな姿になっていたでしょうね」
「っ」
「そんなことからさえも目を背けているから、こうなったのです。精々悔やんで下さいな。愛する女神を守ることより、自分達の都合と感情を優先してしまった。口先だけの、その愚かさを」
大剣が砕ける。
オッタルの心と同じくして。
その女に、砕かれる。
敵対している派閥。
それが今のロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアの関係であり、実際に何度か抗争寸前まで発展仕掛けたこともある。オッタルとしては馴染みの深いフィン達とそこまで敵対するつもりも無かったが、そんな状況を今日まで良しとして見過ごして来たのは他ならぬ彼自身である。
アレンは言っていた。
フレイヤの『ロキの子達と共闘して来てくれる?』という問いに対して、『絶対に嫌です』と彼は断言していた。非常事態であると分かっていた筈なのにだ。
そして彼は確かにそれなりに尖った人間ではあるが、彼ほどではなくとも似た様な考えを持つ団員は多く居たのも事実。それ故にファミリア自体の方向性もそちらへ向かっていた。その末がこの状況だ。
闇派閥のことも、どうせフィン達が解決するだろうと。そう思ってしまっていたことも本当だ。それは確かに長年の信頼もあったが、真に女神の無事を望むのであれば、戦力として協力を求められる以前に、そもそもこちらから打診すべき事だった筈だ。
……愛する女神を守ることより、自分達の都合と感情を優先してしまった。
彼女の発したその言葉は、あまりにも深くオッタルの心に突き刺さる。それまでの何より根深く、致命的に。
「女王、遅くなってしまい申し訳ありません。しかし、全て頂いたご指示通りに進めることが出来ました」
「いえいえ、むしろ想定より早いくらいですわ。流石にこの程度の些事ではヴィトー様の限界は引き出せませんでしたか」
「ふっふっふ、怖い事を仰る。第一級冒険者を相手取る事を些事などとは」
「っ………アレン……ヘディン……」
「まさか……本当に……」
ドサドサと並べられる見知った顔。
一人一人が欠けてはならない者達、負ける筈のない者達。10人にも満たない者達に打ち倒される様なことは決してないと、そう思い込んでいた者達。そして姿が見えないだけで、彼等の背後にはもっと多くの敗北者達が積み重なっている。今も黒雨によって生じた呪いの水に浸り、呻き声をあげている者達が。
「さて、これにて戦は終わりですわ。戦後処理と参りましょうか」
仕掛けられた侵略戦争。
その始まりと過程がどうであれ、敗北者に権利はない。